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  <title>執筆状況最前線</title>  
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  <modified>2012-04-18T23:26:01+09:00</modified>  
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  <tagline>アマ作家の書いている最中のたわごとと愚痴</tagline>  
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    <title>勉強の意味</title>  
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    <issued>2012-04-18T23:40:27+09:00</issued>  
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    <dc:subject>書くこと</dc:subject>  
    <content type="html">　肝心なことは、いちいち自分で考えなければ自分のものにならない。&lt;br/&gt; 　何故勉強をするかということについては、とうとう学生時代に結論が出なかった。当然、悲愴に勉強したことなんてただの一度もない。自分で褒めてやりたいのは、勉強を私利に用いたことはないという浮世離れで、進学にしろ就職にしろこれは僕の勲章だ。&lt;br/&gt; 　今、今更に思えば、勉強というのは様々な世界に触れるということだった。数学には、世の中の全ては数学で成立し、数学で解明できるという誇りと驕りがある。国語は母国語が人間の思索と人の関係性の全てであるという独善、外国語には自分と全く異なる環境へのチャンネルと自身へのリセットを促す叱咤、理科は数学と同調しながら、正しく自分の存在する場所の解明と探求という意志、社会は人間が存在するための論理と遠大な因果関係、音楽も、美術も、保健体育も、それぞれの世界という領域を持つ。それぞれに信奉する神がいて、経典がある。僕らはそれぞれを学ぶ。ひとつのことだけ、ひとつの価値観だけを学ぶのは、学ぶことではなく、額づくことだ。僕は、文学は狭間に生じると考えていたけれど、人がそもそも狭間によってのみ存在できるものであると最近思うようになった。&lt;br/&gt; 　複数の価値観を体内に入れて、それが整合されずに体の中で暴れまわるという苦しさが、人間というものからすれば全く当たり前の、調和と安定の取れた状況なのだと思うようになると、また勉強をしてみるのも悪いことではないとも思う。</content> 
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    <title>自由になること</title>  
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    <issued>2012-04-18T23:22:40+09:00</issued>  
    <modified>2012-04-18T23:07:57+09:00</modified>  
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      <name>j_or_d</name> 
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    <dc:subject>書くこと</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
　例えば同性愛というものについて性欲と真逆のものを感じる自分自身というものを考えると、実に奇妙なことに驚かされる。この嫌悪感というものは間違いなく僕自身の感覚でありながら、文化的に僕を支配する外側の何かでもある。僕が主人となって感覚を発しているつもりでいて、実は外的な何かに僕の感覚でさえも隷属してしまっているというのを、例えば同性愛という事柄をメルクマールに考える。<br/>
　そうしてみると、感覚だの感性だのといった、僕が個であるという源泉として位置づけられがちなものに対して、僕は不信感を抱く。好んで僕は不自由となり、囚われている。<br/>
　例えば性欲ということならば、僕は同性のみならず、動物やもっと別のものに対しても妨げを持たずにそういった感覚を抱いてよいのだし、それが自由といえばそうなのだ。そう思えば、世に自由を喝采し、自由を礼賛する人間が右往左往するのが実に馬鹿馬鹿しく見える。また感覚を重視し、感性を信奉する人と出くわせば、正気でそんなことを考えているのかと不思議に思う。<br/>
　僕がいるこの場所は、強固な基盤の社会であるはずなのに、ギリギリでスレスレのバランスばかりが縦横に張り巡らされた、実は危うい場所なのではないかと思う。少なくとも、僕はその危うさを謳歌することが自由なのだと思えてならない。<br/>
　例えば作品を書いて、それが凡庸だということは、ふたつの全く異なる事実が存在してくる。危うさの中で凡庸さも危うさのひとつとして受け入れたか、或いはその危うさが書き手の中に何ら存在しないかだ。そういう人間が創造に携わることを、正直を言えば僕は嫌悪している。
        ]]></content> 
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    <title>チャンネルをそれでも開く</title>  
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    <issued>2012-04-18T23:07:28+09:00</issued>  
    <modified>2012-04-18T22:52:45+09:00</modified>  
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      <name>j_or_d</name> 
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    <dc:subject>書くこと</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
　初対面でその人間のことをこれっぽっちも洞察できないように、初見の本に対してもどれほどの把握もできないものだと基本的には思う。もちろん、決まり決まったお約束でできあがったものならば、一度読めば十分すぎるし、下手をすれば読む必要さえもない。こういうものは、チャンネルを思いっきり開いているようで、実際は何も開いていない。決まり決まったお約束の中に自分自身が１００パーセント入り込んでしまっていることは、本当の意味ではありえないし、もしそれがありえるならば本当の意味で自分自身ではないことの証明になる。もちろん、自分自身なんていう言葉に酔っただけで、その厳しさや苦しさを引き受けようとしないのは、ただのぱーだ。<br/>
　テクストは、別にわからないままあってもいい。永久にわからないものとして存在したっていい。それに対してわかろうとする意志が向かえば、ただそれだけでいいと思う。チャンネルをそれでも開くというのは、そういうことだと僕は思う。<br/>
　僕はわからないという絶望を持たない人とは、結局袂を分かつしかない。そして、絶望で立ち止まってしまう人とも袂を分かつしかないと思う。それでもチャンネルを開くという意志以外に、主観で脂ぎった意志が美しくなんてなりえるのだろうかね。
        ]]></content> 
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    <title>職場にて</title>  
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    <issued>2012-03-12T21:29:34+09:00</issued>  
    <modified>2012-03-12T21:15:56+09:00</modified>  
    <created>2012-03-12T21:15:56+09:00</created>  
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      <name>j_or_d</name> 
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    <dc:subject>しょうもない閑話</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
中堅としてみんなを引っ張っていってもらいたい。<br/>
その時に、自分を出してもらいたい。<br/>
<br/>
イヤだとそれを断った。<br/>
残念ながら僕は良質の職業人ではないし、僕の真実を出せば誰もが混乱するばかりだ。<br/>
僕は、理解や支持が得られなくとも、容易にたどり着けない理解というポジションに向かって、幾万語を投げつけて費やすことをする、書く人間だ。数語でわかる自分というものはない。そのことをずっと、ずっと考え続けてきた。<br/>
<br/>
自分をスペックダウンするつもりはない。だから日常で自分なんて出したくもない。それは大事なものだから。<br/>

        ]]></content> 
  </entry>  
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    <title>小説というシステム</title>  
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    <issued>2012-03-12T21:19:36+09:00</issued>  
    <modified>2012-03-12T21:05:59+09:00</modified>  
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      <name>j_or_d</name> 
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    <dc:subject>書くこと</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
　小説とシステム、このふたつの言葉に親和性を覚えるか否かというのは、小説を書く人間の良心或いは知性を図る試薬のようなところがあるのではないかと思う。<br/>
　自分の小説にシステムなんて無縁だ、と言い切れる人は、良心か知性か、多分いずれかが欠けていると思う。ニヤニヤ笑いながら確信犯的にそう言ってのける人は、悪気があるだけまだマトモだと思う。自己存在が完璧に感性で出来上がっていると考えられる人は、かなり問題だ。<br/>
　小説というものを嫌悪する人間の視線を、いつも僕は意識する。ニセモノに心酔する人間を忌避する心情を、いつも僕は持とうとする。そうではないところから発する小説なんて、予定調和以外の何物でもない。例えそれが名のあるプロの作品でも。<br/>
　足掻かない人間は嫌いだ。苦しまない人間も嫌いだ。楽しめばいいというその楽しみが乳児的であることには耐えられない。エンタメとか純文とか、そんな区分もどうだっていい。ただ、自分であるところの果てに存在する何かを作品として表現しようとしないものを作品と呼びたくない。<br/>
　小説とシステム、ぞっとする事実から逃げず、そこから一ミリグラムの真実に向かって手を伸ばす。
        ]]></content> 
  </entry>  
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    <title>お幸せ</title>  
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    <issued>2012-03-12T21:04:47+09:00</issued>  
    <modified>2012-03-12T20:51:09+09:00</modified>  
    <created>2012-03-12T20:51:09+09:00</created>  
    <author> 
      <name>j_or_d</name> 
    </author>  
    <dc:subject>書くこと</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
　昔、名前も覚えていないアホそうな俳優がいて、何かのインタビューで<br/>
「小学生の頃からニーチェが理解できていた」とか、ほざいていたのを見たことがあったけれど、<br/>
ああ、幸せだねえ。はいはい、わかったよっていう感じです。<br/>
大体ニーチェなんてドクソのバイブルだからね。<br/>
<br/>
この、「わかる」っていう発想が、そもそも受験勉強チックで、<br/>
テストにいい点取ることの意味なんて処世術以外の何物もないという知的懐疑がないところが<br/>
アタマが悪いハナマルポイントなんだよなあ。<br/>
いい意味おしあわせです。長生きするぜ。<br/>

        ]]></content> 
  </entry>  
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    <title type="text"><![CDATA[PR: ポケットWiFiを使って電子書籍を楽しもう！]]></title>
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    <content type="html"><![CDATA[<table cellspacing="0" cellpadding="0"><tbody><tr><td align="left" valign="center"><a href="http://rss.rssad.jp/rss/ad/_qyIbaWH_gXn/SYh2MyqaPvdw?type=2" target="_blank"><img alt="" style="border: 0;" border="0" src="http://bnr.rssad.jp/rss/img/_qyIbaWH_gXn/SYh2MyqaPvdw?type=3&ent=da8b12dd1e838defab007d283819433b"/></a></td></tr><tr><td align="left" valign="top" > @nifty EMOBILE G4なら、電子書籍10000ptプレゼント。 </td></tr></tbody></table><div style="font-size:10px;"><span style="padding-top:5px;"><br style="display:none"/><a href="http://www.rssad.jp/trendmatch/trendmatch.html">Ads by Trend Match</a></span><br/></div>]]></content>
    <created>2012-03-12T20:51:09+09:00</created>
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    <title>文化と感性</title>  
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    <issued>2012-01-31T23:25:03+09:00</issued>  
    <modified>2012-01-31T23:12:23+09:00</modified>  
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    <author> 
      <name>j_or_d</name> 
    </author>  
    <dc:subject>書くこと</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
　石田純一が不倫は文化と発言して世のヒンシュクを買ったのは、ムスカに言わせれば「バカどもにはちょうどいい目くらまし」みたいなもので、そもそも人間というものは生殖でさえ文化ですからね。文化から遮断されたセックスなんてものは人間に限って言えば存在しないのだし、その派生系の不倫が文化であるのは当たり前。ただ、文化というものを自分という存在の外部に位置する何事かと考える人にとっては、それは甚だ都合が悪くなる。自分の主体的存在意義（ぱーでもわかる言葉で言うと、感性ということになる）の埒外によって翻弄され、人間存在の意志がグシャグシャにされるのを耐えがたく思う近代人というのはいるわけですが、そういう人を見かけるとつい僕は、感性などというろくでないものこそ文化という外部存在の隷下にしかないじゃないですかねと、皮肉を言いたくなってしまうのです。<br/>
　近代人の前提条件が個であるならば、その変遷は、個の約束であった神との関係性を断ち切ってからは、個の存在する理屈として、例えば才芸であるとか、個性であるとか、感性といったものをあてがったわけですが、僕は子供の頃から、本に陶酔してぽやんとしているキャラクターが欺瞞に思えてならないかわいげナッシングのガキンチョだったので、文化に隷属し、呪縛されていても、ちっともプライド傷つかんのです。そもそも主体的意志なんてアヤシゲな信仰を持った例はないしね。<br/>
　今、モンペアだ何だと、今更ながらに騒いでいるけれど、僕は個というものの限界に思えるんですね。個、その自己が、昔は神と交尾していたくらいの絶対であったのが、神と手を切った後も延々続いているわけで、それが社会生活の中で満足するオナニーであれば他人様に迷惑はかけないけれど、そうじゃないオナニーが肥大するというのが、個をベースにした社会の限界点でないかと思うのであります。<br/>
　まあ世の中が上等になってきて、誰も「こんなクズに生きる価値なんぞない」と言わないから、オナニーの自覚がない悪循環になるんだけどね。
        ]]></content> 
  </entry>  
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    <title>ゴールを</title>  
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    <issued>2011-09-13T23:51:58+09:00</issued>  
    <modified>2011-09-13T23:42:30+09:00</modified>  
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    <author> 
      <name>j_or_d</name> 
    </author>  
    <dc:subject>書くこと</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
　いつもゴールを意識する。<br/>
　成功というゴール、挫折というゴール。何処か出口をいつもイメージする。<br/>
　だけれどもスピードを速くすればするほど、ゴールは不思議と遠ざかる。<br/>
　だから途中で立ち止まる。<br/>
　手に届くくらいそこに、それはあると思えるのに、果てしなく遠い。<br/>
　落胆する。でも、それでも走り続けている。<br/>
　<br/>
<br/>
<br/>
　いつゴールとするのか、わからない。<br/>
　だけれども励ましが聞こえる。<br/>
　前に進んだ分の実感が、自分と他人の文章の隙間からにじみ出てきているのが分かる。<br/>
　もう少しだ。きっと。　
        ]]></content> 
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    <title>消費</title>  
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    <issued>2011-09-12T01:19:02+09:00</issued>  
    <modified>2011-09-12T01:09:38+09:00</modified>  
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    <author> 
      <name>j_or_d</name> 
    </author>  
    <dc:subject>書くこと</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
　保坂和志の小説と、あまり相性が良くなかったのだけれど、最近になって保坂の小説論が面白く、というよりも明確に励まされている。うまくいかないことが肯定されている。これは、社会的成功だとかそういう意味においてはあまり望ましくない状況なのかもしれないけれど、所詮その程度にしても励まされている自分がいる。<br/>
　一節、言葉は昔の方が高度であったという言葉に、大いに肯きつつ、それはほとんど全ての表現においてそうでないかと思ってしまう。<br/>
　消費、この概念というのはつくづく大きいんじゃないか。僕らは矢継ぎ早に消費するために、流動食みたいな咀嚼を要しないものばかり口にしては排泄しているのだろう。<br/>
「大勢に読んでもらうために、わかりやすく書く」<br/>
　この発想に、前からレントゲンに写った影のような、イヤな違和感を覚えていた。今、消費という観点から考えて明確に分かる。ヘドが出るってやつだ。<br/>
　もちろん最早消費に抗うというのは、ものすごく困難だ。（消費社会を改めなければならない、なんて教条的に主張しているエコロジストみたいにアタマが悪ければ、世の中生きていて幸せだと思う）　そもそも、商業ラインに乗るということは、消費に加担するということであり、消費について偉そうなことなんて言う資格がない。だけれども、自己存在が消費物であるという事実に対して抗って、力尽きてくたばることが、理想といえばそうである全く意味のない反抗だ。ともかくも、わからないといわれることを勲章に前に進まねば、ということだ。
        ]]></content> 
  </entry>  
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    <content type="html"><![CDATA[<table cellspacing="0" cellpadding="0"><tbody><tr><td align="left" valign="center"><a href="http://rss.rssad.jp/rss/ad/_qyIbaWH_gXn/xtG9VVXYRDIb?type=2" target="_blank"><img alt="" style="border: 0;" border="0" src="http://rss.rssad.jp/rss/img/_qyIbaWH_gXn/xtG9VVXYRDIb?type=3&ent=e43cdd98f109ad127332dc81b4a17462"/></a></td></tr><tr><td align="left" valign="top" > 母乳でも、完ミでも、必須なのが哺乳びん消毒グッズ。モニターレポートで要チェック！ </td></tr></tbody></table><div style="font-size:10px;"><span style="padding-top:5px;"><br style="display:none"/><a href="http://www.rssad.jp/trendmatch/trendmatch.html">Ads by Trend Match</a></span><br/></div>]]></content>
    <created>2011-09-12T01:09:38+09:00</created>
    <modified>2011-09-12T01:09:38+09:00</modified>
    <issued>2011-09-12T01:19:02+09:00</issued>
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    <title>ごくごく当たり前の</title>  
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    <issued>2011-09-12T01:03:16+09:00</issued>  
    <modified>2011-09-12T00:53:53+09:00</modified>  
    <created>2011-09-12T00:53:53+09:00</created>  
    <author> 
      <name>j_or_d</name> 
    </author>  
    <dc:subject>書くこと</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
　一人はとても心細い。自分が間違っているのかいないのか、分からない状態がずっと続く。<br/>
　これまで考えてきたこと、積み重ねてきたもの、全部間違いだったのかもしれないと惑うこともある。<br/>
　ただ、誰かに「そうじゃないんだ」と根拠もなく言われても、一人は一人であることに何の変わりもない。<br/>
　怖いくらいに、他者と僕とは言葉を共有できないし、僕も他者と言葉を共有できない。<br/>
　ただ、できないから、小説という、文学というコミュニケーションの手法にすがりつく。<br/>
　すがりつくから怖い。諦めてしまえばどうでもよくなる。それができないから怖い。<br/>
　怖いけれど、怖さを感じる自分をすりつぶして、違和感ばかりの他人の言葉に隷属することはできない。<br/>
　それが一人で書くということ。<br/>
<br/>
<br/>
　精一杯チャンネルを開く。<br/>
　そこには何の楽観もなく、夢もなく、望みもないといえばない。<br/>
　そこに星があり、感性があり、太陽の光に満ちて暖かである、そのことを、嫌悪して僕は独りでいる。<br/>
　阿ることも、迎合することも、屈することも、我慢することも、<br/>
　リアルライフでいくらでもやれるし、やってしまっている。<br/>
　そのことをせめてやりたくないから、文学をやっている。<br/>
　好きなことを精一杯やるために、ワガママでいる。<br/>
　そのことに精一杯チャンネルを開きながら、間口を広く取らない。<br/>
　敢えて狭くしているわけではないけれど、他人の家に案内も請わず土足で入る無神経に逆毛立たせる。<br/>
　<br/>
　懸命に開く。<br/>
　それでいいし、それ以上はできないし。<br/>

        ]]></content> 
  </entry>  
  <entry> 
    <title>韓流ドラマ</title>  
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    <issued>2011-08-08T00:19:11+09:00</issued>  
    <modified>2011-08-08T00:10:35+09:00</modified>  
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    <author> 
      <name>j_or_d</name> 
    </author>  
    <dc:subject>書くこと</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
　ウチは母親がハマっているので、かなりなヘビーローテーションなんだけれど、メシのときに見せられるのが苦痛でね。まあ断片だけなんだけれど、ひでえんだ（笑）　ただ補足すれば、日本のドラマだってひでえからね＾＾　<br/>
　やっぱりね、視聴者はアタマが悪いというのを前提にしてモノを作るのが悪いんでないか＾＾<br/>
<br/>
<br/>
　わかるやつだけわかれ、わからんやつは散れ、そううそぶくことって、ものつくりにとって重要な傲慢さじゃないかと思う。誰にでもわかるようなものを書くとかってほざくのはさ、いいともですよ（笑）　オレはあんなバカなこと、絶対嫌だよ。
        ]]></content> 
  </entry>  
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    <title>韓流よりもいいともを止めた方がいいんじゃないかね</title>  
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    <issued>2011-08-08T00:12:21+09:00</issued>  
    <modified>2011-08-08T00:03:47+09:00</modified>  
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      <name>j_or_d</name> 
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    <dc:subject>書くこと</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
　フジの騒動は、何と言うかかんと言うか（笑）<br/>
　いやね、高岡氏やふかわ氏の言いたいことは分かるのですよ。それは、彼らはテレビに参入する側だから。テレビという存在の中で彼らのポジションが韓流に漸減されるというのは、メシにかかわってくるわけだからね。一昔前の、日本製品のボイコットと心理的には同じだよね。ふかわ氏のフェアネスの観点というのは、おそらく一面の真実なんだろうけれど、でもそんなの今に始まったことでないんでないの。自分たちもえこひいきやごり押しあっての芸能界の一員であるわけっしょ。たまたまその一角に韓国ものがあるといって、今更わかったようなことを言いだすのは、そんなにフェアではないと思うけれど、生活に関わるという論理ならばその部分についてうなずける。<br/>
　だけれども一般の視聴者が云々というのは、またちょっと違うと思う。いや、生理的な反発というのならばまだわかる。そこにミョーな理屈や風潮が乗っかるのはどうもね。<br/>
　どうせテレビしか見ないのなんて、必ず何かの情報に偏向されるしかない人達じゃないですか。そういう人達が韓流に洗脳されるのがマズイの？　つうか、日にだって洗脳されているんだから同じだって。<br/>
　まあ、席巻されるのは、まさしくふかわ氏の言うとおりで、テレビが終わっているってことだと思う。ただしそれは高岡氏やふかわ氏も含んでのことだよね。彼らはテレビの人でしょう。いくらただの兵隊だとしてもね。<br/>
　<br/>
　今の韓流の膨張や中国のバブリーな有様って、かつての日本の焼き直しと、日本人には見えるところがある。まあ露骨なパクリから、正当な手続きを踏んだコンテンツのリメイクまで様々だけれども、そこにノスタルジーという居心地の良さを覚える人間と、自画像に苛立つ自己嫌悪の人間が真っ二つなのが今の日本なのかもしれない。もっと言えば、最早日本でノスタルジーの範疇の中でモノを作るには、テレビにフロンティアがなくなったのかもしれない。ポテンシャルを全て浪費してしまったのかもね。ふかわ氏のテレビの終焉という言葉は全く正しい。だけれどもそれは、フェアネスからの逸脱とは全く異なると思うんだよね。まさしく彼らも含めたコンテンツの作り手たちの衰弱こそがテレビの終わりを示しているんでないだろうか。<br/>
<br/>
　っていうか、そんなことを言い出さずともさ、平日昼にフジにチャンネル合わせれば、画面の中は絶望しかないでしょう。あんなバカな客が幼稚園のお遊戯みたいに声をそろえて手拍子でさ。バカばっかりじゃないですか。あれ見れば終わっているって一目瞭然じゃないか。悪いけど韓流もまあオーバーでひでえのはひでえけど、いいとものくだらなさよりひどいのを見つけるのも結構大変かもよ。
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    <title>思い上がり</title>  
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    <issued>2011-08-07T02:17:41+09:00</issued>  
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    <dc:subject>書くこと</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
　宇賀神さんの「ゴルフは上手くなったと思った途端に下手になっていく」というのはつくづく他者への理解と同じだと思うわけで、他人を理解したと思った瞬間に誤解が生じるという寂しいズレと、それを抱え持って生きるしかないっていう諦観が、僕の中でようやくハッキリしてきた感があります。<br/>
　理解したと確信を持った人間の表情って、つくづく醜いよなあ。やっぱり僕の気質としては、散々迷い惑う人が好きだなあ。<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
　そうそう、僕は作家の顔というものの中でも、賞を受賞したときのあの顕示欲が満面に表れる顔、あれが一等イヤですね。
        ]]></content> 
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    <title>消費</title>  
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    <issued>2011-08-07T02:08:14+09:00</issued>  
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      <name>j_or_d</name> 
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    <dc:subject>書くこと</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
　文芸も商品だし消費されるものだけれども、藝術というのは経済であるにも拘らずその消費という概念を否定するとても人間臭いものなのであって、つまるところ矛盾であるわけですが、能天気にだれそれ風の作品とか、初手から亜流でね、そのくせ消費財としての確信的でもない有様に、くだらないなあとも思うわけでありますよ。<br/>
　読者も魯鈍であるわけだから、先例のない作品を受け付けない保守的閉塞的読解力で、亜流を求めながらも、亜流を亜流として軽侮する。亜流でなければ流通せずに商品価値がないけれど、亜流であるから動脈硬化に及ぶ。<br/>
　僕は一昔前はそれを糾弾する気分であったのだけれども、それはそもそも商品であるから悪いということに段々向かってきたわけで。<br/>
　しかし、そのくせ平然とどの口が様式や形式は良くないとかって言うんだよねえ。自分の中で整合しないで断片だけで思考しちゃいかんよなあ。
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    <title>日本人の自己主張</title>  
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    <issued>2011-08-07T01:58:42+09:00</issued>  
    <modified>2011-08-07T01:50:11+09:00</modified>  
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      <name>j_or_d</name> 
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    <dc:subject>書くこと</dc:subject>  
    <content type="html"><![CDATA[ 
　僕が十代の頃というのは、日本人のスタンダード的なイメージに対するアンチテーゼが大はやりの時期で、とかく日本人は自己主張しなければだめだという論調がそこかしこにあった。中田ヒデなんて同学年だけれども、その結晶体のような気がする。結論から言うと、自己主張っていう言葉に酔いしれていたあのアンチテーゼは結局空疎だったような気がするし、第一自己主張する人間なんてどう理屈をつくろったところで薄汚いんだよね。<br/>
　美しいままで埋まっていくか、薄汚いほど脂ぎって生きるか。そういう択一の中で、やむを得ず薄汚さを選択するということと、単に自己主張って世界の常識なんだからそうしなきゃダメッってキュンキュンするのと、根本から違うんだな。村上龍くらいアタマが悪いとキュンキュンでちょうどいいんだろうけど。<br/>
　別に日本に限らず、大きな惑いの時代だと思います。自己主張なんて勉強不足で恥知らずでアタマが悪けりゃいくらでもできるけれど、そういう自己に躊躇してしまうほど、自分の中の心棒になる絶対って乏しい。そういうものはほんの少しを、長い時間をかけて手探りで、ようやく見つけられるんじゃないかと思う。そうでないのは恥ずかしいよ。
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