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  <title>RADIO DAYS　―　phase　Ｃ</title>  
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  <modified>2012-03-11T14:36:17+09:00</modified>  
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  <tagline>言葉と文化</tagline>  
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    <title>「日本のゲームはクソだ」－ゲーム開発者の想い</title>  
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    <issued>2012-03-11T06:48:00+09:00</issued>  
    <modified>2012-03-11T14:36:17+09:00</modified>  
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    <dc:subject>考える</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
GDCで海外ゲーム開発者が「最近の日本のゲームはクソだ」と話す<br/>
<br/>
そのニュースをみてからずっとその言葉が頭の中をリフレインしている。<br/>
ゲーム作りを生業をしている自分にとってはとてもショッキングなニュースだった。ただ、ショッキングというのではなく、それは明らかに画面の向こうから、自分自身にむかって投げつけられている言葉だった。質問を発した、ゲーム制作者は自分に置き換わりその会場での冷ややかな反応は突き刺さった。<br/>
そして、彼同様、嫌な汗が流れた。<br/>
<br/>
本来は、こんなことを、当の日本のゲームを作っている自分が言うべきではないのかもしれないが、私はその言葉に「そう、そのとおりなのさ、日本のゲームはクソだよ」と自省からだけではなく、何度も心で返答している。<br/>
そして「いつのころからかね」と付け加える。<br/>
<br/>
■どうしてクソになったのか<br/>
いつのころからか･･･。それは、ちょうど、自分がゲームを生業にし始めた頃からだと思う。<br/>
ちょうど、モバイルでＦＬＡＳＨによる無料のゲームが遊べるようになり始めた頃ではなだろうか。ＦＬＡＳＨによるミニゲームは今までのゲーム開発費とは比べ物にならないほど、安価で制作することができた。制作日数も、通常、個人ならば数ヶ月要するような作業が1からコーディングしても一週間程度で完成させることができた。そして、無料ゲームをうたったモバゲーやグリーの成功で既存の大手ゲーム会社も携帯のゲームに参入してくる。そうなると今まで莫大な費用をかけて制作してきたゲーム会社の仕事はなくなる。また、そのように手がけたアーケードゲームやパッケージゲームは廃れてゆく。作るとしても、安全策を狙い、今まで流行ったゲームの焼き直しをつくることになる。<br/>
<br/>
結果的に、ゲームはクソになっていく。<br/>
<br/>
ただ、それだけが理由ではないと思うが、それは複合的な理由のうちの大きなひとつではあると思う。そして、その自分自身が日本のゲームをクソ化させるその流れを加速させてきたことを確信している。モバイルでＦＬＡＳＨゲームができ始めた頃、当時最大となる500本のＦＬＡＳＨによるミニゲームの開発責任者となり、スタートしたばかりのモバゲーにゲームを提供し、その後も会社を変えながらも月辺り平均50本、多いときで100本程度のＦＬＡＳＨゲームの制作にかかわって来た。そして、一本のゲーム単価を３万円まで引き下げた。<br/>
<br/>
当時、いくつかの大手や小さなゲーム制作会社の人たちに「勘弁してくださいよ」と言われた。直接、言われていないだけで、ほぼ、すべてのゲーム会社に働く人がゲームのそのような流れに対して、一度くらいは「勘弁してくれよ」と思ったに違いない。僕たちはイナゴのように日本のゲーム業界を荒らした。後にはぺんぺん草も生えない。そんなことも言われた。確実に日本のゲーム業界を弱体化させてしまった。私は確実にそのＡ級戦犯になるだろう。クソと言われた会場でひややかな観客の反応は、私自身に向けられるべきものだった。<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
■ファミコン黄金時代<br/>
自分でもなぜゲーム業界にいるのか不思議でならない。私はまったくもって熱心なゲームプレイヤーではない。どちらかというと、ゲームをまったくやらない部類の人種になると思う。しかし、それはやらないだけで、ゲームを愛していた。小学校に入った頃から、画用紙にパズルを作り、友達に売りつけていた。パソコンが出始めた、５年生の頃から、自分でゲームをプログラムしてこれも友達に売りつけた。しかし、あまりにも早くゲームを作る喜びを知ってしまったためにゲームを遊ぶ喜びを知る前にそれが凌駕してしまった。私にとってゲームは遊ぶものではなく、作るものだった。<br/>
<br/>
しかし、ちょうどファミコンが出始めた頃にはワクワクさせるようなゲームがたくさん出てきた。見ているだけで楽しかった。それで十分だった。それはとても刺激になった。それを越えるようなゲームを夢想するのが楽しかった。学校から帰ると、すぐにゲームセンターに走り、新しいゲームが出ていないか確認した。友達が新しいファミコンソフトを手に入れたと聞くと、駆けつけた。<br/>
<br/>
しかし、いつしか、ゲームは大掛かりなものとなり、自分ひとりでは作れない、手の届かないものになっていった。ゲームシステム自体も似通ったようなものが増え始め、それとともにワクワクすることもなくなり、心がゲームから離れてしまった。<br/>
<br/>
これは個人の考えでしかないが、思えばゲームのクソ化はここから始まっていたのかもしれない。<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
■ミニゲームの逆襲<br/>
ＦＬＡＳＨという開発ツールでゲームが簡単に作れることを知ったとき、私は飛びついた。まだ、試験的にＦＬＡＳＨを採用した携帯電話の情報を聞くと今までの仕事をキレイさっぱり辞め、その世界に飛び込んだ。携帯のスペック上、容量やロジックの制限もあり、できることはまだほんの簡単なことに過ぎなかった。いわゆるファミコン初期のゲームに近かった。そのことが私にはなにより魅力的だった。<br/>
「ミニゲームの逆襲」という言葉が常に頭の中にあった。<br/>
それがゲーム業界を席捲すると夢想した。<br/>
そして、それがその通りになった･･･。<br/>
<br/>
荒らそうなんて思ってもみなかった。<br/>
今までの思いをぶちまけた。自分の中に秘めていたゲームアイデアを次々に再現した。その中のものは海外のゲーム会社に買ってもらったものもあったし、それなりに評価も得た。得たと思う。ミニゲームなりに、新しいゲームアイデアをこめた。でも、悲しいかな、ユーザーはそんなものを願っていなかった。売れるのは既存の売れ線ゲームだけだった。ユーザーやクライアントは実にあっさりと「ＦＦ」みたいなのがしたいと言ってのけた。誰もが知っているゲームがしたいんだと要求された。そこで考えたのがマシなゲームをひとつ取り上げ<br/>
ひとつのゲームシステムの見た目だけを変える「スキン替え」という手法だった。単なるワンボタンのタイミングゲームなら、半日あれば、まったく別のゲームを作ることができた。躊躇している間はなかった。他もどんどん値下げしてくる。何も考えずに量産を始めた。業界全体がそういう流れを作り出した。どこからも注文が殺到した･･･。<br/>
<br/>
そして、唐突に「お前はクソだ」という言葉を浴びせられかけ、はっと我に返った。<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
■クソゲームの山<br/>
気がつくと、クソゲームに囲まれ、その上に立っている自分がいた。ここから、ざっと辺りを見回して、決して豊かとは言いがたい現状の日本のゲーム文化の全体が見えている。制作者が言うべき言葉ではないが、すべてのユーザー、すべてのゲーム制作者にあやまりたい。<br/>
<br/>
申し訳ありませんでしたと。<br/>
<br/>
決して私だけの問題ではのは承知している。みんなクソゲームを作ろうとしているわけではない。がむしゃらなのだ。走り続けるしかなかった。しかし、思いは少しずつズレていき気がつくととんでもないところにいる。誰も日本のゲーム業界全体を見る余裕なんてなかったのかもしれない。しかし、「日本のゲームはクソだ」と言われたとき、はっと周りを見渡して、確かにそうだと感じてしまった。薄々は感じていた。でも、それを直視することで、仕事を続けることは難しい。見て見ぬフリをしていた。しかし、そう感じてしまったら、もう山を降りるしかないだろう･･･。そう感じながらもクソを作り続けるのなら、それは欺瞞でしかない。<br/>
<br/>
すべてを否定するわけではない。しかし、多くの制作者、たとえばなんならかのライセンスを使ってどこかのゲームシステムをそのまま踏襲したようなゲームを制作している制作者はそのことを嘆いているはずだ。一体、全体のうちどれだけの人が、ゲームの文化全体のことに思いを馳せているだろう。<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
■パンドラの箱、そして下山へ<br/>
ちょうど、グリーが釣りゲームの著作権についてモバゲーに訴えを起こした判決が出た。<br/>
グリーの勝利。<br/>
つまりゲームのシステムに著作権が認められた。これはゲーム制作者にとっては衝撃のニュースだったに違いない。今まで暗黙のルールだった、ゲームルールに著作権はないという点が覆ったのだ。それはほぼすべてのゲーム、すべてのシューティングがすべてのゴルフゲームが著作権違反になるというのに等しい判決なのだ。しかし、その暗黙の了解のおかげでゲームは発展してきた。グリーはパンドラの箱を開けてしまった。<br/>
<br/>
僕は晴れて犯罪者になってしまった。<br/>
今まで無数のゲームシステムを盗用したかどで投獄されたりするだろうか。数で言えば、おそらく、日本一かもしれない。もし、そのことで、投獄されるのならば、おそらく日本にいるすべてのゲーム制作者が娑婆から消え去るだろう。それもいいかもしれない。<br/>
<br/>
ここらで、みんなで山を降りませんか？<br/>
本当に実在しないデジタルのカードに何十万も使うゲームが<br/>
長い目で人を幸せにしてくれるでしょうか？<br/>
<br/>
もう一度、ゲームの未来について立ち止まって考えるいい機会が来ているのだと思う。<br/>
ゲームが大好きでゲーム制作者になった人たちの中で何人の人がワクワクするような思いでゲームが作れているか問いたい。お金が儲かる側の人はワクワクしているかもしれないですね。でも、ユーザーを幸せにしているかもしれないという思いでワクワクできているでしょうか。<br/>
<br/>
私は山を降ります。<br/>
もう一度、自分の山を登ります。<br/>
誰かをワクワクさせ、ちょっとだけ幸せにしてくれるゲームを作るために<br/>
自分の時間を使います。<br/>
すぐにこの山から下りるのは時間がかかるでしょう。<br/>
なにせ、結構登ってしまいましたから。<br/>
もう妥協はしません。私にはそんな時間も残されていません。<br/>
<br/>
自分の子供にやらせたいと思うゲームをつくりたい。<br/>
<br/>
今は強くそう思うだけです。
        ]]></content> 
  </entry>  
  <entry> 
    <title>アーツカウンシルに期待すること</title>  
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    <issued>2012-01-09T07:55:00+09:00</issued>  
    <modified>2012-03-03T05:49:12+09:00</modified>  
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      <name>radiodays_coma13</name> 
    </author>  
    <dc:subject>未分類</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
芸術家として食べていくにはどうしたらいいか？<br/>
<br/>
そんなことに果敢に挑戦した事があった。<br/>
結果、食べていけるにはいけたが、それは憧れていた「芸術家」ではなかった。<br/>
パトロンと言える人からカンパしてもらう、或いは、人に教えて先生と言われる。<br/>
そしてもうひとつの道が、公や企業という団体からお金をもらうという方法。<br/>
そのために色々考え、色々顔を出し、色々活動しようとしたが、自分が自分が思った以上に、社交的ではないということに気がついてしまい、色々絶望し、さらに、ふと「何か」気がついて、パタと活動自体を休止した。<br/>
それは活動継続不可能な、根本的な理由だった。<br/>
<br/>
その「何か」は「芸術家」であろうとしたことが嫌になったから。<br/>
<br/>
なんだか、そもそも不純だったんですね…。<br/>
純粋なイメージの中の「芸術家」として生きていくのは難しかったということで…。<br/>
制度的にも。<br/>
<br/>
東京に出てくる前に住んでいた大阪市で、橋下知事が当選し市長になった。<br/>
彼が文化に使われる財源を減らすという。<br/>
なんでも「アーツカウンシル」という制度を導入することを検討しているらしい。<br/>
<br/>
とてもすばらしいと思った。<br/>
<br/>
「そもそも芸術は、現代において、国や団体が庇護すべきなのか？」<br/>
国の助成を受けたロッカーの歌を人は聴きたいと思うか？<br/>
それはロックと言えるのか？<br/>
それと同じことを文化の助成に関して感じてしまう。<br/>
<br/>
自分自身が無謀にも芸術で食べていくことを志し、そして、無謀にも散っていった仲間をたくさんみてきた。<br/>
もし、助成をもらえるというのなら、喜んで飛びついただろう。<br/>
そして、そのチャンスにあやかろうという沢山の仲間の奮闘も目にしてきた。<br/>
一度、手にしたその魔法を二度と手放すまいとジタバタする仲間も目撃した。<br/>
そして、その蜜にあやかれず嫉妬しスネる自分も目の当たりにした。<br/>
<br/>
必ずしも「助成」が優れた文化を生み出すのではない。<br/>
むしろ、それはまったく関係ないと言っていい。<br/>
文化的なものは生まれるかもしれない。<br/>
しかし、それはその時代に根ざした本物のアートではない。<br/>
そこに出来上がるのはレクリエーションに過ぎない。<br/>
これはまったくの個人的見解であります。<br/>
<br/>
アーツカウンシルとい評価の数値化により、どんどん文化に使う財源を減らせばよいのだと個人的には思っています。<br/>
もし、芸術が本物なら、このような危機に当選した橋下市長のように危機にこそ本当の文化が生まれてくるはずだから。<br/>
そう信じたい。<br/>
<br/>
芸術や文化が単なる余暇をもてあました人間の作り出した退屈の産物にはして欲しくないなあと心から思います。<br/>
<br/>
<br/>
人間は先史時代、遊牧生活をしていた。<br/>
そこで、どういうわけか、唐突に温帯地域で定住生活が始まった。<br/>
唐突にというのは、農耕が先ではなく定住が先だからだ。<br/>
農耕の結果定住したのではない。定住生活により、人は暇を得ることができた。<br/>
人は危険に満ちた遊牧で研ぎ澄ました感覚をもてあますようになった。<br/>
定住が人にもたらした変化は大きい。ゴミ処理の問題や、排便。<br/>
これらは定住によりもたらされた大きな変化である。<br/>
その証拠に、幼児にはゴミや排便は通過儀礼のように、経験しなければならない大きな試練としてある。<br/>
つまり、ゴミ捨てや排便は後天的にもたらされた文明である証拠に他ならない。<br/>
そして、所有するという概念も貯蔵という形で定住によりもたらされた。<br/>
所有は経済を生んだ。<br/>
そして同時に、奪うという行為として、新しい諍いをもたらしただろう。<br/>
それは権力を生み、貧困を作り出した。<br/>
そして、ここで話題にする「暇」も定住生活によりもたらされたものだ。<br/>
人は「退屈」するようになった。<br/>
<br/>
余暇による「退屈」は遊びを作り出し、文化を発展させる原動力となった。<br/>
かつて「余暇」は権力の象徴であった。<br/>
選ばれた者だけが余暇を得、それを誇示した。<br/>
そして、芸術は余暇の産物という意味でその象徴であった。<br/>
選ばれた者だけが芸術を所有することができ、それを見せびらかすことができたのだ。<br/>
そして、余暇を持つ選ばれた者に庇護され芸術家は生きてきた。<br/>
それがパトロン制度である。<br/>
<br/>
現在は「暇」と言えば、あまり良い言葉ではない。<br/>
先進国の中流化が進み、芸術は一般大衆にまで降りてきた。<br/>
しかしだ、本当に芸術は一般大衆化したのだろうか。<br/>
<br/>
落語に「茶の湯」という有名な噺がある。<br/>
大きな店のお隠居が暇をもてあまし、引越し先にたまたまあった茶道具で茶の湯を始める。<br/>
しかし、もともと茶の湯を知らないご隠居は知らないというのが恥ずかしいために、お茶さえ知らない状態で<br/>
めちゃくちゃな茶道をはじめる。<br/>
それに招かれた客も知らないというのが恥ずかしいために適当にあわせる。<br/>
そういう日々が続く。<br/>
しかし、その茶も茶菓子もデタラメでいただけるシロモノではない。<br/>
客人たちはたまらず、主人の見ていない隙に隣の畑に茶菓子を投げる。<br/>
すると農作業をしていた百姓が「また茶の湯か」とせせせら笑うというオチ。<br/>
<br/>
多くの芸術と呼ばれ庇護されようとしているものには「茶の湯」を出ていないモノが多い。<br/>
そして、それをありがたがっているのは、知らないというのを恥ずかしがる客人と似ている。<br/>
しかし、大衆はその姿を揶揄して「また茶の湯か」と感じている。<br/>
本当に経済の危機に瀕した時に芸術にお金を使えるのか。<br/>
それは個人単位の話ではなく、企業や団体単位でも同じことで、かつでバブルの時期に企業メセナが流行ったが、崩壊後、それはごく小規模のものになった。<br/>
本系イギリスの「アーツカウンシル」も経済の悪化とともに、見直しを迫られている。<br/>
本当に、この日本でアーツカウンシルが有効に働くだろうか。<br/>
<br/>
数値化をする専門家も固定化すればそこに既得権益がうまれ、今までとなんら変わらなくなるだろう。<br/>
いかに既得権益を生まないようにするか。<br/>
ヴェネチアがかつて行ったような、既得権益を産まない投票方式を採用するもよし。<br/>
そこにはまだまだ論議の余地がある。<br/>
国が文化を庇護することは決して悪くはないが、それを本当に評価するのは個人であり、それを芸術というのも、作り手ではなく鑑賞者の手にゆだねられているはずだから。<br/>
<br/>
そして、暇を越えるものでない限り、それは茶の湯の域を超えないだろう。<br/>
パトロン制度から消費社会を経て、次なるモノツクリのあり方が問われている。<br/>
企業や公のくびきから芸術を解き放つものをいかに支援するか。<br/>
支援されたがるモノツクリと、現状の発露として出てきたモノツクリとは、結果も異なる。<br/>
人口＝クリエイター的な現代で、見るに耐えるものがあるとすれば、本当に危機的な状況で大衆に支持されるものであるだろう。<br/>
<br/>
なんにしろ、それは作り手の知ったこっちゃないはずなんです。<br/>
少なくとも作り手の側からクレクレすることじゃないだろうなと。<br/>
<br/>
アーツカウンシルによって、公による文化支援が厳しく見直されることを期待してやまない。
        ]]></content> 
  </entry>  
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    <title>女性は本当にわからない</title>  
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    <issued>2012-01-05T07:31:35+09:00</issued>  
    <modified>2012-01-05T07:32:45+09:00</modified>  
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    <author> 
      <name>radiodays_coma13</name> 
    </author>  
    <dc:subject>考える</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
会話が流れ流れて、ＡＶにおいて30歳以上は熟女モノのコーナーにあるんだよ、熟女といえばマニアックに該当するよね、というような話を妻に披露したら、突然、妻がキレた。<br/>
<br/>
女性は本当にわからない。<br/>
<br/>
それは社会一般の雑学みたいなもので、そこに個人的見地は一切、もう本当にビタ一文含まれていないにも関わらずだ。もう、ババアと言っただの、変態呼ばわりしただの大変な騒ぎ。正確にはババアとは言ってないし、むしろ変態なのは、その可能性が含まれるのは、その雑学を披露した私の方かもしれぬのに。<br/>
<br/>
しかし、そこには正確さは求められていないようだった。言った言わないの水掛け論はここでは意味を成さない。それ以前にかけているのは水ではないからだ。そんな早朝に花に水をかけたかかけていないなんという、新婚夫婦の会話みたいに生易しいものではない。<br/>
<br/>
<br/>
野坂昭如先生が、能吉利人名義で作詞した「黒の舟歌」の歌詞にある<br/>
♪男と女の間には<br/>
深くて暗い川がある<br/>
の心境です。心の中で熱唱するくらいの気持ちです。<br/>
ブルースで歌ってしまいます。<br/>
心で泣いてました。<br/>
いつもいつも難破してばかりです。<br/>
そして、いつもいつも心に誓う。<br/>
「もう二度と船出すまい」と。<br/>
<br/>
でも、それでも、また船出してしまうのです。<br/>
♪誰も渡れる川なれど<br/>
エンヤコラ今夜も船を出す<br/>
大熱唱です。<br/>
これには遺伝子の不思議を呪わないわけにはいかない。<br/>
たった1％以下の差がこんなに悲劇的な絶壁を作り出すとは。<br/>
一体そこにどんな膨大な情報が含まれているんでしょう。<br/>
男女の溝が何万年経っても埋められていない現在、<br/>
人の世の中がよくなっていくなんて迷信だと確信できる。<br/>
<br/>
理屈ではないのです。理屈では…。理論的にはなにも通じないのです。<br/>
女性には理屈などどうでもいいのです。共感が大事。<br/>
そうだったそうだった、私がバカだった。<br/>
そこですかさず、30歳を熟女コーナーに置くなんて、世の中どうかしてるよ！<br/>
それを考えた責任者はド変態だったに違いないよ。<br/>
熟女が大好きで大好きで、少しでも自分の熟女時間を増やすために<br/>
熟女のハードルを大幅にダンピングしたに違いないよね<br/>
人格を疑うよね、<br/>
くらいのことが言えれば平和にコトは納まったのかもしれない。<br/>
後悔しています。<br/>
本当に後悔しています。<br/>
<br/>
男に生まれたことを…。<br/>
<br/>
男なら、不思議なことに誰しも若い女性が好みってなもんですよ。<br/>
それは浪漫なんです。登山家がチョモランマを目指すようなものです。<br/>
それは何故なんでしょうね、不思議を超えて不可思議です。<br/>
それは遺伝子的にうんたらかんたら言われれば理解はできます。<br/>
でも、もう人類も長いんだし、行き詰まりを感じているんだし<br/>
そろそろ進化してもいいのではないかと思うんです。<br/>
<br/>
女性に、自らの変態っぷりを指摘され<br/>
もう本当に男ってワケがわからないという目で蔑まれる時の<br/>
悠久の寂しさよ。<br/>
<br/>
遺伝子一個の変化がそんなにも大きなものなら<br/>
いっそ、遺伝子の解析を進めて、遺伝子をデザインしてはどうだろうと<br/>
危険なことを考えてしまいます。<br/>
道徳なんて、遺伝子の前では風前の灯と同じ。<br/>
人間というこのエッジの効いた存在を地球に適すように<br/>
リデザインすることもあながち間違えではないのではないかと思えてきます。<br/>
まずはその魁として、男女が嫌悪感なく愛し合えるようにすれば<br/>
もっと世界が平和になるのではないかと。<br/>
それはもう道徳云々では不可能なはずだ。<br/>
<br/>
ああ、進化したい。<br/>
川から這い上がった魚もおんなじ気持ちだったかなぁ。<br/>
魚も辛かったんだねぇ。<br/>
住みづらい世の中だよねぇ。<br/>
<br/>
う～ん、この湧き上がる怒りはなんだろう。<br/>
しからば、許すということが愛かもしれない。<br/>
この状況を受け入れるには宗教的な逃避しかないようにも思える。<br/>
謝罪するしかないのだろうか。<br/>
左の頬をぶたれて、右の頬を差し出すキリストの心情です。<br/>
あやまればいいんでしょ、あやまれば！<br/>
ダメだ、そんな気持ちならすぐに見破られる。<br/>
黙って俺についてこい！<br/>
ダメだ、殺される。<br/>
土下座…無理。<br/>
僕、本当は熟女マニアなんだ。<br/>
火に油だな…。<br/>
<br/>
久しぶりに奥さんに手紙と花でも贈りますか。
        ]]></content> 
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    <title>だんしがしんだ</title>  
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    <issued>2011-11-25T01:28:00+09:00</issued>  
    <modified>2011-11-25T11:47:45+09:00</modified>  
    <created>2011-11-25T01:29:34+09:00</created>  
    <author> 
      <name>radiodays_coma13</name> 
    </author>  
    <dc:subject>ニュース</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
談志が死んだ<br/>
だんしがしんだ<br/>
<br/>
おかしな回文。<br/>
冗談みたいな本当の話。<br/>
ついに僕は立川談志師匠の高座を見るチャンスを失ってしまった。<br/>
もう少し早く落語に熱くなっていればよかったと悔やむばかりだ。<br/>
<br/>
昔から、お笑いがたまらなく好きだった。<br/>
関西人だからというのではない<br/>
むしろ、関西人であったからこそ<br/>
天邪鬼ゆえにお笑いから距離を置いてしまったくらいだ。<br/>
小学生の頃はなんとなくお笑いを目指していた。<br/>
初めてコンビを組んだのが小学校4年生の頃。<br/>
同級生の山本くんと「日露戦争」というコンビ名で<br/>
ネタカセットを作り売りさばいた。<br/>
しかし、関西人という枠から超えることができず<br/>
目指すお笑いを関西であることが邪魔をし、スランプに陥る。<br/>
ついにはその実力を公にみせるチャンスもなく<br/>
失意の中で惜しまれながら解散してしまった。<br/>
奇しくも20年後、違う山本くんと<br/>
再度「RADIODAYS」という<br/>
お笑いまがいのパフォーマンスコンビを組んだが<br/>
夢いっぱいの上京直前<br/>
相方に逃げられてしまった。<br/>
まったくついてない。<br/>
<br/>
こつこつと落語は見ていた。<br/>
特に桂枝雀師匠の落語が大好きだった。<br/>
落語の喜びを共有できる同世代の友人など存在しなかった。<br/>
その頃丁度、漫才ブーム。<br/>
「落語が好き」なんてあまり公言したくなかったのだ。<br/>
それに落語なんて伝統芸能みたいなもんだし、<br/>
いつでもみれるや、じいさんになってからでも遅くないと思ったのが<br/>
運の尽きだった。<br/>
<br/>
気がつくと、小さん、志ん朝、枝雀が亡くなり、<br/>
米朝さん高座にあがらなくなり、名人といわれる人がいなくなっていた。<br/>
この歳になって、ようやく落語を共有できる友人と出会い<br/>
落語に改めてのめり込んだ。<br/>
が、しばし遅かった…。<br/>
<br/>
もう観るチャンスの残されている名人は<br/>
柳家小三治師匠と立川談志師匠しかいなかった。<br/>
<br/>
ここ最近、過去の名人から、存命の噺家さんの<br/>
録音を片っ端から聴いていった。寄席にも通った。<br/>
今はなき名人の人たちの録音はさすがに素晴らしかった。<br/>
三笑亭可楽、三遊亭円生、桂文楽はヘビーローテーション。<br/>
が、存命で枝雀師匠を生の高座で観たときと同様の衝撃を受けたのは<br/>
たった一人、高座で観た、柳家小三治師匠だけだった。<br/>
<br/>
そして、立川談志師匠。<br/>
僕は、嫌いだった。ＴＶに出る彼の傲慢で高慢ちきな<br/>
話し方がすこぶる嫌いだった。<br/>
チャンネルを変えるほど嫌いだった。<br/>
高座の録音も知ってはいたが避けていた。<br/>
見た感じが嫌なんだから、高座も嫌に違いないって。<br/>
それさえなかったなら…。今は悔やんでも悔やみきれない。<br/>
YOUTUBEで彼の高座の動画を発見したので、<br/>
怖いもの観たさ半分、いやなら、すぐ消せばいいやと思って観てみた<br/>
「芝浜」にただただ、度肝を抜かれた。<br/>
紛れもない名人だった。<br/>
型破りなのか自由なのか、今まで見たことがない落語だった。<br/>
神がかっていると感じた。<br/>
その瞬間「しまった！」と思った。激しい後悔。<br/>
とっさに彼の高座を探した。しかし、遅かった。<br/>
<br/>
しかし、チャンスを待とうと思った。<br/>
もしかしたら、そんなチャンスがあるかもしれない…。<br/>
一度、根津のお祭り、確か昨年の10月だったと思う。<br/>
そこで、談志師匠を見かけた。<br/>
どこかの店先で色紙を描いていた。<br/>
釘付けになった。<br/>
僕が談志さんを生で見たのはついにこれが最後になってしまった。<br/>
<br/>
僕が落語に感じていた息吹、なんというか落語が主題とする<br/>
日本人の原風景となった江戸や昭和初期の人々の生命感<br/>
それが僕にとって他のお笑いには変えがたい魅力であった。<br/>
そして日本人の土着的な笑いの本質。粋や息や色気を<br/>
プンプンを匂いたつくらいに感じられた。<br/>
落語を聴くと干物が食べたくなった。<br/>
落語を聴くとむしょうに酒が旨かった。<br/>
（子供の頃は酒は飲まなかったけど、お風呂で洗面器にお湯を入れ<br/>
落語家の真似をして、んぐんぐお湯を飲むフリをして<br/>
お燗はいいねぇ、喉のこの辺をキューと酒が通るのがわかるよ<br/>
五臓六腑に染み渡るとはこのことだね、とか一人悦にいっていた）<br/>
<br/>
そんな息吹を感じられる噺家さんはもういなくなった。<br/>
なにかが終わった。失われたと言っても言い過ぎではないと感じる。<br/>
自分がある時代に取り残されてしまったという寂寞感。<br/>
もうあの息吹がないのなら、落語じゃなくてもいい、<br/>
新しいお笑いでも探そうかしらと自暴自棄になりそうになる。<br/>
しかし、まだ、たった一人、柳家小三冶師匠が生きていてくれる。<br/>
もう、拝むような気持ちだ。<br/>
あと、何回、師匠の高座を観れるだろう。<br/>
落語の最後のともし火を僕は自分に許される限り観ておこうと思う。<br/>
そして、自分の子供にも一度、みせてあげたい。<br/>
いつか、大人になって、<br/>
「僕はあの柳屋小三冶を生で観たことがある」というのを<br/>
きっと自慢できる日が来るはずだから。<br/>
それは日本人にとっての誇りになりえるはずだから…。<br/>
<br/>
追伸<br/>
落語は死んだというような書き方になってしまいましたが<br/>
まだまだ、上手な人はいると思います。<br/>
談志師匠はみれませんでしたが、談志師匠のお弟子さんには<br/>
志の輔、志らく、談笑、本当にたくさん、素晴らしい落語家の方がおられます。<br/>
これはせめてもの置き土産というのか、僕はそこに談志師匠の息吹を<br/>
感じることができます。<br/>
<br/>
本当の落語の息吹を感じさせてくれる落語家を、<br/>
金馬、柳橋、志ん生、円生、文楽とすると<br/>
志ん朝、談志、小三冶はその次の世代、そして、今の落語家はその孫の孫<br/>
コピーのコピーなのかもしれません。<br/>
先日、アニメ作家の押井守さんが、現在のアニメを<br/>
「コピーのコピーのコピー」と批判していました。<br/>
「表現といえない」とそういう言い方で言えば、我々の時代は<br/>
全てがコピーの時代と言えるだろう。<br/>
コピーのコピーのコピー、もうコピーでありすぎて、<br/>
元がなんだかわからなくなっている。<br/>
型だけが残る。それは落語しかり、歌舞伎しかり、<br/>
すべての文化がたどる道でもある。<br/>
今の時代に「その道をまっつぐ帰るってんで」なんて言っても白々しい。<br/>
リアルじゃない。<br/>
そして、デジタルが登場し、<br/>
もうリアルの意味もコピーの意味も変わってしまった。<br/>
でも、それでも、我々はそこに生きて、時には表現しないといけないのである。<br/>
息吹が感じられないと通ぶって、これからのものを門前で批判するのは<br/>
いただけない。第一、粋じゃないね。<br/>
<br/>
押井守さんは現代のモノツクリ、例えばアニメ業界のあり方の難しさに対して<br/>
嘆いただけかもしれないが<br/>
残された僕らは憂慮するヒマなんてないのだと思う。<br/>
憂慮したら、もうそれはご隠居になってしまったということを<br/>
宣言しているようなものです。<br/>
落語界にもアニメ界にも、きっと次の世代が現れるに違いない。<br/>
それが今から、待ち遠しい。<br/>
<br/>
立川談志さんのご冥福をお祈りします。<br/>
たくさん、楽しませていただいてありがとうございます。<br/>
あなたの「黄金餅」を聴いて、醜い人間の可笑しさ<br/>
それでも人間は美しいと思えることができました。<br/>
あなたの屍の中に黄金を見つけ出した心持です。<br/>
献杯！
        ]]></content> 
  </entry>  
  <entry>
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    <created>2011-11-25T01:29:34+09:00</created>
    <modified>2011-11-25T11:47:45+09:00</modified>
    <issued>2011-11-25T01:28:00+09:00</issued>
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    </author>
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  <entry> 
    <title>アップルとマイクロソフト</title>  
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cooma.exblog.jp/17009215/"/>  
    <id>http://cooma.exblog.jp/17009215/</id>  
    <issued>2011-10-24T05:49:20+09:00</issued>  
    <modified>2011-10-24T05:50:16+09:00</modified>  
    <created>2011-10-24T05:50:16+09:00</created>  
    <author> 
      <name>radiodays_coma13</name> 
    </author>  
    <dc:subject>ニュース</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
スティーブ・ジョブスが亡くなっていた。<br/>
直接関わったことなんかないのだけれど<br/>
身近な親類がなくなったくらいの衝撃を感じた。<br/>
ITに関わる者であれば、多かれ少なかれの影響を受け<br/>
多かれ少なかれ振り回されたことがあるだろうジョブスという存在。<br/>
そして、30年も前、小学校の頃にパソコン少年だった自分にとっては<br/>
appleというアイコンはそれ以上に大きな意味を持っていた。<br/>
<br/>
ニコニコ生放送で話題になっていた<br/>
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1668825.html<br/>
について<br/>
<br/>
脳科学者の茂木さんがおそらく<br/>
appleの商品を賞賛する為の対比として<br/>
windowsPCの使い勝手の悪さを殊更に<br/>
強調してしまったのだろうが<br/>
「使っている時間に比例して嫌になっちゃう」<br/>
と発言してしまった。<br/>
その場に折り悪く、元マイクロソフト副社長の<br/>
西さんがおられた。起こるべくして起こったとしか<br/>
いいようがない。<br/>
<br/>
一個人の意見として否定するつもりはないが<br/>
僕はapple社製品に関して全く逆の感想を持っている。<br/>
apple社の製品を使うのが好きではない。<br/>
使う時間に比例して嫌になってしまう。<br/>
<br/>
スティーブ・ジョブスは人間的に面白いし、<br/>
彼に関する書物は、示唆に富み、色々な意味で<br/>
学ぶべきものが多く、尊敬に値する。<br/>
<br/>
そして、彼が作り出した商品は<br/>
本当にすばらしいの一言だ。<br/>
彼がAPPLE社に復帰して以降の<br/>
商品を使ってみて初めて<br/>
ユーザーインターフェースの奥深さと<br/>
そのなんたるかの意味を知ったように思う。<br/>
<br/>
全てがそろっているが、その使い方がわからない便利な部屋と<br/>
欲しいと口にするだけで、全てが前に現れる部屋との違い<br/>
くらいの違いがある。<br/>
<br/>
そして、なによりもその洗練されたデザイン。それは<br/>
今までのパソコンからは考えられないシンプルさと<br/>
美しさを持っていた。それは他のプロダクトデザインにも<br/>
強い衝撃と影響を与えた。<br/>
今までのIT機器では考えられなかった偉業だ。<br/>
<br/>
apple社の製品はクリエイティブな人々が多く使っているし<br/>
windouws派とmac派で言えば<br/>
俄然、クリエイティブといえば、mac派といっても<br/>
間違いではないだろう。<br/>
<br/>
だがしかし、なのだ<br/>
それはわかっているのだが、単なる天邪鬼ではなくて<br/>
僕はそれが不思議で仕方ない。<br/>
<br/>
あのPCを使っていると、自分が道具を使っている感じがしない。<br/>
何かを作っている感じもしない。<br/>
最終的には自分をもインターフェースにしまおうとするその発想から<br/>
くるのか、PCと対話しているあの感じがない。<br/>
それはいいことなのかもしれないが、ゴツゴツした手触りがないのだ。<br/>
<br/>
そして、こともあろうにクリエイティブを邪魔してくる。<br/>
というか、目の前に、すばらしい完成品があり、それを使っていると<br/>
なにか悲しくなるというか、答えを見せ付けられているような気がしてくる。<br/>
「ほら、俺みたいなものを作れよ」と気がつかないうちに<br/>
その思想性やエッセンスを叩き込まれているような、<br/>
デザインが引きずられているような心地がしてくる。<br/>
他の人に聞いたけれども、それを感じるという人にはまだ会っていない。<br/>
だから、これは個人的な感想に過ぎない。<br/>
それとも、もう、皆、apple教に洗脳済みだったのかもしれない。<br/>
<br/>
そう、それは宗教に近いのかもしれない。<br/>
macで作るということは、ジョブスを教祖とする<br/>
彼らの宗教の上で制作をするように思えてならない。<br/>
それはすなわち、その価値観の上の道を歩くか<br/>
その山のさらに高みを目指すのかという選択ししかない。<br/>
macを使って何かを作る心地は<br/>
教会で仏を祈るような居心地の悪さに近い。<br/>
いつも、背後にジョブスが立っていて<br/>
せせら笑われているような被害妄想に陥る。<br/>
そこに、猛烈な窮屈さを感じてしまうのだ。使えば使うほどに！<br/>
それはmac恐怖症といっても大げさではない。<br/>
<br/>
そして、一方のwindowsは無宗教を感じる。<br/>
使い方は自分で考えてくださいと道具を与えてもらう。<br/>
初めて工作するときのワクワクがそこにはある。<br/>
不親切だが、そこには自由がある。<br/>
押し付けがましさもない。単なる箱だ。<br/>
僕はのびのびと自分の身の丈で制作に打ち込める。<br/>
<br/>
僕は正直なところ、パソコンには<br/>
ジョブスが言うような個性や美しさはいらないと思う。<br/>
便利であるべきだとは思うが<br/>
作るということの最終目標は<br/>
自分でその仕組み自体を作るオーサリングであると思う。<br/>
その時、完成された言語や、閉じられたシステムは<br/>
それを阻むことになる。<br/>
誰もがオーサリングの高みに到達しないとはいえ<br/>
閉じられた環境はそこで作られたものにも影響を与えるだろう。<br/>
macは常に完成品としての結果を出してきた。<br/>
それらの商品はひとつひとつ閉じられた輪を連想させる。<br/>
そして、彼が作り出したものや、その態度は<br/>
現実に排他的であったといわざるを得ない。<br/>
ジョブス無き今、appleは今後、あまりにも個性的な、感情的な<br/>
あまりにもジョブス的な商品を引き続き<br/>
世の中に出していくのだろうか。<br/>
出して行けるのだろうか。<br/>
<br/>
どんな世の中でも<br/>
かじりさしのリンゴは猛烈な勢いで<br/>
腐敗していくものです。
        ]]></content> 
  </entry>  
  <entry> 
    <title>毎日を普通に生きるための物語</title>  
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cooma.exblog.jp/16958555/"/>  
    <id>http://cooma.exblog.jp/16958555/</id>  
    <issued>2011-10-11T06:26:00+09:00</issued>  
    <modified>2011-10-11T06:26:59+09:00</modified>  
    <created>2011-10-11T06:26:59+09:00</created>  
    <author> 
      <name>radiodays_coma13</name> 
    </author>  
    <dc:subject>子供向けコンテンツを作ろう</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
最近、仕事の忙しさに、ボーッとして考えることを止めていたように思う。<br/>
とにかくやらなければいけないことをやる時は自我を消すのが一番。<br/>
でも、子供と遊んでいる時に居眠りをしていたら<br/>
奥さんに、今まではそんなことなかったと言われショックを受けた。<br/>
さあ、そろそろ子供向けコンテンツの実制作を開始します。<br/>
<br/>
上の子が幼稚園の年中さんなんだけど、年長さんともなると<br/>
もうお受験の準備が始まっている。いや、正確には、年中の今頃から<br/>
公立に行かせようとしている親たちは、習い事を始めたり<br/>
準備は始まっているようです。<br/>
今の子供たちはこんな時から、想像もできない自分の未来に向けて<br/>
走り出すことを余儀なくされているのか。<br/>
まだ、自分が何者かもわからないのに･･･<br/>
一体、何処に行けと言っているのだろうか。<br/>
闇雲に、親が指差す方向へ鞭打たれる。<br/>
これでは大人になる前に疲弊してしまうんじゃないだろうか。<br/>
<br/>
彼らにとっての幸せはなんなのだろうか？<br/>
子供たちの幸せのためにと良く言われる。<br/>
しかし、そんなの彼らにしかわからない。<br/>
それを、親の世代であるわたしたちが、あれこれ想像して<br/>
鞭打つのは、身勝手といわざるを得ない。<br/>
えてして、こうあるべきという幸せは紋切り型でしかない。<br/>
しかし、どの親もそうせざるを得ない、それは皆がそうしているから。<br/>
たったそれだけのことなのだ！<br/>
「みんながそうだから」<br/>
そんなの怠慢以外のなんでもない。想像力の欠如だ。<br/>
子供の幸せのためというのは、体のいい、言い訳に過ぎない。<br/>
<br/>
就職率の低下なんてことが言われているが<br/>
それは求人率だけの問題ではないように思う。<br/>
就職に魅力を感じられない人が増えているという一面もある。<br/>
それは今後、もっと深刻な問題になってくると思う。<br/>
何故か？だって、仕事の面白さや、多様な未来について<br/>
誰も教えなかったのですもの。もっと増えるんだろう。<br/>
<br/>
<br/>
そりゃ、絶望したってしょうがない。<br/>
TVやメディアが言うのは「金持ちになるために」「夢を持て！」「成功しろ！」<br/>
それから、夢を持ち、成功するという薄っぺらなサクセスストーリー。<br/>
そんな紋切り型の理想や物語で幸せになれるのはほんの一握りの人でしかない。<br/>
じゃあ、そうじゃない人は、どうやって幸せになればいいの？<br/>
ハレとケでいう1割にも満たないハレの生活にしかスポットを当てていない。<br/>
教育は、我々が当たり前に生きる為の9割以上を占めるケの生活について<br/>
より豊かに生きるための知恵を教えない。<br/>
しかし、我々の圧倒的多数が凡庸な日常に追われる毎日を過ごすことになるのである。<br/>
にも関わらず、その凡庸だが平和な毎日はむしろ悪であるかのように言われ<br/>
そこから脱出して、上を目指せだの、当たり前の生活を捨てて<br/>
仕事に明け暮れ、成功を掴めだの、本当にうるさい。<br/>
そして、金を掴んだ老人になって、世の中金だけじゃないとのたまうのだ。<br/>
そんな茶番を見せ付けられて、未来に希望を持ち、日常が楽しいと思えるはずがない。<br/>
<br/>
いや、むしろ金持ちだって、特別な人々だって、<br/>
凡庸な毎日を過ごしていることは間違いない。<br/>
しかし、「いや！そうではない」と思わせようとしているのが問題なのだ。<br/>
そうではないと思い込まされている。退屈な夢を描かせられているのだ。<br/>
きらびやかに装飾された理想の生活。それを見せることは消費を促す手段でしかない。<br/>
誰もが理想の生活を手に入れられると信じ込ませる。みんなが？理想の生活？<br/>
そんなわけないだろう。そんなことしたら、地球が何個あっても足りない。<br/>
常に未来に投資し続ける資本主義的なやり方はいつか破綻する。<br/>
永遠に右肩上がりの経済なんて、普通に考えてないはずなのに。<br/>
現に、世界的な不況がすぐそこまで来ているではないか。もう、大人たちも<br/>
強制的な夢に息切れして疲弊してしまっている。<br/>
<br/>
本当に今、必要なのは凡庸な毎日を楽しむ知恵ではないか。<br/>
我慢して稼いで、ゴージャスなバカンスではなく<br/>
毎日、延々と続く仕事や日常そのものを奥ゆかしく楽しむ知恵。<br/>
そして、成功だけが人生ではないと教えてくれる物語。<br/>
それらが今、圧倒的に不足している。<br/>
<br/>
「モノを買わずに幸せになる本」<br/>
なんてあったとしても企業はそれをオススメしない。<br/>
「夢をみない地味な生き方」<br/>
なんてハウツー本も書店は売りたくないだろう。<br/>
我々は誰から勝手に、買わされ、夢を見させられ、物語られているのだ。<br/>
<br/>
教育は、若者の読解力の低下を警告しているが、<br/>
それは教育により奪われたと言ってもいい。<br/>
教育は紋切り型の理想を教えることで、人が、自由に物語る力を奪っている。<br/>
いや、教育に任せた方が悪いのかもしれない。<br/>
教育機関は工場でしかない。学校でいう自由など、与えられた範囲のものでしかない。<br/>
つまりそういうところなのだ。そこを出たからと言って<br/>
幸せが待っているわけではない。<br/>
それが答えであるということは、現状が物語っている。<br/>
教育は何故、こんなにも多くの、ニートを生み出してしまうのか。<br/>
そして、なぜ、こんなにも多くの、仮想空間の物語に没入する<br/>
ネトゲ廃人が存在するのか。<br/>
<br/>
では、自らを物語る力はどこで養われるのか。<br/>
それは「遊び」でしかないと思う。<br/>
そして、遊びは子供の間でしかできない。<br/>
子供の頃にちゃんと遊べなかった子供は<br/>
大人になっても、正しい遊びをできない。<br/>
子供の頃に遊んでいないと、もう本気で遊べる時期はこない。<br/>
大人は習い事や、教育によって、子供からこのような大切な遊びの時間を<br/>
奪っているということを自覚すべきだと思う。<br/>
<br/>
そして、子供がよりよく遊べるために、ただ、子供を放置するのではなく<br/>
子供が自由に遊べる環境を整えてあげる役目が大人にはある。<br/>
それは与えることではなく、無為を過ごせる時間をつくること。<br/>
習い事以外でスキマを埋めることでは決してないだろう。<br/>
テレビも、ゲームもなにも与えず場所と時間だけを与える。<br/>
最初は退屈するだろう。その退屈こそが一番の肝なのではないかと思う。<br/>
でも、いつか自分で遊び始める。大人が参加するのはここからだ。<br/>
子供の考えた遊びに参加するだけだ。<br/>
<br/>
遊びの中で子供は、自分がどのような形をしているのか<br/>
自分自身で気づくチャンスを得る<br/>
必ず、子供は遊びの中に自分が熱中することができる何かを見つける。<br/>
そして、遊びの中で大人と接し、世界の手触りや、範疇を知る。<br/>
それを通して、必ず、それらに付随した知識、それを得るための環境づくりを<br/>
自分でやるようになる。自分から学ぼうとするのだ。<br/>
何かを学ばせるのはそれからでも遅くないのではないか。<br/>
<br/>
子供の遊びの段階は進化していく。<br/>
ただ、何かを見るだけのブラウジングの段階から、モノを使って遊びに参加する段階。<br/>
次にルールを持って遊び始めるゲーミング。<br/>
ゲームのルールを変容させるオーサリング。<br/>
それから、その仕組み自体を変容させる、スクリプティング。<br/>
遊びは次第に高次のものになる。そして、物語れるようになるのである。<br/>
遊べなかった子供はその頓挫した途中の段階で進化を止めてしまう。<br/>
それはどんなことを意味するのか、例えば、オーサリングに達していない子供は<br/>
現実を自分で変えることができないという感覚の中に住んでいる。<br/>
<br/>
現代の教育は、子供と大人、特に両親が遊ぶチャンスを奪っている傾向にあると思う。<br/>
わたしが作りたいのは、このチャンスを少しでも増やすもの<br/>
教育的ではなく、原始的な遊びの中にそれを見出したい<br/>
それを現代のテクニカルに置き換えて<br/>
より、現代という状況にマッチした形で、進化した玩具を作れたらと思う。<br/>
本当に少しでも、子供の環境を改善できれば･･･<br/>
そのためにできることをしたい。
        ]]></content> 
  </entry>  
  <entry> 
    <title>ネット依存2－情報に酔う</title>  
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cooma.exblog.jp/16768411/"/>  
    <id>http://cooma.exblog.jp/16768411/</id>  
    <issued>2011-08-25T07:34:00+09:00</issued>  
    <modified>2011-08-25T07:39:36+09:00</modified>  
    <created>2011-08-25T07:35:37+09:00</created>  
    <author> 
      <name>radiodays_coma13</name> 
    </author>  
    <dc:subject>子供向けコンテンツを作ろう</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
前回の記事を書いたあとに<br/>
ネットは麻薬と同等の中毒性を持ちうるというニュースをみつけた。<br/>
<br/>
やはりネットで人は多くのものを失っているというのは間違いないみたい。<br/>
では、「ネットで人はなにを失うのか？」<br/>
<br/>
あまり見慣れない質問のような気がする。<br/>
依存を起こしえるということは<br/>
そこにはもちろん、何か得るものがあるということだろう。<br/>
それは「情報」なんていう安易な答えではないだろう。<br/>
ここで得るものは失うものと表裏一体のものであるに違いない。<br/>
実は得るものも失うものもあまり意識できていない<br/>
そして、あまり語られることのないもののような気がする。<br/>
<br/>
今までもTV中毒というものが存在した。<br/>
TV中毒については性質上、メディアによって、隠され庇護された。<br/>
（TV文化の蔓延によって何が起こるか、このことは<br/>
バリー・サンダース著「本が死ぬとき暴力が生まれる」に詳しい）<br/>
しかし、おそらく現在、それはネット中毒に駆逐されつつあると感じている。<br/>
それはネットの方が得る快感が多いからだ。<br/>
それは、つまり失うものも多いということも意味する。<br/>
中毒の快感には「失ってゆくことの快感」もある。<br/>
そしてその結果もたらされる最も本質的で強烈な<br/>
「麻痺」という快感が訪れる。<br/>
「麻痺」こそが人を中毒に貶める。<br/>
<br/>
ロジェ・カイヨワの「遊びと人間」の中に<br/>
遊びにある5つの分類について説明されている。<br/>
その分類のひとつに眩暈を意味する「インクリス」がある。<br/>
分りやすい例はジェットコースターなどの遊びがこれに分類される。<br/>
そしてカイヨワは示唆していないが<br/>
パチンコやネットという遊びの先にある快感も<br/>
これに該当すると思われる。<br/>
<br/>
単に情報を得る為のネットになぜ中毒になりえるのか<br/>
一見、遊びとは思えないようなネット閲覧も<br/>
麻痺という点からそこに自己破壊欲求的な<br/>
「眩暈」という種類の遊びの要素を強く含む。<br/>
その意味でネットは単に欲しい情報を得るためのものではなく<br/>
酒やドラッグのように「麻痺」を起こさせる「装置」でもあるという<br/>
認識も必要になってくるように思う。<br/>
<br/>
ではネットで眩暈を起こさせる麻痺とは<br/>
何によってもたらされるのか。<br/>
強い中毒性を持つ、掲示板やソーシャルメディア<br/>
それらの発言をまとめたサイトなどにハマる理由。<br/>
自分の例でいうと<br/>
掲示板やまとめサイトなどでは<br/>
「こんな人もいるのか」であったり「自分に似ているな」だったり<br/>
ソーシャルメディアの場合は「なんとなくつながっている」という感覚。<br/>
つながっている安心感。<br/>
そして、誰かの発言をみて自分だけではないと思う安心感。<br/>
この「安心感」こそがドラッグなのだと思う。<br/>
<br/>
掲示板の例で言えば<br/>
そこではどんな崇高な言葉も茶化され、<br/>
どんな感情や思想も正当化される。<br/>
例えば自分の最悪な状態を上回る最悪な状態があり<br/>
それを見ることで、ちょっとした安心を得られる。<br/>
そこで抱くネガティブな感情は肯定され<br/>
本来、その状況に対する反発として起こりえる気力も削がれてしまう。<br/>
削がれるというよりも飲み込まれてしまう。<br/>
そこでは死をもカジュアルに取り扱われ、深みをなくす。<br/>
気がつくと、全ての感情が飲み込まれ、平面化され<br/>
ただ、その中に漂っている自分に気がつく。<br/>
例えば、引きこもっている自分がそれでもいいような錯覚に陥るのだ。<br/>
これを麻痺と呼ばずになんと呼ぶだろう。<br/>
<br/>
自分自身、一年間自分のアパートに閉じこもったことがあるが<br/>
当時はネットもなかったので、その中でいろいろなことを考え<br/>
行動し、ついにはその殻を破って出てきた。<br/>
ＴＶもなかったのでなにしろ退屈だったからだ。<br/>
殻を破ったというより、爆発したのだ。<br/>
もし、そこにネットがあれば、殻から出て来れたか疑問に思う。<br/>
少なくとも一年ではすまなかっただろう。<br/>
<br/>
ＴＶは情報を垂れ流し、閲覧者はそれをただ、受動的に受け取るほか無い。<br/>
ＴＶの脅威は身体性を奪うことにあるが<br/>
ネットは一見、自分で情報を取捨選択しているようだが<br/>
その実、人はそこを漂っているだけなのだ。<br/>
一見、能動的であるという点がＴＶよりも恐ろしい。<br/>
自分の意思で、ズルズルと麻痺を選択し続けている。<br/>
行動力はそこで費やされてしまう。<br/>
本当に求めている情報を得ているわけではないのだ。<br/>
その点に意識的にならなければいずれは情報に酩酊してしまうだろう。<br/>
<br/>
本来そこに、自分の思考やら、<br/>
アイデアが醸成し発現する精神の空洞の部分に<br/>
自分の意識ではなく、ネットの情報が雪崩れ込んでくる。<br/>
その状態では、自分の考えが本当に、自分のものなのか<br/>
自分の欲求が本当に自分のものなのかが疑わしくなってくる。<br/>
現代人はいちいちそのことを自問しなければならなくなった。<br/>
<br/>
創造することにおいて豊かな「退屈」という白紙の土壌が<br/>
情報によって汚染されている。<br/>
いつしか人は余白を恐れるようになる。<br/>
常に、自分の時間をなにかとつながっている状態にしたがる。<br/>
短い余暇でさえ、「スキマ時間」の名の下にコンテンツを流し込む。<br/>
時間の余白をなくすことで、人は自分と対峙しなくてよくなる。<br/>
麻痺することができるのだ。<br/>
「自失」そして、人がシラフであることはなくなった。<br/>
<br/>
都合のいいことに、自己啓発や安易な脳科学が<br/>
自分自身もデザインできますというようなことを声高に宣言している。<br/>
自分という無限の闇にも強烈な光を当てようとする。<br/>
「皆さん、怖くないですよ」といわんばかりだ。<br/>
<br/>
世間ではなんとなくネットワーク的な生活が推奨されている。<br/>
センシティブな都会人はブログをたしなみ、<br/>
日々ツイッターにいそしむものです。<br/>
それが教養というものですというように思い込んでいる。<br/>
そして、自分もその一人であろうとする。<br/>
そのことで、なんとなく社会とつながった気になっている。<br/>
社会という全体の一部になれたような充実感。<br/>
どこからやってくるのか、不思議な安心感を得られる。<br/>
しかし、それは本質の安心ではない。<br/>
そこではただ、価値の平面化が行われ<br/>
全ての聖域が白日のもとに曝され、損なわれてしまう。<br/>
<br/>
しかし、あえて、言いたい。<br/>
そこは暗くて怖い。なにがでるかわからない。<br/>
安い安心なんか買いたくはない。<br/>
自分自身の中の空洞を死守せよ。<br/>
…と。<br/>
一体、どのようにしてネットと向き合っていけばよいのか。<br/>
人が、自分が、この新しい感覚としての外部デバイスを<br/>
一日も早く、自分のものにするために<br/>
それを利用することになる子供たちのためにも<br/>
考えておくべきことはまだまだ多いと思う。<br/>

        ]]></content> 
  </entry>  
  <entry>
    <title type="text"><![CDATA[PR: 30代、40代必見！年収800万円以上の求人情報満載]]></title>
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    <created>2011-08-25T07:35:37+09:00</created>
    <modified>2011-08-25T07:39:36+09:00</modified>
    <issued>2011-08-25T07:34:00+09:00</issued>
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  <entry> 
    <title>ネット依存「ボクは何を失っているのか？」</title>  
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    <issued>2011-08-09T00:49:00+09:00</issued>  
    <modified>2011-08-09T01:06:24+09:00</modified>  
    <created>2011-08-09T00:50:30+09:00</created>  
    <author> 
      <name>radiodays_coma13</name> 
    </author>  
    <dc:subject>子供向けコンテンツを作ろう</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
インターネットには酒やタバコ、麻薬並みの常習性があるという。<br/>
だとしたら、僕もインターネットに依存している者の一人<br/>
ということになるだろうな。<br/>
僕はタバコも麻薬もたしなまないが、酒のような常習性を強く感じる。<br/>
最近、それが怖い。<br/>
<br/>
一時期、お酒を一日と欠かさず飲み続けた日々がある。<br/>
その成果もあって脂肪肝と診断されたりもした。<br/>
しかし、子供が出来たことをキッカケに<br/>
過酷な減酒政策を敷き、血のにじむような<br/>
努力の結果、週3回の休肝日にも耐えられるようになった。<br/>
最初は、「ヤバイよ、コレ」といいたくなるくらい辛かった。<br/>
まさか、アル中ではあるまいかと思ったくらいだ。<br/>
<br/>
で、現在、減ネット政策を発令中なのだが<br/>
あの時の苦しさがフラッシュバックしている。<br/>
いや、むしろ、ズルズルさで言えば、お酒よりもひどいかもしれない。<br/>
お酒の場合、さすがに職場で宴をはじめるわけにはいかないけれど<br/>
ネットは業務中にも宴が始まってしまう。<br/>
仕事がら、調べものに多用しているのであるが<br/>
ひとつのキーワードから、気になるキーワードを見つけ<br/>
気がついたら、宴もたけなわで、ネットサーフィンをしている自分<br/>
最初の調べものがなんだったかも分らなくなっている始末。<br/>
<br/>
お酒なら断酒というのもありえるが<br/>
断ネットというのは難しい。<br/>
どうしても、触れることになってしまう。<br/>
一度、今日は無駄なネットはしないぞ！と心に決めたが<br/>
夕方に手が震えた…。<br/>
まったくの依存状態である。<br/>
<br/>
果たしてあの「ネットにつながっている安心感」はなんなのだろう。<br/>
どうすれば、このズルズルから足を洗えるのだろう。<br/>
きっとその先には、あんまり直視したくない、自分の抱える問題が<br/>
ぶらさがっていたりするのだろうな。<br/>
でも、これは僕だけの問題ではないような気がする。<br/>
多かれ少なかれ、得るものもあるが<br/>
そこで、失っているものもあるはずだ。<br/>
問題は失っていることに自覚的になれずに<br/>
失い続けることである。そして、「失うもの」の大きさ。<br/>
<br/>
「ネットで何を失うかなんて誰も教えてくれなかった。」<br/>
<br/>
ネットワークは人間にとって新しい器官のようなものだと思う。<br/>
今、世界でなにが起こっているのかを同時的に知ることができ<br/>
さまざまな考え方や、いろいろな角度の視点をもつことができる<br/>
そして、自分の記憶媒体にもなる。<br/>
別々の場所にいながら、誰かとコミュニケーションができる<br/>
人の第六感のような存在。携帯電話なんて、<br/>
昔の人からしてみればテレパシーそのものだ。<br/>
人は突然、それを手に入れてしまった。<br/>
触覚、嗅覚、味覚、聴覚、視覚、そして、次の情報処理手段としての<br/>
感覚を手に入れたといっても言い過ぎではない。<br/>
<br/>
新しい感覚を手に入れることで生き物は次のフェーズに移行してゆくのだが<br/>
果たして、人間はそれについていけるのか？<br/>
何十年も目がみえなかった人が、<br/>
外科的な処置によりもう一度目が見えるように<br/>
なっても、入ってくる情報が一体何を意味するのがわからないということが<br/>
おきるらしい。そして、それを拒否してしまう例もある。<br/>
<br/>
感覚を手にするということは<br/>
それほどの情報インフラを起こしてしまうしまうものなのに<br/>
本当に、何千年と身体的には進化していない人間が<br/>
この情報インフラに精神的に耐えれているのだろうか。<br/>
しかも、この情報処理手段は生来のものではなくて後天的に<br/>
与えられる能力なのだ。<br/>
通常、生物が数億年単位の長い時間の中で手に入れる感覚を<br/>
人間は一世代で手に入れてしまった。<br/>
なにも起こっていないというのがおかしな話だ。<br/>
きっとそこには、目にみえないにしても<br/>
計り知れない変容が発生しているはずである。<br/>
<br/>
（続ける・・・）
        ]]></content> 
  </entry>  
  <entry> 
    <title>子供向けコンテンツの進捗とお詫び</title>  
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cooma.exblog.jp/16658346/"/>  
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    <issued>2011-07-29T01:58:00+09:00</issued>  
    <modified>2011-07-29T02:02:58+09:00</modified>  
    <created>2011-07-29T01:59:30+09:00</created>  
    <author> 
      <name>radiodays_coma13</name> 
    </author>  
    <dc:subject>子供向けコンテンツを作ろう</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
現在、「子供向けコンテンツを作ります」と宣言して<br/>
いろんな人の助言や協力をもらいながら<br/>
その可能性やコンセプトに関して、詰めていっております。<br/>
ちょうど、その考察等を日記形式でアップしているということもあり<br/>
いろいろな方からどうなったの？というような言葉をいただいています。<br/>
そこで、この場で進捗の報告をさせていただくことにしました。<br/>
当初は夏過ぎくらいに、なにかしらの形<br/>
つまりα版となるものを作り上げる予定でおりました。<br/>
しかし、実はほとーんど進んでおりませんのでございます。<br/>
もちろん、寝ても覚めても子供向けコンテンツのことを考えております。<br/>
ええ、それは嘘ではありません。<br/>
<br/>
しかしながら、わたしの悪い癖であんまり風呂敷を広げすぎて、<br/>
いろんな人に協力してもらったもんですから<br/>
逆に、それは面白いねとか<br/>
それなら、こうした方が良いというアドバイスを沢山もらい<br/>
企画は膨らんで膨らんで、<br/>
もう、一人の力ではなんともならなくなってしまいました。<br/>
今のままの企画を実行するとなると、会社も辞めて、<br/>
それなりの投資をしなきゃならないレベルまできてしまいました。<br/>
<br/>
その中には助力するよとか、投資するよとか、<br/>
惜しげもなく貴重なアイデアを提案していただいた方もいます。<br/>
本当にありがとうございます。この場を借りて感謝いたします。<br/>
しかし、それはそれで、契約とかなんとか色々と手続きが必要で<br/>
それで動き出すとなると、もう、それは自分のプロジェクトではなく<br/>
或る程度の責任の伴う案件となってしまうのは目に見えております。<br/>
<br/>
もちろん、人を巻き込んで動くとなると、それなりの責任が発生するのは<br/>
百も承知です。そして覚悟もしています。<br/>
しかし、まだ、この自分自身の軸がブレている段階で<br/>
動き出しても、おそらく納得のいくものはできないと考えました。<br/>
今までそれを生業にしてきているので<br/>
なんらかの形にはすることはできると思います。<br/>
ただ、このプロジェクトにおいて、それだけはしたくなかったのです。<br/>
<br/>
現在世の中にあるようなコンテンツを自分のライフワークとして<br/>
貴重な自分の時間を使ってわざわざ作る必要はないかなと思っています。<br/>
しかし、残念ながら、今の段階では<br/>
それくらいのものしかできそうにありません。<br/>
単なる奇抜さではなく、必然性をもって、そのコンテンツを生み出すには<br/>
それ相当の問題意識と、情報量が必要になると考えています。<br/>
というわけで、今、協力していただいている方<br/>
これから協力していただく方には<br/>
引き続き、わがままなご相談をさせていただく事になると思います。<br/>
本当に、身勝手なお願いになってしまい申し訳ありません。<br/>
<br/>
とはいえ、そんなアイデアが形を成すまで<br/>
ただ待っているかというとそうではなくて<br/>
まず、草むらの中にあぜ道くらいは作りたいと思います。<br/>
多数で動くとそれなりの労力がかかるため、私個人で動ける範囲で<br/>
まずiphoneやAndroidマーケットに簡単なアプリを出す予定です。<br/>
それから、ふくらんでしまったアイデアに関しても、<br/>
もし動けばどうなるかのシュミレーションは引き続きデータ収集していきます。<br/>
秋までに形を作るというのを断念したのもシュミレーションの結果で<br/>
それが不可能とわかったからです。<br/>
そして、それを急ぐのが得策ではないと考えたからです。<br/>
<br/>
今は、落ち着いて、子供向けコンテンツに関して<br/>
その可能性、問題意識を明確にして<br/>
できるだけ多くの方に情報を発信し、情報交換をしたいと考えています。<br/>
もし、このプロジェクトのために、何かを待っていただいていたり<br/>
他でも使えるアイデアを差し止めていただいているのであれば、<br/>
わざわざ、わたしが言うまでもありませんが、自由に使ってください。<br/>
ディスカッションの中で出たアイデアの場合も同様、<br/>
そのアイデアの権利を主張したりしません。<br/>
<br/>
アイデアは出せば出すほど、人目にさらせばさらすほど、<br/>
次に良いものが出るものだと思っています。<br/>
なによりも、アイデアは天啓のようなもので<br/>
個人のものではないという信念があります。<br/>
それを形にした者がはじめて<br/>
その創作物に対して著作を名乗れるのだと思います。<br/>
とはいえ、わたしの方から無断で、<br/>
多くの方からいただいたアイデアを形にすることはありませんので<br/>
ご安心ください。<br/>
<br/>
いつか協力していただいた方が<br/>
「協力してよかった」と思えるように<br/>
尽力して参りますので、<br/>
今後とも何卒ご協力、宜しくお願いします。<br/>
<br/>
それから、こうやって、内情を明らかにするのも<br/>
なにかしらの反応が欲しいからに他なりません。<br/>
なにか、ちょっと教えてやろう、とか<br/>
こう思うという意見、貴重な情報があれば<br/>
教えてください。そっと耳打ちでもいいです。<br/>
面倒くさがらずに、おせっかいしてください。<br/>
反論でも、文句でもいいです。<br/>
受けて立つほどの体力も知力もありませんが<br/>
打たれ弱くはありません。<br/>
どうか、宜しくお願いします。<br/>
<br/>
里宗
        ]]></content> 
  </entry>  
  <entry> 
    <title>落語の笑いと遊びの可能性</title>  
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cooma.exblog.jp/16642329/"/>  
    <id>http://cooma.exblog.jp/16642329/</id>  
    <issued>2011-07-25T07:22:00+09:00</issued>  
    <modified>2011-07-25T13:36:05+09:00</modified>  
    <created>2011-07-25T07:23:09+09:00</created>  
    <author> 
      <name>radiodays_coma13</name> 
    </author>  
    <dc:subject>考える</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
落語にハマっている。<br/>
<br/>
会社の近所に新宿「末広亭」がある縁で<br/>
前から気になっていた、柳家小三冶を観に行ったのをキッカケに<br/>
堰を切ったように、どっぷりと落語にハマっている。<br/>
古典から現代まで<br/>
音楽の変わりに一通り聴いてみた。<br/>
<br/>
前からそんなに落語を好きだったわけではないのに<br/>
自分の人生にとって欠落していた部分を埋めるように<br/>
落語を欲している自分がいるのに驚いている。<br/>
<br/>
落語には現代のお笑いにはない種類の笑いがある。<br/>
本来、笑いにはいろいろ種類があるはずなんだけど<br/>
現代のお笑いは特に発作的な笑い<br/>
神経症的でシュールな笑いばかりが目立ち<br/>
ゆっくりと心をほぐしてくれるような笑い<br/>
ハートウォーミングな笑いというはあまりない。<br/>
<br/>
笑いはきっとマッサージのようなもので<br/>
笑うことで凝り固まった精神や緊張をほぐしてくれるのだと思う。<br/>
そして、そこには、マッサージの結果、得られる快感もある。<br/>
<br/>
時代によって、緊張も異なる。<br/>
そこで、求められる笑いも異なるということになる。<br/>
現代は不条理で病的な社会に起因する笑いには事欠かないが<br/>
落語の長屋噺に感じられる隣人を愛したくなるような笑いはない。<br/>
現代にとって隣人は昔の長屋の隣人とは性質が異なり<br/>
不条理で脅威な存在である。<br/>
或いは、昔の笑いでは間に合わなくなってきているのかもしれない<br/>
しかし、笑わずに置いた心のどこかは<br/>
コチコチに凝り固まってしまっているように思う。<br/>
そういうポイントは増えていき、<br/>
心のどこかしこに、わだかまりを抱えているような気がする。<br/>
そこを有効にほぐす笑いはないものだろうか。<br/>
<br/>
お亡くなりになった2代目桂枝雀さんは、<br/>
笑いを「緊張からの緩和」と定義し分類を行なっていた。<br/>
それに加えて、笑いには深さがあり、突発的な笑い、幸せを感じた時の笑い。<br/>
それらは、緊張のタイプとその開放のされ方によって変化する。<br/>
最終的にもっとも深い笑いは人生の緊張から解き放たれた時に訪れるだと言う。<br/>
それは悟りに近い感覚に違いない。<br/>
<br/>
落語の笑いは発作的に激しい笑いよりもむしろ、<br/>
ステージの深いところを目指していると思われる。<br/>
アリストテレスが笑いについて触れたものに、<br/>
「笑いは人間の上下関係によって生じる」というのがあり<br/>
一種の優越感が笑いを生むとされる。例えばそれは蔑みによって生まれたりする。<br/>
漫才などのひとりがボケて、ひとりがツッコむというスタイルは、この種の笑いを<br/>
生じやすくしているのではないかと思う。<br/>
しかし、これは緊張の緩和理論でいうところの上下関係の緊張を緩和した笑いに過ぎない。<br/>
落語の場合にもこの種の笑いはいくつかあるが、<br/>
そこには、ある種の愛情が根ざしているように思う。<br/>
それは似ているようで非なる笑いをもたらし、<br/>
観客をより深い笑いへと誘う。<br/>
<br/>
美味しいものを食べても人は笑うし<br/>
いい意味で期待を裏切られても人は笑う<br/>
微笑みという対人の緊張からくる笑いもあり<br/>
表面に出ない笑いもある<br/>
人はおそらく、動物的な感覚として、<br/>
課せられた緊張を緩和させる方向に向かうものだと思う。<br/>
そこには笑い的ななにかが存在しているはずだと思う。<br/>
そして、動物含め、或る時には擬似的な緊張を自らに課すこともある。<br/>
それが「遊び」というものの発端であると考えられる。<br/>
<br/>
「笑い」、「緊張の緩和」という面から考えると<br/>
もう少しコンテンツとしての「遊び」の可能性を広げられるのではないだろうか。<br/>
多くの「デジタルゲーム」が、「与えられた課題」というタイプか<br/>
「恐怖」、或いは「物語」による緊張を主に扱っている。<br/>
しかし、そこには潜在的に遊びに含まれているが、<br/>
まだゲームというまな板の上には乗っていない、<br/>
もしくは、あまり取り上げられない、緊張がある。<br/>
そこにまったく新しい遊びというのではないが<br/>
新しい、遊びの局面、異なる見方、扱い方があるはずだと思う。
        ]]></content> 
  </entry>  
  <entry> 
    <title>歌舞伎を観て考えた子供向けコンテンツの現在</title>  
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://cooma.exblog.jp/16523317/"/>  
    <id>http://cooma.exblog.jp/16523317/</id>  
    <issued>2011-06-27T02:28:00+09:00</issued>  
    <modified>2011-06-27T02:32:28+09:00</modified>  
    <created>2011-06-27T02:29:06+09:00</created>  
    <author> 
      <name>radiodays_coma13</name> 
    </author>  
    <dc:subject>子供向けコンテンツを作ろう</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
新橋演舞場で上演されている6月歌舞伎に<br/>
会社の社長と二人で観に行った。<br/>
<br/>
帰りの電車で、いろいろと舞台について話した。<br/>
「果たしてこれが現代人にとって本当に面白いのか？」<br/>
例えば、歌舞伎と映画を比べて、どちらを面白いと感じるか？<br/>
社長がそう言った。<br/>
<br/>
そう言われると確かに、答えは明確だ。<br/>
歌舞伎の客層は若くは無かった。<br/>
それが答えなのかもしれない。<br/>
60歳の誕生日の朝に目が覚めると突然、歌舞伎がむしょうに面白くなるなんてことは<br/>
ちょっと考えられない。<br/>
つまり、だんだんと理解できなくなってきているのじゃないか。<br/>
<br/>
舞台の仕事をしていたので<br/>
やはり舞台を色眼鏡でみているのかもしれない。<br/>
歌舞伎をそれなりに面白いと感じている。<br/>
しかし、それはあくまでも当時の文化に思いを馳せて<br/>
感覚に下駄を履かせていることは否めない。<br/>
<br/>
いや！ただ、面白いだけではない、なにかがある！<br/>
それを芸術というのだ！<br/>
そしてその400年もの歴史の深みを理解できるなかなかにカッコイイ自分！<br/>
なんて、自分に酔いしれているところもあるんだろうね。<br/>
<br/>
今まで多くのつまんない舞台を我慢してきた。<br/>
なにか得られるものがあるんではないか、<br/>
面白いだけではダメだとか、<br/>
これは心のお薬なのだとかね。<br/>
<br/>
でも、今は作り手としてこれは思っちゃイケナイんだなぁと<br/>
考えるようになった。<br/>
命題「ひたすら面白いものをつくること」<br/>
<br/>
本当に歌舞伎が観られていた時代において<br/>
舞台の物語はもっと親近感のあるものだっただろうし<br/>
言葉も、当時の人からは難解ではなかっただろう。<br/>
もっと俗っぽい存在だったに違いない。<br/>
<br/>
今回観た舞台も5時間近くの長さがあったが<br/>
当時はもっと長かったらしい<br/>
しかし、それは当時の時間性の中での1日だったのだ。<br/>
現代人の一日とは時間の流れ方が異なる。<br/>
<br/>
そういう物語の話題や当時の文化の違いを説明なしで<br/>
理解し味わうのは不可能だ。<br/>
<br/>
舞台が回転したり、雪が降ったりというのは<br/>
当時の観客にとってはスペクタクルであったに違いない。<br/>
舞台で斬った張ったが行われ、血まみれの人がのたうつ。<br/>
観客はきっとド肝を抜かれたに違いない。<br/>
<br/>
これは映画も変わりない。技術が進歩して、それが<br/>
CGや3Dに置き換わったに過ぎない。<br/>
<br/>
大きな疑問。果たして歌舞伎を当時とできるだけそのままの<br/>
姿で現代に持ってくるのに意味があるのだろうか？<br/>
<br/>
それはきっとあるだろう。<br/>
しかし、もっとできることはないだろうか。<br/>
社長が呈した疑問はすごくわかりやすかった。<br/>
「それでは映画となにが違うのか？」<br/>
劇場の様子は普通の映画館とそう大きく変わりなかった。<br/>
そして、舞台は花道こそあるものの<br/>
スクリーンのあるはずの場所で行われる。<br/>
お芝居はすっぽりと舞台の中に鎮座している。<br/>
生身の人間がそこで演じるという絶対的な価値を<br/>
より引き出すための仕掛けは花道だけではないはずだ。<br/>
<br/>
「大江戸温泉物語」に行った事がある。<br/>
あとで考えるとなんてことないのだが、<br/>
その時は、夢見心地で楽しんだ記憶がある。<br/>
他の大規模温泉となにが違うのかと言われると<br/>
ひとつひとつ取ると大差はないのだが全体として<br/>
ひとつの世界を作り上げている。<br/>
客は全員、まず浴衣に着替えて、その仮想の街を満喫する。<br/>
そこで興じる金魚すくいは<br/>
普通の金魚すくいとはまったく異質なものだった。<br/>
舞台でけん玉ショーをしていたが、それに異様にワクワクした。<br/>
ここで歌舞伎をやればさぞ面白かろうと思った。<br/>
<br/>
現代で成功しているエンターテイメントの傾向として<br/>
テーマパーク化がある。<br/>
ディズニーしかり、多くの施設、そして社会そのものが<br/>
テーマパーク化してきているようにも感じられる。<br/>
<br/>
ならば、歌舞伎も、本来の通俗芝居として<br/>
それらを取り入れるもの間違ってはいないはずだ。<br/>
演舞場に入る前に当時の町民の服に着替え<br/>
ゴザが敷かれてある舞台に座る。<br/>
ディズニーやＵＳＪのように炎や水の演出を取り入れ、<br/>
画面から飛び出すスペクタクルを演出する。<br/>
舞台の外では団子や蕎麦の屋台がある。<br/>
<br/>
猿之助のスーパー歌舞伎や、<br/>
勘三郎のコクーン歌舞伎はそういう試みのひとつだと思う。<br/>
そしてそれなりに楽しめるものだったし、その試みは<br/>
本当の泥を使う等、演舞場での歌舞伎にも取り入れられてはいる。<br/>
しかし、やはり歌舞伎は歌舞伎であることはやめられない。<br/>
それを失った時点で自らのレーゾンディティールを失うのかもしれない。<br/>
歌舞伎と旅芝居はなにが違うのか、歌舞伎と吉本新喜劇とはなにが違うのか。<br/>
それを他と区別するものは一点、それが「歌舞伎」であることに他ならない。<br/>
<br/>
純粋な観客なら、そんなことは考えないで済むのかもしれない。<br/>
しかし、作り手として、それを職業としてやっていくには<br/>
やはり、今、自分の周りのいる同時代の人々に金をもらわなければならない。<br/>
それが本当に、純粋に楽しく、課金に耐えうるのか考えないでいることはできない。<br/>
「文化」だ「心の薬」だというのは批評家や後の時代の人が考えることだ。<br/>
<br/>
「子供向けのコンテンツが作りたい」<br/>
という目標もやはり同じことが言えるのだろう。<br/>
配信するからには、子供が他のコンテンツよりも<br/>
面白いと思ってもらえるものでない限りはありえない。<br/>
ただ、ためになるから親が子にやらせようというコンテンツで成功したものはない。<br/>
子供が自発的にやりたがならない限り、成立しない。<br/>
それは現代のテクノロジー、現代のリアルからでないと立ち上がってこない。<br/>
テレビとスマートフォンではできるコンテンツは違う。<br/>
そこで使われる言葉のベクトルも時間性も異なる。<br/>
<br/>
「おそらくスマホを使ったコンテンツを試験的に作ると思う」<br/>
子供向けコンテンツの製作について助言を求めたある児童教育の専門家に<br/>
「なぜ、よりによって電子機器を使わねばならないのか？」批判をもらった。<br/>
せめて子供の時くらいは、シンプルな自然の玩具で遊ばせたい。<br/>
ごもっともだ！わたしもそう思う。それが幸せかもしれない。<br/>
そういう社会の中だけで生きれたらという注釈付きだけれど。<br/>
どちらにせよいつかは情報の海に放り込まれるのだ。<br/>
その後のギャップに苦しむよりも<br/>
情報の海の波打ち際で、安全なトレーニングをしなければいけないと考える。<br/>
玩具が大人への模倣やトレーニングという面があるように<br/>
情報を玩具化したものが現代の子供には、必要ではないかと考えている。<br/>
子供は敏感である。大人よりもそれを楽しむ才がある。<br/>
今の子供に情報の海を見ないようにしろというのは不可能だ。<br/>
ギリギリまで目を塞いでおぼれてしまうよりも<br/>
ならば誰かが、責任をもって、安全な玩具にしてあげなければならないだろう。<br/>
木の玩具は他の誰かが作ってくれる。<br/>
僕にはただ、それができないだけの話だ。<br/>
<br/>
課題だらけである。<br/>
今の子供たちは何をもっとも楽しむのか。<br/>
本当は何をして遊びたいのか。<br/>
もっと子供たちと一緒に遊んで考えようと思う。
        ]]></content> 
  </entry>  
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    <title type="text"><![CDATA[PR: マイクロソフト シェアスマイル キャンペーン]]></title>
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    <content type="html"><![CDATA[<table cellspacing="0" cellpadding="0"><tbody><tr><td align="center" valign="center"><a href="http://rss.rssad.jp/rss/ad/mDCzYeY9X4to/vMyRGC3.sif1?type=2" target="_blank"><img alt="" style="border: 0;" border="0" src="http://rss.rssad.jp/rss/img/mDCzYeY9X4to/vMyRGC3.sif1?type=3&ent=e4b7f21e642ec3a64e4ac62f834302eb"/></a></td><td> &nbsp; </td><td valign="top" > 元サッカー日本代表、名波選手とのスポーツ対決やWebカメラが当たる！7/31迄 </td></tr></tbody></table><div style="font-size:10px;"><span style="padding-top:5px;"><br style="display:none"/><a href="http://www.rssad.jp/trendmatch/trendmatch.html">Ads by Trend Match</a></span><br/></div>]]></content>
    <created>2011-06-27T02:29:06+09:00</created>
    <modified>2011-06-27T02:32:28+09:00</modified>
    <issued>2011-06-27T02:28:00+09:00</issued>
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    <title>震災後の世界で…</title>  
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    <issued>2011-06-11T07:17:00+09:00</issued>  
    <modified>2011-06-11T11:15:13+09:00</modified>  
    <created>2011-06-11T07:18:31+09:00</created>  
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      <name>radiodays_coma13</name> 
    </author>  
    <dc:subject>考える</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
子供向けのコンテンツを制作するべく準備をしているけれど<br/>
毎日のお勤めもあり、なかなか進めないので<br/>
動きを止めないためにも<br/>
少しづつ、作ろうとしているものの方向性を日記として確認していくことにする。<br/>
<br/>
＊＊＊＊<br/>
<br/>
まさか自分の時代に放射能におびえて暮らす日々が<br/>
やってくるとは思っていなかった。<br/>
それはどうも世紀末SF的などこかの世界の話だと思っていた。<br/>
そのまさかが現実になった。<br/>
<br/>
地震以後、どうもそれらの現実を目の当たりにして<br/>
それが自分の世界で起こっていることが<br/>
どこか現実離れしているような気がしてくる。<br/>
壊滅的な地震の被害や放射能だけではなく、<br/>
今、日本が直面している様々の社会的問題にしても<br/>
素っ頓狂なもののように思えてくる。<br/>
<br/>
ちょうど、阪神大震災の時に実家が全壊した時にも同じようなことを感じた。<br/>
それは、もしかしたら、もう一方では地震の起こらなかった世界があって<br/>
自分は地震の起こったほうの世界に迷い込んだんではないかという違和感。<br/>
現実逃避なのかもしれないが<br/>
「どうも、この世界は正しくないのではないか」という感覚がある。<br/>
<br/>
そして、今回の震災。僕はなにかを間違え続けて<br/>
震災を二回も迎えることになった。<br/>
どこかに、震災を迎えずに平和に暮らしている日本があるのではないか。<br/>
そして、僕は震災が起こったほうの世界に迷い込んでしまった。<br/>
<br/>
果たして僕が住んでいた世界は<br/>
なにかがいろいろなところでちぐはぐになってしまった。<br/>
しかしだ、そこには僕だけではなく、僕の子供たちや<br/>
周りの大切な人たちも入り込んでいる。<br/>
<br/>
もしかしたら、ちぐはぐの無い世界で平和に暮らす<br/>
僕の子供たちもいるかもしれないが<br/>
ちぐはぐな世界に取り残された人々もいる。<br/>
僕はこの世界を子供たちのためにどうにかしなければならない。<br/>
<br/>
とても不思議な感覚なのだけども<br/>
この「ちぐはぐ」が全て自分の責任のように思えてならないのだ。<br/>
まともな自分はまともな世界に行き<br/>
ちぐはぐな自分はちぐはぐな世界へ。<br/>
その数多の選択の結果、いまここにいる。<br/>
<br/>
こういうのを平行宇宙論とか多次元宇宙論というようなのですが<br/>
つまり、ここは僕の選択の結果の宇宙ということになる。<br/>
<br/>
しかし、そんな理論に絡め取られるまでもなく<br/>
なぜか、もっと本能的に、この世界で起こっていることは<br/>
この世界で住んできた自分にも責任があると感じてしまっている。<br/>
<br/>
子供たちに、「こんな世界にしてごめんなさい」と<br/>
謝らなければならないと感じている。<br/>
しかし、だからこそ、謝る前に行動しなければと胸に秘めているのです。<br/>
秘めていてもなんなので、こんな風に誰かに話して、<br/>
行動しなければならないようにしようと<br/>
ムシのいいことを考えている。<br/>
<br/>
きっと誰かが、どこかの大人が解決してくれるに違いない。<br/>
そんなふうに思っていた。今でもそんなふうに思いたい。<br/>
でも、そんな誰かの無責任で世界のちぐはぐは大きくなってきた。<br/>
<br/>
そして、自分が大人になった。もう十分、歳もくった。<br/>
次は自分の番なのだ。<br/>
子供たちに、あなたたち大人たちが作った世界と言われてしまう<br/>
そんな世代になってしまった。<br/>
<br/>
どんな形であれ、僕はその世界を形成しているものの一部だ。<br/>
そして、これは僕が選択した結果の世界だ。<br/>
やはり、次の大人たちにツケを回して責任回避するのか。<br/>
いや、もう逃げられない。<br/>
<br/>
いつまでも責任を回避してたどり着いたら、目の前に<br/>
避けては通れない抜き差しならない問題が壁になっている。<br/>
<br/>
誰かがやってくれるかもしれない。<br/>
でも、その誰かがやってくれた世界はまた自分とは別の分岐へと行き<br/>
ここにいる自分は常に問題の前に放りだされるようになっている気がする。<br/>
誰も逃げることはできないのだ。<br/>
<br/>
だから何ができるのだ？<br/>
確かに…。<br/>
<br/>
アンドレイ・タルコフスキー監督の映画で<br/>
「サクリファイス」というのがある。<br/>
核戦争が始まったニュースをラジオで聴き<br/>
主人公は自分は全てを失っていいので、この事態を回避させてくださいと祈る。<br/>
すると、そのニュースは嘘になり、<br/>
なにごともなかったかのような日常が訪れる。<br/>
自分が犠牲になったことで救われた世界。その代償を払うべく主人公は<br/>
自分の家を焼き、全てを失うことを受け入れる。<br/>
そして、そのことを誰もしならい。ただ、家族は彼の気が触れたのだと思う。<br/>
だいたい、そんな映画。とってもいい加減。<br/>
<br/>
祈る？<br/>
祈る前に行動しようと思う。<br/>
<br/>
どんな？<br/>
それを子供たちと一緒に考えよう。<br/>
<br/>
大人はいろいろと事情という言い訳があるので、<br/>
子供たちのためと言いつつ、<br/>
自分たちの都合のよいものを作ろうとしてしまうんだろうね。<br/>
<br/>
まずは…<br/>
まずは、どんな世界を望んでいるのか、子供たちに聞くのが一番だろう。<br/>
<br/>
君たちはなにが見たい？<br/>
<br/>
君たちはなにを望んでる？<br/>
<br/>
その為にできることをやろう。
        ]]></content> 
  </entry>  
  <entry> 
    <title>震災がくれたチャンス</title>  
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    <issued>2011-05-04T01:14:52+09:00</issued>  
    <modified>2011-05-04T01:15:28+09:00</modified>  
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      <name>radiodays_coma13</name> 
    </author>  
    <dc:subject>考える</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
天邪鬼なので今回の震災での<br/>
応援メッセージを見るのがなんだかイヤだ。<br/>
応援したい気持ちがないわけではない<br/>
けれど、なんだか、言葉にされると、とてもそらぞらしくてなんだか…。<br/>
それを否定も批判もしないけれど、自分ではしたくない程度の話なんだけど。<br/>
<br/>
でも、それでも、歌手が僕たちのできることはこれだけですと言って<br/>
歌っている姿はとてもシラケてしまった。<br/>
<br/>
自分自身が阪神震災で被災して<br/>
一番言われたくなかった言葉は「がんばれ」だった。<br/>
がんばれと言われると「がんばりません！」と即答したい気持ちだった。<br/>
その言葉は意味以上に恐ろしいと感じた。<br/>
<br/>
阪神震災の時にふと耳にした歌に涙が出たことがあった。<br/>
それはアンパンマンのマーチだった。<br/>
それは「助けてもらう」ではなくて「助ける」歌だ。<br/>
たとえ胸の傷がいたんでも、誰かを助けることで<br/>
生きる喜びを感じるという内容なんだけど<br/>
なぜか、助けられる側の自分が聞いて一番響いた。<br/>
<br/>
助けることで助けられることがある。<br/>
父は理髪店を営んでいるが、震災で店舗ごと全壊してしまった。<br/>
むき出しの水道から水だけがでていたので、ポリタンクに貯め<br/>
簡易式の湯沸しでお湯を沸かし、青空の下で、洗髪だけの<br/>
無料床屋を震災から数日後にオープンした。<br/>
それにおどろくほどの行列ができた。<br/>
再スタートをあきらめかけていた父は、それでもう一度<br/>
お店を復活させる決心をしたと話していた。<br/>
<br/>
僕は阪神の震災で完全に呆けてしまっていた。<br/>
避難先の小学校で、自失してぼんやりしていた。<br/>
同じ部屋に近所の子供が5人ほど<br/>
小学校ゆえにたくさんの小学生が行き交う。<br/>
時間をもてあましていたので、毎日、子供たちの相手をしていた。<br/>
相手というのは少し語弊がある。「遊んでもらっていた。」<br/>
パズルや、迷路、ボードゲーム、でたらめな遊具を作って<br/>
子供たちと遊んだ。<br/>
遊ぶのだけは得意だったので、いつの間にか<br/>
たくさんの子供たちに囲まれるようになった。<br/>
多分、避難所には決定的に娯楽が欠如していたのだと思う。<br/>
<br/>
その時、初めて、遊びを作り出すことができる自分の能力に気がついた。<br/>
そして、これを自分の仕事にしようと思いついた。<br/>
そして奇跡的にこれを生業とすることができた。<br/>
でも、ひとつ忘れていたことがあった。<br/>
僕は子供のために、遊びを作ろうと思い立ったのだ。<br/>
でも、まだ、これは成し遂げていない。<br/>
今回の震災で、避難所にいる子供たちを見て<br/>
強くそれを思い出した。<br/>
<br/>
救援物資には娯楽用品は含まれていない。それは一番後回しなのだ。<br/>
もちろん仕方ない。しかし、子供にとって遊びは<br/>
水や食べ物と同じくらいの価値を持つ。<br/>
子供にとっての遊びは不安をも吹き飛ばす心のよりどころでもある。<br/>
<br/>
初心に帰ろうと思った。<br/>
僕は子供のための遊びを作ろう。<br/>
忘れてはいなかったけれど<br/>
立ち上がることができなかった。<br/>
多分、今、立ち上がらないと、二度とはじめられないような気がする。<br/>
<br/>
また、震災にチャンスをもらった気がする。<br/>
助けるという気持ちじゃない。<br/>
自分が助けられよう。<br/>
<br/>
「助ける」というのはなんだかひどくよそよそしい。<br/>
多分、応援メッセージへの違和感はそれだったんだろう。<br/>
「わたしたちにできるのはこれだけ」<br/>
それを言ってしまっていいんだろうか？<br/>
カッコいいようで、とてもカッコ悪い気がする。<br/>
やっぱりどこかよそよそしい。<br/>
<br/>
今日、アンパンマンの歌の歌詞について同じような感想を持つ人のコラムを読んだ。<br/>
今、感じていることがアンパンマンのマーチの歌詞で一本につながった気がした。<br/>
アンパンマンは誰かを助けるために自分の頭を食べさせる。（なんだかスゴイ。）<br/>
でも、それがアンパンマンの「よろこび」なのだ。<br/>
楽しいから助けるって言ってところが潔い。<br/>
助けるってそういうことじゃないかしら。<br/>
<br/>
<br/>
寄付とか、救援とか、ボランティアとか、なにかと自己犠牲めいている。<br/>
暗いのはキライだ<br/>
でも、それが嬉しいからそうするはずなのだ。<br/>
単なる自己犠牲なはずがない。<br/>
ココマデ自己犠牲シマシタ自慢的なキャンペーンは見るに耐えない。<br/>
もらった方も、「なんだか悪いね」となってしまう。<br/>
自己満足なら、そういってくれればいいのにね。<br/>
その方がもらう方も遠慮要らないもの。<br/>
本当に広告的な意味がないのなら<br/>
主張しちゃダメなんじゃないかしらん？<br/>
<br/>
<br/>
話がそれちゃったけど<br/>
やりかけていた子供のためのコンテンツ作りを再開します。<br/>
自分のために。
        ]]></content> 
  </entry>  
  <entry>
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    <created>2011-05-04T01:15:28+09:00</created>
    <modified>2011-05-04T01:15:28+09:00</modified>
    <issued>2011-05-04T01:14:52+09:00</issued>
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    <title>失われた味</title>  
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    <issued>2010-04-09T01:12:07+09:00</issued>  
    <modified>2010-04-09T01:12:08+09:00</modified>  
    <created>2010-04-09T01:12:08+09:00</created>  
    <author> 
      <name>radiodays_coma13</name> 
    </author>  
    <dc:subject>食べる事と飲む事</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
職場の近く、気に入っているカレー屋さんがあった。<br/>
どこででも食べられる味ではなかった。<br/>
おそらく、世界中さがしてもそこだけでしか食べられないだろうな<br/>
ということが一口食べれば<br/>
世界中のカレーを食べなくたって誰にでもわかる味だった。<br/>
とにかくそんな味のカレー<br/>
もし、そのご主人がどこかにいなくなれば<br/>
もう誰も二度と、そのレシピを復活させることはできないだろう。<br/>
永遠に失われた古代の謎のように。<br/>
・・・<br/>
<br/>
そのカレー屋のご主人が亡くなられた。<br/>
とても唐突に。<br/>
カレーの下ごしらえをしている最中に。<br/>
<br/>
いつものようにお店を訪ねると<br/>
花束がたくさん添えられていた。<br/>
<br/>
その味は永遠に失われた。<br/>
<br/>
シャッターの前に立ち、目をつぶりしばらく<br/>
口の中にそのカレーの味の幻影の糸を手繰りよせようとした。<br/>
無理だった。<br/>
結局、そのレシピは分からずじまいだった。<br/>
<br/>
高村光太郎の「梅酒」という詩のことを思い出した。<br/>
<br/>
死んだ智恵子が造つておいた瓶の梅酒は<br/>
十年の重みにどんより澱んで光を葆(つつ)み、<br/>
いま琥珀の杯に凝つて玉のやうだ。<br/>
ひとりで早春の夜ふけの寒いとき、<br/>
これをあがつてくださいと、<br/>
おのれの死後に遺していつた人を思ふ。<br/>
おのれのあたまの壊れる不安に脅かされ、<br/>
もうぢき駄目になると思ふ悲に<br/>
智恵子は身のまはりの始末をした。<br/>
七年の狂気は死んで終つた。<br/>
厨(くりや)に見つけたこの梅酒の芳りある甘さを<br/>
わたしはしづかにしづかに味はふ。<br/>
狂瀾怒涛の世界の叫も<br/>
この一瞬を犯しがたい。<br/>
あはれな一個の生命を正視する時、<br/>
世界はただこれを遠巻きにする。<br/>
夜風も絶えた。<br/>
（『智恵子抄』より）<br/>
<br/>
カレーのルーは残っていないのだろうか。<br/>
シャッターの中、お店の中、おなべの中<br/>
その縁にルーはこびりついてないのだろうか。<br/>
できれば、そのルーを舐め取りたいと思った。<br/>
しかし、もう誰もそのカレーを食べることはできない。<br/>
誰も。<br/>
<br/>
味覚は切ない。<br/>
味覚の記憶は<br/>
味、嗅覚、触覚、視覚、聴覚と結びつき<br/>
とても強烈なものとなる。<br/>
僕の記憶力はすこぶる悪いが<br/>
味覚に紐付く記憶力だけは誰にも負けない自信がある。<br/>
いつ、誰と何を食べていたのか、<br/>
その時の、誰かの顔、誰かの声、自分の気持ち<br/>
揚げ物のコロモの詳細の状態まで鮮明に思い出すことができる。<br/>
それだけに、同じ味のものを食べると涙が出てしまうことがある。<br/>
その瞬間、僕はタイムスリップして、過去のその時に存在している。<br/>
<br/>
とても寡黙な人だった。<br/>
一切の無駄口をきかなった。<br/>
「ありがとうございます」という言葉を<br/>
舌を使わずに、喉の奥で言っていたぐらいだ。<br/>
深い目をした人だった。<br/>
愛想というものはなく<br/>
その目で睨まれると<br/>
誰もうつむいてしまうほどだった。<br/>
でも、いつもお客でいっぱいだった。<br/>
みんな静かに、カレーを味わっていた。<br/>
みんな喉の奥で「おいしいです」と言っていたんだろう。<br/>
<br/>
料理人はうらやましい。<br/>
こんなときに不謹慎だけれど、そう思った。<br/>
誰もその味を忘れることはない。<br/>
もう誰も二度と味あわせてくれないその味は<br/>
唯一無二でその人の記憶に残る。<br/>
<br/>
まったくなにをしてくれるんだ。<br/>
僕はそういうのはいやんだな。<br/>
だから、レシピが知りたかったんだ。<br/>
<br/>
そんなに悲しいことはない。<br/>
僕は母の手料理のレシピをちゃんと自分のものにした。<br/>
カス汁も、肉じゃがも、うどん焼きも、梅干も、たまり醤油も<br/>
食べれば、そこに全てがよみがえるように。<br/>
<br/>
自分ではそんなことを言っておきながら<br/>
僕は自分の子供たちに、毎日おいしい<br/>
きちんと調理した当たり前のものを食べさせて<br/>
子供たちの記憶の中に強烈に残りたい。<br/>
レシピもなにも教えてやるもんか。<br/>
死んでもらったら困ると思われていたい。<br/>
<br/>
料理はいつか人の記憶を覚醒させる。<br/>
10年後、20年後<br/>
ふと、いつかの味によく似た味と出会う。<br/>
もしくは、同じ食べ物を食べ、思い出す。<br/>
ガツンと頭を殴打されたように<br/>
記憶がフラッシュバックする。<br/>
そんな風にして、何年後か<br/>
僕はこの土地のことを忘れても<br/>
そのカレーの味のこと、<br/>
その時のご主人の表情まで<br/>
思い出すのだろう。<br/>
<br/>
たった数回しか行くことができなかったのだけれど。。。<br/>
<br/>
いつか僕の子供たちが僕のもとを離れていき<br/>
親の顔も思い出さないような日々が続いても<br/>
日々のしめやかな食卓の記憶の蓄積さえあれば<br/>
僕は子供の中に息づくことができる。<br/>
そう思う。<br/>
<br/>
そして、その記憶の中で、声はなくとも<br/>
それをほどこしてくれた人の<br/>
気持ちを味わい知ることができるのだもの。
        ]]></content> 
  </entry>  
  <entry> 
    <title>オーシャンズのこと</title>  
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    <issued>2010-01-25T05:59:59+09:00</issued>  
    <modified>2010-01-25T06:00:02+09:00</modified>  
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    <author> 
      <name>radiodays_coma13</name> 
    </author>  
    <dc:subject>食べる事と飲む事</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
お魚さんが好きな子供のために、「オーシャンズ」を観に行った。<br/>
<br/>
僕としては昔から好きだったセンダック原作の絵本「かいじゅうたちのいるところ」か<br/>
ルイス・キャロルのファンとして「アリス」を観たかったのだが、<br/>
怖いという理由で子供から却下された。<br/>
<br/>
練馬サティは子供が多くて助かった。<br/>
館内は上映中ずっと子供たちの解説が響いていた。<br/>
うちの子供も負けじと<br/>
「シロナガスクジラはなんでオキアミを食べるの？」とか<br/>
「なんでジュゴンは白いの？」とか<br/>
答えられない質問を始終発信していた。<br/>
1時間経過、ポッポコーン（子供がこういう）のおかげか、珍しく機嫌よく鑑賞している。<br/>
と思ったのだけど、突然、暴力的に人間にヒレを切り刻まれたサメが<br/>
海に沈んでいくシーンに子供が立腹<br/>
外にでると言い出した。<br/>
説得を続けたが、じいさんの「なぜ、動物達は絶滅したんだろう」という<br/>
押し付けがましいお説教がはじまり<br/>
あえなく退場。<br/>
<br/>
しかし、僕だって立腹している。<br/>
なぜ、サメを切り刻んでいたのはアジア人なんだ。<br/>
真実かもしれないが<br/>
「なぜ、動物達は絶滅したんだろう」という<br/>
流れで「絶滅させたのはこの人たち」みたいにみえるでしょう。<br/>
より多くの種を絶滅させてきたのは西洋文化に他ならないのに。<br/>
<br/>
というか、何故、美しい自然描写にとどめなかったんだよぉ。<br/>
なんで、なにかいいたがるんだよぉ。<br/>
<br/>
このところの捕鯨問題で僕は過敏になっているのかもしれないが<br/>
エコも宗教的な動物愛護も糞くらえだ。<br/>
なんというかアース的な何がしにはもう辟易している。<br/>
そういうものの全てが欺瞞に満ちている。<br/>
エコとかいい加減にしてくれまへんかねぇ<br/>
やってることが全然、エコじゃねえじゃん<br/>
なにがエコポイントだ、冷蔵庫もテレビも<br/>
でっかいのに買い換えさせてどこがエコなんだ？<br/>
その方がおいおいエコだっていっても<br/>
企業は新製品は出し続けるんでしょうがに。<br/>
政府が後押しすることじゃないでしょうよ。<br/>
<br/>
なに政治もエコ効果に乗っかってるの？<br/>
確かに自然は大切だし、守っていかないといけないのは<br/>
子供を持つとしみじみ感じられるようになったけれども。<br/>
「温暖化」だってそれにまつわるの報道の<br/>
半分は欺瞞だってことは<br/>
冷静にネットで事実を集めれば誰だってわかる。<br/>
さすがにテレビではやらないけどねぇ。<br/>
温暖化を否定されて一番困るのは企業ですからねぇ。<br/>
「ゴミ分別」や「省エネ」も胡散臭い。<br/>
不安感を煽ることで得する人たちがいるということね。<br/>
宗教みたい。<br/>
やるべきこともあるのだろうが妄信するのが怖い。<br/>
事実を拾い集めて見えてくるものがある。<br/>
それは今更、ここで僕が言うようなことではないので<br/>
その件に関しては沈黙。<br/>
<br/>
しかし、日本人は従順ですね。<br/>
エコエコ騒ぐ日本人をみて<br/>
海外との温度差に驚きました。<br/>
今はどうなんだろう？今はエコ流行してるかな？<br/>
メディアがあっち向けっていえばあっち向くし<br/>
こっち向けっていえばこっち。<br/>
僕が怖いのは「オーシャンズ」を観て<br/>
日本人が総意で「鯨殺しちゃダメ」ってなること。<br/>
でもね、殺してないの、食べてるの。<br/>
殺すのと食べるのは違うよ。<br/>
残さないで食べるなら命は頂いてもよいという理屈。<br/>
戦争もそうすればいいのに。（ジョーク）<br/>
サメのヒレだけを切り刻んで生きたまま捨てる映像は<br/>
とてもショッキングだったけど<br/>
日本人は鯨を残したりはしない。<br/>
サメだって、ちゃんとカマボコにしてる。<br/>
<br/>
問題は、オーシャンズのスタッフが<br/>
あの問題のシーンを撮るのに<br/>
あそこに立ち会ったということ。<br/>
でも、あの漁のシーンは真実だろうか？<br/>
あのようなことが行われているのは確かだろう。<br/>
しかし、映画では、イルカも鯨も、網にかかった<br/>
生物は全部虐殺していた。<br/>
あれは演出として作れれらたシーンではないだろうか。<br/>
そこが問題。<br/>
あの映画のスタッフはあれらのいきものたちを殺したのと同義でしょ？<br/>
とにかく、あのシーンは悪意をもって創られたといいたい。<br/>
心地よい映像のあとに、胸糞悪い暴力をみせたかったのだ。<br/>
あの映画はそういう映画だったのだ。<br/>
観た人になにかひとつの答えを植え付けたかった。<br/>
ただ、それだけのこと。<br/>
<br/>
<br/>
僕にとっての最大悪は殺すことではなくて<br/>
残すこと。<br/>
そう、偏っている。<br/>
食べ物で遊ぶことが一番嫌い。<br/>
子供を滅多に叱らないけど<br/>
食事中にふざけているとひっぱたく。<br/>
遊び食べは許さない。<br/>
真剣に命がけで食べない奴は許さない。<br/>
「食べないと食べられる」これが真実。<br/>
それが弱肉強食の意味でしょ？違う？<br/>
<br/>
その中で滅びるものは滅びたらいい。<br/>
滅びるものを必要以上に守ることなんかない。<br/>
人が種を絶滅させるだけではなく種は滅びる。<br/>
それは仕方ない。<br/>
<br/>
自分が食べる以上に囲い込むから歪みや破壊が起きているだけなのにね。<br/>
良し悪しは別として、それはとてもシンプルなこと。<br/>
それを推し進める企業だの政治がエコを本当の意味を歪めて悪用するのが許せない。<br/>
エコの本当の意味は、日本の「もったいない」が一番近い。<br/>
<br/>
まだ、使える電化製品、買い換えるのはモッタイナイですよ。<br/>
<br/>
食べられるサメをヒレ以外すてるのは<br/>
もったいない！<br/>
あのスタッフ、殺した生物全部食べたんだろうなぁ～（怒）<br/>
<br/>
以上、オーシャンズの感想でした！<br/>

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