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  <title>Cutting Edge</title>  
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  <modified>2007-04-19T23:54:11+09:00</modified>  
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  <tagline>ロンドンから戻ってきました・・・　</tagline>  
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    <title>一瞬の風になれ</title>  
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    <issued>2007-04-19T23:37:00+09:00</issued>  
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      <name>th4844</name> 
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    <dc:subject>Me, Family, Friends</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
<br/>
私が日本に戻ってきたということで、大学の後輩たちが飲み会を開いてくれました。平日の夜だというのに、なかには東京以外からわざわざ無理して駆けつけてくれた奴もいて、なんだか嬉しかったです。<br/>
<br/>
30歳を過ぎて、コールをかけてジョッキを一気飲みするのもどうかと思いましたが、たまに昔のメンバーで集まると、まるであの頃から今まではただ時計が止まっていただけなんだと錯覚するくらいに、昔と同じ話に笑い、同じボケと突込みが繰り返され、同じ人間が同じようにいじられ、そして同じように飲むんです。それがまた嬉しくて悪ノリしていくわけですが・・・。<br/>
<br/><br/>さて、集まった後輩達から、『えっ？あれを読んでないんですか？』『神奈川の高校陸上の話ですよ』『そこに出てくる某強豪校の同期って、○彦（我々の後輩）らしいですよ』『一晩で3冊一気に読んで泣いちゃいましたよ』と激賞されたのが、<a href="http://www.amazon.co.jp/ä¸ÂçÂ¬ãÂ®é¢¨ãÂ«ãÂªãÂÂ-ç¬¬ä¸ÂéÂ¨-ãÂ¤ãÂÂãÂÂãÂÂãÂ¤ãÂÂ-ä½ÂèÂ¤-å¤Âä½³å­Â/dp/4062135620/ref=pd_bbs_sr_1/249-5176335-7492324?ie=UTF8&s=books&qid=1176993871&sr=8-1" target="_blank">この本</a>です。参加していた先輩からの『じゃあ、それ今すぐお前ら買って来て、ここで朗読しろ』という厳しいご指示を受けて、遅刻して来ることになっていた後輩にデリバリーのオーダーが出たものの、結局彼は遅れすぎて本屋に寄って来ることが出来なかったので、その日にその本を拝むことはできませんでした。日曜になって近所を散歩している時に思い出して書店に寄ってみると、なんと店頭で大きく平積みになっているではないですか。一晩で読めるとは思いませんでしたが、とりあえず3冊纏めて買い求めてきました。<br/>
<br/>
で、子供が寝静まってから、毎晩少しずつ読み進めていたんだんですが、いやー、良かったです。私は天邪鬼なので、人から感動の押し売りをされるとむしろ冷めて眺めてしまうところがあるんですが、この本にはグングン引き込まれていきました。作者が実際に県立高校の陸上部に密着取材をしていたそうで、ブカツで繰り広げられる人間模様、選手の精神状態、陸上の専門的な描写などなど、いずれもかなりリアルなので、自然と感情移入させられてしまいます。<br/>
<br/>
先輩達と走る最後のリレーに駆ける思い。センスがあるがモチベーションにムラのある人と、モチベーションは人の3倍くらいあるのにセンスがイマイチ足りない自分というどうしようもないギャップへの苛立ち。ケガで走れない間にライバル達が走るのを眺めているだけの無念。常連の強豪校に立ち向かっていく気概（私の高校時代も、この本に出てくる鷲谷高校のモデルになっている学校に挑む毎日でした）。頭が真っ白になる失敗レース。自分でも恐ろしいほどに成長を実感出来る瞬間の歓喜（そんなこと競技人生において何回もあるものじゃないけど、だからこそ感動的なんです）。うーん、私の高校生活って本当にこんな感じだったんですよ。もちろん、こんなにカッコよくはなかったですけどね。思わず、妻に『これを読んでくれ。オレがいっぱい詰まってるから！』と、結局私も感動の押し売りをしていたのでした（笑）。<br/>

        ]]></content> 
  </entry>  
  <entry> 
    <title>我が家の近況</title>  
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    <issued>2007-02-10T03:25:00+09:00</issued>  
    <modified>2007-02-10T03:26:29+09:00</modified>  
    <created>2007-02-10T03:25:27+09:00</created>  
    <author> 
      <name>th4844</name> 
    </author>  
    <dc:subject>未分類</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
<br/>
東京に戻ってきて、1週間が過ぎようとしています。<br/>
<br/>
新しい勤務先で用意してくれていた豪勢なサービスアパートメントを根城にして、今週は親子3人で新居探しにいそしんでいました。<br/>
<br/>
来週後半からいよいよ仕事がスタートするので、それまでの間に少しでも生活のセットアップに道筋をつけておきたいところです。<br/>
<br/>
時間が許せば、もうちょっとだけブログの更新もしてみたいと思っていますが、さてどうなることか・・・。<br/>
<br/>
日本で食べるお米＆納豆がロンドンのものよりも格段に美味しいからでしょうか、長男も元気にしています。<br/>
<br/>
<br/>
（取り急ぎ、生存報告でした！）<br/>

        ]]></content> 
  </entry>  
  <entry> 
    <title>私にとってのロンドン　2002年～2006年編（２）</title>  
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    <issued>2007-02-10T02:47:00+09:00</issued>  
    <modified>2007-02-10T02:48:05+09:00</modified>  
    <created>2007-02-10T02:38:38+09:00</created>  
    <author> 
      <name>th4844</name> 
    </author>  
    <dc:subject>London, UK, Europe</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
<br/>
前回のエントリに書いた通り、4年前にロンドンでの勤務がスタートした時の自分のスペックは平凡そのもので何一つ見るべきものはなかったのですが、幸いなことに、その後に社内外のクレディビリティを獲得していく上では非常に恵まれた環境に置かれていました。<br/>
<br/><br/><br/>
まず、会社の上層部が私の意見を尊重してくれました。日本の機関投資家という最重要顧客層のディマンドをバックにしていたので、始めからそれなりの発言権が与えられていたのです（発言権は、後に発言力に昇華）。<br/>
<br/>
次に、担当業務（＝専門性）をどんどん水平展開をしていく機会に恵まれました。日本の投資家の期待に応えられるように、通常よりもワンランク上のクォリティとボリュームのアウトプットが求められたので、結果的に横断的にあらゆる業務に顔と口と手を出さざるを得なくなりました。はじめはクライアントサービス的な業務をアサインされていたのですが、徐々に投資判断やオペレーション、ドキュメンテーションまで関与するようになり、縦割りになりがちな組織の中にいたにも拘わらず、知識や経験の幅も飛躍的に広がっていきました。<br/>
<br/>
また、カリスマ経営者のビジョンや仕事振りを身近に学ぶ機会が多かったです。CEO直轄の最重要顧客のリレーションシップを担当させてもらっていたので、彼との二人三脚で仕事をしていく中で、いろいろなことを吸収出来ただけでなく、吸収出来ているということをアピールする機会にも恵まれました。日本だけでなく欧州や北米などで彼が直轄する重要案件も任せてくれたり、営業周りだけでなく投資サイドにもどんどん引き込んでくれたのは、感謝してもしきれません。トップとの阿吽の呼吸で仕事を進められるようになってからは、必然的に、彼の言葉や哲学を社内外で伝えていくという役回りが増えました。<br/>
<br/>
そして、直属の上司にも可愛がってもらえました。CEOと直接やる案件以外は、当然ながら直属の上司と動くことが多かったのですが、彼はとにかく私がローカライズするのにあらゆる手を尽くしてくれました。私をロンドン本社に名実ともに転籍させて“東京オフィスのロンドン出張所”とか所謂“ジャパン・デスク”といった位置づけから解放してくれただけでなく（ある意味では退路を断たれた訳ですが・・・）、ロンドンの中核メンバーの一員として採用活動などを任せてくれた上に、彼ら彼女らを牽引するようなシニアなポジションへとグングン引き上げてくれました。<br/>
<br/>
要するに、私のロンドンでのキャリアというのは、ただただ顧客と上司に育ててもらった4年間でした。<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
ところで、言葉や文化の違いに戸惑ったのはプライベートの面でも同じでした。情けない話ではありますが、渡英して間もない頃などは、妻に『今、何て言ってたの？』と聞かれた時に『わからない』と認めるのが嫌で、とりあえず『わかったふり』をして、結果的にあとで必要以上の負荷がかかったこともしばしばでした。<br/>
<br/>
また、ロンドン赴任当初の私の給料は今の3分の１くらいしかなかったので（涙）、生活苦とまでは言わないものの、不案内な異邦人が扶養家族を伴って狂乱物価気味のロンドンで生活していく上では決して十分といえる水準ではありませんでした。お金に限ったことではありませんが、どこの国でも中小企業に勤めるということは大企業に比べるとずいぶんと不便なことばかりであることを痛感しました。前職などの伝もあって、せっかくロンドンに何人も日本人の知人がいたにも拘わらず、家探しに始まって医療や休暇の過ごし方などなど、周囲の至れり尽くせりの駐在員の方々のお話はあまり参考にならないことも少なくありませんでした。私には、『ここで実力をつけて認めてもらえれば、必ずすぐに楽になれる』と歯を食いしばって頑張る理由があったものの、妻にはいろいろと苦労をかけたと思います。<br/>
<br/>
そして、来英3年目に妻が妊娠してから出産を経験するまでのプロセスがまたちょっとしたチャレンジだったのですが、この時期を夫婦二人で乗り越えたことで、ようやく自分たちもある程度はローカライズ出来たという気になりました。当地のNHS（国営の病院なので無料なのですが、高額な私立病院に比べると評判の差は歴然）で私以外の家族の応援もない中での初産だったので、妻はずいぶんと心細かったはずです。余談ですが、毎回の診察＆出産に立ち会ってところどころ通訳も買って出たお陰で、私も産婦人科系の英単語にはずいぶんと詳しくなりました（笑）。<br/>

        ]]></content> 
  </entry>  
  <entry> 
    <title>私にとってのロンドン　2002年～2006年編（１）</title>  
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    <issued>2007-01-23T07:54:00+09:00</issued>  
    <modified>2007-01-23T07:55:35+09:00</modified>  
    <created>2007-01-23T07:54:29+09:00</created>  
    <author> 
      <name>th4844</name> 
    </author>  
    <dc:subject>London, UK, Europe</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
<br/>
このブログを書き始めた頃に、『私にとってのロンドン』というテーマで何回かに亘って自分の恥ずかしい過去をひっそりと晒していたのですが、そこでは2002年の暮れから今日までの現在進行形のロンドン生活の日々については触れていなかったので、帰国前の今、ちょうどいい機会なのでこの続きを書いてみようと思います。<br/>
<br/><br/>先週金曜日の夜。A40を快調に飛ばすタクシーの後部座席にもたれて、私は1人、さっきまで送別会の会場で大音響に負けじと大声で同僚たちと語り合っていた他愛も無い会話の内容を何となく思い返していました。そして、自宅まであと10分くらいという地点に差し掛かったところで、ふと『この道をタクシーで通るのも最後かもしれないな』と思い直し、景色を少しでも目に焼き付けておこうと、体を起こして窓の外に目を遣りました。<br/>
<br/>
ルノーの代理店が目に入ります。幹線道路沿いの何の変哲もないディーラーですが、これを見るや否や、数年振りに微笑ましい記憶が蘇ってきました。ロンドンに赴任してきた当初、毎晩ただ1人深夜までオフィスに残ってタクシー帰りを余儀なくされていたのですが、ある晩のタクシーの運転手が私の全く知らなかった経路を辿ったので何だか緊張して外の景色を注視していたところ、このルノーの前に差し掛かったところで、その運転手が『もうすぐ○△だから、そこを左に曲がったらすぐに着くよ』と一声かけてくれて、なんだか妙にホッとしたのです。当時の私は、仕事の要領が掴めずにいるばかりか、帰宅するタクシーの車内までも気が休まる暇がなかったんですね。<br/>
<br/>
最近は送別会続きで、多くの方の温かみに触れて“じーん”とくる機会がやたらと多かったので、必然的に自分の中でも『私のロンドン生活は本当に楽しかった！』的な極めてハッピーな総括の仕方をしていました。しかし、努めて冷静に考えてみれば、ロンドンでの仕事や私生活を今のように本当にリラックスして楽しめるようになったのは、ここ2年間くらいの間のことのように思われます。告白すれば、ロンドン１、2年目の頃は、表面的な関係はさておき、心の中は常に孤独とも言える寂しい状態でした。<br/>
<br/>
<br/>
ロンドンに来る前の私は、今の勤務先の東京オフィスで機関投資家向けのマーケティングに従事していました。私は東京オフィスの立ち上げから参画していたのですが、幸運もあって、スタートから2年間で我々としては十分食べていけるだけの顧客基盤が出来ました。そして、その後『こうして獲得した貴重なマンデートをより確かな長期のリレーションシップへと昇華させていくには（本当のところは『なんとか繋ぎとめておくべく』？）、東京の投資家の特殊なrequirementを理解出来る人間をロンドンに常駐させて、ロンドンスタンダードが東京スタンダードを満たせるものに変えていくことが不可欠だ』ということになって、私がliaison役としてロンドンに送り込まれたのでした。<br/>
<br/>
ただ、はじめの頃は本当にダメ社員でした。<br/>
<br/>
まず、何といっても言葉の問題です。東京在勤時からロンドンのスタッフとは殆ど毎日連絡を取り合っていたし、日本の投資家を米国のヘッジファンド巡りの出張にお連れするような仕事もこなしていたので、私はいつの頃からか『帰国子女ほどではないにせよ、自分は日本人の中では英語は出来る方だ』と思い込むようになっていました。ところが、ロンドン赴任後数週間のうちにそんな小さなプライドは木っ端微塵に吹き飛ばされてしまいました。ミーティングに入れてもらっても、テーマによっては会話についていくのも覚束なくて、さっぱり貢献できませんでした。『日本人は恐ろしいほど英語が出来ない』ということはシティの人たちの間でも広く知られており、しかもそれまでの私は社内であっても一応 “客人扱い”されていたので、私が東京にいた頃はいつも随分と平易な英語で話してくれていたのだと思います。ところが、ひとたびロンドン本社の一員となって、“内輪”の人間としてミーティングに参加すれば、当然ながら出席者は皆、何の遠慮もなく凄まじく早口でまくし立てています。東京時代に私が快調に乗り回していると思っていた自転車には、実は立派な補助輪がついていたということを思い知らされたのでした。<br/>
<br/>
次に、言葉の問題を度外視したとしても、コミュニケーションや意思決定のスピードも大変なカルチャーショックでした。ロンドン本社のミーティングでは、参加者の発言・質問・反論・回答等が一切の沈黙を挟まずに矢継ぎ早で怒涛のように進んでいって、どんな話題でもあっという間にいろいろな角度から議論を煮詰めていくのです。日本人同士の相談だと、必ず『うーん、そうだねー』とか『いやー、どうだろうね』とか『これは聞いてみないとわからないですねー』といった“発言しているようでしていない間合い”が頻出しますが、ロンドン本社でのミーティングでは、そういう場繋ぎ的な発言を挟む余地はありません。みんな若いこともあってとにかく飲み込みが速く、一を聞くと、十とまではいいませんが、七・八くらいまでは瞬時に理解して、間髪入れずに九と十あたりについての質問や確認が飛び交うという雰囲気です。私も、ロンドン到着時からいきなり “日本代表”として常に即答・即断を求められて、慣れないうちは大変なプレッシャーを感じました。即断・即決でやっていくと、それだけあとで軌道修正を求められる局面も増えるわけですから、それが必ずしも最良のプロセスとは言えませんが、いずれにせよ、『文書を回覧して承認を得る』という日本的（銀行的？）意思決定プロセスに慣れていた私にとっては、この『議論の中で成論を得る』というスピード感に慣れるのは大変な試練でした。もっとも、これはもちろんコミュニケーション能力だけの問題ではないので、『日頃からプロ意識を持って、知識や自分の考えを常にきちんと整理しておく』という基本動作の改善によってもだいぶマシにはなりました。<br/>
<br/>

        ]]></content> 
  </entry>  
  <entry> 
    <title>Thank you</title>  
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cedge.exblog.jp/4597036/"/>  
    <id>http://cedge.exblog.jp/4597036/</id>  
    <issued>2007-01-21T05:54:00+09:00</issued>  
    <modified>2007-01-21T07:17:41+09:00</modified>  
    <created>2007-01-21T05:54:03+09:00</created>  
    <author> 
      <name>th4844</name> 
    </author>  
    <dc:subject>Career</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
<br/>
ずいぶんいろいろと考えましたが、日本に戻ることにしました。<br/>
<br/>
今の勤務先も辞めて、他社に移籍します。<br/>
<br/>
最後の１週間は、社内外で何度も送別会をして頂いたりたくさんの方々にご連絡を頂いたりで、改めて自分がいかに多くの人に支えてもらっていて、いかにそういう暖かい人たちとの出会いに恵まれていたのかということを再認識致しました。ただただ、感謝の気持ちでいっぱいです。<br/>
<br/>
社内では最後にLeaving speachをさせられるのがルールですので、そういう感謝の気持ちをどうやって伝えるべきか、最終日迄にゆっくり考えておこうと思っていたのですが、上層部の気まぐれでフェアウェル・ドリンクの日取りが急遽１日繰り上げられてしまいました。夕方になってから、『やっぱり今からやります』なんていきなり言われたので、原稿を用意したりする暇もありませんでしたが、ほろ酔いになりながら大体こんな風に話したと記憶しています。<br/>
<br/>
将来、忘れた頃にこれを自分で読み直してみたら、どんなに恥ずかしく思うかわかりませんが、でも、こういう青い気持ちも大切にしていきたいと思っています。<br/>
<br/>
<br/><br/>I would like to start by saying something very simple. <br/>
<br/>
Thank you.<br/>
<br/>
Thank you to you, my team, my bosses, colleagues, ex-colleagues, and clients.<br/>
Thank you, A（勤務先）, for giving me tremendous opportunities. <br/>
<br/>
<br/>
<br/>
This week, we interviewed a Japanese girl for a junior position. <br/>
<br/>
She has some relevant work experience at an investment bank. <br/>
Her English was excellent. <br/>
So, she was not bad. <br/>
But, unfortunately, she could not solve some financial math quizzes by H（直属の上司） and R（シニアレベルのクオンツ・アナリスト）. <br/>
I felt so sorry of her because I remember exactly how it was in my case. <br/>
<br/>
P（CEO）, you interviewed me at the Imperial Hotel in Tokyo in October 2000.<br/>
<br/>
I was lucky because you did not try to grill me by nasty quizzes. <br/>
I mainly talked about how good I was at running 400-meter race in university varsity team and you responded you used to run marathon race. <br/>
However, my English was so bad that S（当時の日本法人の社長） lent me a hand by translating more than half of this casual conversation... <br/>
<br/>
By today’s standard, I was utterly unqualified to be a part of A（勤務先）. <br/>
<br/>
In fact, I remember that at the end of the meeting you said to S（日本法人社長）, - obviously you were assuming that I could not understand what you would say, although actually my listening skill was not as bad as speaking -, “Tell him that, no matter how fast he could run 400-meter race, it is very different from what marathon race takes!” <br/>
<br/>
However. <br/>
<br/>
I still don’t know how it was decided. but you placed me as one of the starting members of our Tokyo office. <br/>
And then, two years later, you even gave me an opportunity to join the newly created Product Development team in London. <br/>
<br/>
So, thank you for your generous and brave decisions. <br/>
<br/>
<br/>
H（直属の上司）, since I came to London, you've been the one who keeps encouraging me to become a true Londoner. <br/>
<br/>
Probably it took a lot more hard work than I anticipated and much longer time than you expected, but finally I became comfortable to say that I am a local professional here, neither an expat nor a mere messenger boy between London and Tokyo. <br/>
<br/>
So, thank you for your patience. <br/>
<br/>
<br/>
<br/>
If somebody asked me what would be the one word to symbolise A（勤務先）, I would say, “Quality”. <br/>
<br/>
Quality of work.<br/>
Quality of people.<br/>
Quality of relationships.<br/>
Quality of life. <br/>
<br/>
Surrounded by you all, I discovered the true meaning of quality. <br/>
What really matters is quality. <br/>
Quantity does not necessarily suffice, but quality does. <br/>
<br/>
I am proud of what we have gone through together and how we did it. And, that is the quality value of myself today.<br/>
<br/>
<br/>
Working in the Hedge Fund industry for six years is long enough to learn a thing or two about finance. <br/>
<br/>
For example, leverage. <br/>
<br/>
Smart people seek for leverage facility when they find good quality of equity portion. <br/>
Likewise, I will work hard in coming years, harder than ever, so that I could make the most use of the equity value of myself, the quality I have forged in these six years. <br/>
<br/>
That is the only way to prove to my self that this is a right move.<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
Next week, I will be traveling to Canary islands. A lot of sunshine and sand beach. A moment of escape from reality. <br/>
<br/>
Then I will move back to Tokyo and join X（新勤務先） from mid February. <br/>
<br/>
This time, I decided to move. <br/>
<br/>
But I decided for very personal reason. <br/>
<br/>
Once again, I am proud of what I have gone through with you and I will be proud to say that I worked for A（現勤務先）. <br/>
<br/>
Regardless of my decision, my confidence in your success will remain the same. <br/>
<br/>
My emotional attachment and affection to A（現勤務先） will remain. <br/>
<br/>
I hope you could share my wish, earnest wish that our trust, friendship, the fact that we have built a lot of things together, and personal memories of them will remain. <br/>
<br/>
<br/>
Thank you.<br/>

        ]]></content> 
  </entry>  
  <entry> 
    <title>イスタンブール散策日記（２）</title>  
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cedge.exblog.jp/4575283/"/>  
    <id>http://cedge.exblog.jp/4575283/</id>  
    <issued>2007-01-17T06:34:00+09:00</issued>  
    <modified>2007-01-17T06:51:54+09:00</modified>  
    <created>2007-01-17T05:57:46+09:00</created>  
    <author> 
      <name>th4844</name> 
    </author>  
    <dc:subject>London, UK, Europe</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
年始からのイスタンブール旅行記の後編です。前回分は、妻に言わせると『ガイドブックみたい』というトーンでしたが、今回はもうちょっと一人称的な文章になりました。興奮するとついつい大袈裟になってしまう癖がありますが、さらっと読み流して頂ければと思います。<br/>
<br/><br/><b>ビザンチン時代の城壁</b><br/>
<br/>
文明の十字路とも言われる激戦区にあって絶えず外敵からのプレッシャーに晒されながらも、結局コンスタンティノープルが千年以上もの間生き永らえることが出来たのは、やはり何と言っても今から１500年も前にテオドシウス帝が築いた難攻不落の“三重の城壁”に拠るところが大きかったようです。<br/>
<br/>
かつてのローマ帝国では数十万の軍勢が常時動員可能だったと言われていますし、5世紀に西ローマ帝国が滅びた後にローマに代わってキリスト教世界の政治・経済・宗教の中心となった（『世界の富の３分の２が集まる町』と讃えられたとか・・・）コンスタンティノープルの人口は、最盛期には30万人以上を優に超えていました。<br/>
<br/>
それが、<a href="http://cedge.exblog.jp/4484978/" target="_blank">先日のエントリ</a>でも書いたようにビザンチンのギリシア人の内向的・哲学的な性格も災いしてか、その後東ローマ帝国はいろんな意味で伸び悩み、13世紀以降は周辺のイタリア（ヴェネチア、ジェノヴァ）やイスラム世界（オスマントルコ）に大きく遅れを取ることになって、ゆっくりとしかし着実に衰退の一途を辿ります。<br/>
<br/>
1453年にオスマントルコのマホメット2世率いるオスマントルコの10万の大軍に包囲された時、コンスタンティノープルの人口は5万人まで減少しており、うち守備兵（商人などを含む成年男子）は僅か5,000人だったといいます。これにイタリアなどからの義勇軍や傭兵2,000人を加えた7,000人でトルコ勢との篭城戦を戦ったわけですが、皮肉なことに最盛期に築かれた全長25キロという壮大な城壁は7,000人で守るには聊か長すぎたようで（単純計算でも1人あたり3キロ以上！）、2ヶ月の抗戦も空しく、結局陸海両面からのオスマントルコの凄まじい物量作戦の前に防御戦は破られてしまいます。<br/>
<br/>
<img class="IMAGE_LEFT" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200701/17/80/d0011980_5424331.jpg" border="0" width="400" height="300" align="left"/>衰退期のコンスタンティノープルには文字通り“無用の長物”ともいえる存在となってしまっていた城壁ですが、とはいえ、やはりこれを初めて包囲した時のマホメット2世にとっては、相当な難関に映ったに違いありません。塩野七生さんは<a href="http://www.amazon.co.jp/ãÂ³ãÂ³ãÂ¹ãÂ¿ãÂ³ãÂÂãÂ£ãÂÂãÂ¼ãÂÂãÂ«ãÂ®éÂ¥èÂ½-å¡©éÂÂ-ä¸ÂçÂÂ/dp/4101181039/sr=8-1/qid=1168981689/ref=sr_1_1/249-8826382-5716319?ie=UTF8&s=books" target="_blank">『コンスタンティノープルの陥落』</a>の中で、マホメット2世の側近の小姓に『これほどの城壁が、おちるなんてことがあってよいものか！』という台詞を吐かせています。完全な形ではないものの、このテオドシウスの城壁はまだ現存しているというので、私は旧市街の中心から路面電車に揺られてこの城壁を見に行ってみました。城壁の外側は公園というか緑地のようになっていて、その向こうにはだだっ広く空き地が広がっています。逆の視点から考えると、それまでずっとだだっ広い平野が続いていたのに、忽然と高さ25メートルもの巨大な城壁が姿を現し、そしてその城壁は左も右も視界の続く限り、延々とそびえ立っているという感じです。当時はこの壁が三枚あり、間には堀もあったそうですから、何万人もの兵士でぐるりと周囲を囲んだところで、どうやってこれを乗り越えるかということは難題だったに違いありませんが、千年以上も帝都を守り続けたその城壁も歴史の荒波には抗うことは出来ず、遂には破られてしまったわけです。<br/>
<br/>
私がここへ足を運んだのは、ちょうど太陽が沈んで西以外の空が暗くなり始めた夕暮れ時だったのですが、イスタンブールという街には、いや、コンスタンティノープルという在りし日の都に思いを致す時には、何だか夕暮れがよく似合うように思われました。ふと我に返ると、傍らでは凍え気味の妻と子供の目が『もうそろそろホテルに戻ろうよ』と私に訴えていました・・・。<br/>
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<b>アジアサイド→ヨーロッパサイド</b><br/>
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こういった定番の名所旧跡巡りの他、私がイスタンブールでどうしてもやりたかったことの1つが、市内のアジアサイドとヨーロッパサイドの間を結ぶフェリーに乗船することでした。今回、念願が叶って晴れた日の午前中にアジアサイドのハレムという船着場からヨーロッパサイドのエミノニュの埠頭まで、甲板で地元のオヤジや若者達に混ざって冷たい潮風を受けながら洋上に旧市街のモスク群を望んでいると、なんだか感無量という境地に達しました。アヤソフィア、ブルーモスク、トプカプ宮殿というイスタンブールの三大名所はいずれも隣接していて、海上からもよく見える位置にあるのです。<br/>
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<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200701/17/80/d0011980_5433241.jpg" border="0" width="444" height="333"/></center>かつて<a href="http://www.amazon.co.jp/æ·±å¤ÂçÂ¹æÂ¥ãÂÂ5ãÂÂãÂÂãÂ«ãÂ³ãÂ»ãÂ®ãÂªãÂ·ãÂ£ãÂ»åÂ°ä¸­æµ·-æ²¢æÂ¨-èÂÂå¤ªéÂÂ/dp/4101235090/sr=1-5/qid=1168980818/ref=sr_1_5/249-8826382-5716319?ie=UTF8&s=books" target="_blank">『深夜特急』</a>で、沢木耕太郎氏はこの15分程度のフェリーの旅を『5リラ50クルシュの優雅な航海』と書いていましたが（当時の貨幣価値で100円くらいでしょうか？）、まさにそんなちょっと得した気分になれるささやかな贅沢を楽しむことが出来ました。トルコに着くまであまり意識していなかったのですが、思えばイスタンブールに行ってみたいという私の長年の願いは、元はと言えばこの沢木氏の作品によって煽られたものだったのです。<br/>
<br/>
また、好景気を反映してか、ボスポラス海峡の洋上はかなりの数の大型の貨物船やタンカーでひしめきあっていたため、あたかも海の上にビルが立ち並んでいるかのような錯覚すら覚えました。迫り来るオスマントルコの大型船団を目にした15世紀当時のコンスタンティノープルの人々にとっては、それらがまるで海上に出現した無数の塔のように見えた、という話を思い出しました。<br/>
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<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200701/17/80/d0011980_5442572.jpg" border="0" width="333" height="444"/></center><br/>
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<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200701/17/80/d0011980_5445243.jpg" border="0" width="333" height="444"/></center><br/>
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それにしても、うちの長男はここトルコでも大人気で（笑）、至るところで道行くトルコの髭おじさん達が歩みを止めて彼に近寄ってきては、髪を撫で、手を握り、額に接吻して満面の笑みで立ち去っていくのでした・・・。残念ながら、お姉さん達のリアクションは普通でしたが。<br/>

        ]]></content> 
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    <title>イスタンブール散策日記（１）</title>  
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    <issued>2007-01-16T07:03:00+09:00</issued>  
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    <dc:subject>London, UK, Europe</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
<br/>
イスタンブールには３泊してきました。とはいえ、1歳の子を小さなベビーカーに監禁（！）しながらの移動なので、あまり無理せずに日中に6-8時間くらい外出するだけにして、あとは暖かいホテルの部屋で遊ばせたり、昼寝をさせたりしていました。意外に感じられるかもしれませんが、冬のイスタンブールは雪も降ったりする日があるくらい寒いので、子供を朝から晩まで外で連れまわすのはちょっとかわいそうなんです。ということで、今回は正味2日間くらいの滞在だったと思います。<br/><br/><br/>
<b>アヤソフィア</b><br/>
<br/>
ローマのパンテオンが古代ギリシア神殿をキリスト教の教会に改築したものだというのは有名な話ですが、キリスト教がローマ皇帝に公認されたばかりの4世紀以来長きに亘ってギリシア正教の総本山であったこのアヤソフィアも、もともと古代ギリシアの神殿があったところに建てられたと言われています（火災による焼失などがあったため、現在の聖堂は６世紀に建てられたもの）。<br/>
<br/>
その後、１５世紀に東ローマ帝国を滅亡させたオスマントルコのマホメット２世は、コンスタンティノープル包囲戦勝利の日にこのアヤソフィアに入って静かにメッカの方角を向いてアラーの神に祈りを捧げたと言われており、後日彼はこの寺院をモスクに改造させました。さらに、20世紀初頭の二度の世界大戦に敗れたオスマントルコの帝政が崩壊すると、近代トルコ建国の父と称されたケマル・パシャはアヤソフィアをモスクから特定の宗教とは無縁な博物館へと改築させました（建物の外観や内部はそのまま保存されていますが）。<br/>
<br/>
典型的なビザンチン建築の建物の中にアラビア文字のカリグラフィーが大書してあったり、モスク時代の赤い漆喰が剥がれたところからキリスト教会時代のモザイク画が顔を出していたりと、現在のアヤソフィアの外観も内部も、教会とモスクが共存しているかのような何ともユニークな佇まいとなっていて、私のような観光客を魅了してやみません。まさに、アヤソフィアの歴史には、イスタンブールの街の歴史が凝縮されているといえます。<br/>
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<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200701/16/80/d0011980_72133.jpg" border="0" width="444" height="333"/></center><br/>
<br/>
<b>ブルーモスク</b><br/>
<br/>
こちらは、オスマントルコ時代の１７世紀初頭に建立された正真正銘のモスクです。ブルーモスクというのは通称で、スルタン・アフメット・ジャミイというのが正式な名称です。ジャミイとはトルコ語でモスクを表し、これはその名の通りスルタン・アフメットのために建てられたモスクで、この時代のイスラム建築の代表的なものだそうです。ただ、その外観にしても、広場を挟んでアヤソフィアの向かい側に立てられているという立地にしても、アヤソフィアを強烈に意識して建てられたであろうことは想像に難くありません。<br/>
<br/>
中庭へと続く階段の前のところでは、冷たい水で手足を清めている信者が目に留まりますが、我々のような観光客はモスクの内部に入るときに靴を脱ぐだけでOKで、女性も頭を隠したりしなくてもいいみたいでした。この辺りは、トルコならではの自由な（緩んだ？）戒律のお陰かと思います。実はモスクに足を踏み入れるのは初めての経験でしたが、オフシーズンであまり混雑していなかったのがよかったのか、信者でもないただの観光客といっても邪険に扱われることなく、変な緊張は無用でした。建物の内部は、一面に絨毯が敷き詰められていて、かなり広いです。至るところに、ろうそくを灯した大きなシャンデリアが吊ってある他、大きなステンドグラスからも外の光がたくさん入ってきていますので、教会などよりも明るい感じでしょうか。その絨毯の手前３分の１くらいのスペースは観光客に開放されていて、向こう３分の２くらいは信者が静かにお祈りを捧げるために確保してあります。実際、我々がいる間にも、たくさんの男性が熱心にお祈りをしていました（女性は内部の外周部分に隣接した特設スペースでお祈りをしているように理解しました）。ところでブルーモスクという愛称は、その建物の内部にふんだんに使われたトルコの青いタイルに由来しています。天井や壁の至るところに、イズニックタイルと呼ばれるこの美しいタイルが敷き詰められていました。<br/>
<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200701/16/80/d0011980_723543.jpg" border="0" width="444" height="333"/></center><br/>

        ]]></content> 
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    <title>あけましておめでとうございます</title>  
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    <issued>2007-01-01T09:36:00+09:00</issued>  
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    <dc:subject>Me, Family, Friends</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
<br/>
皆様、新年明けましておめでとうございます。<br/>
<br/>
日本に遅れること９時間、先ほどロンドンも２００７年を迎えました。昼間のうちに、高校時代からの親友のお宅でリアルタイムで紅白歌合戦をみながらローストビーフと年越しそばを頂いてきたので、年越しの瞬間は自宅のテレビでロンドンアイ周辺の凄まじい花火の模様を眺めておりました。<br/>
<br/>
気がつけば、欧州でお正月を迎えるのはなんと５回目です。2006年は子育てに明け暮れた１年でしたが（なんて書くと、妻から『どこがっ！』と怒られるかもしれませんが・・・）、今年は仕事の面でも変化の年になりそうです。<br/>
<br/>
いつもブログを通じてたくさんの方から刺激を頂いておりますが、私も受け身にばかりならぬよう、常に積極的な“攻め”の姿勢でいたいものです。<br/>
<br/>
怠け癖のあるブログではありますが、本年も引き続き宜しくお願い申し上げます。<br/>
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2007年元旦　th4844<br/>

        ]]></content> 
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    <title>コンスタンティノープルの陥落</title>  
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    <issued>2007-01-01T08:50:00+09:00</issued>  
    <modified>2007-01-01T21:17:55+09:00</modified>  
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    <dc:subject>London, UK, Europe</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
<br/>
『th4844って、なんか“衰亡史”好きだよね～（笑）』と、いつだったか妻に指摘されたことがありましたが、言われてみると確かに私の本棚には、歴史物、それも大英帝国衰亡史やローマ帝国衰亡史といった“衰亡史”というタイトルが目立ちます。こういう書物に惹かれる理由というのは、いくらでも挙げられるかと思いますが、私の場合には２つほどあります。<br/><br/>まず、“衰亡史”をじっくりと時間をかけて紐解くことは、『あれほどの栄華を誇ったのに、なぜか滅びてしまった』という一見すると謎めいたストーリーが、実は成功の中にこそ滅亡の火種が潜んでいる、すなわち『栄華を誇ったからこそ、滅びる』という真理があるということに気付かせてくれます。普段の私は、今日の自分は昨日よりも成長しているべきであり、未来は現在よりも素晴らしい時代であるべきという、若者らしい（？）極めて直線的な人生観や歴史観を前提として物事を考えがちなのですが、実際の人生や歴史においては、己の力ではどうすることも出来ないような、もっと大きな力や、長い時間軸で動く力（あるいは“流れ”とでも言うべきでしょうか？）が作用しているものです。私の日々の思考パターンの中でついつい欠落しがちなこうした“盛者必衰の理”をリマインドするには、やはり日常を離れて読書に耽るのが一番です。また、“衰亡史”には往々にして、誰の目にも滅亡は必至という最期の段階になっても、まるでしんがりを務めるかのように凛とした存在感のある悲劇のヒーローが登場します。こういう極めて困難な立場にある人物に感情移入して本を読んでいると、自分が如何に小さな人間であるかがよくわかります。目先の損得を超越して、運命・天命を受け入れて使命を立派に全うしていく神懸り的な人物のストーリーには、素直に心を打たれます。<br/>
<br/>
そんな私が最近読んだ衰亡の歴史は、<a href="http://www.amazon.co.jp/ãÂ³ãÂ³ãÂ¹ãÂ¿ãÂ³ãÂÂãÂ£ãÂÂãÂ¼ãÂÂãÂ«ãÂ®éÂ¥èÂ½-å¡©éÂÂ-ä¸ÂçÂÂ/dp/4101181039" target="_blank">こちら</a>です。地中海世界の中心として1,000年以上もの栄華を誇った東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル（現イスタンブール）が、新興のオスマントルコに滅ぼされてゆくその最後の月日の絶望的な攻防を辿った物語なのですが、久々に塩野七生さんの作品を手にとってみました。<br/>
<br/>
『人類の歴史において、もっとも幸福な時代』とまで言われたローマの栄光も長くは続かず、３世紀に入るとローマ帝国はその拡大し過ぎた版図故に周辺民族の絶え間ざる侵入と内乱によって東西分裂を余儀なくされます。その後、イタリアやスペイン、フランスといった“ラテン人”の西ローマがあっけなく滅ぼされて“西欧”が千年もの暗黒時代を過ごす間、ギリシア人が主体となった東ローマは地中海の盟主として君臨し続けました。そう、東ローマ帝国とは実はギリシア人を主体とした国家だったんですね。私は、ギリシアというと何となくローマ以前の古代史においてのみ輝いていた印象を持っていたのですが、中世になるまで立派に活躍していたとは私にとっては発見でした。<br/>
<br/>
本書において、塩野さんはコンスタンティノープルの高僧に、こんなことを語らせています。<br/>
<br/>
<blockquote>ビザンチン文明とは、滅んだ古代ギリシア文明とローマ文明から吸収したすべての要素と、オリエントから受けた影響の総和を、さらに上回る何物かなのだ。それはそれ自身でひとつの完全体なのであって、単にさまざまな文明の要素の、色とりどりな混合から出来た合成体ではない。東ローマ帝国とは、ある意味で誤った名称だ。なぜなら、330年にコンスタンティヌス大帝がローマ世界の首都を、ローマからビザンチウムに移した時、彼がそこに創建したものは、さまざまな難問と取り組むやり方と、それが引き起こす反響において、また、建築や法律や文学において、まったく独自なひとつの精神的な帝国だったからである。古代ギリシアの影響を受け、古代ローマ世界を母胎とする西欧の人々が、ビザンチン帝国とそこに住む人々を不可解と思い無意識に嫌うのも、理由が無いわけではない。われわれビザンチンのギリシア人は、純粋に西欧人ではないのだからね。<br/>
ビザンチン帝国の宿命的な創建から今日までの千百年の間、ギリシアはアジアとヨーロッパとアフリカにまたがった巨大な蛸の一部分だった。そして、西ローマの滅亡後、西欧が暗黒の時代を通過しつつあった頃、コンスタンティノープルはその異国風の花を咲き誇らせ、彼らの思考方式にあった新しい文明を築き上げていたのだ。地中海世界の長子としてのその気質は、実際的なことよりも、宗教と芸術の精神にとくに著しく発揮された。そして、その政治上の特色も、けっして分離することの無い、また事実上分離し得ない、教会と国家、宗教と政治との統一態を守る信念にあったのだ。これが、ギリシア正教会の基本的な制度と指導理念に結実する。<br/>
一方西欧はしばらく前から、それはおそらく長い混迷の時期を過ごしたからだろうが、教会と国家を分離可能な限りに分離する考えに達したようである。イタリアの各都市国家の繁栄はその果実だ。だが、ビザンチンの人間にとっては、西欧では実現したかもしれないが、教会と国家の分離などとうてい受け入れられることではない。ビザンチンの人々にすれば、宗教と政治の完全な一体化を前提としない政治理念など、考えられもしないのだから。</blockquote><br/>
<br/>
実に興味深い視点ですね。私が本書でもっとも感銘を受けた部分でもあります。最後の一節では、さらりと東ローマを滅亡に至らしめたギリシア人の頑迷さにも言及しています。15世紀になると、政治・経済ともにすっかり硬直していた上にイスラム勢力の台頭によって東ローマの力の衰えが明らかになる一方で、商業主義・合理主義を前面に押し出したヴェネチアやジェノヴァといったイタリアの新興都市国家が勢力を強めていました。ところが、東ローマのギリシア人の多くは、自分たちの魂の拠り所を捨ててまで西欧世界（ここではイタリアを指す）のような合理化を進めるよりは、滅びの美学を選んだ方がましだと考えていたということですね。彼らは、オスマントルコに絶体絶命のところまで追い詰められてから漸くローマ法王やヴェネチアに頭を垂れて助けを求めるものの、全てが後手に回ってしまったが故に、結局は当初望んだ通りに玉砕してしまったわけですが・・・。<br/>
<br/>
滅びるべくして滅んでいった東ローマですが、その衰亡の歴史の最終章となったコンスタンティノープルの篭城戦は後世まで語り継がれるドラマとなっていて、かく言う私も小学生の頃に『まんが世界の歴史』で読んだことを今でも鮮明に覚えています。塩野さんも、オスマントルコを率いる21歳のマホメッド２世（メフメト２世）と東ローマ最後の皇帝となったコンスタンティヌス１１世という極めて対照的で魅力的な人物を中心に据えて、この攻防の日々を実に生き生きと描いています。決して読みやすいとは言えない彼女の文章がこれほどまでに売れているのは、それぞれの作品が丹念な調査に裏打ちされているというだけでなく、やはり彼女が一人ひとりの登場人物を、実に深い愛情をもって丁寧に描いているからこそではないかと思います。そういう意味で、本書も実に塩野さんらしい作品で、物語の中に気持ち良くぐんぐん引き込まれているうちに、一気に読み終えてしまいました。<br/>
<br/>
難攻不落、地中海世界で最も堅牢と讃えられたコンスタンティノープルを1,000年にも亘って守り続けた三重の城壁、ギリシア正教の総本山として長らく“世界の中心”であった後、マホメッド２世その人によってモスクに改造された聖ソフィア寺院（アヤソフィア）、同じくマホメッド２世が建てさせたトプカプ宮殿、ジェノヴァ人居留区であったガラタ地区から金角湾越しに眺める旧市街の全景等々。前置きがすごーく長くなりましたが、自分で決めた課題図書も無事に読み終えたので、年始から４日間ほどイスタンブールの歴史散歩に出掛けてまいります！<br/>

        ]]></content> 
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    <title>ロンドンオフ会模様</title>  
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    <issued>2006-11-29T08:09:00+09:00</issued>  
    <modified>2006-11-29T08:13:47+09:00</modified>  
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      <name>th4844</name> 
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    <dc:subject>Me, Family, Friends</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
いつもお世話になっているcanary-londonさんが、災厄の連鎖を断ち切るべく遂に引越しを決意なさったとのことで、厄払いと引越し前祝を兼ねて（？）先日ホームパーティーを開いて下さいました。新居に越した時に親しい人を呼ぶのがhousewarming partyなら、さしずめこれはhousecooling partyといったところでしょうか？<br/>
<br/><br/>子連れで参加出来るようにと、せっかく明るい時間からのスタートにしてもらったにも拘わらず、どういうわけかすっかり遅刻してしまった我が家。ウワサに違わぬゴージャスなフラットの佇まいに圧倒されながらお部屋に到着すると、既に皆さんお揃いでした・・・。今回のゲストは、ほんの数ヶ月前にロンドンにいらっしゃったとは思えない程に熱心に欧州諸国の視察に励んでいらっしゃる<a href="http://fantamomo.exblog.jp/" target="_blank">ももんが先生</a>の他、先日ももんが先生に引き合わせて頂いた私の前勤務先でロンドン駐在中のNさん、そしてcanary-londonさんとある意味で非常に良く似た境遇で頑張っていらっしゃるMさん。Mさんにはこの日初めてお目にかかることが出来ました。canary-londonさんの日頃のピアノレッスンの成果を拝聴することが出来なかったのは残念でしたが、他愛もない話で盛り上がったり、体調を崩してしまって来れなくなってしまったももんが先生の奥様を含めた皆さんの手料理を堪能したりと（どれもこれもすごく美味しかったです！）、我が子が人見知りをしていつもよりおとなしくしているのをいいことに、楽しいひと時を過ごさせて頂きました。改めまして、皆さんどうも有難うございました。<br/>
<br/>
それにしても最近特に強く思うのですが、ブログを通じて参加させて頂いていたバーチャルなコミュニティを、ここロンドンでも（リンクさせて頂いているNYの皆さんに負けじと！）ようやく少しずつリアルなネットワークへと昇華させることが出来てきた気がします。今にして思えば、ロンドンに来たばかりの私は、『せっかくロンドンに来たのにここで日本人のコミュニティにどっぷり浸かってしまっては勿体無い』などと肩肘を張り過ぎていたようです。しかし、後になって気付いたのですが、海外にいると、日本にいるよりも遥かに気軽にいろいろな分野で活躍されている日本人の方々と知り合う機会もあり、しかも気の合う人とも多く出会えるような気がします。ロンドンでも東京でもニューヨークでも、マクドナルドのハンバーガーを食べ、スターバックスでコーヒーを楽しみ、寿司をつまむ。高速インターネットでどことでも繋がるし、インテリジェントビルの様式も似ているし、多国籍企業で働けばビジネスの内容や進め方も然程大きくは変わりません。ひょっとすると、インフラというかハードウェアという意味では、もはや東京からロンドンに引っ越すサラリーマンよりも、山奥の農村から都会に出てくる若者の方が、もっと大きなカルチャーショックを受けるのではないかとさえも思ってしまいます。一方、さりとてやはり実際に根を下ろして生活してみれば、21世紀といえどもやはりいろいろと知らないこと、面倒なこと、難しいことに出くわすものです。そういう同じようなハンデを負ったような境遇においては、同郷の人間が互いに互いを求め合うのはごく自然なことです。海外におけるいわゆる日本人コミュニティは、恐らくは東京における県人会みたいなもので、日頃の緊張感から解放してくれる適度に心地よい空間を提供してくれる貴重な機会となっているのです。そして、そういう強烈な体験をともにした戦友との友情いうものは、帰国してからも意外に長続きするようです。残念ながら私はそういうポジティブな認識を持つようになるのがだいぶ遅かったのですが、それを挽回するべく最近はむしろ意図的にロンドンの（或いは欧州の）日本人との結びつきを求めてあちこち徘徊するようにしています。<br/>
<br/>
私事ではありますが、実は11月は我が家にとってはいろいろと節目となる月でして、今月で結婚生活5周年を迎え、ロンドン生活もいつの間にやら5年目に突入してしまいました。海外で生活し、海外で働くというのはごく限られた時間の貴重な経験なので、とにかくそれを有意義なものにして、自分たちの人生をより豊かなものにしていきたい。4年前に初めての海外暮らしを始めるに当たって随分と強く意識したものですが、慣れというのは恐ろしいもので、月日が経つに連れて知らず知らずのうちにロンドンのスローなテンポにどっぷりと腰まで浸かってまだ若い筈なのに妙にリラックスしてしまっている自分がいます。ももんが先生やcanary-londonさんのフットワークを見習わないといけませんね。
        ]]></content> 
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    <title>戻りました</title>  
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    <issued>2006-11-21T03:54:00+09:00</issued>  
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      <name>th4844</name> 
    </author>  
    <dc:subject>Career</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
結局3週間近く留守にしておりまして、週末にようやくロンドンに戻って参りました。恐らくバレバレだったんだとは思いますが、今回の行き先は日本でした。<br/>
<br/>
ただ、外人の上司（こちらでは私が“外国人”なので、本当は非日本人の上司と言うべきですね）を二人も連れての出張でしたので、朝から晩までお世話がそれこそ大変で、なかなかプライベートの時間が取れそうもなかったので、今回は皆様へのご連絡を差し控えさせて頂いていた次第です。こちらのブログを御覧頂いている方もそうでない方も、ずいぶんたくさんの方に不義理を働いてしまい、大変心苦しく思っております。<br/>
<br/><br/>さて、仕事の面ではいろいろと収穫も修羅場（?!）もあり、それなりに意味のある時間を過ごすことが出来たのですが、相手のあることでもありますので残念ながらこちらに書く訳にはいきません。ただ、全般的に感じたのは、『やはり東京の変化のスピードが速い』ということです。ほんの数年前までは、投資や融資は基本的になるべくリスクのないものをというのが機関投資家のスタンスであり、個人としての生き方もまた然りだったのではないでしょうか。ところが、少なくとも金融の世界に関して言えば、ここ数年の間に金融機関の投資先の選好についても、そしてそこで働くプロフェッショナルの生き方（端的に言えば就職・転職先）についても、Risk Appetiteが急速に増しているということです。勿論、最近の一部報道にもある通り、金融当局の意向を忖度するが故にヘッジファンド投資についてフリーズ状態を強いられている業態（地銀さんが代表的ですね・・・）もある訳ですが、逆に言えば、当局さえ了解してくれれば、まだまだヘッジファンド投資を積みます用意があり、しかもその投資先についてもかなり尖った内容のものやアグレッシブなものを検討している人達が多くて、5－6年前との違いに本当に驚かされます。個人の生き方についても、最近は、私のようなはぐれ者から見ても『えーっ？』とか『おおーっ！』と思わず声を上げてしまうくらいに劇的なステップを踏み出した人達が随分増えているように思います。そういった意味では、こちらのブログからもリンクさせて頂いていたハーバード留学記の岩瀬さんの新しいチャレンジというのも、非常に楽しみですね。ハーバード留学記の<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4822245527/ref=pd_sxp_f_i/249-9673563-8205155" target="_blank">書籍版もいよいよ発売</a>となったようで、私も東京滞在最終日に閉店間際の書店に駆け込んで買ってきました。実はまだこれからじっくり拝読させて頂こうと思っているのですが、さっと目を通した時に印象的だったのが、岩瀬さんが今回の新事業の立ち上げのスポンサーとなるお二方と出会われた時のお話です。ちなみにこれはブログ未収録の秘話ですから、皆さんも是非一読されては如何でしょうか。<br/>
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さて、著名ブロガーと言えば、今回は東京で偶然にも<a href="http://nedwlt.exblog.jp/i5" target="_blank">NED-WLTさん</a>にお目にかかる機会に恵まれました。お互い、たまたまこの時期に東京にいるということが判明したので、こちらから無理にお願いして急遽日曜日の夜に銀座でお会いすることになったのですが、これは私にとって非常に濃密な邂逅となりました。実は、かなり時間の経った今でもまだあの長い夜の語りについて消化し切れていないのですが、敢えて一言で表現してみると、NED-WLTさんは思ったよりもずっと近い存在である一方、思ったよりもずっと遠い存在でもありました。思ったよりも近い存在というのは、お互い違う業界に長く勤めているにも拘わらず、キャリアや人生の在り方に関して驚くほど同じような命題について思索を巡らせていらっしゃる方だということです。お話を伺いながら、『そう！そうなんですよ！』などと何度も何度も声を上げてしまうくらいに、NED-WLTさんが大事にしていらっしゃるもっと内面的なvalueについて、僭越ながら非常に共感を覚えたのでした。確かに、欧州の現地企業に勤務している、小さい子供がいる、同窓の出身である、といった外面的な共通項こそあるものの、それだけではない何かで繋がったような気がしました。或いは、新規性と進歩性を目指してWay Less Travelledを歩んで行くことと、Cutting Edgeなものにこだわるということとに秘められた思いがそれだけ似ているということなのでしょうか。他方で、思ったよりも遠いと感じてしまったのは、そういった似たようなことについてあれこれと考えそして悩んでいるものの、その実践という意味において、私はNED-WLTさんに随分と水を開けられてしまっているという点でした。これは行動力の問題というよりは、私がまだclearcutなgoal settingが出来ていないから、実際に動けていないということだと思います。『なんかやりたい』『漠然とこういうイメージはある』というだけの熱意はただの熱気に過ぎず、どんどん鍛えられていく熱い鉄には遠く及びません。まだまだ自分自身との対話が足りない私は、生き方という意味で未熟です。『一期一会』『今日はもう二度と会えないかもしれないというつもりで来ましたから、もう二度と会えないという前提で僕からのメッセージをお伝えします』と何度も繰り返すNED-WLTさんのお言葉の前に、私は『いやいや、また近いうちにロンドンかオランダで・・・』などと、無難な言葉を繰り返すだけだったのですが、後になって反芻してみるとNED-WLTさんは決して『もう会えない』とはおっしゃっていなかったんですね。もう会えないというつもりで人に会うということは、結果として、その出会いを非常に濃い体験にしてくれる訳で、あの夜を『濃密な邂逅だった』などと私が形容することが出来るのも、ひとえにNED-WLTさんのその一期一会という迫力の賜物だったように思います。これからは私ももっと出会いの場を大切にすることによって、多少なりとも強烈な印象を残せるような人間になりたいものです。NED-WLTさん、どうも有難うございました。<br/>
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さらに、ブロガーといえば、とある方にも都内某所でランチをご馳走して頂きました。業界内での仕事については勿論のこと、父親の育児参加という点においても大いに刺激を頂いている非常に頼もしい先輩であります。おいしいとんかつをご馳走さまでした。公私ともども、引き続きどうぞ宜しくお願いします。<br/>
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以上、生存報告を兼ねての取り敢えずのエントリーでした。
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    <title>すみません・・・</title>  
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    <issued>2006-11-03T23:17:00+09:00</issued>  
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    <dc:subject>未分類</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
ここのところ、公私ともにかなりドタバタしており、こちらのブログもすっかり開店休業状態です。2週間くらい出張で留守にしますので、ロンドンに戻って来る頃には何か書きたいとは思っております。<br/>
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ところで先日、同僚からこんな挑戦状を叩きつけられ、業務時間中にも拘わらず思わずムキになって没頭してしまいました。10,000点台の壁がなかなか越えられないんですが、腕に覚えのある方は是非トライしてみてください。対戦モードはかなり熱くなれますよ！<br/>

        ]]></content> 
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    <title>Amaranth - 不老不死の花にあらず -</title>  
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    <issued>2006-09-21T04:33:00+09:00</issued>  
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      <name>th4844</name> 
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    <dc:subject>Hedge Fund</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
週初から、超大型ヘッジファンドが5000億円を越える巨額の損失を出したというニュースが流れたので、業界内も俄かに騒然としております。第一報の時点で明らかになっている事実関係については、昨日のうちにこちらとこちらに見事に纏めて頂いておりますのでそちらを御覧頂くとして、私は個人的な感想などを中心に勝手なことを書き留めておきたいと思います。<br/><br/>名門Amaranthを存亡の危機に追い込むほどの損失をもたらしたのは、エネルギー部門を率いていた32歳のBrian Hunter氏。天然ガスのトレーディング一筋でキャリアを積んで来た彼は、経験豊富なスタートレーダーだったなどと書かれていますが、マグニチュードこそだいぶ違うものの、実は彼がこうした巨額損失で組織に壊滅的なダメージを与えたのは今回で二回目だそうです。<br/>
<br/>
彼は前職の投資銀行でも天然ガスのトレーディングで2001年、2002年と大きな収益を上げてミリオン単位のボーナスを貰っていたのですが、天然ガスのヘッドトレーダーとなった2003年には、彼のチームは11月までに100億円近くの収益を上げながら、12月にいきなり70億円近い損失を出したそうで、結局その年のボーナスはゼロで、翌年には事実上解雇に近い形で退職を余儀なくさせられています。Hunter氏はこの処遇を不服として雇用者を相手取って訴訟を起こし、2003年12月の損失は『前例の無い予測不能な相場に出くわしてしまったこと』と『悪名高いトレーディングシステムの不備』によってもたらされた事故であって、自身の過失などではないと主張しているようです。彼の主張の真偽の程は定かではありませんが、いずれにせよキャリア形成のまだ早い段階でこうしたドロドロをやってしまった人物というのは、一般的にはその後なかなか再起しにくいものです。<br/>
<br/>
ところが、ここで彼に救いの手を差し伸べたのが、Amaranthだったようです。最近でこそ、原油や天然ガスの世界もヘッジファンドがうようよしている訳ですが、Amaranthは、元エンロンのHarry Arora氏を迎えてヘッジファンドの中でもかなり早い時期からエネルギーデリバティブの分野に注力していました（ちなみに、エネルギーデリバティブというのは今でもまだごく小さなムラ社会ですが、数年前はそれこそエンロンくらいしかまともなプレーヤーはいなかったと聞きます。エンロンの破綻からまだ数年しか経っていませんから、今次のエネルギーブームで各社がこの分野に進出してくる際にも、やはりエンロン出身者に白羽の矢が立つことが多かったようです）。そこへこのＨｕｎｔｅｒ氏を迎え入れたのですが、Ｈｕｎｔｅｒ氏は始めはＡｒｏｒａ氏の監督下に置かれるという関係だったものの、彼の努力もあって結局数年後にはHunter氏がArora氏を追い出すような形でAmaranthのエネルギー部門のヘッドに登り詰めます。更に、昨年の夏から秋にかけて暖冬を予想する向きから天然ガスの価格が軟調に推移する中、Ｈｕｎｔｅｒ氏は逆張りのポジションに賭けていたところ、カトリーナ・ショックで一気に天然ガスは高騰し、Ｈｕｎｔｅｒ氏のチームはこの秋だけで1000億円規模の収益をもたらします。<br/>
<br/>
こうして彼はその年末に100億円とも言われるボーナスを受け取り、グリニッジの本社を出て故郷のカナダ・カルガリーからトレーディングを行うことを許され、特権的な地位を確立します。こうした物理的な果実も然ることながら、トレーディングの方針やリスク管理における自身の裁量が大幅に付加されたことが今回の損失に大きく繋がったようです。他のどのマーケットよりもボラティリティが高いと言われる天然ガスの取引市場において、Hunter氏は平気で1兆円規模のポジションを取ったりしていたので、市場参加者の誰もが彼の動向が把握出来ていたようですが、戦場において相手に手の内が透けて見えてしまうというのはまさに致命的です。<br/>
<br/>
過当競争で収益機会が逓減しつつあるヘッジファンド業界にあって、危ういとはいえ結果として数千億円規模の利益をもたらしてくれるHunter氏は、Amaranthのパートナーにとっては打出の小槌に思えてしまったのでしょう。過去のインタビューにおいて、Amaranthの創業者は『Brian (Hunter) の前職での件はよく承知しているが、彼と働いてみて、何も懸念すべき点は見当たらないよ』『弊社は20人以上のリスク管理部隊がそれぞれのチーム、トレーダーをモニターしている万全の体制を敷いている』『Brianの本当に素晴らしいところは、適切なリスクを慎重に取っていける能力なんだ』などと誇らしげに語っていたようですが、今となっては、こうした言葉もただ空しく響くばかりですね。<br/>
<br/>
もっとも、このように後になってからしたり顔で批判を展開することは誰にでも出来ますし、卑怯なアプローチですらあります。しかしながら、それにしても、後でいつ誰に何を追求されても自身の言動を正当化出来るように常に自分を律しておくというのはプロフェッショナルとしての基本中の基本ですから、Ｈｕｎｔｅｒ氏は論外として、彼の暴走を助長してしまったAmaranthという組織の方も、残念ながら非常に御粗末な体制であったと言われても仕方ありません。<br/>
<br/>
それにしても、本件の情報収集にあたっては、業界内の噂や社内の情報ももちろん有益でしたが、メディアに関して言えばウォールストリートジャーナルのカバレッジが秀逸でした。このような劇的な結末を予測していた訳ではないんでしょうが、どうやらたまたまこの夏にHunter氏に会見を申し込んだりしてネタを十分に仕込んであったようなんですが、今回は量・質ともにダントツで読み応えのある記事を矢継ぎ早に配信してくれています。このエントリも同紙を大いに参照しながら書かせて頂きました。<br/>
<br/>
尚、毎年ヘッジファンドの破綻や詐欺事件は何件も発生していますが、規模という意味では今回の事件はあの98年のＬＴＣＭの破綻以来と言っても良さそうです。然るに、マーケットにおける二次災害や、社会的なインパクトという意味では幸いなことに本件もＬＴＣＭには遠く及ばないレベルに留まってくれています。では、これを以って、『ヘッジファンド業界は90年代の揺籃期から、今世紀に入ってからの成長期を経てだいぶ成熟してきた』という結論が導出されるのでしょうか。この点については、以前から少々思うところがありますので、また次回に書いてみたいと思います（ではその次回の更新はいつになるのか？という厳しいツッコミが入りそうですが、なるべく時間を空けないようにしたいとは思っています）。
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    <title>上場ファンド・オブ・ファンズ</title>  
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    <issued>2006-08-17T04:03:00+09:00</issued>  
    <modified>2006-08-17T03:43:52+09:00</modified>  
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      <name>th4844</name> 
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    <dc:subject>Hedge Fund</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
しばらく更新をさぼっているうちに、いくつか目についたニュースもありました。そのうちの1つが、プライベートエクィティやヘッジファンドと同様に、ファンド・オブ・ファンズの上場も出てきたという話です。これは、ファンド・オブ・ファンズを運用している会社の上場ではなく、ファンド・オブ・ファンズの箱そのものの上場です。不動産会社が上場したのではなく、ＲＥＩＴが上場されたのと同じですね。<br/>
<br/>
こちらの報道によれば、ＧＳＡＭの運用するGoldman Sachs Dynamic Opportunitiesというファンド・オブ・ファンズが先月ロンドン証券取引所に上場を果たし、このIPOで欧州の投資家を中心に500百万㌦前後を調達することに成功した模様です。過去にもこうした例はいくつかありましたが、今回はやはりゴールドマンがやった案件だったということで少し注目を集めたようです。<br/>
<br/><br/>ファンド・オブ・ファンズの場合、投資先となるヘッジファンドの解約条件が月次または四半期毎に限られ、しかも数ヶ月前の事前通知や、あるいは投資開始後2年間のロックアップといった付帯条件も多いことから、必然的にファンド・オブ・ファンズの解約条件もそれに準じたものとなっており、こうした流動性の低さが投資家にとって大きなデメリットとなっています。ところが、こうしたＦｏＦｓが上場株になってしまえば、理屈の上では毎日取引出来るので、投資家にとっては万一の際にはいつでも換金出来る（はず）ということになり、リスク管理上もそれなりに取り扱い易くなると言われています。実際、今回のＩＰＯに参加したのも、保険会社や年金といった機関投資家が多かったようですが、彼らであれば、わざわざ上場してあるＦｏＦｓを買わなくても、相対でもっと有利な条件で既存のＦｏＦｓに投資出来た筈でしょうから、やはり今回の投資は『流動性に妙味あり』という判断が大きく働いたのではないかと勝手に推測しています（将来はともかく現時点ではこのＦｏＦｓの売買に参加しそうな投資家というのはかなり限定的でしょうから、ＩＰＯ直後の売り抜けを狙ったというのは、ちょっと違う気がしていますが、どうなのでしょう？）。あとは、ケイマンやチャネル諸島のオフショアファンドに投資するのは好ましくないが、国内上場株の形になっていれば投資出来るという投資家にとっても、これは投資し易いビークルですね。以上が、ＦｏＦｓ上場の投資家にとっての主なメリットかと思われます。　<br/>
<br/>
資金調達する側にとってのメリットは、もう言い尽くされた感がありますが、やはり永久資本が手に入ることがその筆頭でしょう。従来は投資家から大口の解約があると、ファンド・オブ・ファンズとしては投資中のヘッジファンドの持分を一部売却する必要があったので、なかにはせっかく手に入れた“クローズ（新規募集停止）”となっている人気ヘッジファンドの持分を泣く泣く売るというシチュエーションもありました。また、時折見られるように世界中のファンド・オブ・ファンズに同時に解約が殺到したりした時などは、各ファンド・オブ・ファンズへの換金売りが、その投資先である特定の戦略または特定のヘッジファンドの換金売りに繋がって、さらにそれが新たなストップロスを誘発するという、悪循環になることもありました。プライベートエクィティの場合は、数年間という纏まった期間はじっくり運用に集中出来るのでしょうが、ヘッジファンドのファンド・オブ・ファンズの場合は、投資先のヘッジファンド（そして彼らの投資しているポジション）の流動性がどんどん劣化傾向にある中で、依然として月次や四半期毎の解約条件となっているものが殆どなので、最近はこうした流動性のミスマッチが、業界内で深刻な問題として認識されてきています。<br/>
<br/>
<br/>
ですから、もしもＦｏＦｓの持分が上場されていれば、仮にＦｏＦｓの売却によって投資家が若干の損失を被ったとしても、ＦｏＦｓのポートフォリオ自体やその先のヘッジファンドのポートフォリオを毀損することはないので、運用者としては投資家側の風向きに左右されることなく、じっくり腰を据えて投資出来る（＝安定した手数料収入も見込める）という大きなメリットに繋がるのです。<br/>
<br/>
とはいえ、一般企業と同様にＩＰＯは決して簡単なプロセスではありません。そもそも、上場時に投資家に歓迎される案件でなければお話になりませんし（上場してあっても売買されないのであれば）、上場後もそれに伴うコストはやはり無視できませんので、結論から言えば、小さな会社の小さなファンドでは手がけにくいスキームと言えます。私も（そして恐らくは私の上司も）新しいもの好きな性格なので、個人的にはこういう案件をやってみたいと思っているのですが、残念ながら今のところまだニーズが見えてきません・・・。<br/>

        ]]></content> 
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    <title>Distressed投資：早くも老舗が動く</title>  
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    <issued>2006-08-15T13:04:30+09:00</issued>  
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      <name>th4844</name> 
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    <dc:subject>Hedge Fund</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
<br/>
90年代から日本でも活躍していた米国の某社が、今般60億㌦規模のディストレスト投資のファンドを新たに立ち上げるようです。昨今のＬＢＯブームのお陰で、この60億㌦という金額もIRR25％程度というターゲットリターンも、もはや特筆に価するものではありませんが、注目すべきはこのタイミングですね。<br/>
<br/>
<br/><br/><br/>
ディストレスト投資のオポチュニティというのは、ある程度景気サイクルにも連動した周期性があるため（ディストレスト・サイクルなどと呼んだりします）、短期から中期の運用成績の見通しについては、ファンドマネージャーの間で比較的コンセンサスが生まれやすい分野であると言えます。米国及び欧州に関して言えば、最近では2000年前後のハイテクバブル機にめちゃくちゃな資金調達をしていた企業のバランスシートの劣化が目立ち始めた2002年くらいからディストレスト系ファンドによる“仕込み”が活発になり、金融緩和の効果が浸透した2003年～2004年あたりにそうしたポジションの多くが成功裡にエグジットを遂げていました。<br/>
<br/>
現在はというと、この2002年に始まった長いサイクルの最終局面と、次のサイクルの中間点にあると見られています。ここ数年、ハイイールド市場が記録的な活況を見せていますが、信用力の劣る企業群が容易に資金調達出来ているということは、裏を返すと、これらのデットの一部は将来の不良債権予備軍となっている訳です。やや話を単純にしてしまうと、最近まで記録的な資金調達が続いていた以上、ひとたび景気が後退するか投資家のリスク選好度や銀行の与信態度が硬化すれば、今度は記録的な不良債権が生まれる可能性があるということなります。<br/>
<br/>
そうした債務不履行件数の増加が始まる前にはいくつかの先行指標がその兆候を示すのが常ですが、我々の懇意にしているヘッジファンドマネージャー達も含めて、そうした各種指標を眺めている市場参加者の間では『2006年央～2006年末くらいからデフォルトの増加が始まりそう』というのが少し前迄のコンセンサスでしたが、足許の企業業績が思ったよりも力強いため、最近は『少なくとも来年まではディストレスト投資の出番は無いかな』というのが支配的な見方になってきています。<br/>
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そこへ、今回の某社の3号ファンド立ち上げのニュースです。それから、同じくこの分野で卓越した実績を誇る某投資銀行がいよいよ陣容を拡大し始めたという話も耳にしました。彼らを他のファンドよりも若干早いタイミングでの活動開始に駆り立てた要因が何だったのか、大変興味のあるところです。<br/>

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