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    <title>Thinking quietly about people's rights</title>  
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    <description>Let's think about day-to-day topics.</description>  
    <dc:language>ja</dc:language>  
    <dc:creator>foresight1974</dc:creator>  
    <dc:rights>Copyright 2012</dc:rights>  
    <pubDate>Sun, 26 Feb 2012 18:00:10 +0900</pubDate>  
    <dc:date>2012-02-26T18:00:10+09:00</dc:date>  
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      <title>Thinking quietly about people's rights</title>  
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      <description>Let's think about day-to-day topics.</description> 
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    <item> 
      <title>表現の自由に対する橋下徹の「一知半解」</title>  
      <link>http://foresight.exblog.jp/17870775/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
民主主義社会の成熟度はどこで測られるべきか？<br/>
私は、価値観の異なる意見がどれだけ許容されているか？に尽きると思う。<br/>
それはただたんに１つの意見として存在しているだけではない。<br/>
「そのような意見がどうして存在するのか？」ということを、<br/>
相手に考えさせる機会、そして義務を負わせることも含まれる。<br/><br/>そうした点において、日の丸・君が代を学校の卒業式・入学式で掲揚・斉唱するかどうかについての論争は、興味深い指標としてみられると思う。<br/>
<br/>
その議論の「分かりやすさ」という点においてだけではない。<br/>
「長年にわたって議論が戦わされてきた」という点においても、貴重な思索の材料を提供してくれているように思う。<br/>
<br/>
さて、大阪では昨年６月、教職員に君が代起立斉唱を義務づける君が代起立条例が施行されていたが、今年の卒業式で起立しなかった教職員が8名いたとのことであり、大阪府教育委員会は懲戒処分を科す方針とのことである。（2012年2月24日毎日新聞より）<br/>
<br/>
これに対し、条例制定時の大阪府知事であった橋下徹がツイッターで激昂の発言を繰り返している。<br/>
「バカ教員の思想良心の自由より、子供たちへの祝福の方が大事だろ！」<br/>
「国旗、国歌が嫌なら、日本の公務員を辞めろって言うんだ。」<br/>
「一部トンチンカン職員がいることで、組織全体の信用が失墜する。一生懸命頑張っている公務員にとって迷惑なんだよ。分かってるのかね、不起立教員！」<br/>
とまあ、幼稚園児のようなわめきようである。<br/>
<br/>
だが、注意しなければならないのは、橋下はいわゆるウヨクとは違う政治的傾向を持った人物であるということだ。<br/>
憲法９条の改正を主張する一方で、犯罪者の実名報道に反対、原子力発電所の再稼動に反対といった主張には、彼がいわゆる「ウヨクのワンセット」に収まらない、無定形な思想的傾向を持っていることがうかがえる。<br/>
日の丸・君が代の問題について、日の丸掲揚に反対・君が代斉唱時の不起立への教員への罵倒を繰り返す一方で、一般の国民についてはそうした行動をとる自由があるとも述べている。<br/>
<br/>
が、その無定形ぶりは、この問題の微妙さ、本質の根深さ、尊重されるべき価値観についての深い考察や定見を欠いた主張にあらわれているように思う。<br/>
ツイッターで<br/>
<br/>
日本国の公務員なら、君が代に敬意を払え。敬意とは起立して歌うこと。これが社会の常識であり、国民大多数の普通の感覚。せめて、子どもたちの晴れ舞台は、厳粛なムードで祝福してあげろ。それが嫌なら、日本国の公務員を辞めて、自分の主張を通せる仕事をしろ！身分保障に甘えるな！(橋下徹ツイッターより）<br/>
<br/>
という発言には、表現の自由に関する彼の「一知半解」ぶりが透けて見える。<br/>
<br/>
公務員・普通の感覚・社会の常識・・・。<br/>
それらを自分が市長に選ばれたことのみを持って代弁できるという、<br/>
恐るべき傲慢さ。<br/>
<br/>
その「当然」という考えについて、不起立という行動で疑問を投げかけることすら許さないということが、表現の自由を保障するべき社会に、どれだけ深刻な打撃となるか。<br/>
そのことへの想像力が欠如しているのである。<br/>
<br/>
公務員は全体の奉仕者であって政治的な中立性が求められることは、基本的には正しい考え方だが、<br/>
彼らは政治家の奴隷ではない。<br/>
政治家に雇われているのではなく、国民・市民に雇われているのである。<br/>
その彼らが、命令に反して、<br/>
厳粛な卒業式というものが正しいのか？<br/>
と職務をかけて疑問を投げかけているわけではある。<br/>
<br/>
今年も命令に反して不起立に及んだ教員が出る、ということは、<br/>
議論はやはり決着しないのである。<br/>
<br/>
決着しない社会が健全なのか、<br/>
強制の下で決着させ、どこかの全体主義国家のような卒業式が執り行われることが健全な社会なのか、<br/>
もう一歩、深く考えるべきではないだろうか。
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>表現の自由への長い道距</dc:subject>  
      <dc:creator>foresight1974</dc:creator>  
      <pubDate>Sun, 26 Feb 2012 16:44:56 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2012-02-26T16:44:56+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>ポピュリズムとの対峙</title>  
      <link>http://foresight.exblog.jp/17704793/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
「維新の会」幹部の「衆院200議席目標」 国政進出どこまでやる気なのか <br/>
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120125-00000003-jct-soci<br/>
<br/>
橋下徹、石原慎太郎らが新党結成を目指しているそうである。<br/>
<br/>
<br/><br/>これらの人物に共通するのは、地道な地方自治にはほとんど関心がなく、メディアに出たがり、建設的な提言はほとんどなく、既存の政治勢力を攻撃することに終始しているだけ、ということである。要はプロの政治家としての実績にほとんどみるべきものがないのである。<br/>
そして、とりわけ気になるのは、異なる価値観への敬意が驚くほど欠如していることである。特に、こうした傾向は日の丸・君が代に関する問題などで顕著である。彼ら自分自身については、あきれるほどの自由を大盤振舞いしているにも関わらずに、だ。<br/>
要は、彼らの政治的本質は、究極的なご都合主義者以外の何者でもない。<br/>
<br/>
それでも選挙に勝てるのは、単に有権者が異なる価値基準で投票しているからにすぎない。<br/>
<br/>
また、気になるのは、橋下の場合、既存のメディアが左右問わずあれほど広汎な批判キャンペーンが繰り広げられたにも関わらず、橋下が圧勝したという事実である。このことは表現の自由を考えるうえで軽視出来ない事実である。<br/>
<br/>
今、衆議院の選挙制度改革が議論されているが、どのような制度であろうと、有権者が理性をもって審判をくだすことが出来なければ自由な社会は簡単に崩れ去るのである。
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>サイレント政治・社会評論</dc:subject>  
      <dc:creator>foresight1974</dc:creator>  
      <pubDate>Sun, 29 Jan 2012 15:39:07 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2012-01-29T15:39:07+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item>
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      <description><![CDATA[<table cellspacing="0" cellpadding="0"><tbody><tr><td align="left" valign="center"><a href="http://rss.rssad.jp/rss/ad/0SgdUCQeQhbg/soyvtgDqFxDX?type=2" target="_blank"><img alt="" style="border: 0;" border="0" src="http://rss.rssad.jp/rss/img/0SgdUCQeQhbg/soyvtgDqFxDX?type=3&ent=b3cc689647d7f4595da87c6d13d6cdfa"/></a></td></tr><tr><td align="left" valign="top" > 秘密の婚活はじめる？今すぐ【結婚力診断】にトライ！理想の相手を無料診断♪ </td></tr></tbody></table><div style="font-size:10px;"><span style="padding-top:5px;"><br style="display:none"/><a href="http://www.rssad.jp/trendmatch/trendmatch.html">Ads by Trend Match</a></span><br/></div>]]></description>
      <pubDate>Sun, 29 Jan 2012 15:39:07 +0900</pubDate>
    </item>
    <item> 
      <title>自由な社会の試練</title>  
      <link>http://foresight.exblog.jp/13982877/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://foresight.exblog.jp/13982877/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
（同時多発テロの現場近くに―と、いっても2ブロック離れていて今まで問題にされていなかったが―モスクを建設しないことは）「思いやり」という主張の本質がイスラム教への偏見という理不尽なものであることを理解すれば、現行の予定地にモスクを建てていけない理由はない。あの場所で以前から祈りを続けているイスラム教徒らに対して、自分たちの本能的な嫌悪感を鎮めるために生活を変えるよう求めるのは間違っている。私たちは嫌悪感を乗り越えることができるし、乗り越えるべきだ。<br/>
（ウィリアム・サレタン「モスク建設反対論の薄っぺらな本音」　ニューズウィーク日本版オフィシャルサイト２０１０年８月２４日）<br/><br/>ＮＹの９１１テロ現場“近く”でのモスク建設問題は、コーランを焼こうと呼びかけた愚劣な人物によってセンセーショナルな展開となってしまったが、それでもこのような小人が役に立つこともあるもので、このような発言がおおっぴらに許されてしまうアメリカ社会の歪んだ偏見を炙り出した、という功績は認めなければならないだろう。<br/>
<br/>
以前、オクラホマで狂信的なキリスト教徒によって連邦政府ビルが爆破され、２００名もの人命が失われたとき、現場近くに教会を建てるのは「思いやりに欠ける」などとは聞いたことがない。<br/>
が、９１１が狂信的なイスラム教徒によって引き起こされたとき（ちなみに、このように犯人を公式に断定しているのは世界広しといえど、アメリカ政府だけである。）、現場近くにモスクを建てるのは「思いやりに欠ける」と批判される社会なのである。<br/>
それも世論調査によれば、７０％もの人々が支持しているのである。<br/>
アメリカの正義感は深刻な危機に直面している。<br/>
<br/>
救われる思いがするのは、こうした偏見に立ち向かう人々が少なからず存在することだ。<br/>
報道によれば、９１１当日、モスク建設に賛成する人々が現場近くで集会を開き、中にはテロ事件の犠牲者の遺族もいたという。<br/>
このような人々の声を目に出来る限り、まだアメリカの多様性と自由社会にまだ希望は残されていると思う。<br/>
<br/>
そして、これが日本のような同調圧力がケタ違いに強い社会だったらと思うとぞっとする。<br/>
おそらく、反対の姿勢を公に鮮明にして、自らの社会的リスクを負って立ち向かう人々はずっと少なかったであろうし、ゼロだったとしても不思議ではないからだ。<br/>
この国には試練を受け止める覚悟が足りないのである。
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>サイレント政治・社会評論</dc:subject>  
      <dc:creator>foresight1974</dc:creator>  
      <pubDate>Sun, 12 Sep 2010 9:19:25 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2010-09-12T09:19:25+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>戦後６５年目のプロパガンダ</title>  
      <link>http://foresight.exblog.jp/13772395/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://foresight.exblog.jp/13772395/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
「大東亜戦争」下の総動員態勢がひきおこした、クダラナイこと、知っていても役に立たないこと、人類の運命にとってはどうでもよいことを厳選して収集しました。なにとぞご笑覧のほど、よろしくお願い申し上げます。<br/>
（虚構の皇国blogより）<br/><br/>著者には申し訳ないが、「神国日本のトンデモ決戦生活―広告チラシや雑誌は戦争にどれだけ奉仕したか」という本を、大きな本屋でちょっと立ち読みした。<br/>
近現代の歴史書コーナーに埋もれていたのだが、草思社やPHP系の「日本の誇り」的勇ましい書籍にまぎれ込ませてあるのは、書店員氏一流の諧謔なのであろう。ニヤニヤ楽しませてもらった。<br/>
上記の文章は、著者の早川タダノリが自身のブログに掲載していた、本書刊行にあたっての一文である。<br/>
が、著者の本音は、おそらく本書のあとがきにあるのだろう。<br/>
戦後６５年になっても、自国の加害責任に真摯に向き合うことなく、安易な戦争擁護論が蔓延する社会風潮に、厳しい警告を発しているのである。<br/>
<br/>
この本を読んで、私は塩野七生のコラム集「サイレント・マイノリティ」の一節を思い出した。<br/>
全体主義について、塩野は次のように述べている。<br/>
<br/>
「（私が全体主義を嫌うのは）馬鹿げていてこっけいで、やりきれない気分にされるからである。<br/>
<br/>
　私はこの人と政治上の意見を同じくしないが、イタリアの小説家モラヴィアがこう書いていたときには、心から同感だった。<br/>
<br/>
　彼がデビューしたての頃は、イタリアはファシズム政体下で、小説といえども、公的機関による検閲を受けねばならなかった。文部省内のその方面の委員会は、幾人かの外部から選抜された、いわゆる忠誠なるファシストで構成されている。モラヴィアの作品は、彼らのまないたにのるたびに、あらゆる「欠陥」を指摘されたあげく、つっかえされるのが常であった。<br/>
<br/>
　モラヴィアはいう。自分の作品が、芸術的に下手である、といわれるのならわかる。それも、検閲する人々に、そういう方面をわかる感覚の持主がいて、その人たちによって自分の作品が反対されるのならば、まだ我慢ができる。ところがそうではない。委員たちのほとんどは、文学的才能もないくせに文学をこころざしたことのある人であり、しかも、その世界では成功できなくて、現在は中学の教師でもしている人々なのだ。彼らが、自分の作品にケチをつけてくる。彼らの月並みな頭で判断して、ケチをつけてくる。これにはなんとしても我慢がならなかったのだそうだ。<br/>
<br/>
　まあ、全体主義とは、右のファシズムにかぎらず左でも、このようなものである。諸事全般にわたって、このようなものである。私も、悪人であっても能力のある者に支配されるのならば我慢もするが、善人であっても、アホに支配されるのは、考えるだけでも肌にあわが立つ。」<br/>
<br/>
が、これは全体主義の本質について半分しか述べていない。<br/>
ここで最大に問題にすべきなのは、「考えるだけでも肌にあわが立つ。」ことが何らの批判にもさらされず、そして、それに逆らえないことなのである。<br/>
全体主義では「個人は全体を構成する部分であるとし、個人の一切の活動は、全体の成長・発展のために行われなければならない」（三省堂）とされる。そこには、批判の自由の余地はない。<br/>
<br/>
「神国日本のトンデモ決戦生活」は、ただただ、笑うために広告チラシや雑誌が集められている。<br/>
無論、笑えるだけ笑えばいい、そんな本である。<br/>
<br/>
ただ、当時は笑える自由すらなく、やりきれない気持ちをぶつける場すらない社会だった、ということに思いが至り、これだけ情報が自由に手に入る今ですら、「トンデモ決戦生活」と大差ない言説を垂れ流す人々が数多く存在するという現実に直面すると、気持ちが重くなる。<br/>
そんな見方も出来る本だとも思うのである。<br/>
<br/>
本書を読んで、自分がいわゆる「トンデモ決戦生活」を笑い飛ばせる社会に生きている幸運に感謝するとともに、この曲々しい自由社会のささやかな守り手として何かしらの行動の範を示し続けていきたいと思った次第である。<br/>
<br/>
日本社会は、戦後６５年目のプロパガンダを克服できるのだろうか？
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>9条問題</dc:subject>  
      <dc:creator>foresight1974</dc:creator>  
      <pubDate>Sun, 15 Aug 2010 15:28:57 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2010-08-15T15:28:57+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>foresightの憲法哲学（２９）「絶対的平和主義というリアリズム（３）」</title>  
      <link>http://foresight.exblog.jp/13060405/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
　絶対的平和主義が成立する前提を考えると、一般にはいわゆるユートピア的な状況が想定されがちだ。軍事力の強い国が弱い国を踏みにじってきた歴史が過去に数多く存在することを考えると、そうした想定をすることは自然ではある。<br/>
　が、ここで考えたいのは絶対的平和主義が成立「しうる」前提である、ということである。絶対的平和主義も抑止力による平和主義も、最終的には民意に委ねられた政治家の意思によって決定される。その意思決定が可能な範囲がどの程度存在するかを明らかにするのが本稿の任務である。<br/>
　絶対的平和主義は、軍事力による防衛という手段を放棄する政策である以上、その政策決定が可能であるには、常に周辺国との間で１つの共通認識が必要である。それは、軍事的攻撃の誘惑より平和を維持する魅力が常に勝っていなければならない、ということである。それはいったいどのような前提があれば可能だろうか？<br/><br/>　それは、<br/>
　（１）周辺国との協調による持続可能な国家発展<br/>
　（２）自らが攻撃を受けない限り、決して攻撃しないという共通合意<br/>
　（３）上記２点の政策を維持し続けることが、自国にとって有利であるというインセンティブが原理的に働くことである。<br/>
　<br/>
　（１）は、経済政策の観点からの前提である。<br/>
　貿易によって自国の富が拡大し、かつ、その富が特定国に偏在することなく、自国の統治を満足するレベルで拡大し続けることである。一般には自国の適切な経済政策によって可能となるが、例えば昨今の金融危機のような状況にあって、周辺国と強調した金融政策を実施した方が、経済の崩壊を防止するセーフティネットとしては適切であることは、ほぼ全ての国家指導者の共通認識であろうと思われる。<br/>
<br/>
　（２）は、安全保障政策の観点からの前提である。<br/>
　興味深い実例を１つ紹介しておこう。第一次世界大戦のイギリス軍の報告書に存在することだが、塹壕戦が延々と続いた西部戦線において、ドイツ軍兵士が無警戒にも塹壕を出てイギリス軍陣地からの射程内を散歩していたにも関わらず、イギリス軍から全く攻撃をかけなかった、ということがしばしば起きたのである。徴兵による総力戦で戦われた塹壕戦は、その当時の一般兵士にとってはいわば「際限のない地獄」である。そうした状況にあって、自ら死のリスクを冒すことなく、かつ、相手に服従することなく安全を確保するには、上記（２）に述べたような考えで戦場に臨むことが、一般兵士にとっては最も合理的な選択肢である、ということなのである。これは、経済学の教科書にも取り上げられていることだ。<br/>
　さて、軍事的なこう着状態が長く続き、平和による富の拡大が続くと、国内には、この状態を維持した方が、軍事力による平和より有利であるという考えを持つ者、その方が自分にとって有利な国民・利害関係者が増え続けることになる。その結果として、「軍事力そのものを放棄しても問題はないのではないか？」という考えも当然に出てくることになる。これは、第二次世界大戦後のヨーロッパにおいて、EECからEC、そして現在のEUに至る統合過程においてみられた現象である。<br/>
<br/>
　（３）の「原理的」というのは、上記２点が、国際的な合意として確立され、安定して運用されているということである。当然のことながら、上記２点の政策が一人の政治家や一国の国家政策のみで遂行されたとしても絶対的平和主義が現実化することはない。各国においていかなる政策担当者からみても、確立された国際的な合意事項を遵守した方が自国に有利であるということが認識されなければならず、こうした事項が安定的な官僚機構の下で継続的に引き継がれていくことが重要なのである。<br/>
　とすると、こうした継続が可能となる合意事項というのは自ずと各国が「公平だ」と考える２つの基準に収斂していくことになる。それは、<br/>
　A.他国の自由を侵さない限り、自国の自由に政策を決定できる。<br/>
　B.他国との格差を生じさせる場合は、周辺国を含めた共通の利益を生むためでなければならない。<br/>
　ということだ。これらは、WTOなど国際的に共通する経済政策に共通して見られる現象である。<br/>
<br/>
　以上、３つの前提が成立して、絶対的平和主義ははじめて可能となると私が考える。<br/>
　ここで重要だと思うことを１つ述べておきたい。それは、こうした前提は、周辺国がいかなる政治体制（つまり、世界で最も最悪の独裁体制である北朝鮮であっても）であっても、「常に成立しうる前提」であるということである。なぜなら、以上に挙げた３つの前提は、いかなる統治体制のいかなる政治指導者であっても、安定した官僚機構さえあれば合理的に選択しうるからである。<br/>
　無論、全ての政治家に常に合理的な期待するほど甘い話にはならない。だが、何らかの形で平和が長期的に継続されてくると、こうした前提に収斂していくのは可能であろう。<br/>
　ということは、一般に考えられているよりも、絶対的平和主義が成立しうる政治状況の範囲が意外と広いということが分かるだろう。<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>憲法哲学</dc:subject>  
      <dc:creator>foresight1974</dc:creator>  
      <pubDate>Sun, 28 Mar 2010 9:57:49 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2010-03-28T09:57:49+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>「高遠菜穂子」という名前を忘れかけている国の教訓</title>  
      <link>http://foresight.exblog.jp/12934584/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://foresight.exblog.jp/12934584/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
　【バグダッド＝岩田智雄】イラクの首都バグダッドで、米軍の掃討作戦や武装勢力のテロ攻撃の陰でイラク人社会からも国際社会からも見捨てられ、すさんだ暮らしに身を沈めている青少年たちがいる。彼らはサダム・フセイン政権の弾圧や度重なる戦争で家族を失い、廃虚となっている雑居ビルの地下室に集まってきた。そんな“ストリート・チルドレン”に、北海道千歳市出身の日本人女性、高遠菜穂子さん（三三）が単身、救いの手を差し伸べている。<br/>
（産経新聞／２００４年１月６日／北海道千歳市出身・高遠菜穂子さん（３３）・バグダッドで少年たちを単身救済・「医者でもない私ができることを」より）<br/><br/>　高遠菜穂子という女性の名前を何人の方が覚えているだろうか？<br/>
　イラクで子供たちの人道支援に活躍し、その後のいわゆる「イラク人質事件」で人生が暗転、帰国後に猛烈な社会的バッシングにさらされた女性だ。<br/>
　その様子は「バッシング」という題名で映画化されることになる。<br/>
　あるジャーナリストはその後、フランスの友人から「こんな映画はフランスで受けない」といわれたそうである。理由は「彼女や家族の主張は人間として当然の主張。フランスではバッシングされる理由が理解されない。」ということだった。<br/>
　<br/>
　ところで、上記の記事の出典を読んで驚いた方もいらっしゃるのではないか。<br/>
　これは、産経新聞に実際に掲載された高遠さんの活躍を紹介した記事である。<br/>
　だが、この新聞は後日、掌を返して彼女の活動をこう揶揄してみせたのである。<br/>
<br/>
　▼誤解を恐れずにいえば、“いわぬこっちゃない”とは、本来、人質になった三人 の日本人に対していわねばならぬ言葉だ。イラクでは日本人外交官も殺害されて治安悪化は深まっていた。外務省は再三、最高危険度の「退避勧告」を行ってきたのである。 <br/>
　▼三人のうち一人は週刊誌に写真や記事を売り込むフリーのジャーナリスト、もう一人もフリーライターの若者。女性だけはイラクの子供たちへのボランティア活動に従事していた。同情の余地はあるが、それでも無謀かつ軽率な行動といわざるをえない。<br/>
　（産経新聞／産経抄／２００４年４月１６日） <br/>
<br/>
　数多くの新聞報道に接して、これほど恥知らずな言論にもなかなかお目にかかれないものである。<br/>
<br/>
　彼女や彼女の家族の言動に際してあれだけ騒がれ、ネットで誹謗中傷の嵐が吹き荒れたにも関わらず、その後の彼女の人生を多くの人は知らないのではないだろうか？<br/>
　お恥ずかしいながら、私もその一人であった。<br/>
<br/>
　今日放送されたNHK「クローズアップ現代」にて、その後の彼女の活動が紹介されている。<br/>
　一時は自殺まで考えたが、その後多くの方々の心の支えもあって、今また、再びイラクの土を踏んで活動を続けていらっしゃるとのことである。元気な様子に、ホッとしたのと同時に、自分が彼女の名前を日々の生活に流されて忘れかけていることに、痛恨の思いがこみ上げてきた。<br/>
<br/>
　残念なことに今でも日本の外務省は退避勧告を取り下げてはいないが、このようなことは全く望んではいないが、再びイラク人質事件に彼女が巻き込まれたとき、果たして世論は６年前の教訓を思い出せるだろうか？<br/>
<br/>
　前のエントリーで取り上げた朝鮮高級学校への授業料助成問題を考えてみるに、残念ながら全く楽観できないのである。<br/>
<br/>
（文中敬称略）
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>サイレント政治・社会評論</dc:subject>  
      <dc:creator>foresight1974</dc:creator>  
      <pubDate>Thu, 4 Mar 2010 0:12:37 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2010-03-04T00:12:37+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>朝鮮高級学校無償化問題に見える危険な大衆迎合</title>  
      <link>http://foresight.exblog.jp/12932323/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。<br/>
我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。<br/>
ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。<br/>
（教育基本法／前文）<br/><br/>民主党議員は、教育基本法の前文を今一度読み返してもらいたい。<br/>
<br/>
昨年の政権交代以降、民主党にはがっかりさせられることの連続だが、朝鮮高級学校の無償化問題はその際たるものになりそうだ。<br/>
<br/>
高校無償化　「朝鮮学校は除外の方向」首相が示唆（朝日新聞／２０１０年２月２６日）<br/>
<br/>
　鳩山由紀夫首相は２５日、４月から実施予定の高校無償化で、中井洽拉致問題担当相が朝鮮学校を対象から外すよう求めていることについて、「ひとつの案だ。そういう方向性になりそうだと聞いている」と述べ、除外する方向で最終調整していることを明らかにした。国会内で記者団の質問に答えた。 <br/>
<br/>
　こんなニュースに接すると、「政権交代の意味は一体何だったのか！？」と問いかけたくもなる。これでは、自民党政権とやることが一緒ではないか？<br/>
<br/>
　正直、論証も反駁も馬鹿馬鹿しいくらいのレベルの話なので、一言で済ませておくと、「法の平等に反する差別だ」以上でも以下でもない。教育現場の現実を完全に無視している。<br/>
<br/>
　だが、それより問題なのは、「北朝鮮に関わるものならば何でも贋懲の対象にする」という、民主党内にも存在する危険な大衆迎合主義である。政治的マイノリティを抹殺することがどれだけ危険なことであるかということ対する鈍感さだ。<br/>
　２００７年の参議院選挙以降、こうした危険なナショナリズム・ポピュリズムに対する幻滅が広汎にみられるようになったが、その病根はまだ絶やされていないようである。<br/>
<br/>
　今後の見通しを考えるに、どうやら反対派の思惑通りにはいかないようである。<br/>
　高等学校の授業料実質無料化法案は、来年度（平成２２年度）予算執行に併せて成立する見通しだが、内容は授業料を国が助成することを概括的に記載するに止まる。いかなる学校に助成を行うかは文部科学省令に委任されるとされ、文部科学省は、高等学校の授業内容など客観的な基準によって定める方針で、結果的に朝鮮高級学校が含まれる可能性が高い。現在、ほとんどの国公立・私立大学では朝鮮高級学校の卒業資格のみをもって受験資格を認め、特に高卒認定試験を必要としていないことからも当然の措置といえよう。<br/>
<br/>
　最も成熟した民主主義国とは、社会で最も嫌われる立場の者にも、分け隔てない法の平等がもたらされる国のことである。<br/>
　朝鮮高級学校の無償化を否定することは、社会正義に反するというだけではなく、この国が民主主義国であることを自ら否定する愚行である。
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>サイレント政治・社会評論</dc:subject>  
      <dc:creator>foresight1974</dc:creator>  
      <pubDate>Wed, 3 Mar 2010 18:51:43 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2010-03-03T18:51:43+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>世論調査が教える「憲法9条の危機」</title>  
      <link>http://foresight.exblog.jp/10861749/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
　「神学論争はやめよう」という議論は、政府解釈を骨抜きにして解釈改憲をさらに進めることで、軍事法制の整備に関する支配層の「思惑」を実現する手法だといえる。（中略）妙なネーミングだが、「法解釈をする気のない解釈改憲論」と呼べるだろう。<br/>
　他方、解釈改憲最悪論は、神学論争をこれ以上続けるべきではないので、明文改憲をするべきと論ずる議論である。この意味で、神学論争批判と解釈改憲最悪論は「神学論争はやめよう」という主張を共有していながらも、その処方箋は一見、正反対である。前者は解釈改憲を提唱し、後者は明文改憲を提唱するのだから。<br/>
　しかし、すでに指摘したとおり、軍事大国化を熱望する人びとは、解釈改憲のさらなる濫用と明文改憲の実現という二兎を追っている。よって、現代改憲状況の下では、神学論争批判と解釈改憲最悪論は共犯関係にある。<br/>
　（愛敬浩二「改憲問題」ちくま新書）<br/><br/>例年、この時期になると、憲法改正に関する世論調査が発表されている。<br/>
近年の傾向としては、改憲が必要、又は賛成という意見が年々減少傾向にある、ということだが、今年はそれがより鮮明となった。<br/>
日本経済新聞が報じた憲法に関する世論調査では、「憲法改正が必要」という意見が50％を切った（４７％）となったのである。これまで、「憲法9条改正に賛成」という意見は少数でも「憲法改正は必要」という意見は多数を占めていたから、大きな変化といえる。<br/>
だが、これで9条護憲派にとって喜ばしいものとは決していえない。<br/>
なぜなら、この数年の間、改憲派にとっての政治的目標は、ほぼ達成しつくしたといえるからである。<br/>
<br/>
この数年、自衛隊は海外に当たり前のように出動している。<br/>
９０年代から段階的に進められたPKOだけではなく、2002年の同時多発テロ以降、インド洋への給油活動、イラクへの復興支援活動、そして海上警備行動を名目としたソマリア沖への海上自衛隊の派遣。<br/>
軍事大国化への自尊心を満足させつつ、泥沼の戦争と多数の犠牲者は出来るだけ避ける、という政治的「思惑」はこの仕組みの中でほぼ達成できるのである。<br/>
もちろん、憲法改正への賛成の減少は、賛成派への「幻滅」が広がったことも影響しているとは思われる。小泉純一郎、安倍晋三はそうした「幻滅」に大いに貢献してくれたので、この場を借りて礼の一つも言ってやりたいくらいである。<br/>
だが、他方麻生太郎は、集団的自衛権に関する憲法解釈の変更に執念を燃やしている。これも達成できれば、改憲派にとって憲法9条の骨抜きは完全に達成したことになるだろう。ことここまで至れば、何も明文改憲して事を荒立ていることはない、と考える改憲派が出てきても決して不思議ではない。<br/>
前記の日経の世論調査は、この２つの性格を併せ持ったものといえよう。<br/>
<br/>
ネットの言論状況を瞥見する限り、まだこの国には自分たちの価値観を「問いなおす」状況には至っていない。「自分たちの限界」を見極め、冷静に平和を模索する時期に来てはいない。<br/>
アメリカの大統領が核兵器の使用についての「道義的責任」に触れるそばから、北朝鮮のロケットに反応して「日本も核武装を“議論”しよう」という政治家がいる国なのである。<br/>
そのくらい、社会も政治家も時代錯誤なことを考えているのである。<br/>
その自覚を促せるような発言を、今後も続けて行きたいと考える。
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>9条問題</dc:subject>  
      <dc:creator>foresight1974</dc:creator>  
      <pubDate>Sun, 3 May 2009 10:41:24 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2009-05-03T10:41:24+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>NHK・従軍慰安婦番組改ざん事件は終わっていない</title>  
      <link>http://foresight.exblog.jp/10810014/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
「自主自律の観点でＮＨＫに問題」　ＢＰＯ検証委が意見<br/>
<br/>
　従軍慰安婦問題を民間人が裁く民衆法廷を取り上げたＮＨＫ番組の改変問題で、ＮＨＫと民放でつくる第三者機関「放送倫理・番組向上機構」（ＢＰＯ）の放送倫理検証委員会（委員長・川端和治弁護士）は１０日、ＮＨＫが放送前に政治家に番組内容を説明した点などに「ＮＨＫの自主、自律の観点から問題があった」とする意見を出すことを決めた。意見書は今月中に出す予定。 <br/>
<br/>
　この「ＥＴＶ２００１　問われる戦時性暴力」をめぐっては、０１年１月の放送前に安倍晋三官房副長官（当時）と面会したＮＨＫ幹部がこの番組について説明したことが、東京高裁判決で認定されている。 <br/>
<br/>
　さらに、０５年当時のＮＨＫ放送総局長が「ＮＨＫ予算は国会承認を得るとした現行法の下で、国会議員に事業計画や個別の番組について正確に理解してもらう必要がある。事前説明は当然」と記者会見で発言。ＮＨＫ会長が「当然ではない。好ましくない」と後に修正したこともある。 <br/>
<br/>
　ＢＰＯの検証委は、こうした事実をもとに議論。ＮＨＫの姿勢が、放送の不偏不党や自律を定めた放送法などに照らして、問題だったと判断したとみられる。 <br/>
<br/>
　ＢＰＯは取材・制作のあり方や番組内容の問題点を審議し必要に応じて意見を出すが、意見に強制力はない。 <br/><br/>安倍、町村氏らがＮＨＫ番組を批判「偏っている」<br/>
<br/>
　自民党町村派の２３日の総会で、５日放送のＮＨＫ番組（ＮＨＫスペシャル　シリーズ・ＪＡＰＡＮデビュー　第１回『アジアの“一等国”』）について、批判が相次いだ。<br/>
<br/>
　番組は日本の台湾統治を取り上げたが、稲田朋美衆院議員は「台湾は李登輝元総統など親日家が多いのに番組は反日の部分だけを偏向して報じた」と批判。町村信孝前官房長官も「番組をみたが率直に言って首をかしげた」と同調した。安倍晋三元首相は「週刊新潮も取り上げたが、番組はひどすぎる。関心を持ってこのシリーズを見てほしい」と呼びかけた。<br/>
<br/>
　中山成彬（なりあき）元文部科学相も記者団に、自らが会長を務める議連「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」としてＮＨＫへ公開質問状を出す意向を示した。<br/>
<br/>
　この２つの記事が示しているのは、あの時、いい加減に決着した番組改ざん事件は、真の意味でまだ決着していないという、重い現実である。<br/>
<br/>
　当時のNHKの現場制作に携わり、政治家とNHK上層部の番組介入を告発した関係者は、すでにNHKを去っている。残された人々の責任は重い。
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>表現の自由への長い道距</dc:subject>  
      <dc:creator>foresight1974</dc:creator>  
      <pubDate>Mon, 27 Apr 2009 0:00:40 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2009-04-27T00:00:40+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>BS-i「報道の魂／ある名誉毀損判決の波紋」（続・対話の回路が脅かされる時代に）</title>  
      <link>http://foresight.exblog.jp/10214823/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
　言論による侵害に対しては，言論で対抗するというのが表現の自由（憲法２１条１項）の基本原理であるから，被害者が，加害者に対し，十分な反論を行い，それが功を奏した場合は，被害者の社会的評価は低下していないと評価することが可能であるから，このような場合にも，一部の表現を殊更取り出して表現者に対し不法行為責任を認めることは，表現の自由を萎縮させるおそれがあり，相当とはいえない。<br/>
（ニフティ「本と雑誌のフォーラム」事件・東京地裁判決平成１３年８月２７日）<br/>
<br/>
　自らの意思で社会に向かって発言する者は，当然，自己の発言・主張が反対の立場の者から批判され，反論されることを覚悟しなければならない。名誉毀損となる人格攻撃がされたとしても，批判や反論は，論争点に関連している限り，許容される。節度を越えたかどうかは，論争の聴衆によって判断され，論争の場に自ら身を置いた以上，批判には対抗言論で答えるべきであり，公権力を借りて批判を封じるようなことは，よほどのことがない限り許されない。<br/>
（ニフティサーブ「現代思想」フォーラム事件・東京高裁平成１３年９月５日）<br/><br/>　今回冒頭にご紹介した２つの判例は、いずれもインターネット黎明期に出された、表現の自由に関する重要な判例であり、一般に「対抗言論の法理」と呼ばれる。<br/>
　言論に対しては言論で応じるべき、という民主社会では当然の考え方を述べたものであるが、昨年、これを骨抜きにしかねない判決が、同じ東京地裁において下された。<br/>
<br/>
「コメント掲載で１００万円賠償  オリコン名誉棄損判決」（２００８年４月２２日・共同通信より）<br/>
　音楽市場調査会社「オリコン」が、同社の音楽ヒットチャートの信用を損なうコメントを月刊誌でしたとして、ジャーナリストの烏賀陽弘道さんに５０００万円の賠償などを求めた訴訟の判決で、東京地裁は２２日、１００万円の支払いを命じた。　<br/>
<br/>
　この訴訟は現在は東京高裁にて係争中である。<br/>
　これをTBS「報道の魂」は、２１世紀においてもなお「昭和のテレビジャーナリズム」が息づく、良質の調査報道番組だ。（BS-iで本日、再放送された。）<br/>
<br/>
　この訴訟には、いくつもの不審な点がある。<br/>
　まず、同番組でも取り上げているが、言論には言論で対抗することなく、公権力を利用して封じ込めようとする形態の訴訟を米国では「SLAPP（嫌がらせ訴訟）」と呼び、２５の州では違法とされている。<br/>
　日本ではこうした法理を援用した学説はあるものの、裁判所ではこうした訴訟を違法とはしていない。（ただし、武富士事件のように「嫌がらせ訴訟」の概念を事実認定で認めた判例は存在する。）<br/>
　そればかりか、オリコン側の請求を認めることで、逆にこうした訴訟の「合法性」を追認してしまった。<br/>
<br/>
　次に、執筆者や編集責任者は訴えず、雑誌の取材先となったジャーナリストだけを訴えた点。ニュースソースを保護することは、自由な報道を認める大前提であり、表現の自由の重要な要素として保護されているが、東京地裁の判決は、この大前提を踏みにじるものである。<br/>
　番組内にて、イギリスの記者がこの裁判にいかに「呆れ返ったか」が話題にされていたが、そのくらい、今回の判決は報道の常識からズレているのである。<br/>
<br/>
　まだある。<br/>
　同番組を視聴して初めて知ったのであるが、東京地裁は烏賀陽氏の証人申請をことごとく却下しているのだが、その際に「本件は外形的事実のみで判断できる」という重要な示唆を行っているのである。つまり、本件で争点となった記事のみで判決を下せるというのだが、耳を疑う傲慢な訴訟指揮である。<br/>
　かねて、報道の自由に関する判例が考えているポイントは、比較衡量を前提としつつも、その表現行為が表現の自由に基づくものであり、そこに「相当の理由（根拠）」があるかどうかを主要な争点としてきた。<br/>
　被告側の証人申請を一方的に却下し、記事に掲載された外形的事実のみで判決を下すことは、言語道断であるばかりか、端的に言って判例違反であろう。<br/>
　このような判決を、控訴審（東京高裁）がストレートに是認するとは到底思えないが（事実、審理は一回で結審されず、続行されたようである。）、企業が報道機関ではなく、ニュースソースを訴えるという異常な構図に、裁判所がどのような判断をくだすのだろうか。<br/>
　表現の自由が狭められ、賠償が高額化するという最近の判例の流れを見ると、危機感を強く抱かざるを得ない。<br/>
<br/>
　おことわりしておくが、私は別に、「サイゾー」その他の報道媒体で発言された烏賀陽氏の発言について、何らの知識を持ち合わせてはいない。<br/>
　しかしながら、こうした発言に対して、言論で対抗することなく、公権力を利用して封じ込めにかかることが、自由な言論社会にいかに大きな脅威となるか、そのことを指摘したいのである。<br/>
<br/>
＊追記<br/>
　この話題にかこつけたわけではないが、この判決を読んで一人でも多くの方が「やっぱ、裁判官だけに裁判まかせちゃマズイでしょ」と思っていただきたいものです。笑<br/>
　私は裁判員制度に賛成なわけではなく、逆に多くの欠陥を指摘しうるのだが、安っぽい反対論者が言うような、「裁判はプロに任せておけ」的な短絡的反対論にはどうしてもうなづきかねるだけです。
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>表現の自由への長い道距</dc:subject>  
      <dc:creator>foresight1974</dc:creator>  
      <pubDate>Sun, 18 Jan 2009 23:04:19 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2009-01-18T23:04:19+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>年頭所感「対話の回路が脅かされる時代に」</title>  
      <link>http://foresight.exblog.jp/10135253/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
　首都から北西４００キロ、チグリス川のほとりに広がる北部最大の都市モスル。様々な宗派や民族が幾世紀も共存してきたが、いま非イスラム教徒の少数派の脱出が続く。 <br/>
<br/>
　古くから伝わる少数宗派ヤジディの信者、主婦バラン・ハルフさん（５８）はモスルから２５キロ離れたシェハーンという町に移り住んで２年近くがたつ。息子の工場が襲われ、信仰を同じくする従業員２４人が殺されたからだ。 <br/>
<br/>
　「早く逃げろ、と隣人が車を出してくれた。死んだ夫の写真すら持ち出せなかった」。１１人の子供を連れ、３２年住み慣れた町を出た。以来モスルには戻っていない。 <br/>
<br/>
　昨年１０月にはキリスト教徒の暗殺事件も起き、３週間でキリスト教徒１万３千人が逃げ出した。民主主義の物差しとされる少数者の権利が守られない状況が広がっている。 <br/>
<br/>
（朝日新聞2009年1月3日「〈連載―世界変動〉民主化、米国の挫折」より）<br/><br/>　上記の記事は、今日の朝日新聞朝刊に載っていたものである。<br/>
　イラク戦争から６年。去りゆくジョージ・ブッシュ・Jrの強弁とは逆の真実、民主化にはまだまだ「遠い夜明け」のイラクの真実が描かれている。<br/>
<br/>
　そして、これは果たして遠い国の出来事であろうか？<br/>
　と私は考え込んでしまう。<br/>
<br/>
　無論、日本では少数派の宗教を信仰する者へ、このような暴力が振るわれるような国ではない。<br/>
　だが、暴力が振るわれないことと、安全であることは違う。日本国憲法の建前とはうらはらに、現実は決して言論の「安全」が保障されている国ではない。<br/>
　その1点において、イラクと日本がどれほど違うというのだろうか？<br/>
<br/>
　mixiで政治的言論を扱うコミュニティに参加して3年ほどになるが、痛感するのは、異なる見解に対して寛容さのない人がいかに多いか、ということだった。<br/>
　ないというだけではなく、おまけに暇ときたものだから、同じ仲間と独特の空間を形成し、反対の見解を持つ者から「何か一言」あろうものなら、ピラニアが群がるがごとく嘲笑のレスをつけ続け、容易に寄せ付けない空気を形成する。<br/>
　そんな空間を彼らは「自由」だと嘯く。<br/>
<br/>
　だが、それは真実の「自由」には程遠い。<br/>
　社会的影響力を持ち得ない、狭いコミュニティの中で、「気の合う」仲間達と群れているだけで、そうした儚い基盤のうえに築かれた居心地の良さを「安全」で「自由」だと錯覚しているに過ぎないのである。<br/>
　そして、そうしたコミュニティがお互いを脅かすことなく、それぞれ独立したコミュニティとして「住み分け」られている。<br/>
<br/>
　問題なのは、こうした状況がネット言論に限られたものではない、ということだ。<br/>
　週末の朝、テレビをつければ各局でその週のニュース評論や政治討論番組を流している。<br/>
　だが、こうした番組の「ファン」はご存知だろうが、ここ数年、各局の出演者はほとんど固定化されており、放送法が理念とするような、「多様な意見」を紹介するような構成にはなっていない。視聴者は、そのときどきで自分の気に入った番組をボタン一つでチョイスでき、不快な番組を見る必要はない。<br/>
　そうした視聴者の気持ちを「忖度」して、番組が作られていることは明白である。<br/>
<br/>
　こうした「内輪向け」のパワーは、あの田母神論文問題に典型的に表れた。<br/>
　田母神の論文の「程度の低さ」については、今さら改めてコメントする気にすらなれないが、更迭後、田母神を擁護する論壇誌の題名に、私は頭が真っ白になった。<br/>
<br/>
■中西輝政<br/>
田母神論文の歴史的意義<br/>
■渡部昇一<br/>
「村山談話」は「外務省談話」だ<br/>
■西村眞悟<br/>
「村山談話」こそ更迭せよ！<br/>
■荒木和博<br/>
「虚構の国防」で国が滅びる<br/>
■西尾幹二<br/>
何に怯えて「正論」を封じたのか<br/>
<br/>
　この何やら勇ましい題名の数々は、明らかに反対する立場の人々への挑戦でもなければ論駁でもない。自分たちを支持する「身内」へのアジテーションなのだ。その「中」に止まり続ける限り、彼らは自らの立場を脅かされるリスクを冒すことはない。「70年代の左翼運動の失敗を「右」で再現しているだけ」「無能な味方は有能な敵より危険だ」というような忠告が彼らに届くことは、おそらくあるまい。<br/>
　そして、こうした言説を再生産し続けることによって、彼らは自らの政治的立場への偏向を強め続けることになるだろう。それが正しいかどうかの検証を受けるかどうかは二の次の話だ。<br/>
<br/>
　これが、一部の変人評論家のレベルにとどまるのではなく、mixiのような一般市民が参加するレベルに至るまで、日本社会に幅広く見られる、言論の機能不全である。<br/>
　異なる価値観を持つ者同士が公正な方法で対話する機会を持たず、それぞれの「お気に入り」の中で偏向した見解を強めていく状況は、健全な民主主義社会ではないというどころか、極めて危険な状況である。<br/>
　こうした住み分けられたコミュニティが混ざり合うことなく分裂している社会は、権力を持つ側からすれば、世論操作の容易な社会に映るだろう。<br/>
<br/>
　日本国憲法が誕生して今年で６３年になる。薄っぺらい改憲論はようやく下火になりつつあるが、憲法の「理念そのもの」を守ることが非常に困難な時代になった。<br/>
　そのことに腹をくくらなければならない。
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>表現の自由への長い道距</dc:subject>  
      <dc:creator>foresight1974</dc:creator>  
      <pubDate>Sat, 3 Jan 2009 18:08:08 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2009-01-03T18:08:08+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>新大統領誕生礼賛への「諌め」</title>  
      <link>http://foresight.exblog.jp/9923262/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://foresight.exblog.jp/9923262/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
まずは素直に喜びたい。<br/>
ペイリンが副大統領に選ばれなかったことを。（苦笑）<br/>
<br/>
そして、アメリカ合衆国建国から２００年あまり。「自由と民主主義」を国是とする国が、曲がりくねった長い道矩を経て、ついにアフリカ系アメリカ人から初の大統領を選出するに至ったことを。<br/>
<br/>
今回の勝利は、２つの意味で民主主義の勝利と言って良い。<br/>
一つは、アメリカ社会を覆うカラー・バリゲードの大きな一つが、確実に取り除かれたこと。<br/>
もう一つは、「アメリカ社会の統合」を訴えた候補が勝利したことである。<br/>
これに比べ、ユウセイカイサンのように分かりやすい「敵」を作り出して、短絡的な二元思考に社会を分断し、利己的に「闘う政治家」を気取っている、最近の日本の政治家たちは何と薄っぺらいことだろうか。<br/>
<br/>
この２つの意味で民主主義が勝利したことは、素直に評価したいし、それを惜しむつもりもない。<br/>
<br/>
だ、だがちょっと待って欲しい。とも思う。<br/>
勝利の美酒に酔うのは、もう終わりにするべきじゃないだろうか？<br/>
<br/><br/>無論、新大統領が取り囲まれる情勢が楽観を許さないものである、ということもある。<br/>
が、そもそも大統領とは「選ばれたらおしまい」という職業ではないはずである。<br/>
バラク・オバマはそもそも何もなしえていないし、そもそも何も始めてもいないのである。<br/>
ましてや、アフリカ系アメリカ人から選ばれた、ということが何らのエクスキューズにもならない職業である。<br/>
ところが、ネット上のリベラル系の言論には、「幻想」が一人歩きしているものが散見されている。中には、オバマというだけで自分たちの政治的主張を何もかも叶えてくれるような、少々おめでたさが過ぎる意見もみられるようだ。<br/>
<br/>
忘れてはならないことを一つだけ押さえておかなければならない。<br/>
相手は、アメリカ合衆国の大統領なのである。日本は、政治的・経済的に生殺与奪の権利を握られている「同盟国（笑）」という立場は何ら変わっていない。<br/>
オバマはナイーブな反戦主義者ではない。むしろ、彼はリベラルな民主党から選出された大統領という立場に大きな制約を受ける。つまり、もともと「タカ派」とみられていない彼は、「タカ派」と見られていたマケインよりも、安全保障問題に毅然とした態度を、「必要以上」に見せなければ、アメリカ国民の支持をつなぎとめられない立場にあるということだ。<br/>
このことは、同盟国という名の属国状態にある日本に対し、今まで以上に「配慮の欠けた」、安全保障上の要求事項が増す、というリスクが発生したことを意味する。<br/>
なにぶん、「アメリカと太いパイプ」を豪語する自民党の政治家の皆さんは、民主党に対してのパイプは、共和党の１０分の１もないだろう。自民党の共和党依存症は深刻であり、いっそのこと、日本の政権与党も「民主党」にしておいた方がよかろうと思うくらいだ。<br/>
<br/>
とはいうものの、それでもブッシュよりもオバマの方が数段マトモな政治家であることは論を待たない。無益な争いは減るだろうし、安っぽいポピュリズムに分断された社会が融和されることは十分期待できる。国際的な協調路線にも、オバマの方が我慢強くやってくれる期待は持てる。<br/>
が、政治は結果が全て、という「そもそも」をお忘れなきよう、こんなひなびたブログをご覧のリベラル派諸氏をお諌め申し上げたい。<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>サイレント政治・社会評論</dc:subject>  
      <dc:creator>foresight1974</dc:creator>  
      <pubDate>Mon, 24 Nov 2008 1:10:14 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2008-11-24T01:10:14+09:00</dc:date> 
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    <item> 
      <title>シビリアンコントロールと表現の自由</title>  
      <link>http://foresight.exblog.jp/9884088/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
航空幕僚長更迭　田母神空将が３日付けで定年退職<br/>
11月3日21時5分配信 毎日新聞<br/>
<br/>
　防衛省は３日、歴史認識に関し政府見解に反する論文を公表して航空幕僚長から航空幕僚監部付に更迭された田母神俊雄空将（６０）を、同日付で定年退職とする人事を発表した。政府は国会審議や外交に与える影響を最小限に食い止める方針で、論文発覚からわずか３日後の異例の退職人事は早期の「幕引き」が狙いとみられる。<br/>
<br/>
　すでに2週間前になる記事について今さら論評めいたコラムを書くのは多忙なゆえであるが、久々に頭が真っ白になるというか、頭がガクガクするような話に出くわした。<br/>
<br/>
　論文をネットで閲覧し、まずその短さに吃驚。<br/>
　そして、これだけの短文にも関わらず、きちんとした日本語の文章として成立していない、「最優秀作品」の文章力に失笑した。（報道によれば、この懸賞論文の主催者と当人はよほど親しかったようであるから、最初から出来レースであったのであろう）<br/>
　だが、自衛官の中で最も有能で、最も「リアリスト」であらねばならないポジションにいた人物と知って戦慄したのである。<br/><br/>　今回の田母神への処分についてネット上で喧々諤々の議論が戦わされているが、個人的にはそのいずれにも与しない。<br/>
　陰謀論かぶれの屁垂れた論文内容を擁護する気になれないのはもちろん、軍オタどもの薄っぺらい「シビリアンコントロール」論にも、もちろん与するつもりはない。<br/>
<br/>
　ただ一つ思ったのは、今は塀の中の守屋天皇の御眼鏡かなって航空幕僚長という望外の地位を手に入れてしまった人物を追い落とすことが出来たのは、「表現の自由」というものがあってのことだ、という見方も出来なくはない、ということだ。<br/>
　表現の自由があるからこそ、限定的であれ自衛官の地位にある者でも論文発表が可能なのであり、また、それに対する批判も成立する。相互批判を通じて、控え目に言っても「バカバカしい」としか言いようのない論文が自然淘汰され、高校生なみの文章力しかない航空幕僚長を更迭することが出来るわけである。<br/>
　これがもし、シビリアンコントロールが徹底されて自衛官に対する言論統制が可能であった場合、こうした言論の存在自体が地下に潜伏し、後々社会に対する重大な脅威となったかもしれない。軍オタ連中が嘯くようにシビリアンコントロールとはおめでたい話ではないのである。<br/>
　そうした意味で、自分の更迭について「北朝鮮」を引き合いに出して批判した田母神の薄っぺらさにはもちろん、更迭したから問題幕引きと言わんばかりの「自称現実派」な軍オタウヨク連中のシビリアンコントロールの薄っぺらい理解にも、開いた口が塞がらないのである。<br/>
<br/>
　
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>9条問題</dc:subject>  
      <dc:creator>foresight1974</dc:creator>  
      <pubDate>Sun, 16 Nov 2008 23:53:48 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2008-11-16T23:53:48+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>中山成彬の発言とその「卑怯さ」</title>  
      <link>http://foresight.exblog.jp/9582074/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
閣僚に就任してから3日。<br/>
もはや、ぶったまげたとか、腰が抜けたとか、唖然としたというか、足して３乗したような気分だ。<br/>
<br/>
最初に思った感想は、その発言の当否を別として、<br/>
「この人は閣僚を続ける気があるのか！？」<br/>
ということだった。<br/>
<br/>
日教組の子は成績が悪くても先生になれる。。。<br/>
日本は単一民族。。。<br/>
成田空港反対派はごね得。。。<br/>
そして、日教組をぶっ壊す。。。<br/>
<br/>
突っ込み所は満載だが、それ以前に今の時期と状況を考えて、このような発言が政略的に正しいかどうかの判断すらつかなかったのだろうか？<br/>
という疑問がどうしても拭えない。<br/>
麻生としては後ろから盟友に銃弾を撃ち込まれた気分であろう。<br/>
選挙に勝ちさえすれば、もっと自由に発言できたはずなのだが。。。<br/>
<br/>
発言は勇ましい一方、日教組担当者との面会は「多忙」を理由に拒否する卑怯さ。<br/>
（成田問題に関する発言では千葉県知事と面会のうえで謝罪している。）<br/>
中山の「態度」は自己の「信念」をしっかり裏切っている。<br/>
<br/>
このような小人についていろいろと論評を考えるのすら時間の無駄であるが、それにしても、自民党の政治家はここまで劣化したのか。<br/>
世襲やコネで口に戸が立たなくても、周りからチヤホヤされるということが、何と人を堕落させることだろうか。<br/>
<br/>
そんなくだらないことを、この小人から学んだ気がした。
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>サイレント政治・社会評論</dc:subject>  
      <dc:creator>foresight1974</dc:creator>  
      <pubDate>Sun, 28 Sep 2008 0:12:54 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2008-09-28T00:12:54+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>総選挙の見通し（希望）をかる～く考えてみる</title>  
      <link>http://foresight.exblog.jp/9553453/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
久しぶりのブログなので、あまり重いツッコミはご遠慮願います。<br/>
まだ頭はリハビリ中なので。笑<br/>
<br/>
私が多忙な間、世間では福田さんが辞め、総裁選挙も終わり、いよいよ総選挙モードに突入！！らしいのですが、しがない一有権者に過ぎない私としましては、「ねじれ国会」というヤツがもうちょっと長く続いてくれた方が良かった気がします。<br/>
<br/>
ユウセイカイサンというヤツが証明したように、日本の政治状況が一方勢力に大きく偏ると、ロクなことが決まらんのですよ。国民投票法とか教育基本法とかね。<br/>
<br/>
それなら、いっそのこと「ねじれた」状態のまま、虚々実々な駆け引きがありながらも、決まったことがちょっとずつ、穏当であった方が国民の皆様にとっては、まことによろしいかと思います。<br/>
<br/>
私も２０代の頃は、ばばっと一気に世の中が「変革」されることに憧れがありましたが、３０も半ばにさしかかり、少々疲れが。。。笑<br/>
<br/>
とゆーわけで、皮肉な言い方ですが、今回は麻生さんにちょっとだけ頑張ってもらった方が良いように思えます。ヘタに民主党が単独過半数とか取っちゃうと、小沢さんはあの通りバカなので、何をしでかすか分かりません。笑<br/>
<br/>
単独過半数を取れる勢力がない中、社民党や国民新党などが加わって、ゆるやか～に連立政権が存続した方が、穏当な政権運営になるでしょうし。何より自民党が終焉します。<br/>
自民党は終焉した方が良いと思います。おそらくは、自民党「的」な政党がまた出てくるでしょうが、それはそれで良いことじゃないでしょうか。<br/>
公明党は所詮宗教政党ですので、もう少し勢力が減退した方が良いでしょう。<br/>
大作さんも老い先短いことですし。笑<br/>
<br/>
社民党と共産党は、もう少し頑張るべき、というか、新しい左翼政党を作り出すくらいの変革のエネルギーが欲しいところです。<br/>
以前にも書きましたが、今日の勢力減退の最大の原因はあなた達自身のエゴイズムにあります。２０年前から変われていないことが、左翼政党の存亡の危機に立たせている。<br/>
<br/>
ウヨクの皆さんは怒るでしょうが、左翼は必要です。<br/>
大きな政府・小さな政府という議論はまやかしであり、歴史的に見ればもはや「夜警国家」に戻れるはずがない。<br/>
日本にはリバタリアニズムは存在しませんので、原理的に小さな政府などありえません。<br/>
<br/>
自由か平等かという議論もまやかしであり、日本に蓄積された「富」を一定の分配システムで公正に配分することは必要不可欠です。<br/>
それが、自由や平等の基礎になる。<br/>
<br/>
その時々の政策ポートフォリオで自由を優先すべきか平等を優先すべきかを「組み立てる」ことこそ政治家の仕事の本質であって、官僚より勉強して「政策通」を気取ることではありません。<br/>
その点、オタク気取り麻生も死に損ないの与謝野も石原のクソ坊主も、小池のブタ女も何より「声」がキモイ石破も全員勘違いしていますね。<br/>
<br/>
まあ、自民党にも民主党にも「政権担当能力」なんてありゃしませんよ。<br/>
期待していません。少なくとも私は。<br/>
<br/>
それでも誰かにやってもらわなくてはなりませんので、何かを考えないといけませんね。
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>サイレント政治・社会評論</dc:subject>  
      <dc:creator>foresight1974</dc:creator>  
      <pubDate>Tue, 23 Sep 2008 14:45:49 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2008-09-23T14:45:49+09:00</dc:date> 
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