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    <title>インチキジェント・コスモス構想</title>  
    <link>http://intikijent.exblog.jp</link>  
    <description>なまけることで「次のリーディングカンパニーをここから生み出していこう」</description>  
    <dc:language>ja</dc:language>  
    <dc:creator>namake5963</dc:creator>  
    <dc:rights>Copyright 2007</dc:rights>  
    <pubDate>Tue, 26 Jun 2007 22:23:05 +0900</pubDate>  
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      <title>インチキジェント・コスモス構想</title>  
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      <description>なまけることで「次のリーディングカンパニーをここから生み出していこう」</description> 
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      <title>最後に…</title>  
      <link>http://intikijent.exblog.jp/5690724/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
このブログのきっかけとなった授業も無事終了しました。<br/>
まあ、「アンコールがかかった」ので、もう一回やりますが、内心ではもう終わっています。<br/>
この実験につきあってくださった何人かの読者の方にお礼いたします。<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
試みを通して、経営というものを自分なりに考えてみました。<br/>
結局、現在主流の（そろそろ過去のものになりつつある）マイケル＝ポーターの競争優位的な発想がもう無理なんだろうなあと思います。<br/>
その無理を認めないで、無限の成長という前提を信仰し続ける限り、経営学とかその宣教師であるところのコンサルタントというのは、役立たずというか有害無益な存在で終わるでしょう。<br/>
<br/>
(話は飛びますが）<br/>
社会保険庁の年金記録のずさんが明らかになっています。<br/>
お役所仕事の典型例ですが、では、民間はこうした事態を知らなかったかというと、そんなことはないです。<br/>
２１世紀に入った頃、日本にある「あらゆる」コンサルティングファームは、電子政府なんちゃらと言うものをあおってましたし、何らかの形で（実際に受注できたかどうかは別として）関与していました。<br/>
<br/>
その結果が、住民台帳だったりするわけだが、セキュリティやプライバシーの問題もあり、参加してない自治体もあるから、結局のところひいき目に見ても部分最適にしかならず、その電子化されたシステムの裏側では、プリントアウトして回覧して捺印しているようなしくみがまだまだ残っているのだが、こうした事務フローのカイゼンはどこへ行ったんだ？<br/>
一事が万事この通りで、不採算で廃止になるパスポートの電子申請だったり（一件あたりの処理コストが確か３００万円とかで終わったと聞いた）、社保庁の件に関してもクライアントの不備不手際があったとは言え、そこまで含めて「０ベースでカイゼンして再構築」というのがコンサルのうたい文句であったはずだが。<br/>
<br/>
当時、駆け出しのコンサルとして、電子政府推進組を端で見ていて、プライバシーとかの倫理面は棚上げにして、単にソリューション（最近は流行遅れの言葉となったなあ）としてできが悪くないか？と疑問に思ったものだった。<br/>
管理の効率だけから言えば、総背番号制は効率が良い。<br/>
そこまでは、すぐに思いつくわな。<br/>
だけど、住民基本台帳と社会保険を連動させてしまえという人は少なかったし、戸籍も一本化してしまえば、効率上はもっと良いはずなのだが（重複管理でムダだ）、戸籍を廃止しようと公然と主張したファームはなかったし、そう言ったコンサルもいなかったことに、「不思議だなあ？」と思っていた。<br/>
<br/>
結局、コンサルティングファームはコンサルでは食えていなくて、システム屋なんだなと、そのビジネスモデルを理解できて、疑問の一画が氷解し、あと、「ゼロベース」というのが空念仏であったのが本当の意味で理解できたのは、コンサルを辞めて冷静に考えてみてからだった。<br/>
結局、ゼロベースで既存の仕組みに挑み、合理的な全体解決を実現する気なんてコンサルの上の人にはさらさらなく、ノルマの売上を達成するためには、むしろそうでないほうがたくさんの発注が取れるから都合が良かったんだよなあ。<br/>
やってることの規模がでかいから、ばれにくいだけの話で、緑資源機構とかコムスンとかミートホープとあんまり変わりはないのだなあと今になってつくづく思う。<br/>
ミートホープの社員が不正を知らなかったはずはなく、また実際に作業に関与していたと思いますが、同様に、社保庁のデータがメチャメチャなのはそのシステムに携わったＮＴＴデータの人は当然知っていたと思います。<br/>
狭義のコンサルの人から見れば、データなんて会社はコンサルじゃねえよと言うでしょうが。<br/>
そういう人であっても、その人が属していたファームも社保庁やその他役所に営業はしていて、さんさんたる内情を知りながら、部分最適の実現すら怪しい提案やシステム構築の仕事をしていたはずなんで、弁解の余地なしと思うところである。<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
そうした人たちの一部（コンサルは３年で９０％以上が退職する。その「難民」の全体像なんて知りようがない）は、ハゲタカファンドの偉い人になったり、有名どころの大学の先生になったり、あいかわらずコンサルとして意気揚々とした（で、たぶん、何年かするとバカバカしいことが露呈する）社会的意見を吐いたりしている。<br/>
たかる先（クライアント）やたかり方（ビジネスモデル）がちょっと変わってはいるけれど、傍目に見ると、要は他人の生み出した付加価値に、別のレッテルを貼って価値がもっとあるとか、実はさっぱりないからさっさと売った方が良いとかして鞘抜きしているだけなのにうんざりする。<br/>
<br/>
<br/>
この「うんざりする」という気分が、今回の試みの出発点だったりしたわけだ。<br/>
競争優位の発想は古いよとか、ファームの言うロジカルシンキングなんて嘘っぱちさと言うだけではなく、その先について授業を通して自分なりに考えてみました。<br/>
それは、書籍の形で世に問いたいと思います。<br/>
さっぱり原稿は進んでいないのですが、で、こんな風にブログにグチめいたことを書くよりは、とりあえず原稿に向かうべきだと思うので、このブログは終了する次第です。<br/>
<br/>
（乱筆乱文ですが、最後なのでご容赦ください。）
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>解放区</dc:subject>  
      <dc:creator>namake5963</dc:creator>  
      <pubDate>Tue, 26 Jun 2007 22:23:05 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>当ブログ廃止予定のお知らせ</title>  
      <link>http://intikijent.exblog.jp/5065612/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
このブログは、教育におけるネットの可能性を検討するため始めたものですが（そのころはＹａｈｏｏ！を使っていた。手入れしなかったので、もう残っていないが）、その役割を終えたので、近いうち終了し、ＩＤ自体を撤去する予定です。<br/>
<br/>
当初の目的を外れて、愚痴のような文章が多くなりました。<br/>
にもかかわらず、読んでくださった方々には感謝いたします。<br/>
ありがとうございました。
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>解放区</dc:subject>  
      <dc:creator>namake5963</dc:creator>  
      <pubDate>Sat, 31 Mar 2007 18:27:34 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>フェミニズムの退潮に思う</title>  
      <link>http://intikijent.exblog.jp/5065592/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
ＢＳアニメ夜話『あしたのジョー』を見ていて、「男の生き様」みたいな話が島本和彦から出ていた。<br/>
彼の「今の世の中に力石がいない。大人は力石として、その背中を追ってくるジョー（≒若者全て）に対して、自らを厳しく律してその存在を見せつけ続けなければいけない」という意見には大賛成だ！！<br/>
<br/>
しかし、それを「男の生き様」と表現することには、私には抵抗がある。<br/>
「それは男か女かを問わず、人としてそうなんじゃないの？」とフェミニズムの「洗礼」を時代の風潮として受けてきた私は考える。<br/>
島本和彦がそう言うのは良い。<br/>
それが彼の個性であり、持ち芸なのだから。<br/>
で、フェミニズム全盛期のように、この手の発言にいちいちクレームをつけるべきだと思っているわけではない。（「運動」としてはそう言うものなのだろうが、それは正直言ってうっとうしい）<br/>
ただ、「男＝人間」と見なすパラダイム、すなわち「女は人ではない」は、もうとっくに排されたと思っていたので、昨日の島本和彦の意見をあっさり香山リカがスルーというか同意したのには驚いた。<br/>
<br/>
言葉狩りをしろと言うのではない。<br/>
「女性の、というかフェミニストの力石」がいるべきなんじゃないの？<br/>
「先人として自らに厳しくあり、後進に理想を示すのに男も女もありませんよ」と発言し、身をもって示す人はもう要らないの？そういう役割ってもう要らない？そこまで、男女の平等って実現した？<br/>
もしそうなら、それはそれでとても良いことなんですが。<br/>
<br/>
<br/>
今月号の『アニメがお仕事』！は、あいかわらず厳しかった。<br/>
このマンガにおいて、創造の世界から降りるということは、決定的な堕落を意味する（厳しく読むと、死ぬことより悪い。ここ数ヶ月の話はそうも読める。たぶん、「そうではない」という希望を作者はいずれ示すと思うのだが）のだが、主要キャラの一人が、「そっちへ行っちゃたか？」と思わせる展開で、読んでいてドキドキした。<br/>
それが話の主筋だったが、注目したのは、ここ数ヶ月ののんのちゃんの動きだ。<br/>
のんのちゃんというキャラクターは、アニメ業界に通じていて「解説役」にちょうど良いし、それでいて一途に恋する女の子であり、作品を構成し、ストーリーを進めるために便利だった。<br/>
だから、どこか嘘くさく、であるが故に、ちょっと魅力的な存在だった。<br/>
（つまり、こんな都合の良い女の子はいないよと言うような意味）<br/>
<br/>
ところが先月から意外な展開を見せ始め（たのはむしろ二太のほうか？）、しっかりと自立の方向に歩み出した。だから、彼女はあこがれの二太君と距離もおけるし、しかし対等でいられる。<br/>
その自由を手にした。<br/>
<br/>
<br/>
ＢＳアニメ夜話で岡田斗司夫が、「『あしたのジョー』における「あした」とは「自由」のことだ」と言っていたが、70年代が自由の時代であったように、80年代はその意義と限界を踏まえた上で、自立であり男女の「対等」（たぶん平等という単語よりはこちらの方がふさわしいと思う）の時代であった。<br/>
『アニメがお仕事！』の作者も私と同年なので、たぶんそのあたりにはこだわりがあるというか、敏感なのだと思う。（と思うのは、私の勝手な思い入れかもしれないが）<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>知的クラスター</dc:subject>  
      <dc:creator>namake5963</dc:creator>  
      <pubDate>Sat, 31 Mar 2007 18:24:06 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>鴨志田穣の死に思う</title>  
      <link>http://intikijent.exblog.jp/5035711/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
鴨志田穣が亡くなった。<br/>
私とほぼ同年代である。<br/>
<br/>
彼の作品を読んだのは、彼の魅力に惹かれてのことではなく、西原理恵子の旦那という関心からである。<br/>
ジャーナリストは戦場でこそ鍛えられるという。<br/>
鴨志田穣は戦場に進んで出向いた人である。<br/>
<br/>
で、成果物である書籍を見ると、故人に対して失礼な物言いとなるが、「二流」と言わざるを得ない。<br/>
ジャーナリストにとって最高の洗練の場である戦場（これがいかに「業」であるかはここでは問わないが）をくぐり抜けてきて、この程度のものしか書けなかったのかと、彼の師匠である橋田伸介同様にそう思う。<br/>
ジャーナリストなりライターとしてみると、しょせんは二流止まりであった。<br/>
彼の著作が、時代を超えて読み継がれることはたぶんないだろう。<br/>
<br/>
では、彼の人生に意味はなかったかというとさにあらず。<br/>
今週号のアエラに載っている西原理恵子のインタビューを見ると、彼は一人の個人として立派に生き、旦那（と言う単語が適当か？要は西原のつれあい）として、問題は多いが、多大なる影響を与え、そして愛され、また子供たちに好かれて、そして死んでいった。<br/>
これは「有能である」ことよりも、意義ある人生であったのだと私は思う。<br/>
<br/>
私は有能だが、人の気持ちが分からないところがある。<br/>
だから、たぶん愛される資格がない。<br/>
あるいは、愛されてもそのことに気がつかないし、そのありがたさが本質的な部分で、たぶんよく分からない。<br/>
<br/>
<br/>
鴨志田穣の人生は、私が選んだものと近く、それでいて質的には全く違ったものだった。<br/>
「無能」あるいはしょせん「二流」のプロであることを、なんだかんだ言って私は受け入れがたいところがある。<br/>
ぬけぬけと言えば、私は有能で優秀だから。<br/>
別に、鴨志田穣の人生をうらやましいとは思わない。<br/>
ただ、二流のプロではあるが、パートナーに愛され、子供を愛し、大した業績をなさずに死んでしまった彼の人生は、自分とは違った人生として感慨深い。<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>解放区</dc:subject>  
      <dc:creator>namake5963</dc:creator>  
      <pubDate>Mon, 26 Mar 2007 21:51:37 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>ツンデレとツンデレの間にあったもの　その2</title>  
      <link>http://intikijent.exblog.jp/4991322/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
結論をいきなり言うと、80年代の（特に少女マンガにあった）自由や平等への思いはどこへ行ってしまったのだろう。<br/>
例えば、全盛期の『LaLa』が満を持してリリースした『サイファ』（成田美奈子）のヒロインであるアニスは「友情は、人間関係における最高の誉め言葉だと思う」ってなこと（つまり、男女間であっても友情こそがすばらしい）を言っていたわけなんだが、その期待に反して、『サイファ』は失敗に終わるんだよなあ。<br/>
（結局、シヴァとサイファの区別は最後までよく分からなかったし）<br/>
振り返ってみるに、恋愛と友情をテーマとしたマンガの最高傑作は『山田君と佐藤さん』（松苗あけみ）だったなあ。あの衝撃のラストシーンは、当時のマンガ読みの間で評判だったし、私はあれを読んで何が起きたのかしばらく理解できませんでしたよ！<br/>
<br/>
<br/>
では、その自由な恋愛や平等（であるべき）な男女関係と言う模索は、どこに行ったんだ？<br/>
時代とともになくなったのか？<br/>
あるいは、現代のティーンエイジャーはそうした問題意識を持たないのか？<br/>
と言うことを、考えてみようかと思って書き始めたんだけど、止めた。<br/>
<br/>
なんでかって言うと、今月号の『メロディ』（全盛期の『LaLa』の衣鉢を継いだ雑誌であるよ）のよしながふみと羽海野チカの対談に全部書いてあったから。<br/>
うーむ、『ハチミツとクローバー』は実は『サラリーマン金太郎』だったのか！？<br/>
『NANA』って、「やおい」な話だったのか！？<br/>
すげえ、そんな解釈があるとは思わなかったよ。<br/>
<br/>
その対談に圧倒されました。<br/>
必ずしも納得したわけではないのだけれど、例えば『NANA』の解釈に関しては、私は「精一杯背伸びしておしゃれしてる感じが何とも…」という石田敦子的理解をしてますが、この二人の解釈がすごくて、しばらく時間をかけて消化してみるかなという感じなので、このテーマに関してはしばらく保留。<br/>
<br/>
<br/>
誰かに読ませようとして書いている文章ではないので、まあいいか。
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>解放区</dc:subject>  
      <dc:creator>namake5963</dc:creator>  
      <pubDate>Mon, 19 Mar 2007 22:45:08 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>ツンデレとツンデレの間にあったもの　その１</title>  
      <link>http://intikijent.exblog.jp/4926474/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
なんか最近「ツンデレ」という概念が出てきてると言うか、誰かが流行らせようとしているみたいだ。<br/>
うーん、もしかしたら今のティーンエイジャーには新鮮に映るのかもしれないが、これって70年代のドラマとかマンガでは、男がツンデレな設定がデフォルトだったわけで、それが逆になっただけではないのかな。<br/>
で、男性側がつんつんすると言う設定で、すでに散々、話が作られているわけで、立場を逆にしてもあんまり目新しいことはないのではなかろうか？<br/>
（男女の立場を入れ替えた「究極」の話であるところの、よしながふみの『大奥』がすでに出ていることだし）<br/>
<br/>
<br/>
むしろ、70年代の『おれは男だ』的なツンデレから、21世紀の女性側のツンデレにひっくり返る過程で起きていた試行錯誤の話の方が、知的遊戯としておもしろいのではなかろうかと考えてみたり。<br/>
男性ツンデレから女性ツンデレに移行する間の約20年くらいに何があったか、自分の思考を整理する意味で書いてみようかと思う。<br/>
<br/>
かつて、少年マンガにおいては、「友情・努力・勝利」がメインテーマで、こういうスローガンの元にジャンプが躍進していたのだし、その前に流行ったマガジンの『あしたのジョー』とか『巨人の星』を見ても、男性はとにかくつんつんしてがんばっていれば良かった。<br/>
そう言うやせ我慢をしていれば、いずれヒロインはこっちを向いてくれる（あるいはつんを貫き通して女には目もくれない）のが主流だった。<br/>
ところが現実には、つんつんしていて男がモテルわけではない。あるいは、そんなやせ我慢をしている内に、別の軟派な男に意中の彼女を取られてしまう。もっと言うと、なんでやせ我慢してつんつんしてなくちゃならないんだ？というような世知に当たり前のようにみんなが気がつき始めた。<br/>
無理に巨人の星だの甲子園だのチャンピオンだのを目指すよりは、身近な女の子と話する方が楽しくないかと思い始めたのだった。<br/>
<br/>
そんなころに登場したのが高橋留美子とあだち充である。<br/>
インベーダーの押しかけ女房（しかも美人でスタイルが良くてなぜか主人公にぞっこん）という現代に至るラブコメの基本パターンは高橋留美子が『うる星やつら』で発明した。<br/>
あだち充の登場はもう少し早いのだが、少女マンガ誌で『陽当たり良好』とかを描いていた頃は、たくさんいるその他大勢でしかなかった。が、同じようなマンガを少年誌というパラダイムに移すことで、その話は非常に新鮮に見えるようになりラブコメの大家になった。<br/>
（あだち充がブレイクした『みゆき』も押しかけ女房パターンだったなあ）<br/>
正確には、この二人に先行して弓月光のコメディ（『エリート狂奏曲』とか）が少女マンガ誌に載っていても男性に読まれたり、『翔んだカップル』の柳沢きみおとかがあるんだが、まあ、割愛。<br/>
1980年頃に、少年誌は恋愛というかその対象となるヒロインという概念を発見したのだった。<br/>
で、対応するヒーローの側も別に超人である必要も、あるいは才能も要らず、別に普通で良い。っていうか、その方が読者も感情移入しやすいと言うことが発見された。<br/>
で、バカみたいにたくさんのラブコメマンガが量産された。<br/>
うーん、もうそのタイトルも思い出せないものばかりだが、例えば『ザ・かぼちゃ・ワイン』とか『キックオフ』とか…。<br/>
（つづく）
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>解放区</dc:subject>  
      <dc:creator>namake5963</dc:creator>  
      <pubDate>Sat, 10 Mar 2007 4:14:35 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>コンテンツ産業の活性化（笑）</title>  
      <link>http://intikijent.exblog.jp/4923809/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://intikijent.exblog.jp/4923809/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
政府が音頭を取っているからなのか、他にめぼしい産業ネタがないからなのか知らないが、自治体がコンテンツ産業の育成だとか活性化だとか言っている。<br/>
コンテンツで産業の活性化を図るんだそうだ。<br/>
<br/>
（今回はちょっと品が悪いです）<br/>
で、映像プロダクションを育成するとか言っているのを聞くと「バカじゃねーの」と思う。<br/>
言ってる意味が全然わかんないね。<br/>
映像プロダクションに落ちてくる制作原価、知らないのか？<br/>
元の予算の３～４割くらいのもんで、後は中間マージンではねられてるんだよ。<br/>
産業とか地域経済への波及効果とかをねらってるんなら、儲かるところを取らなきゃダメでしょ。<br/>
ファンドとか制作委員会を立ち上げるとか、つまり「プロデューサー」のポジションを取らないと儲からないんだよね。<br/>
具体的に言うと、角川春樹（笑）とか奥山良和（笑）とか西崎義展（笑）とか。<br/>
あるいは電通のポジションに取って代わるんだったら儲かる。<br/>
<br/>
県とか市が、角川春樹（笑）とか西崎義展（笑）とかアントニオ猪木（笑）みたいな「狂人」と互して交渉できるわけはない。<br/>
だって、この人たちまともじゃないもん。<br/>
理屈もへったくれもなくて、自分の夢（笑）がただあるだけ。<br/>
その夢に都合良く酔って、どんな汚いことでもできちゃう。<br/>
だから、あの人たちは御殿に住めるし、その反面、刑務所の塀の向こう側に落ちちゃうこともある。<br/>
まあ、そう言う人たちと交渉したり、取って代わったりするのは、端から無理だと保身のための直感も働くのだろう。最初から、このジャンルへの参入は考えてないようだ。<br/>
<br/>
で、プロダクションの育成というルートが、何でか知らないがすでに決まっているみたいだ。<br/>
なんとかコンソーシアムだとかクラスターだとかがいっぱい作られて、ああでもないこうでもないと会議しながら、同じようなレポートを書いている。<br/>
バカじゃないの！？<br/>
そのコンソーシアムとかクラスターの維持費用で、プロダクションなんていくつも作れるよ。<br/>
あるいは、その予算ですでにあるプロダクションに仕事出した方がずっと有効。<br/>
1000万円単位の金があるんだったら、現場に直接突っ込めばいいじゃないか。<br/>
現場の人間は喜んで働くと思うよ。<br/>
ただし、どんなものが上がってくるかは保証しないけどね。<br/>
それをコントロールするディレクターもプロデューサーも地方には「いない」からね。<br/>
できあがってくるものがどうなるかは、一か八かの賭になっちゃうのは確かだ。<br/>
（でも、角川春樹（笑）とか奥山良和（笑）とか西崎義展（笑）に依頼するよりはマシだと思うけどね。もっともこの人たちを動かすには桁が二つ足りないが）<br/>
<br/>
でも、それで良いんじゃないの。<br/>
もし、コンテンツ産業の育成に、自治体が手助けできることがあるとすれば、金を出すことくらいで、口を出せることははっきり言えるけど全然ない。<br/>
映像の現場なんて、好きでやってるんだから。<br/>
と言うか、好きでないと続かない。<br/>
もう、一種の「業」だよね。<br/>
任天堂とか京アニがあるから、京都がモデルケースの一つらしいけど、あの人たちは「おもしろいゲームを作りたい」とか「良いアニメを作りたい」と思っているだけで、京都の町おこしをしようと思ってるわけじゃない（と思う）。<br/>
クリーションというのは、理屈には還元できないところがあって、そこがおもしろくもあるし、怪しい分野でもあるのだが、ばかげた情熱が要る。<br/>
だから、薄給でも働き続けられるんだよね。<br/>
まともではできない分野なんだよな。<br/>
<br/>
今でこそ大家の扱いだけど、宮崎駿が『カリオストロの城』を外した（映画上映時は失敗興行だった）ころのインタビューとかを雑誌のバックナンバーで見ると、ただのアニメ職人バカ（←誉めてます）なんだよね。<br/>
当時はまだアニメーターだった安彦良和は「オリジナルビデオという企画が当たるかどうかは全然分からない」とか言いながら、要は「やりたいからやる」みたいなことを言ってる。<br/>
押井守は監督デビュー作である『オンリーユー』を宮崎駿からけちょんけちょんにけなされて、奮起して『ビューティフルドリーマー』と言う傑作をものにしたと同時に、原作者である高橋留美子に怒られて（それが直接の引き金かどうかは書いてないけど）、シリーズを降板してぶらぶらしてたりしてる。<br/>
同じ頃、庵野秀明は『帰ってきたウルトラマン』を自作自演で撮ったりしてるわけだ。<br/>
堀井祐二は自分やりたいようなゲームを作ってみたかったから『ドラゴンクエスト』を作ったわけだ。<br/>
今週号のヤングサンデーで島本和彦が、この頃の雰囲気を書いているけれど、変な情熱にあふれた時代で、それが四半世紀経ってビッグビジネスになるなんて、全然考えもしなかったよ。<br/>
それは、宮崎駿も押井守も庵野秀明も堀井祐二にしても、たぶんそう。<br/>
<br/>
こういう才能を見いだして、自治体が金を出せるかと言ったら、そりゃあ絶対無理だ。<br/>
それこそ、神ならぬ身ではないのだから、そんなことは無理だし、自治体には向いてない。<br/>
それが分かんないんだろうか？<br/>
<br/>
いや、たぶん分かってるんだろうな。<br/>
だから、明確な成果判定のされにくいコンソーシアムとかクラスターとかやってるんだよな。<br/>
で、「クラスター芸者」として座敷を維持してるだけなんだろうな。<br/>
<br/>
<br/>
何が書きたかったかというと、この「クラスター芸者が嫌いなんだ」<br/>
見苦しい。<br/>
自分では何も生み出さないし、生み出そうともしないし、その情熱もない。<br/>
絶対にリスクを取らないこの寄生虫みたいな連中が気持ち悪いと愚痴をこぼしたかったのです。<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>産業クラスター</dc:subject>  
      <dc:creator>namake5963</dc:creator>  
      <pubDate>Fri, 9 Mar 2007 21:14:39 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>風邪を引いた</title>  
      <link>http://intikijent.exblog.jp/4887131/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://intikijent.exblog.jp/4887131/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
体調がイマイチです。<br/>
<br/>
ボーッとしながら、『風雲児たち』を読む。<br/>
ちょうど、渡辺崋山の話のところでした。<br/>
<br/>
数年前であるが、渡辺崋山の生家を愛知県まで見に行きました。<br/>
お目当ては「不忠不孝渡辺登」の絶筆七文字。<br/>
<br/>
崋山は田原藩の家老の息子とはいえ、極貧に暮らした人でした。<br/>
そんな状況にあっても、洋学に目覚め、その成果で藩政改革を志した人でした。<br/>
そのあたりが、戦前の教科書で美談にされちゃったために、戦後は忘れられた人です。<br/>
（政治の都合で、歴史の解釈が左右されるのは悲しいことですね）<br/>
<br/>
で、いろいろするんですが、結局、蛮社の獄で捕まっちゃって、以後不遇な人生を送る。<br/>
今となってみれば、蛮社の獄というのは、でっち上げも甚だしい政治的反動でしかないのは明白なのだけれど、小関三栄や高野長英もこれを機に不遇の最期を遂げるのだから、ことは重大。<br/>
この数年後には、ペリーがやってきて開国となるわけで、いかに彼らに先見性があったかというのはこれで実証されているのではないかと思います。<br/>
<br/>
そうした先人の知恵のなごりを拝見しようと、旧田原藩（愛知）に行っておどろきました。<br/>
ふるさと創生一億円で作られた立派なショールームで、うすっぺらく渡辺崋山の人生が提示されていただけでした。<br/>
お目当ての「不忠不孝渡辺登」の絶筆もレプリカがかざってあるだけ。<br/>
現地に出向いた甲斐は、全くありませんでした。<br/>
<br/>
考えるに、愛知の人にとって崋山というのは英雄であると同時に、蛮社に手を染めた「異邦人」（ついでに江戸勤め忠臣で、地場になじみが薄かった）であり、獄につながれた罪人でもある。後者に関してはえん罪であるともう歴史上は確定していると思うが、それでも日本人の心情として「よその人」で「罪人」を持ち上げる気にはならないのであろう。<br/>
それでも、観光の目玉として、またふるさと創生一億円の使い道としては、ちょうど良かったのであろう。<br/>
<br/>
さらに言えば、崋山は蛮社の獄で死に至ったのではない。<br/>
失脚して御家預かりになり、その御家での飼い殺し＆いじめの中で、（あれほど藩のために尽くした忠臣で、しかもまずしい家庭にやさしかった人なのに）「不忠不孝渡辺登」と書いて腹を切った無念はいかほどであろうか。<br/>
<br/>
<br/>
ふるさと創生一億円に関しては、ろくな使われ方をしていないが、その中でもっともがっかりさせられる使い方が、渡辺崋山記念館ではないだろうか。
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>解放区</dc:subject>  
      <dc:creator>namake5963</dc:creator>  
      <pubDate>Sun, 4 Mar 2007 21:03:46 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>だらだらと忙しい</title>  
      <link>http://intikijent.exblog.jp/4857455/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
なんか、だらだらと忙しい。<br/>
大した量ではないのだが、ぽつりぽつりと仕事があって、なかなか休めないのだ。<br/>
あまり良い状況とは言えないなあ。<br/>
この後、仕事が詰まってくるのは目に見えているし。
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>産業クラスター</dc:subject>  
      <dc:creator>namake5963</dc:creator>  
      <pubDate>Wed, 28 Feb 2007 21:01:30 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>アニメがお仕事</title>  
      <link>http://intikijent.exblog.jp/4853829/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
こう来たか！？<br/>
ストーリーは大きく舵を切ったって感じですね。
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>商品ガイド</dc:subject>  
      <dc:creator>namake5963</dc:creator>  
      <pubDate>Wed, 28 Feb 2007 11:52:29 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>やる気なし</title>  
      <link>http://intikijent.exblog.jp/4848407/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
全然やる気なし。<br/>
夜はぐっすり眠れて、非常に快適。<br/>
健康なので、そのうちやる気が帰ってくるでしょう。<br/>
それまでは、休むか。<br/>
<br/>
<br/>
とりあえず、明日は『OURS』の発売日であるので、『アニメがお仕事！』の新作が読めるなあ。<br/>
あと、『さよなら絶望先生』。<br/>
後者は最近のお気に入りです。<br/>
ネガティブでやる気のない今の気分にピッタリだ。<br/>
（自慢して言うことではないが）<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>解放区</dc:subject>  
      <dc:creator>namake5963</dc:creator>  
      <pubDate>Tue, 27 Feb 2007 20:14:21 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>信仰の論理</title>  
      <link>http://intikijent.exblog.jp/4797862/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
いろんな組織の内側をのぞく機会があるのだが、むなしくなって疲れる。<br/>
そこで行われているのは、会議でも話し合いでもなんでもなく、要は自分の信仰を述べているだけの場が大半だから。<br/>
つまり、自分はこれこれの理念や目標を信じていると言っているだけであり、その教義に都合が良い根拠を並べているだけだから。<br/>
会議の名で行われているのは、どちらの信仰が正しいかのはてしない「宗教論争」である。あるいは、自分たちの信仰がいかに正しいかを確認するだけの「ミサ」でしかなかったりする。現実は必ずしも教義の通りではないのだが「ミサ」ではそうした現実は無視される。「それでも地球は回っている」と言えば制裁されるだけ。「異端審問」になってしまっている組織運営も多い。<br/>
<br/>
なんで、こんな袋小路にはまってしまっているのだろうか。<br/>
一つには、日本での論理教育が間違っていることがある。<br/>
日本の教育では、論理立てに関して「AならばB」と言うやりかたは教える。<br/>
まあ、これは全ての基本なので、別に悪いことではない。<br/>
問題なのは、その単線思考を基本として教えるのではなく、唯一の思考形式として事実上教えてしまっていることだ。<br/>
つまり、Aではなく、XやYやZの場合の可能性を考えることを教えない。<br/>
一応、「客観的に」という倫理指導はされるけれど、それが論理を展開するテクニックとしてどういうことかについては指導してない。<br/>
<br/>
まあ、信仰の論理があらゆる場合で間違っているわけではない。<br/>
例えば、１００M走にあたって、、スタートラインに着いたら迷っていてもしかたない。むしろ、そんな発想は排除して神様にでもすがるなり、無我夢中になって自分を信じるなりする信仰の論理を採用すべき場合だと思う。ただ、どんなトレーニングをするかとか靴はどれを履くかとかペース配分をどうするかは、信仰の論理には適さない。にもかかわらず、合理性ではなく信仰の論理がけっこうまかり通っている。<br/>
<br/>
<br/>
もっとも、事は日本社会に限ったことではない。<br/>
先入観を排し、「客観的」に論理展開をすることを生業にしているはずの人たちがいるが、ではその人たちが本当に客観的かと言うと、そんなことはない。先入観を外し、世界全体を見渡して分析する手法を持っているのだが、その手法自体が自縛になっていて、その技法の奴隷になっている。私はここでいわいるロジカルシンキングで言うところのMECEを想定して書いているけれど、これがまたくせもので最初の先入観は外せても、今度は別のMECEという先入観の中に閉じこめられるという罠になっている。<br/>
愚考するに、客観などというものはなく、可能な限り主観を排する誠実な知的態度があるだけではなかろうか。<br/>
<br/>
先日、コンサルティング・ファームの結構えらい人と話す機会があったので、なぜ、ファームのビジネスは今上手くいっていないのか。コンサルタントは優秀な人が多いし、またファームも優秀な組織である。にもかかわらず、新たな付加価値を生み出せないのはなぜかと言うような話を、MECEの限界に引っかけて聞いてみたら、イヤな顔をされました。<br/>
痛いところを突かれたようであり、またそこまで考えることは、「MBA教」の根本原理を危うくするので。<br/>
ファクトベースで、ゼロベースに考えることになっているはずの人たちなんですけどね。<br/>
<br/>
<br/>
結局、世に信仰の論理がはびこるのは、末法思想の世の中だからではないだろうか。<br/>
遠からず、国家税制は破綻するし、環境問題も厳しくなってくる。<br/>
個人の手にはおけない巨大な問題が突きつけられる。<br/>
そこに、自由で自立的な個人として誠実に向き合うのはしんどい。<br/>
まして、産業活性化に異議を唱えるような発言は、産業界からは異端として切り捨てられる。<br/>
（まあ、エコロジー芸者みたいな逃げ道はあるんだけどね）<br/>
そしたら、産業界の大意には寄り添いつつ、産業神への忠誠を誓い、その信仰の論理をふりまくわな。<br/>
で、それでも埋まらない心の空白は、別の（モノホンの）宗教や国家と言った強くて巨大なものにしがみつくことで対処しているように見える。<br/>
<br/>
<br/>
でもそれって、実業においては単なる問題の先送りだし、宗教としてみると、いくつかの原理主義に分派し、その間で妥協のない殲滅戦になってしまうと思うんだけどね。<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
だらだらと、陰鬱で、しかも論拠の薄い話ですいません。
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>知的クラスター</dc:subject>  
      <dc:creator>namake5963</dc:creator>  
      <pubDate>Wed, 21 Feb 2007 20:54:04 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>有閑</title>  
      <link>http://intikijent.exblog.jp/4696157/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://intikijent.exblog.jp/4696157/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
仕事が一段落して、ちょっとヒマ。<br/>
いいなあ、こう言うのって。
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>解放区</dc:subject>  
      <dc:creator>namake5963</dc:creator>  
      <pubDate>Wed, 7 Feb 2007 23:20:48 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>どこまで働くか？</title>  
      <link>http://intikijent.exblog.jp/4667432/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
好況というよりバブルなので、ヘッドハンターからの問い合わせがいっぱい。<br/>
転職口はよりどりみどりってな感じだ。<br/>
<br/>
今の職場の契約が、一応の満期を迎えるのだが、継続のオファーが内々にありつつも、正式には無いので、保険の意味もあってあちこちと交渉中。<br/>
<br/>
ただ、ちょっと気が重いのは、どの職を選んでも忙しそうなこと。<br/>
もちろん、転職の交渉に当たっては、その辺りの条件交渉はしっかりやるつもりだけど、「企業文化」として強迫的に働く職場で、なまけるという態度をどこまで押し通せるかは結構疑問。<br/>
押し通せば、たぶん半年とは持つまい。<br/>
だが、その職場の「文化」（あんなものは文化の名に値しないと思うが）に合わせれば、それはそれで半年もしたら嫌になるだろう。<br/>
<br/>
たぶん、「どこまで働くか。そして、どこから働かないか」は自分で決めて交渉しなくてはいけないな。<br/>
もう、転職情報誌があおるような、あるいは「相場」として示すような条件に合わせるつもりはないし。<br/>
<br/>
だいたい、年収ウン百万だとか１０００万円越えだとかいうあおりは間違っているよ。<br/>
そう言う職場の時給は、マクドナルドのバイトよりやすかったりするし。<br/>
そう、要は高賃金の代償として、長時間労働が待っていて、ただただ疲弊する女工哀史みたいな暮らしが待っているだけだってことは、体験上、百も承知。<br/>
<br/>
何をどこまで売って、どの程度、プライベートな時間を諦めるか。<br/>
そしてその代償として、どの程度の賃金を求めるか。<br/>
単なる条件交渉ではなく、ライフスタイルを巡る交渉がもうすぐ始まるのでした。
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>産業クラスター</dc:subject>  
      <dc:creator>namake5963</dc:creator>  
      <pubDate>Fri, 2 Feb 2007 21:43:35 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>給食費未払い問題について</title>  
      <link>http://intikijent.exblog.jp/4633261/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
先入観で書いたもので、読み返すと不適切な表現がありましたので、削除いたします。<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>R&amp;D</dc:subject>  
      <dc:creator>namake5963</dc:creator>  
      <pubDate>Sat, 27 Jan 2007 19:37:16 +0900</pubDate> 
    </item> 
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