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    <title>MUSEUM OF TRAVEL</title>  
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    <description>MOT</description>  
    <dc:language>ja</dc:language>  
    <dc:creator>dog06</dc:creator>  
    <dc:rights>Copyright 2007</dc:rights>  
    <pubDate>Tue, 18 Dec 2007 18:29:58 +0900</pubDate>  
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      <title>MUSEUM OF TRAVEL</title>  
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      <description>MOT</description> 
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      <title>当日の様子：CAMP-10［日本大通りキャンプ］</title>  
      <link>http://mot06.exblog.jp/7087310/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200712/18/10/f0015110_18281973.jpg" border="0" width="500" height="300"/></center><center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200712/18/10/f0015110_18283428.jpg" border="0" width="500" height="300"/></center><center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200712/18/10/f0015110_18284868.jpg" border="0" width="500" height="300"/></center>
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>未分類</dc:subject>  
      <dc:creator>dog06</dc:creator>  
      <pubDate>Tue, 18 Dec 2007 18:29:58 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>【TVアニメ】『ぼくらの』</title>  
      <link>http://mot06.exblog.jp/6934970/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
『ぼくらの』に見る現代の死の両義性<br/>
AA<br/>
<br/>
「死」とは？<br/>
<br/>
現実のそれは確かに重いものだけど、表象される死は、案外軽かったりもする。<br/>
そういう両義性が「死」には伴ってるんじゃないか？<br/>
<br/>
『ぼくらの』はそんなことを考えさせるアニメだ。<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200711/27/10/f0015110_895237.jpg" border="0" width="395" height="292"/></center>夏休み、神奈川県・御友島で行われた臨海学校にやってきた15人の少年・少女は、洞窟の中でココペリと名乗る不思議な人物と出会う。彼は、子供たちにあるゲームに参加しないかと持ちかける。その内容は、巨大ロボットのパイロットになり、敵と戦うというものだった。軽い気持ちでパイロットになる契約をした子供たちであったが、この契約にはある秘密が隠されていた。ロボットを操縦すれば、代わりに自分の命がなくなってしまう。だからと言って戦わなければ、地球全体が滅びる。つまり、「自らの死」がこの契約の避けられない条件だったのである。<br/>
<br/>
このような絶望的とも言える条件を突きつけられ、多くの子供たちはもちろん抵抗した。しかし、実際に仲間たちは次々と戦っては死んでいっている。それを目の当たりにするなかで、彼らは逃げられないことを悟るとともに、敵と戦う決心をする。<br/>
<br/>
この子供たちは、超能力者や特殊な才能を持った人間ではないという意味で「普通」の子供だ。しかし、それでもそれぞれが背負っている過去は複雑なものがある。その子供たちがそれぞれ、自分が戦う意味、地球を守る意義を見出し、戦い、死んでいく。その様はなんとも健気で、私たちの涙を誘う。<br/>
<br/>
例えば、7番目のパイロットのモジ。彼にはナギとツバサという2人の幼なじみがいた。兄妹同然に育ってきた彼らだったが、大きくなるにすれ、モジとナギは、次第にツバサを女性として意識するようになっていた。そんななか、突然ナギを病が襲った。病名は突発性心筋症。治療にはドナーの心臓の移植が必要な難病。それを知ったモジは、親友の病気を気遣いながらも、内心「発症したのがツバサでなくてよかった」と思っていた。だから、パイロットになることが決まったとき、モジはそれを卑怯な自分への罰だと思った。親友が苦しんでいるのに、それを微かに喜んでしまった自分。そんな自分を戒めるため、親友たちの生きる地球を守るため、そしてナギのドナーになるために、モジは戦いに挑んだ。<br/>
<br/>
このように、子供たちの死には、それぞれ感動的なストーリーが伴う。これはもちろんフィクションではあるけれど、それでもそれぞれの決意には胸の詰まる思いがする。<br/>
<br/>
しかし、だ。それでも、全体としてみると「死」の扱いは軽い。その原因は、恐らく主人公の多さにあるのだと思う。パイロットに選ばれたのは全部で15人であり、全24話のアニメとしては、破格の多さである。そして、この15人の少年たち全員にスポットライトが当てられるのだ。したがって、次々と子供たちが死んでいくにつれ、それぞれの死が比較対象でしかなくなる。例えば、「一番かっこいい死に方は○○だ」「××の死に方は情けなかった」というように。さらに、15人のストーリーを全24話で扱うため、一人あたりにかけることのできる時間は必然的に少なくなる。早ければ1話で一人が死んでいく。一人一人の死が感動的であるが故に、このテンポのよさが逆に違和感を生じさせることになる。<br/>
<br/>
だけど、私たちの周りを見渡したとき、案外「人の死」ってそういうものなのではないか。それぞれの死はもちろん重いけど、身内の死などは本当に辛いものだけど、それでもメディアが使える「訃報」には、現実感がなくて、毎日のニュースの一部でしかない。そのような「死」の両義性というものをこのアニメは考えさせる。<br/>
<br/>
★補足<br/>
このアニメの原作となった鬼頭莫宏の漫画『ぼくらの』は、現在も小学館の月刊IKKIにて連載中である。こちらはアニメよりも丁寧にそれぞれの子供たちの心理が描かれている。また、ストーリーもアニメとは異なっているので、興味のある方には是非こちらもお薦めしたい。<br/>
<br/>
<br/>
公式HP: http://bokurano.jp/<br/>
動画（予告編）: http://bokurano.jp/movie.html
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>未分類</dc:subject>  
      <dc:creator>dog06</dc:creator>  
      <pubDate>Tue, 27 Nov 2007 8:11:42 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>CAMP-10［日本大通りキャンプ］</title>  
      <link>http://mot06.exblog.jp/6909665/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://mot06.exblog.jp/6909665/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
<br/>
団地<br/>
<br/>
プレゼンテーション：福井晶子<br/>
<br/>
日時：2007年12月15日（土）13:00〜16:00　※開場は12:30　→当日の様子<br/>
場所：ZAIM別館 202号室（神奈川県横浜市中区日本大通34） →地図<br/>
定員：20人（予約制、先着順）<br/>
参加費：1,000円（おつまみ＋1ドリンク付）<br/>
<br/>
<br/>
ここ数年、ちょっとした「団地ブーム」が起こっています。『僕たちの大好きな団地』という本が出版されたり、アエラで記事（「団地は日本の聖地だ」）になったり、いろいろな団地を紹介するのサイト（「団地百景」「公団ウォーカー」「住宅都市整理公団」など）が話題になったりしています。「無機質なコンクリートの箱が集まった非人間的な場」として語られることが多かった「団地」に、これまであまり注目されなかった魅力を見つけて、面白さを感じる人が増えているのではないでしょうか。<br/>
<br/>
今回のキャンプでは、これまで「団地」がどのように語られてきたのか簡単に紹介した後、ひとりの「団地ファン」の視点から、「団地」のどこに面白さを感じるのかといった非常に主観的なプレゼンテーションをしていただきます。後半は、参加者の皆さんの世代・育った地域・環境などによって「団地」に対して感じていることなどがどのように違うのかといったことをディスカッションしながら、現在の社会や文化について考えてみたいと思います。<br/>
<br/>
★お申し込み方法<br/>
受付を終了しました。  <br/>
<br/>
主催：MUSEUM OF TRAVEL<br/>
<br/>
<br/>
[ タイムテーブル（予定）]<br/>
12:30〜　開場<br/>
13:00〜　導入（15分）<br/>
13:15〜　プレゼンテーション（45分）<br/>
14:00〜　ディスカッション（60分）<br/>
15:00〜　パーティー（60分）<br/>
<br/>
<br/>
[ プレゼンテーター：福井晶子 ]<br/>
1980年生まれ。広告制作会社勤務。筑波大学社会工学類卒業。大学で都市計画を専攻したことをきっかけに団地に興味を持つ。現在は研究者としてではなく、「団地ファン」として、さなざまな団地に足を運んでいる。<br/>
<br/>
<br/>
[ ちょっとお得な情報 ]<br/>
今回のキャンプ終了後の17時から同会場（ZAIM別館 202号室）でSurvivart（サバイバート）のイベントが開催されます。<br/>
<br/>
　　サバイバート・カンバース 『共−犯（with-commit）』<br/>
　　http://survivart.net/nextevent/<br/>
<br/>
　　日時：2007年12月15日（土）17:00〜19:00　※開場は16:30<br/>
　　場所：ZAIM別館 202号室<br/>
　　ゲスト：芹沢高志（P3 art & environment）<br/>
　　　　　　住友文彦（東京都現代美術館）<br/>
　　主催：Survivart<br/>
<br/>
両イベントに参加する場合は、「MOTもSurvivartも参加」と明記してお申し込みください。1,200円（1ドリンク付）で参加できます。MOTかSurvivartのどちらか一方からのお申し込みでOKです。この機会にぜひ！
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>未分類</dc:subject>  
      <dc:creator>dog06</dc:creator>  
      <pubDate>Fri, 23 Nov 2007 21:54:12 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>【映画】『ミリキタニの猫』</title>  
      <link>http://mot06.exblog.jp/6543184/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://mot06.exblog.jp/6543184/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
「撮る」ことの力<br/>
福浦恵美子<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200710/11/10/f0015110_023062.jpg" border="0" width="250" height="202"/></center>ドキュメンタリー映画はお節介から始まる（ような気がする）。ここ最近たて続けにドキュメンタリー映画を観た結果のセオリーです（たった3作ですが）。アレをコレをコノ人を、世の中に知らしめたい思う制作者のお節介から全てが始まります。もちろん撮る側がお節介する人で撮られる側がお節介される人です。撮る撮られる関係から一歩踏み出した時に、予想以上の化学反応みたいなものが起こる。そこからとんでもない作品が生まれるんではないでしょうか。ドキュメンタリー映画の申し子マイケル・ムーアはいつも怒ってますが、彼の映画も問題意識にかられたお節介であることは否めません。正義感でもエロい感情でも、やむにやまれぬ衝動に駆られてつくられた作品は、何かしら人の心を動かすものです（感情とかとは一切無縁のところにある美しさというのもありますが）。他者へのポジティブな干渉が、映画はもとより日常生活やビジネスや芸術にとっても原動力になっているんだなと実感する秋でございます。<br/>
<br/>
この映画の主人公、ジミー・ミリキタニとリンダ・ハッテンドーフ監督の出会いはまさにとんでもない化学反応を引き起こしました。ジミー・ミリキタニは80歳を超えた日系人アーティストでNYの路上で生活しています。その近所に住むリンダがミリキタニの猫の絵を買ったことから映画は始まります。ジミーは絵の代償として自分を撮影することを依頼し、それを機にリンダはあれこれと彼の世話をやくようになります。そんな中でおこった9.11。猛塵の中、ただ1人黙々と絵を描き続けるジミーを見るに見かねて、リンダは彼を自分の部屋に招き入れます。リンダは彼に社会保障を受けるようにと勧めますが、ジミーはそれを拒みます。バカなアメリカ政府の支援など受けないと語気を荒げます。彼は真珠湾攻撃後、日本人収容所に入れられ、市民権を剥奪された過去がありました。しかし、リンダの粘り強い説得にジミーは心を和らげ、やがて彼のこれまでの人生が徐々に語られていきます。そしてクライマックス、ジミーは原点となるツルーレイクの日本人収容所ツアーへと出向き、ようやく長年の怒りを解消するに至ります。その軌跡はさらに世界各国での賛辞という化学反応を引き起こしました。<br/>
<br/>
ジミー・ミリキタニ画伯曰く「自分はアートのグランマスターである」。日本画っぽいモチーフをペンや色鉛筆で描いた彼の作品は、ゴージャスとはほど遠いけれども、確かに独創的で見る人を引きつけます（自分をイイ男だと言い切る笑点でお馴染みの三遊亭小遊三も見ようにによっては実際イイ男です）。素朴なタッチで一見人の心を和ませますが、その奥には希望絶望怒り祈りといった様々な感情がうごめいていて悲哀に満ちています。彼が体験した日本人収容所の絵はもちろんのこと、タイトルにもなっている猫の顔は妙に人間っぽくて哀しげです。しかし何よりも哀しげなのは、凍える雨の中、肩と首を直角に折り曲げて暗い顔で絵を描く彼の姿です。誇り高きチャーミングなおじいちゃんであるジミーですが、過去と理想と現実が彼を苦しめているのは明白で、リンダと出会った当初の彼の姿はハッキリ言って「痛い」。しかし映画の後半では本来を自分を取り戻すかのようにイキイキと輝きだし、絵を描く姿からも悲哀は薄れていきます。撮るという行為が人を変える。ジミーは無意識に赤ん坊のような感受性でリンダを選び、そのきっかけつくることを彼女に託したのです。<br/>
<br/>
冒頭で「ドキュメンタリーはお節介から始まる」と言ってしまいましたが、この映画においては、＜リンダがジミーに＞アクションをおこす前に、＜ジミーがリンダを＞見つけた時点で始まっていました。良くも悪くも全ては人と人の出会いから始まります。何かを解決するのも人との出会いかもしれません。反戦、9.11、人権など世界共通の問題を要素として含むこの映画ですが「まずはすぐ近くの人に目を向けてみることから何かが変わるんじゃない？」とやんわりと説教してくれます。全ての事象の要は個人と個人のつながりであるということを再認識しなければ、事態はより切迫したものになってしまうかもしれません。<br/>
<br/>
<br/>
『ミリキタニの猫』<br/>
http://www.uplink.co.jp/thecatsofmirikitani/
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>未分類</dc:subject>  
      <dc:creator>dog06</dc:creator>  
      <pubDate>Thu, 11 Oct 2007 0:25:38 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>【小説配信サイト】新潮ケータイ文庫</title>  
      <link>http://mot06.exblog.jp/6488102/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://mot06.exblog.jp/6488102/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
ラジオのような、新聞のような。ipodのようでもある。<br/>
でもやっぱり文庫です。<br/>
井上慶太<br/>
<br/>
明日が本コラムの更新日で、毎度ながらぎりぎりになって原稿を書いている。しかも、前回は仕事の忙しさをいいわけにさぼらせてもらったので今回は甘えた根性に出番は無い。雨の中、家を出て、タリーズにいる。いつものことだが、第一行目から悪戦苦闘しながら。目の前には、僕の彼女がおいしそうなお菓子を食べていて、言葉には出さなくても、早く終わらないかなぁと思っているのだ（ろう）ということがわかる。<br/>
<br/>
さて、はじめましょう。<br/>
<br/>
趣味は心に余裕をもたらすものだけど、同時に、心に余裕がないと趣味なんて身にならない。<br/>
<br/>
あくせくした日常の中においても、難しい事なんて何もないよってな顔で平然と本を読む人はすごい。いったいどこにそんな時間があるのだろう。そういう人に限って、なんだか難しそうな本を読んでいる。本が好きとはいえども、僕は彼らの足元にも及ばないだろう。<br/>
<br/>
音楽と同じ様なもので、疲れている時と落ち着いている時では読みたいものが違う。そういう人たちは、気分の違いをもろともせずに分厚い本を読んでいるのだろうか。他人の読書習慣なんてわからない。ごめんなさい、僕は読書をもっとポップに考えています。<br/>
<br/>
例えばipodが音楽をライブラリー化したように、僕にとって、携帯は本をライブラリー化してくれる重要なツールである。電子書籍は、気分に応じて、読みたい本が選べるとても便利な仕組みだと思う。<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200710/04/10/f0015110_20475895.gif" border="0" width="240" height="196"/></center>さて、明日の朝が楽しみなのである。新潮社のサービス「新潮ケータイ文庫」にて、人気シリーズ「天国の本屋」の最新作が配信開始される。シリーズ作が2004年に映画化されているので、ご存知の方も多いと思う。第一作目の『天国の本屋』は、もともと一人の書店員が、そのストーリーの良さを伝えたいと地道に売り続け、それが口コミで広がった、いわゆる書店員が勧める一冊。すっかりメジャーになったあとになってようやく読んだ僕は、当時学校の帰り道だった一時間の間に楽しく読み終えた。絵本を読み終えたときのような軽やかで優しい気持ちになった。<br/>
<br/>
とある不思議な本屋さんが舞台。そこには書店員による朗読のサービスがある。主人公のさとし、ユイ、そして変わり者のおっさんの三人による、天国とこの世をまたいだパステル調の物語です。<br/>
<br/>
明日から、その第四作目が配信開始です。月曜と木曜に配信です。設定すれば八時ごろに、携帯へその日の更新分がメールされます。少しずつ読み進めていくんです。なんだか新聞小説みたいでしょ。ちなみに僕は、ある程度ためてから読みます。鞄の中には別に一冊いれておいて、飽きたら携帯を開いて一気に未読分を読み進めます。<br/>
シリーズ各作のストーリーはそれぞれある程度読みきりになっているので、久しぶりの人も初めての人も、気軽に興味を持ってください。<br/>
<br/>
そういえば、話の中に登場する「朗読」。これも電子書籍と相性がいいですね。アメリカではオーディオブックという耳で聞く電子書籍が人気だそうです。<br/>
<br/>
さぁ、目の前の彼女さん、遊ぶものがなくなったようで、携帯で漫画を読み始めました。<br/>
<br/>
明日から配信開始のシリーズ第四作目「あの夏を泳ぐ　天国の本屋」、楽しみにしています。<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>未分類</dc:subject>  
      <dc:creator>dog06</dc:creator>  
      <pubDate>Thu, 4 Oct 2007 20:50:22 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>【本】七類誠一郎『黒人リズム感の秘密』</title>  
      <link>http://mot06.exblog.jp/6425571/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://mot06.exblog.jp/6425571/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
一拍の弾力<br/>
加賀彩恵子<br/>
<br/>
黒人の演奏する音楽を聴くと、リズムが「立体的」だと感じます。それに比べると、白人の演奏するロックや日本人のロックは「平面的」です。もちろん、平面的だから劣っているということはないし、「平面」の中にもさまざまな綾があるし、そもそもロック以外の音楽・「白人」「黒人」以外の音楽というふうに目を向けていくと、そんなに単純にまとめることはできません。とはいえ、やっぱり感じることがあるのではないでしょうか。アフリカの血をもった人たちの、動き・刻むビート・話し方・発声の、特徴的なリズム。喋りが歌に聞こえ、歩きが踊りに見える、その秘密はなんなのか？　その疑問を、ダンサーである著者が身をもって追及したのが、この『黒人リズム感の秘密』です。<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200709/26/10/f0015110_8514149.jpg" border="0" width="240" height="240"/></center>黒人ならではと思われているリズム感は、後天的に身につけることができる。七類誠一郎（またの名をTony Tee）氏の主張はまずここから始まります。そのためには、脱力した体幹の連動運動で、比較的テンポの遅い黒人ダンス音楽のビートを刻むというトレーニングが有効です。やがては音楽がなくても自らそのビートを生み、ビートとビートの間をさまざまに伸び縮みさせて遊びながら、体を動かすことができるようになるというのです。以上のような主張を中心に、黒人ダンスの歴史から具体的なトレーニングメニューまでが、とっつきやすい言葉で語られていきます。感覚的な題材であることもあり、無駄なく体系化された文章ではないのですが、そのぶん熱っぽく、さまざまなことが盛り込まれています。随所ではさまれる自信に満ち溢れた著者近影もチャームポイントです。<br/>
<br/>
注目のトレーニングは、ハトのように首を前後に振る動きを中心に、腰振りや胸振りなどの7種類の「振り」からなっています。これを、脱力・振れ幅・瞬発力を心がけながら、1種類につき3分間、遅めの黒人ダンス音楽に合わせて行うのです。私もエリカ・バドゥのムーディな音楽に合わせてさっそくカクカクとやりだしました。驚いたのは、ほんの一拍のあいだが実に豊かな長さを持っていること、そしてその中で実にさまざまな体の動かし方がありうるということです。本を読んだだけではなかなか正しい体の動かし方はわからないし、ましてや黒人リズム感が体得できているという自信もなかなか得られないわけですが、それでも「こうかな、ああかな」と自分なりにやっていると、少なくとも一拍というものの広さや深さ、やわらかさを感じることはできます。拍の謎に体で対峙するというのは、けっこう夢中になってしまう作業です。<br/>
<br/>
この本を愛読していたベーシストの友人は、馬の走りにもマイケル・ジョーダンにもグルーヴを見出していました。ジダンの頭突きの威力はそのたぐいまれなるリズム感の産物だ、という話もあります。リズムというのは奥深いものです。この本を読んで、あなたの日常生活の中に「リズム」という判断軸が新たに導入されたら、世界はまた違った様相を見せはじめるのではないでしょうか。<br/>
<br/>
また、黒人自身が「自分たちだけが天から授かったフィーリング」であると言うリズム感を、普遍的なものとして理論化していこうとするこの本の試みは、「人種」や「本能」といった抗いがたいけれど曖昧な概念を、真っ向から検証していこうとする挑戦でもあります。そうした点でも刺激的な一冊です。<br/>
<br/>
<br/>
注：Tony Tee氏のサイトでは、「ムービー」ページから氏の踊りなどの映像を見ることができます。レクチャーの映像では、最後のほうで、首振りトレーニングの様子もかいま見られます。<br/>
http://tonytee.com/jp/index.html<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>未分類</dc:subject>  
      <dc:creator>dog06</dc:creator>  
      <pubDate>Wed, 26 Sep 2007 8:54:44 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>【映画】『童貞。をプロデュース』</title>  
      <link>http://mot06.exblog.jp/6312101/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://mot06.exblog.jp/6312101/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
仮性と真性。2つの童貞物語<br/>
福浦恵美子<br/>
<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200709/09/10/f0015110_2284865.jpg" border="0" width="320" height="240"/></center><br/>
仮性近視、仮性包茎。ある症状に＜仮性＞と呼ばれるものがあります。その症状は一過性あるいは軽症で、日常生活においてそれほど支障をきたすものではないと定義されています。それに反し、＜真性＞とは、日常生活をおくるにあたって極めて困難な状況にあり、治療および矯正が必要なものとされています。ちなみに、仮性包茎の手術は健康保険の適用外ですが、真性包茎は健康保険の適用を受けるそうです。これって常識ですか？<br/>
<br/>
さて、この『童貞。をプロデュース』は、童貞における＜仮性＞と＜真性＞の差異を見せつけられた映画であります。童貞とはいつか必ず卒業するものであり、そういう意味では童貞そのものが仮性的なものですが、精神的に根っから骨の髄まで＜童貞的＞な人間がたまに存在しています。しかもその人口は年々増加している傾向にあり、彼らの増殖が我が国の少子化問題の一因であるとも言えるのです。便宜上、ここではそういう人々を＜真性童貞＞、ごく一般的な童貞を＜仮性童貞＞と呼ぶことにしたいと思います。<br/>
<br/>
この映画は1部と2部に分けて構成されています。それぞれ1人ずつの童貞が主人公です。ドキュメンタリー作家の松江哲昭監督が、この2人の童貞を「なんとかしたい！」と頼まれもしないハタ迷惑な親心と、ネタにできるもんは何でもネタにしてしまえという貪欲さを存分に発揮し、童貞喪失のプロセスを撮影することに成功した極めて貴重なドキュメンタリーであります。と同時に主役2人の見事な童貞っぷりに、笑いと苛立と切なさを禁じ得ない珠玉の娯楽映画となっています。<br/>
<br/>
第1部は童貞1号こと加賀賢三くん主演の「俺は、君のためにこそ死ににいく」です。加賀くんは自転車メッセンジャーのバイトをしている23歳の童貞です。「純愛を経ないセックスはできない」という童貞らしい言い訳で風俗に通うこともかなわず、かといって堅気の女性にアタックする勇気も持ち合わせていないヘタレ男です。童貞時期をちょっと長めにすごしている人によくいるタイプなんではないでしょうか。そんな彼でも、まさみさんという女性に片思いをしています。しかしもちろん彼女に告白する勇気はありません。そこで、松江監督は加賀くんをAVの撮影現場に彼を連れて行き、彼を男にしようと企みます。加賀くんは撮影現場で23年間の人生で最大の決断を迫られますが……。<br/>
<br/>
第2部は童貞2号こと梅澤嘉朗くん主演の「ビューティフル・ドリーマー」です。梅澤くんは秩父のど田舎在住の24歳。ゴミ処理業の会社に勤務しています。彼はB級アイドルと特殊マンガ家の根本敬に心酔しているサブカルおたくで、部屋には膨大な書籍やビデオがところ狭しと積まれています。中でも特に彼が愛情を注いでいるのが島田奈美さんというい80年代のアイドルです。彼は島田さんへの想いが高じて、タイムマシンをつくり80年代の彼女に会いにいくという自作自演の映画まで制作しています。そこで松江監督はその作品を島田さん本人に見てもうおうと作戦を練ることに。さらに、重度の童貞である梅沢くんを見るに見かねて、かつて彼をふった女性とのデートをセッティングします。しかし、繰り返しになりますが、梅沢君は重度も重度の童貞なので……。<br/>
<br/>
この2人の童貞くんはお友達で、映像系の専門学校に通っていただけに共通点もあります。しかし、決定的な違いがあります。それは、冒頭で述べた＜仮性童貞＞と＜真性童貞＞の違いです。加賀君は＜仮性＞で梅澤くんは＜真性＞なのであります。加賀君は極度のヘタレであるが故の童貞です。プライドを捨て切れず、気の小ささを克服することもできずに悩む彼のはどこかで見た姿でもあります。そんな彼に昔の自分を重ね合わせ、なんとか彼を大人にしようとする松江監督をはじめとするAV関係者のみなさんの優しさには感動さえ覚えます。「男はみんな童貞出身」とみうらじゅんがコメントを寄せていますが、それをもう少し詳しく言うと「男性はすべて童貞出身であるが、日本男性の約8割が仮性童貞であり、約2割が真性童貞である」と言えるんじゃないでしょうか（※数字はテキトーです）。<br/>
<br/>
問題の＜真性童貞＞梅澤くんです。根本敬ゆずりである「底辺から社会を見る」という彼の姿勢はかなり共感を覚えます。安倍総理大臣の「美しい国」という上滑りした言葉を批判し、「まずはゴミを漁れ！」という言葉は胸にひびきます。しかし、底辺から社会を見ようとするあまり、彼の視界には生身の女性が入っていないようです。彼の視界の中にはゴミ集積場に積まれた古雑誌の中のアイドルしか存在しません。彼のアングルは低すぎて、21世紀現在の若い女の子が存在する余地がないのです。それでも恐る恐る女の子に近づいてみるものの、結局傷ついてまた自分の愛すべきゴミたちと交わることに没頭するという童貞スパイラルを描き続ける梅澤くん。そんな彼が童貞を捨てるには並々ならぬ困難をクリアしなくてはいけません。運良く肉体的に童貞を卒業したとしても、彼ほどの童貞は、精神面においては生涯童貞であり続けるでしょう。彼と若い女性とでは、全く何も共有できない関係のように思えます。すぐ近くに存在しても、お互いの存在を無視することしかできない関係性です。しかし、それが彼にとって不幸であるとは言い切れません。なぜなら、この『童貞。をプロデュース2　ビューティフルドリーマー』のラストシーンは思いかけず感動的なのです。<br/>
<br/>
声を大にして言います。素晴らしく美しいラストシーンです！ 梅澤くんの笑顔が信じられないくらい爽やかです。ある程度の演出が入っているのかどうかはわかりませんが、梅澤くんの汚い部屋の中で、ビジュアル的にはどう見ても美しくないシーンを十二分に感動的に撮り切った監督の才能に開いた口が塞がりません。あ、間違った、ただただ感服です。どんな人生もみなそれぞに美しい。口にすると照れくさいそんな言葉を、下ネタと笑いでごまかして熱く語る映画です。公開日数は残り僅かとなりましたが、老若男女国籍問わずお勧めしたい映画です。<br/>
<br/>
★あとがき（レビューにあとがきって見たことないけど）<br/>
そしてまさかの銀杏の峰田くん特別出演！ 峰田くん超かわいい。色白もち肌、垂れ気味の愛くるしい瞳、舌足らずな東北弁。あんなふうに歌われたら全てを放り投げてしまうかも。本来の好みのタイプではないのですが、峰田くんは別腹（正確には別下腹部というべきか？）です。露出狂気味でも私のほうは一向にかまいませんので。<br/>
<br/>
<br/>
『童貞。をプロデュース』<br/>
http://www.spopro.net/virgin_wildsides/index.htm<br/>
2007年8月25日（土）〜9月14日（金）21:00〜 @池袋シネマ・ロサ
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>未分類</dc:subject>  
      <dc:creator>dog06</dc:creator>  
      <pubDate>Sun, 9 Sep 2007 22:32:08 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>【映画】アキ・カウリスマキ『街のあかり』</title>  
      <link>http://mot06.exblog.jp/6213139/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://mot06.exblog.jp/6213139/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
映画史に残るであろうラストシーンに不幸映画の完成形を見る。<br/>
福浦恵美子<br/>
<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200708/27/10/f0015110_721491.jpg" border="0" width="180" height="125"/></center>待望のカウリスマキ最新作です。堂々のキャッチコピーは「敗者三部作完結編！」。それに反して上映劇場は渋谷円山町。劇場までのラブホ街を一人で歩く自分が敗者臭を漂わせていることに気づき、「敗者映画を観るまでもなくアンタじゅうぶん敗者でしょ！」とヤングカップルにつっこまれているような心持ちになったのは被害妄想でしょうか。それもまた一興。案外楽しい被害妄想の余韻もさめやらぬうちに上映ベルが鳴りました。ヘルシンキは薄あかりのなんとも寂しげな街。負け犬男のどん底転落物語の幕開けです。<br/>
<br/>
主人公のコイスティネンさんは家族も友人もいない孤独な男です。警備会社でビルの夜警をしていますが、さっぱり冴えないまるでダメ男です。同僚や上司ともコミュニケーションがとれず、皆にバカにされっぱなしの毎日です。そんな日々の憂さを晴らす場所は屋台のソーセージ屋さん。屋台の主は秘かにコイスティネンに想いをよせるアイラさんです。彼女はコイスティネンの愚痴や戯言を黙って聞き、一言二言返すだけ。男はただ話しを聞いて欲しい。女はただ居てくれるだけでいい。そんな二人の関係はお互いにとって大切なものなのに、コイスティネンはバカなのでそれに気づきません。しかしカウリスマキ監督は心やさしいオッサンです。コイスティネンが大切なものに気づくように《どん底への転落》というスペシャルコースを用意してくれました。<br/>
<br/>
いつものようにさっぱりなコイスティネンのもとに一人の美女（役柄上ではそうなっているらしい）があらわれます。マフィアのボスから刺客として送り込まれた情婦ミルヤです。彼女はコイスティネンを誘惑し、犯罪へとまきこんでいきます。コイスティネンはおもしろいように彼女の罠にはまっていき、ついには懲役までくらっちゃいます。さらに出所後、ものごとが上手くいきかけたところでまたマフィアによって追い打ちをかけられるコイスティネン。ああ、もうこりゃだめだというところでやっと幸せの薄明かりが見えてきます。<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200708/27/10/f0015110_724794.jpg" border="0" width="180" height="125"/></center>そっちへいっちゃいけないよ、って言ったら必ずそっちへ行っちゃう人がいますが、そんな人のフィンランド代表です、コイスティネンは。あまりにもバカすぎてこの主人公には同情すらできません。しかしそれがカウリスマキの手法なのです。彼は登場人物を感情的に描くことはしません。「アホだけどいいヤツなんだよ、彼は」とか「貧乏だけど魅力的」という演出はいっさいありません。徹底したバカ、自分の事がわかっていない根っからの敗者として描いています。それだけに最後に訪れる小さなあかりがとてもまぶしく感じられます。<br/>
<br/>
カウリスマキのクールな人物描写は、主人公に限ったことではありません。悪役も子供も女も犬もすべて平等に客観的に描かれます。派手なアクションも濡れ場もこれといった見せ場もありません。物語は淡々と進行するのみで、登場人物に感情移入することも感動するこも許されません。ただただ揺るぎない映像美の中で起こる、静かで入念な不幸劇を見せられるだけです。しかしその代償として、観客は息苦しさを我慢し続けた最後に究極のラストシーンを味わうことができるのです。このラストシーンは見ないと死ねません。一瞬、フッと風が吹きました。体から何かモヤッとした塊が頭のてっぺんを通ってぬけ出たのを感じました。「心が軽くなる」という表現がありますが、「体重も軽くなったような気がする、実際。」と言っても過言ではありません。ストイックな映画は他にもありますが、だいたいの映画はラストシーンだけはちょっと欲だしてみましたってのが多いものです。カウリスマキは、最後までストイックを貫いています。最後の最後までワビサビです。その昔、茶道家が古びた割れ茶碗に美を見たように、私はこの不幸映画にホンモノの希望を見つけることができました。唯一無二の孤高の天才、映像の哲学者。褒め過ぎですが、まだ褒めたい。アキ・カウリスマキ、もうすでに次回作が待ち遠しい。<br/>
<br/>
<br/>
『街のあかり』<br/>
http://www.machino-akari.com/
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>未分類</dc:subject>  
      <dc:creator>dog06</dc:creator>  
      <pubDate>Mon, 27 Aug 2007 7:11:15 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>【写真集】『日本ロック写真史 ANGLE OF ROCK』</title>  
      <link>http://mot06.exblog.jp/6206633/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://mot06.exblog.jp/6206633/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
前橋のラーメンは遅い、あるいは日本ロック写真<br/>
野田征洋<br/>
<br/>
前橋の歓楽街に一軒のラーメン屋がある。お店オリジナルと思われるコーンスープだしは東京で味わったことのない味で、コクがあるわりにさっぱりしたなかなかの味だ。お店の雰囲気も歓楽街ならではの小汚いラーメン屋ではなく清潔でゆったりとして好感が持てる。ただ問題なのはとにかく遅い！まあ調理人が一人でやっているからしょうがないのかもしれないのだが、カウンターごしからみていると、とても手際よくこなしているようでいて、実に無駄な動きが多いのだ。東京でこのスピードだと、たぶん難しいように思う。<br/>
<br/>
現代はモノを創るという仕事において効率が求められる。小津安二郎のように脚本家と半年、一年と温泉宿に泊まって毎晩ドンチャン騒ぎを繰り返しながら本を練り上げていくような創り方は、どこいったってありえない（まあ金持ちの陶芸家とかならばありえるかもしれないが）。だから、そういう創り方にあこがれる。ひとつの文章、ひとつのデザイン、なんでもいいのだが、同じものを少しずつ洗練させていく行為。四角いものをすこしずつ磨いて角を落としていくような感覚に。<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200708/26/10/f0015110_1033180.jpg" border="0" width="480" height="360"/></center>ぴあから35周年を記念して製作された写真集『日本ロック写真史 ANGLE OF ROCK』が出版された。先日クラブキング主催で、スタイリスト高橋靖子氏をナビゲーターにその日本ロック史を飾った往年の写真家、写真集のアートディレクターを務めた信藤三雄氏が集まりトークイベントが開催された。一応30年以上前ロック少年であった私は彼らの名前を見たことがあっても、実際に生で見ることはなかったし、しかもここまで揃うこと事態もかつてなかったのではないだろうか。少年時代、私の心を一発で射抜いたマークボランの写真を撮った鋤田正義氏をはじめ、井出情児氏、ハービー山口氏、三浦憲治氏、伊島薫氏、そしていま若手？で一番ノッている平間至氏まで蒼々たるメンバーだ。この数々のロックスターが飾る写真集の中でもっともイカした被写体が村八分だ。これが実にカッコイイ！うつろな視線、反抗的でやる気のない姿勢。まったくもって自然な表情なのだ。撮影した鋤田氏と井出氏によれば、当時のミュージシャンは演奏すること以外には酒とドラッグぐらいにしか興味がなく、撮影すること事態が互いに信頼感のない中で行われ苦労したという話であった。しかしその緊張感のある関係だからこそロックスターの怒り、光と影がストレートに現れているのだ。しかし、この関係が一転する時がある。70年代後半から80年代ニューウェーブ、テクノの時代だ。一番の典型はYMOだろう。撮影した三浦氏が言うには、撮影がとても楽だったそうだ。カメラを向けるとちゃんとポーズをとってくれる。この時に撮る側と同時に撮られる側も、その「写真」という作り上げるモノを了解して、まさに効率的に瞬時に対応するという関係ができあがったのだろう。<br/>
<br/>
ところが、現在、平間氏がやろうとしていることは、その効率を超え、もう一度原点に戻ろうとしているように思う。彼の撮影方法のひとつに、（自分自身を捨て去り盛り上げ役となって）その場のテンションを作り上げることだけにすべての力を注ぎ、その頂点に達した一瞬をノーファインダーで撮るという撮影方法がある。最高のテンションを創りあげれば、ファインダーなど見ずして、どう切り取ってもよい写真が生まれるというのだ。確かに平間の写真にはそういったロックの躍動感の一瞬がみなぎっている。しかし、現代では悲しいかな、それもねらいとして解釈され、ひとつの効率と考えられるのではないだろうか。そのことも重々理解して戦っているでのであろう平間氏に不安の中での緊張感と偶然性をもった村八分の写真を越えることはできるのであろうか？<br/>
<br/>
もっともロックなアートディレクター中島秀樹は入ってきた新人デザイナーに「うちはラーメン屋だから」と言った話を聞いたことがある。たぶん東京のラーメン屋並みにハイスピードでハイクオリティのデザインを創らないとダメだということなのだろう。そういえば、あの坂本龍一の「LIFE」の公式ブックも後藤繁雄氏はとんでもない期間で中島氏に創らせたという話もどっかで聞いた。<br/>
<br/>
かくいう私も平間氏といっしょで、ラーメン屋とロックでこのテキストを起こすなんて、“つかみはok!”という効率を考えている（なんてことをここで言っちゃうのも効率になっちゃうんだけど）。しかし、それでいくしかないんだよ。我々の世代は…。<br/>
<br/>
やっぱ前橋のラーメン屋ほど、心の余裕が持てないのかなあ。
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>未分類</dc:subject>  
      <dc:creator>dog06</dc:creator>  
      <pubDate>Sun, 26 Aug 2007 11:15:48 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>当日の様子：CAMP-9［関内キャンプ］</title>  
      <link>http://mot06.exblog.jp/6206243/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://mot06.exblog.jp/6206243/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200708/26/10/f0015110_9365863.jpg" border="0" width="500" height="703"/></center>
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>未分類</dc:subject>  
      <dc:creator>dog06</dc:creator>  
      <pubDate>Sun, 26 Aug 2007 9:38:02 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>【天体】ペルセウス座流星群</title>  
      <link>http://mot06.exblog.jp/6113740/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://mot06.exblog.jp/6113740/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
すぐに消えちゃう君が好きで<br/>
加賀彩恵子<br/>
<br/>
2007年8月11～14日は、ペルセウス座流星群の活動が一年でもっとも活発になる期間だそうです。流れ星をさがして星空を見あげた人もいるでしょうか。あるいは特にこの流星群の存在を知らなくても、夜勤あけにふと空を見て、ぬぉっ流れ星！というラッキーな人もいるかもしれません。星が落ちてきて頭に刺さったために知ったという人もいるようです（嘘です）。知らなかった、願いそこねた！という人は、13日夜から14日にかけても少し見ることができるようなので、今夜あたり空を見あげてみてはいかがでしょう。<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200708/13/10/f0015110_1203525.jpg" border="0" width="227" height="151"/></center>そもそも流れ星とは、彗星が残していった数ミリ～数センチの塵が地球の大気に飛びこんできて、大気との摩擦で燃えて発光するというものだそうです。彗星の軌道上に塵がたくさん集まっているので、地球が年に1回その軌道に近づくときに流星群が見えるというしくみです。けっこういろいろな流星群があるのですが、中でもペルセウス座流星群は流星の数が多くて明るく、夏に見られるので観測しやすいという、フレンドリーな流星群です。そのうえ今年は13日が新月ということもあって、12日の夜から13日の明け方にかけては、初対面だけどハイタッチして抱き合っちゃうよ、というくらいのフレンドリーさで観測できる機会だったようです。<br/>
<br/>
このペルセウス座流星群のもととなる塵を放出したのは、スイフト・タットル彗星さんです。1862年にアメリカの天文学者2人によって発見された、約130年の周期で太陽の周りを回るという周期彗星です。はじめは120年周期だと考えられていて、1982年ごろに帰ってくるから観測できる、という計算だったのですが現れず、行方不明になったと思われていました。天文学者たちが「とらや」のおいちゃんやおばちゃんのように「すいふと･たっとるはどうしてっかねえ」などと言って気にしていると、突然電話がかかってきて「よお、今そこまで来てんだよ」という呑気なすいふとの声が…というわけでもないかもしれませんが、大規模なペルセウス流星群が観測された1992年に再発見されました。発見したのは日本のコメットハンター（なんていう人がいるんですね）木内鶴彦さんです。その功績をたたえて、彗星はスイフト･タットル･キウチ彗星という名前に改名されました。22歳の時の臨死体験がきっかけで彗星を追うようになったという木内さんは、いつかは地球に接触すると考えられているスイフト･タットル彗星への対策を協力して考えることが、世界がひとつになるきっかけになるのでは、との考えのもと、活発な活動を続けておられるようです。<br/>
<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200708/13/10/f0015110_123393.gif" border="0" width="180" height="180"/></center>流れ星を見つけるべく、そしてあわよくば願いをかなえてもらうべく、13日の午前3時、地上7階のベランダに立ちました。連日の猛暑にも関わらず夜風はひんやりとして心地よく、環状線を走る車のライトや団地の階段の灯り、都心のビル群の光が、東京のあかるい夜をつくりだしています。ベランダの手すりに頭をもたせかけ、スピッツの「流れ星」を口ずさむことによって流れ星を召喚しようと試みながら空を眺めました。ひろい藍色の空には思ったよりもたくさんの星が出ています。じっと見ていると弱い光の星団も見えてくるほどです。かすかな流れ星もいくつか見えたような気がしたのですが、暗闇を見つめているとちいさな光の粒子みたいなものがぱやぱやと見えたりするので、それと間違えているのかなあと今ひとつ確信が持てませんでした。結局30分弱の間に、大きな流れ星をふたつ見ることができました。ふっと気を抜いて願い事のことを忘れた瞬間を狙って到来してきたかれらでした。<br/>
<br/>
ウハウハするほど流れ星が見られたわけではありませんでしたが、まとまった時間じっと空を見あげるというのはなかなか素敵なものでした。星空というのは見れば見るほどふしぎで、こんなふしぎな宇宙という力動の中に自分も生きているのか、という感慨がありました。あの星をひとつひとつ結んで、たくさんの物語を考え出していた時代には、もっとそういったことを身近に感じていたのかもしれません。あそこの国で反政府テロがあったとか、最近仕事にやりがいを見出せないのにプレッシャーばっかりきついとか、今日はあの子と話せたとか、そういった私たちの日常の生活は、地球がスイフト・タットル彗星の軌道に近づくとか、塵が大気にぶつかって燃えるとか、そういうことと同時平行で起こっているのですね。爪をきりながら今日書いてしまわなければならないレポートのことを考えるという自分の行動と、宇宙をかける彗星の塵が描く軌道とを結びつけてみると、なんだか心づよいような、途方もないような気持ちがするのです。<br/>
<br/>
<br/>
写真上：倉敷科学センターHPより、11日撮影の流星のようす<br/>
http://www.city.kurashiki.okayama.jp/lifepark/ksc/tokusyu/per/index.html<br/>
写真下：国立天文台HPより、「夏の夜、流れ星を数えよう」キャンペーンの参加記念品<br/>
http://www.nao.ac.jp/index.html
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>未分類</dc:subject>  
      <dc:creator>dog06</dc:creator>  
      <pubDate>Mon, 13 Aug 2007 12:14:32 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>【本】蜂飼耳『空を引き寄せる石』</title>  
      <link>http://mot06.exblog.jp/6077334/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://mot06.exblog.jp/6077334/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
口に含んで待っていたい、そんなエッセイ<br/>
井上慶太<br/>
<br/>
ところで、携帯で本読んだことありますか？<br/>
<br/>
いろいろと使い勝手の悪さは聞きますし、依然とおせじにも使いやすいというようにはいえないとは僕も思いますけれど、それでも僕は携帯で本を読みはじめて3年がたちました。つい先日、ある媒体に「携帯電話で読書をするのって、どんな感じなんですか？」というような文脈でインタビューを受けることになったのであらためて考えてみたところ、いくつか自分なりに携帯読書のメリットが判ったような気がする。せっかくわかったのだから、ここにも書いておこうと思う。<br/>
<br/>
一番大きいのは、気分にあわせて読む物をかえられるところにあるんだろうと思う。というのは、例えば音楽に移して考えてみたら少し理解しやすくなるのではないか、と考えていて、CDプレイヤーからiPodにユーザーが移行していったのは、そのときどきの気分にあわせて聞きたい音楽を選ぶことができるようになったから、つまりライブラリーを持ち歩くところに価値があったんだろうと思う。携帯読書も同じで、朝の通勤途中に読みたい本と、夜に酔っぱらって帰る電車の中で読みたい本が同じだなんてことは、よっぽどその本が面白くなければありえなくて、だから気分にあわせて読む物を選びたいと思ったら携帯電話でタイトルを探してしまう。たいてい、僕の場合は朝は家から持ち出した書籍を読んでいて、夜は携帯で漫画や軽いエッセイを読んでいる。<br/>
<br/>
このはなしでいえば、エッセイという分野の本はとても楽ちんだ。文章の一つ一つは短くて、しかも読み切りだからどこから読み始めても支障はない。ライトに読んでもいけるし、じっくりディープに文章を楽しむことも許容する。とても機能的なスタイルだなと思う。地下鉄にのっている、あるいは携帯の電池がきれている、あるいは、そもそも携帯で読書なんて信じられない、というのならば、持ち歩く本はエッセイに絞った方が良いのかもしれない。<br/>
<br/>
<img class="IMAGE_RIGHT" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200708/08/10/f0015110_10402516.jpg" border="0" width="150" height="220" align="right"/>最近読んだエッセイで面白かったのは、蜂飼耳さんの『空を引き寄せる石』。エッセイ集として二冊目となるこの本を買ったきっかけは、もちろん、一冊目が面白かったからで、期待は裏切られることなく楽しく読めた。<br/>
<br/>
蜂飼耳さんは詩人なので、言葉の使い方がとにかくすごい。常人ではないし、なんだろう、「そうきたかぁ」なんて思いながら文章を追ってるその行為自体が遊びみたいに楽しい。次々と予想は裏切られ、エッセイはびゅんびゅんと展開していく。それでいて、ランディングはとてもソフト。<br/>
<br/>
一つの石を見て、空を引き寄せているなんて発想、誰ができるだろう。まるで風が吹いて桶屋が儲かるみたいな話だけれど、たっぷりと文章を味わいながら世界にひたればその不思議は解ける。ため息たえない読書なんて、そうできるものではないけど、この本はそれを保証してくれると僕は保証したい。<br/>
<br/>
さっきも書いたけど、一つ一つの文章が短いのはエッセイのいいところ。手軽に楽しむもよい。でもね、口にふくんで溶けていくのを待つような楽しさも、ある本だから、疲れていない朝なんかにはぜひ、時間をとって読んでもらいたいエッセイです。<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>未分類</dc:subject>  
      <dc:creator>dog06</dc:creator>  
      <pubDate>Wed, 8 Aug 2007 10:43:50 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>【本】小杉小二郎 『巴里 ゆらゆら』</title>  
      <link>http://mot06.exblog.jp/6073579/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://mot06.exblog.jp/6073579/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
こじろうさんの青春とパリ暮らし<br/>
柴田彩子<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
わたしは今、絵を見ることの多い仕事にありついて、たくさんの画家さんの絵が売られ買われてゆくのをなんとなしに見ている日々を送っています。そんな中で、いつのまにやら惹かれていたのが、小杉さんの絵です。「ああ、なんだか私、この絵すきです」なんて誰にともなくぼやいているうちに、その気持ちが確信に変わり、気がついたら扱った物たちの中で一番すきな絵になっていたのです。<br/>
<br/>
正直なところ今の仕事に就くまでは、貧乏なアルバイト生活が長い私にとって、あれだけ高額な絵画を買う人々がいるという事実は半信半疑でした。暖かな食事、美しい衣服、未知の旅行 etc...。心を豊にするたくさんの事や物に溢れている中で、それよりも一枚、とびきり気に入った絵画を選ぶということ。それだけ出せば、他のことがいっぱいできるのに。<br/>
<br/>
でも最近は、なんとなくわかるような気もしてきました。そうではない。比較できるものではないのだということが。例えば、小杉さんの絵が家に在ることを想像するならば。<br/>
<br/>
私の知っている小杉さんの絵は、いつも柔らかで静かです。常に礼儀正しくて、でもどこか茶目っ気を感じさせる隙間がある。絵と対峙していて、急がないこと、目の前にあるものを見つめる余裕を持つことの心地よさに気がついた時、そのふっと浮遊するような感触が良くて良くて、ずっと見ていたいと思うのです。心が一度自由になって、その絵に身をゆだねているように。<br/>
<br/>
好きになったら、その人の事が知りたくなるのが世の道理。それで買ったのがこの『巴里 ゆらゆら』という本でした。小杉さん自身が書いた自伝的エッセイで、デザイナーから画家へ転身した青春時代の彷徨や、パリ生活30年の事が、独特の楽しげな語りで綴られています。<br/>
<br/>
特に読みどころを挙げるとすれば、中川一政さんとの出会いの場面でしょうか。事細かに覚えておられるのは、本当に懐かしく思っての事なのでしょう。単純化した静物や風景をマットな質感と穏やかな色彩で描く作品が有名な小杉さんですが、その師と弟子の関係を読んでいくと、なんとも興味深く、時に微笑ましくもあり、生涯の師と語る理由がわかるほど素晴らしい関係であったことが伺えます。<br/>
<br/>
それから、私のお気に入りは、お母さまがパリに来る時に数えるというラッキー・ラパンのお話。パリの空港には、滑走路沿いの原っぱに野兎が住んでいて、いつも飛行機の窓から見つけて七匹数えるのだそうです。ラッキー・セブン・ラパン。親子で探すという、素敵なエピソード。<br/>
<br/>
そんな具合に、パリの小さな出来事、大きな出来事が、小杉さん流の軽めの洒落た文体で、愛情豊かに描かれています。巴里　ゆらゆら。題名がぴったり。そんな本です。<br/>
<br/>
とにもかくにも、本当は絵を見てもらわなくちゃ、話がはじめられないのだけど、あいにく都合の良いサイトがないのでした。先になりますが、来年の1月12日〜2月17日まで損保ジャパン東郷青児美術館で個展が行われるようなので、行ってみてはいかがでしょう。これまでパリ、日本共に、たくさんの賞を受賞してきた小杉さんですが、今度もまた賞をとっての展覧会。<br/>
<br/>
冬までの辛抱です。私はとても楽しみにしています。
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>未分類</dc:subject>  
      <dc:creator>dog06</dc:creator>  
      <pubDate>Tue, 7 Aug 2007 21:55:48 +0900</pubDate> 
    </item>  
    <item> 
      <title>【バー】FL（Flying Lady Bar Spirit of Ecstasy）</title>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
すれ違いの確率<br/>
鈴木美緒<br/>
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転職してから、エンゲル係数ではなくて収入におけるノンデル係数の異常に高い数値を示す日々を送っている。ストレスと机上の前に座る時間と重ねる杯の数は比例するとの実証だろうか。会社が早くあがったと言っては、飲みにいき、残業でくさくさすると言っては飲みに行き、お金がないからと一杯だけと飲みにいき、雨が降っても傘を借りに飲みに行き、台風が近づいて不穏だからと言っては飲みに行く。<br/>
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渋谷か西麻布のバー、ひたすらお酒を一人でも数人とでも飲める店で飲むのが好きだ。どの店にも、無口にもよきアドバイスをかけることができるちょっとだけ年上のマスターがいて、どんなに酔っても心の底では家で一人で飲むよりもずっと安心だ。<br/>
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そんな不毛でいてしぼみかけた夢を寄せ集めたようなある夜に、小憎らしくっておしゃべりでふてぶてしくって、口が悪くって気分屋の私のような人に逢った。<br/>
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知り合ってから半年ほど、時折思い出したように会ってはポーランド人やロシア人のように明るくなるまで、互いの時間が果てるまでとことんしゃべって飲んでいく不思議な逢瀬が続いた。<br/>
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会う回数を重ねても飲み友達という名の不思議な関係は神聖に保たれた。たとえ同じベッドに寝ても手をつなぐような純粋でそれでいて共通の深い罪悪感に基づく連帯感が生まれた。<br/>
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私はというと、飲み仲間としてだけではなく女として深夜から朝までの時間をたるみなく過ごせる相手の男性の部分を垣間みたいという好奇心にかられるようになった。<br/>
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しかし、それを実行に移すほどの強い意志も勇気もなく、ただただ流れるにまかせて月が替わって、季節が替わっても定期的に二人で会い続けた。<br/>
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やがて、大勢の仲間や友人と交わって機嫌良く飲んでいても、物理的なタイミングさえ会えば最後は二人でじっくりくだらない事やたわいない出来事を話しながら会うようになった。他の顔見知りや知人たちにもなんとなくわからないようにすっと別々に消えて、場所を変えてさらに飲みに行くのが密かないたずらのような気分を体験させてくれた。<br/>
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しかし、あの人は決して私を女としてものにしようとはしなかった。<br/>
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<img class="IMAGE_LEFT" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200708/07/10/f0015110_20514295.jpg" border="0" width="100" height="220" align="left"/>そんなあの人と私は梅雨の合間のからりとしたある夜に偶然かするようにすれ違った。渋谷の横町で軽く立ち話をかわして、何事もなかったかのように立ち去る。<br/>
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あの人が他の店の軒先で立ち話をするのを横目に、私は次の店へとかばんをひっぱる仲間たちをやさしく振りほどいて横町の出口を目指す。<br/>
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右手をあげるとタクシーがすぐにタクシーが止まった。午前1時少し前。タクシーに乗り込み家路を走らせるが、思った通り家の近くである六本木にさしかかったところであの人からの電話があった。<br/>
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30分後に西麻布のFLというバーで会う約束をした。そして、案の定私が白ワインを飲みつつ2時間ほど待って、しびれをきらしてもう帰るよ、と連絡したころ何事もなかったかのように彼は到着した。<br/>
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私たちの他に客はいなかったが、マスターがべろんべろんに酔ったCカップのアイドルもどきがもうすぐ来るとの連絡があったと教えてくれた。<br/>
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果たして、アイドルだったかもしれないとても酔った30代の女性と日焼けした男性が現れ大声でシャンパンを音を立てて飲みながら、ひとつはさんだ隣のカウンター席で、大声で金儲けのしくみをいかに世間の大半の人がしらないかと話していた。<br/>
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あの人は、その女がうざいとけっこう大きな声で言って、私は楽しみながら彼をたしなめてトイレへ立って席に戻るとあの人は奥のらくちんそうなソファー席に移っていた。<br/>
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すぐにはそちらへすぐに行かずに、いったんもとの席に座ってタバコをもてあそび、ソファーの彼の方をみると最近買ったばかりの新しいワンセグで遊んでいてこちらを気にしないふりをしている。私は一呼吸を置いてから、自分の飲み物を手にして、あの人のいるソファーの隣へ座った。<br/>
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タバコを吸おうかとしたが、灰皿がないことに気がいたので、灰皿をとってきてもらう。そして自分の箱は空だったので、タバコももらう。<br/>
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そうこうするうちに、カウンターで騒いでいた女の声がパタリと聞こえなくなった。<br/>
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トイレにでも行っているかと思っていたが、ずいぶんと長い。彼女の他の唯一の女としてトイレを見て来たらとあの人がけしかけるが、いや、それは店のマスターの仕事でしょ、それに頬笑みながらパンツを降ろして倒れている酔った年増女なんて頼まれても見たくない、などと話しているうちに、いつもよりも心なしか近くに座って私の腰に廻していた手が動き私の頭を彼の頭のほうへ引き寄せてキスをしようと唇を近づけて来た。<br/>
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予想していなかったわけでも期待していなかったわけでもない状況だったが、とっさに私はほおをずらし唇ではなく頬で彼のキスを受け止めた。<br/>
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そして、「何発情してるの？」ととてもとりつくしまのない冷たい言葉が私の口から発せられて身を少し離したあの人は、「なんとなく。」と悪びれもせず言った。<br/>
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第一ラウンド引き分け？<br/>
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これで私から手をだして非難されることはこれでなくなったわけだ。<br/>
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一瞬の出来事だったけれど、つみかさねた友情が終わり、よりはっきりとした輪郭の<br/>
関係の発端が見え隠れした長くて短い夜だった。<br/>
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その1時間後、なんとなく話すのも飲むのも面倒になった私は帰ると言い、朝日の中あの人はタクシーに乗り込む私を見送り私が運転手に行き先を告げ出るまで見送り手を降ってくれた。<br/>
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ちなみにCカップのアイドルもどきは、よく見ると頭をがっくり反り返らして犬神家の人々の佐清みたいな形相で熟睡していた。あまりにも体が反りすぎて、少し低い位地にあったソファーからは死角となり見えなかったようだ。<br/>
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5分後家につくと、携帯に次に会える日に付いてのメールがあった。<br/>
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別れてまだ鼓動やぬくもりがのこるうちにもらうメールは、生もののように鮮度がよくて格別に嬉しい。別れてもお互いの余韻を楽しんでいるの暖かくていとおしく感じるからだ。<br/>
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そしておやすみ、のひと言に私は優しくつつまれて、家で私を待っていた熟睡する男の隣で喜びがもれないように息を潜めて眠りについた。<br/>
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翌朝に一句。<br/>
靴ずれに　赤く残りし　夜の跡<br/>
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※FL（フライングレディー・スピリット・オブ・エクスタシー）という長い名前のバーは西麻布のエネオス近くのビルにあります。床がぴかぴかに磨かれて広々とした白いソファーの空間がしっとりとした夜にぴったり。束ねた長い髪が渋いマスターと話しつつカクテルやワインをゆったり楽しめます。おすすめは悪女な気分に一口でなれるカクテル、フレンチ125。シャンパンとブランデーの濃厚な味わいでエクスタシーへ飛び立ってください。<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>未分類</dc:subject>  
      <dc:creator>dog06</dc:creator>  
      <pubDate>Tue, 7 Aug 2007 21:12:11 +0900</pubDate> 
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      <title>AAN事務所</title>  
      <link>http://mot06.exblog.jp/6053805/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
〒231-0013 横浜市中区住吉町1-8 第1白井ビル401<br/>
※横浜市役所からベイスターズ通りに入り3つめの角、立ち食い蕎麦屋「相州屋」の4階です。<br/>
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<center><img class="IMAGE_MID" src="http://pds.exblog.jp/pds/1/200708/05/10/f0015110_1052965.jpg" border="0" width="380" height="500"/></center>●JR根岸線・横浜市営地下鉄「関内駅」徒歩3分<br/>
●みなとみらい線「日本大通駅」徒歩7分<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>未分類</dc:subject>  
      <dc:creator>dog06</dc:creator>  
      <pubDate>Sun, 5 Aug 2007 10:08:35 +0900</pubDate> 
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