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    <title>時代の情景</title>  
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    <description>映画作品から喚起されたこと　そして　想起したこと</description>  
    <dc:language>ja</dc:language>  
    <dc:creator>Tom5k</dc:creator>  
    <dc:rights>Copyright 2012</dc:rights>  
    <pubDate>Sat, 12 May 2012 0:48:54 +0900</pubDate>  
    <dc:date>2012-05-12T00:48:54+09:00</dc:date>  
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      <title>時代の情景</title>  
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      <description>映画作品から喚起されたこと　そして　想起したこと</description> 
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      <title>『アラン・ドロンについて』⑩～音楽の使い方が好きな作品　その１　クラシック音楽編～</title>  
      <link>http://zidai.exblog.jp/17886102/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
　映画評論家の岩崎昶氏の名著「映画の理論」には、トーキー以後の映像と音楽の試行錯誤の成果の代表例として、１９２０年代のヴィキング・エゲリング、ルネ・クレール、ハンス・リヒター、フェルナン・レジェ、フランシス・ピカビヤなどの「絶対映画」、あるいは「純粋映画」などを初めとして、ワルター・ルットマン、ルイス・ブニュエル、クロード・オータン・ララ、ジャン・グレミヨン、ヨリス・イヴェンス、マン・レイなどのメンバーによる１９２０年代後半から１９３０年代にかけての「前衛（アヴァンギャルド）映画」運動のことが記されており、特にワルター・ルットマンに師事していたオスカー・フィッシンガーが、ポール・デュカスの『魔法使いの弟子』、ヨハネス・ブラームスの『ハンガリア舞曲、第５番』を創ったことが強調されています。<br/>
<br/>
　また、アメリカのウォルト・ディズニーの『ファンタジア』（１９４０年）では、フィッシンガーを模倣して、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの「トッカータとフーガ、ニ短調」を第１曲とし、第３曲でも「魔法使いの弟子」を使用していることが挙げられています。<br/>
　図形や色彩の抽象的な映像の視覚効果を音楽に照応させた試行錯誤の成功例が、ウォルト・ディズニーへの影響により、この作品の成功に繋がったと推論しているのです。<br/>
<br/>
動画配信サイト「YOU TUBE」の検索項目『ファンタジア』<br/>
<br/>
　岩崎昶氏は、ウォルト・ディズニーが映画『ファンタジア』で、大衆性と技術的手段によって、バッハやデュカスのほか、イーゴリ・フョードロヴィチ・ストラヴィンスキーの「春の祭典」、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの「田園交響楽」、アミルカレ・ポンキエッリの「時の踊り」をアニメーション動画の手法に取り入れ、モデスト・ペトロヴィッチ・ムソルグスキーの「禿山の一夜」と「アヴェ・マリア」で、シュールレアリズム技巧による映像表現で成功したと結論しています。<br/>
 ファンタジア ダイヤモンド・コレクション＆ファンタジア2000 ブルーレイ・セット [Blu-ray]ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社<br/>
 映画の理論 (1956年)岩崎 昶岩波書店<br/>
<br/>
『ファンタジア』については、こちらに素晴らしい記事があります。<br/>
用心棒さんのブログ「良い映画を褒める会。」ブログ記事『ファンタジア』（１９４０）アニメと音楽で、哲学を語るウォルト・ディズニーの凄み。<br/>
関連記事として、<br/>
オカピーさんのブログ「プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]」ブログ記事　映画評「魔法使いの弟子」<br/>
<br/>
<br/>
　また、日本でも最近、クラシック音楽をテーマとした二ノ宮知子による漫画作品『のだめカンタービレ』を原作としたテレビドラマ、アニメーション、実写映画の作品が好評を得ました。音大生の青年達を主人公とした青春ドラマでしたが、コンサートホールでの楽団やピアノの演奏、その練習風景などをふんだんに取り入れた素晴らしい音楽映画となっています。<br/>
 のだめカンタービレ 最終楽章 前編 スタンダード・エディション [DVD]アミューズソフトエンタテインメント<br/>
<br/>
 のだめカンタービレ 最終楽章 後編 スタンダード・エディション [DVD]Amuse Soft Entertainment =dvd=<br/>
<br/>
「のだめカンタービレ　最終楽章」については、素晴らしい記事がこちらにあります。<br/>
オカピーさんのブログ「プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]」ブログ記事　映画評「のだめカンタービレ　最終楽章　前編」<br/>
<br/>
オカピーさんのブログ「プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]」ブログ記事　映画評「のだめカンタービレ　最終楽章　後編」<br/>
<br/>
<br/>
　そして、大好きな今井正監督『ここに泉あり』（１９５５年）、これは群馬交響楽団の草創期を描いた作品だそうです。<br/>
　わたしは、全く人気の無い巡業先の公演で、そこに来ていた女学生が、岸恵子演ずるヒロインの佐川かの子に花束を差し出してファンだと告げるシーンが忘れられません。<br/>
　音響設備もない山の中の学校やハンセン氏病患者の慰問公演・・・真の音楽家は、貧困と闘いながら、このようにして聴衆との対話を確認するものなのだと感動しました。芸術・文化の本質は、民衆の生活の中に根ざし、人々を勇気づけてていくものなのでしょう。<br/>
 ここに泉あり [DVD]新日本映画社<br/>
<br/>
<br/>
　さて、アラン・ドロンの出演している作品での、音楽の使い方についてなのですが、やはり素晴らしいと思う作品は非常に多く、その映像と音楽の照応効果によるインパクトが強烈であることを主に、クラシック音楽を使用した作品でわたしが特に好きな作品を列挙してみます。<br/>
<br/>
　まず、『恋ひとすじに』（１９５８年）です。<br/>
　この映画作品のオリジナルとしてのサウンド・トラック盤がアナログのシングル・レコードとして現存しており、これは今でも大切に保管しています。<br/>
<br/>
　しかし、わたしがこの作品で最も強く印象深いのが、残念ながら歌っているのはロミー・シュナイダーではなく、吹き替えだと思うのですが、彼女がこの作品で演じているクリスティーヌが歌うフランツ・シューベルトの「アヴェ・マリア」なのです。<br/>
<br/>
　原曲は、イギリス詩人のウォルター・スコットの叙事詩『湖上の美人』で処女エレンが父の罪が許されるよう聖母マリアに祈る詩にシューベルトが曲を作ったものです。<br/>
　わたしにはクリスティーヌの歌う様子が、このエレンと同様に、アラン・ドロン演ずる恋人フランツの罪、その許しを切実に願っているであろうことを想起させる素晴らしいシークエンスであったと思います。<br/>
<br/>
　「YOU TUBE」に、わたしの大好きな、エリザヴェート・シュワルツコップ、そして、マリア・カラスが歌う「アヴェ・マリア」がありました。<br/>
<br/>
　この映画作品は戦前のドイツでも、マックス・オフェルス監督により、ロミーの母であるマグダ・シュナイデル主演で映画化された作品でした。<br/>
　その『恋愛三昧』（１９３３年）で、クリスティーヌが選んだ歌曲は、「アヴェ・マリア」ではなく、ヨハネス・ブラームスのドイツ民謡『Schwesterlein』でした。ですから、「アヴェ・マリア」は、この作品でのオリジナル選曲です。<br/>
<br/>
　さて、映画のクライマックスで使用されている「交響曲第５番「運命」第一楽章」ですが、「YOU TUBE」には、ヴィルヘルム・フルトベングラーとアルトゥーロ・トスカニーニの指揮する名演奏がありました。<br/>
フルトベングラー指揮の「交響曲第５番「運命」第一楽章」<br/>
トスカニーニ指揮の「交響曲第５番「運命」第一楽章」<br/>
<br/>
　戦前の日本では、この第５番シンフォニー「運命」が、クラシックの王道であったわけですが、アナログＳＰ時代のファンは、全く異なるこの二人の演奏に関して、激しく嗜好の分かれるものであったと聞きます。<br/>
　この演奏を現在聴いても、全くもって凄まじい演奏として解釈できます。<br/>
　その後のヘルベルト・フォン・カラヤンやクラウディオ・アバド、サイモン・ラトルなどが「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」の首席の指揮者となってきた沿革史を鑑みたとき、何という世界文化の体たらくなのだろうかという忸怩（じくじ）たる思いは、多くの人々が持つ本音でしょう。　<br/>
<br/>
果たして、彼らは旧時代を超えられているのでしょうか？<br/>
『シネ響「マエストロ6」サイモン・ラトル』<br/>
<br/>
「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」については、こちらに素晴らしい記事があります。<br/>
シュエットさんのブログ「寄り道カフェ」ブログ記事「帝国オーケストラ」そして「ベルリン・フィル～最高のハーモニーを求めて」<br/>
オカピーさんのブログ「プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]」ブログ記事　映画評「ベルリン・フィルと子供たち」<br/>
<br/>
<br/>
　映画では、両作品とも全く同じシークエンスで使用されており、フランツの不倫の恋愛関係にあったレナ夫人の夫との始める前から勝負の結果がわかっている決闘、すなわちフランツの死のシークエンスを友人達やクリスティーヌの父親の焦燥する様子、そして、この楽曲のみで表現しているのです。<br/>
クライマックスのベートーヴェン「交響曲第５番「運命」第一楽章」（『恋愛三昧』（１９３３年）のラスト・シークエンス）<br/>
　このベートーヴェンの使い方は本当に素晴らしいと思います。<br/>
　フランツの死とクリスティーヌの絶望を、このような映像と音楽の照応で表現することなど、もう現在の映画作品では、不可能なのではないでしょうか？<br/>
<br/>
　次に、『山猫』』（１９６２年）です。<br/>
　わたしは、ジュゼッペ・ヴェルディの「「椿姫」の第２幕第１２曲：あたしたちははるばると訪れた」で使用されていた「ジプシーの女たち」が大好きです。<br/>
<br/>
【（－略）サリ－ナ家の馬車が見えてくると、市の楽団がヴェルディの「椿姫」から、「われらはジプシー女」を奏でる。これは公爵一家を迎える際の由緒ある挨拶となっている。（略－）】<br/>
【「ルキノ・ヴィスコンティ　ある貴族の生涯－１９　時代の足音をきく生理　老公爵の後ろ姿と《山猫》の世界－」モニカ・スターリング著、上村達夫訳】<br/>
 ルキ－ノ・ヴィスコンティ―ある貴族の生涯モニカ・スタ－リング / 平凡社<br/>
<br/>
　映画『山猫』では、ドン・ファブリツィオ一行が、ドンナフガータ村での夏の別荘に到着したときの公爵一行の歓迎場面で使用されています。一行を歓迎する地元の楽団が「われらジプシー女」を演奏して迎えるシークエンスでの使用でした。<br/>
<br/>
　『山猫』でのそれとは、直接関係はありませんが、「YOU TUBE」には、なんと！スカラ座の音楽監督を務め、マリア・カラスとともに、ルキノ・ヴィスコンティとも親交の厚かったトスカニーニが１９４６年ニューヨークで、ＮＢＣ交響楽団の指導で楽団を指導しているリハーサル時の録音の録音がありました。<br/>
　映像が無いのは残念ですが、このような音源が公開されていることは驚くに値します。<br/>
<br/>
【（－略）トスカニーニはヴィスコンティに、今やっている「ラ・ヴェスターレ」のリハーサルを見に行ってもいいかと尋ねた。ヴィスコンティは光栄に思った。そしてトスカニーニが彼の演出を褒め、さらにカラスのことを「美しい声の持ち主で、興味深いアーティストで、たいへん結構」だと思うと述べたのを、うれしく聞いた。その後、トスカニーニが本公演に姿を見せて、舞台わきの特別席に座っていたとき、舞台上のカラスは膝をかがめて客席におじぎをしていたのを中断して、ファンの投げた赤いカーネーションを拾い上げ、それを最も深いおじぎとともにトスカニーニへ差し出した。（略－）】<br/>
【「ルキノ・ヴィスコンティ　ある貴族の生涯－１１　スカラ座への愛　トスカニーニとカラスを識るうれしさ－」モニカ・スターリング著、上村達夫訳】<br/>
<br/>
　その他にも、どこの国のどこの楽団なのかは、全くわからないのですが、このような素晴らしい映像がありました。<br/>
ヴェルディの「「椿姫」の第２幕第１２曲：あたしたちははるばると訪れた」「ジプシーの女たち」①<br/>
ヴェルディの「「椿姫」の第２幕第１２曲：あたしたちははるばると訪れた」「ジプシーの女たち」②<br/>
<br/>
<br/>
　そして、映画音楽至上の大傑作、『パリの灯は遠く』』（１９７７年）での、グスタフ・マーラーの「亡き児をしのぶ歌」の使用です。<br/>
　「YOU TUBE」にはウィーンフィルハーモニー管弦楽団でのアルト歌手のキャスリーン・フェリアー、そして、フィッシャー・ディースカウの素晴らしいの独唱があります。<br/>
<br/>
　しかし、わたしは、この人類の至宝ともいえる名唱を凌賀していると思うのが、映画『パリの灯は遠く』で使用されたフランツ・サリエリのラ・グランド・ユジェーヌ劇団での「亡き児をしのぶ歌」なのです。<br/>
<br/>
【－ユダヤ人排斥のキャバレーの着想はどこから得たのでしょうか？<br/>
ＪＬ<br/>
当時ああいうものが実在していて、しかも撮影に使った当の劇場でやっていた。（－略－）私のとても親しい友人であり敬服もしていたフランツ・サリエリは、ラ・グランド・ユジェーヌという劇団で仕事をしており、私は彼らにこの反ユダヤ人の出し物をやってもらえないだろうかと考えた。（－略－）サリエリは、マーラーの歌曲を歌うその異様さや、ユダヤ人を嘲弄するそのやり口の醜悪さといったものは、よもや最悪の反ユダヤ人の輩でもまともに受け取ることのない代物だった。私としてはあのシークエンスは映画の中でも一番出来のよいところの一つだと思う。（略－）】<br/>
【引用　『追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー』ミシェル シマン著、中田秀夫・志水 賢訳、日本テレビ放送網、１９９６年】<br/>
 追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージーミシェル シマン Michel Ciment 中田 秀夫 志水 賢日本テレビ放送網<br/>
<br/>
　監督したジョセフ・ロージー自身も、このように述懐しているように、このシークエンスは、音楽・舞台・絵画・思想などが複合的に映像に照応した映画音楽史上の最大レベルの歴史的価値の実現を醸成していると、わたしは感じます。<br/>
<br/>
　しかしながら、実際のところ、各国際映画祭等での、例えば授与基準の策定においても、未だこのシークエンスの映像価値を正確に評価するレベルまでに達していない、と考えざるを得ません。<br/>
　わたしは、この作品のこのシークエンスが、未来においては間違いなく、メディア文化の歴史遺産としての価値を十二分に備えていると評価される時代が来ると信じていますが、残念ながら現時点での各国文化行政、各種映画祭においては、ここに着目している沿革はほとんど見あたりません。<br/>
<br/>
　そもそも、現在の映像、メディア文化の振興などの取組みにおいては、コンテンツ産業や商工観光の振興、国際交流の推進などの施策としての価値観を重視しており、映像価値そのものに視点を置くことがなおざりになっている時代であるような気がするのです。<br/>
　映像が商業的な目的のみで進化し、先端のＣＧや３Ｄ技術に特化された映画産業界の取組のみでしかない現状を危惧してしまいます。<br/>
<br/>
<br/>
　最後に、『危険なささやき』』（１９８１年）の「The Dancing Bumble Bee」です。<br/>
<br/>
　実をいうと、わたし自身は、ニール・ダイヤモンドの「The Dancing Bumble Bee」ではなく、原曲であるロシアの作曲家ニコライ・リムスキー＝コルサコフの「Flight of the Bumblebee（熊蜂の飛行）」が最も好きです。<br/>
<br/>
　元来のこの原曲は、アレクサンドル・プーシキンの原作の歌劇『サルタン皇帝』の第３幕で、主人公の王子が魔法によって蜂の姿で、悪役の姉妹に復讐する場面で使われる曲だそうです。<br/>
<br/>
　『危険なささやき』では、ニール・ダイヤモンドの「The Dancing Bumble Bee」を、冒頭のタイトル・バックのファースト・シークエンスで使用しています。アラン・ドロンが演ずる主人公の私立探偵シュカスが射撃の訓練所から自社の探偵事務所に帰社する際の大型バイクでのパリ市内の疾走シーンへの照応で表現しているのです。<br/>
　ここは、実に躍動感に溢れる展開であり、物語のスピード感やアクション、シュカス探偵のエネルギッシュな活躍ぶりを、この冒頭から期待させる効果を挙げていると思います。<br/>
　「YOU TUBE」にはニール・ダイヤモンドの１９７９年のサンフランシスコでのライブがアップされていました。<br/>
<br/>
　また、セルゲイ・ラフマニノフがピアノ曲に、あるいはヴァイオリン曲などにアレンジしたものが有名です。<br/>
　ロシアのバイオリニストであるアナスタシア・チェボタリョーワの演奏です。<br/>
<br/>
　また、わたしの気に入っているマリンバとピアノの演奏による「Flight of the Bumblebee」です。<br/>
<br/>
　日本で一般に有名になったものとしては、フレディ・マーチン楽団が発表した「バンブルブギー（Bumble Boogie）」（映像はウォルト・ディズニー）でしょう。最も有名なアレンジかもしれません。<br/>
<br/>
<br/>
　映画作品で使用されている音楽に着目していくと、映像におけるそのショット、シーン、シークエンスにおいて、音楽との照応によるリズムがいかに重要であるのかを感じます。<br/>
<br/>
　フランスの映画評論家エミール・ヴェイエルモーズは、音楽の批評も多く著していますが、「影像の音楽」という「光のハーモニゼーションとオーケストレーション」と定義した映画音楽論を展開させました。<br/>
　彼は、音響と影像の間の芸術上の緊密な関係があり、それぞれの技術が極めて類似しており、それぞれは理論の要請、また同一の生理的反応との上に立っているところからの視神経と聴神経との同一の振動機能によった関係について論述しています。<br/>
　また、「前衛（アヴァンギャルド）映画」の女流監督のジェルメーヌ・デュラックも「映画芸術」第二集「美学、きずな、純粋映画」という著書で「音楽家が音楽的章句のリズムと音調とを作り出すように、映画人は影像のリズムとその音調とを作ることを仕事とする。」と論説しているそうです。<br/>
【『映画の理論』岩崎 昶著、岩波書店（岩波新書）、１９５６年】<br/>
<br/>
　映画は、サイレント映画の時代から音楽を持つことを必要としていたのでしょうし、トーキー映画以後に確実にそれを持つことになった映像進化には、人類の文化・芸術上の最大の貢献があり、今後においてもその可能性を維持・発展させていく位置づけにおいて、体系化されるべき分野であるのでしょう。<br/>
<br/>
音楽のカテゴリーのある素敵なブログをご紹介します。<br/>
武田さんの「終日暖気」です。<br/>
武田さんの「終日暖気」では、『のだめカンタービレ』、『のだめカンタービレ 最終楽章 前編』もアップされています。<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>未分類</dc:subject>  
      <dc:creator>Tom5k</dc:creator>  
      <pubDate>Mon, 30 Apr 2012 2:25:27 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2012-04-30T02:25:27+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>『アラン・ドロンについて』⑨～アラン・ドロンが出演している面白い作品ベスト５～</title>  
      <link>http://zidai.exblog.jp/17705367/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://zidai.exblog.jp/17705367/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
　わたしには、アラン・ドロンが出演している作品で、周期的に観たくなる作品、何ケ月か何週間かに一度は観たくなり、かつ単純に面白いと思う作品が５本あります。<br/>
<br/>
　彼の魅力が本質的なものまで掘り下げられているか否かは別として、わたしにとって彼のキャラクターが非常に魅力的に映っている作品です。以前からたいへん好きな作品ではあったのですが、本当に真から好きな作品と自覚できるようになったのは最近のことだと思います。<br/>
<br/>
『さらば友よ』（１９６８年）【８点】<br/>
『シシリアン』（１９６９年）【７点】<br/>
『レッド・サン』（１９７１年）【７点】<br/>
『アラン・ドロンのゾロ』（１９７４年）【未掲載】<br/>
『ハーフ・ア・チャンス』（１９９８年）【７点】<br/>
※注　【　　】内の点数は、ブロガー仲間のオカピーさんの評価点数です。<br/>
【プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]テーマ「アラン・ドロン」のブログ記事】<br/>
<br/>
　特に、『さらば友よ』と『シシリアン』は、ようやく最近になって、それらが最も上位に位置付くほど好きであることを自覚した作品です。<br/>
　順位までの格付けは、今のところ不可能なのですが、私の「無意識の意識」が選んだベスト５作品です。<br/>
<br/>
　私の無意識、すなわち潜在意識は、彼に何を求め、どこに魅力を感じたのか、自分自身の分析をしてみたくなります。<br/>
<br/>
　ここには、彼の代表作品である『太陽がいっぱい』や『サムライ』、『パリの灯は遠く』のような単独主演の作品はありません。チャールズ・ブロンソン、ジャン・ギャバン、リノ・ヴァンチュラ、三船敏郎、ジャン・ポール・ベルモンドなど、ほとんどが同格の主演者との共演作品です。<br/>
<br/>
　単独の主演作品は、『アラン・ドロンのゾロ』ですが、この作品にしてもスタンリー・ベイカーという素晴らしい敵役、ヒロインとしてたいへん魅力的な役柄を演じたオッタビア・ピッコロと共演しています。<br/>
　植民地施策総督府の総督など権力の権化のような役を演ずることは、当時の彼には、俳優の資質としても欠損していたとは思いますが、『世にも怪奇な物語　第２話　影を殺した男（William Wilson）』や『レッド・サン』、そして『リスボン特急』などを鑑みれば、もしアラン・ドロンがウェルタ大佐を演じたとしても素晴らしい作品になったかもしれません。<br/>
<br/>
　いずれにしても、私の潜在意識は、アラン・ドロンが共演者とともに作品を創っていく俳優であることに満足感を得ているようです。彼が共演者たちの魅力を惹き出し、彼の魅力もまた、その共演者たちによって惹き出されていることから、その作品を面白く鑑賞することができているのです。<br/>
<br/>
　また、『ハーフ・ア・チャンス』以外は、すべて１９６０年代後半から１９７０年代中盤までの作品であり、これは、やはり、日本でのアラン・ドロンが、映画スターとしての人気の全盛期を迎えていた頃の作品ばかりであり、わたしもまた、一般的な日本人の感性の中でアラン・ドロンに魅力を感じていることに、あらためて気付かされたところなのです。<br/>
　『ハーフ・ア・チャンス』でさえ、往年のライバルであり、友人であるジャン・ポール・ベルモンドと共演を果たした全盛期への時代的郷愁からの嗜好を盛り込んだ「アクション・ノワール」の総決算的な作品でもありました。<br/>
<br/>
　そういった意味では、わたしの大嫌いな映画評論家の南俊子氏への批判的な気持ちも、逆に考えれば、これもまた無意識の近親憎悪による嫌悪感なのかもしれないと、大いに反省を促されているところでもあります。<br/>
<br/>
　当時のアラン・ドロンの日本での人気の原因をよく表している一文を見つけました。<br/>
　最近ではノーベル賞作家の大江健三郎氏と「反原発」運動で行動を共にしていますが、１９６０年代後半から７０年代にかけて、ラジオ番組『セイ！ヤング』で大活躍されていた文化放送のアナウンサーであった「レモンちゃん」こと落合恵子氏のエッセイ集にあったものです。<br/>
<br/>
【蝶よりは蛾のほうがいい。なぜか、突然、そう思った。<br/>
黄や白、黒の薄っぺらな羽を、これみよがしにヒラヒラさせて飛んでいる蝶を見ると、鳥肌が立つ。第一、嘘くさいじゃないさ。インチキじゃないか。あのモゴモゴとした、不器用な毛虫から、軽やかな蝶に変身するなんて。<br/>
美容整形した清純派スター、さもなくば、どなたか偉いひとの立身出世伝でも読んでいるようで、腹がたつ。<br/>
夏の終わり、子供達の夏休みの作品かなんかで、箱いっぱいに虫ピンで止められた蝶の採集を見ていると、それが一番お前さんにお似合いさとイヤミの一つでもいってやりたくなる。<br/>
（－中略－）<br/>
一匹の蛾が入ってきた。そこで、さっきの“蝶よりは蛾のほうがいい”という、とっぴょうしもない考えが思い浮かんだのだけど。<br/>
考えて見てもちょうだい。毛虫が毛虫のままで終わるのなら、もしくは、毛虫が蝶でなくて、蛾になるのなら、それなりに美しいし、せつないし、ナットクだけどさ、ある日突然、美しい蝶に変身しちまうなんて、まるで、シンデレラか、安っぽいハリウッド式スター誕生って感じで、イヤミじゃない？<br/>
（－中略－）<br/>
“蛾で思い出したけど、アラン・ドロンってえのは、あの美しさにかかわらず、どこかしら、蛾的・・・・・こんな言葉ってあるんだろうか・・・・・な匂いがするんだな。<br/>
どこでなにをしても、タキシードにシルクのタイでシャンパン片手に、居心地のよさそうなソファに腰をおろしていても、真赤なスポーツカーでハイウェイをぶっとばしていても、夏のはじめのエメラルドグリーンのプールで、二十四時間、酒と女に飽食しているそのときでも、なにか、満たされない不良少年の渇き、だれにも入ることのできない暗さを漂わせてたりしている。<br/>
どんなに陽気そうに笑っていても、彼のあの型のいい唇・・・・・まるで、〈kiss〉と夜のために用意されたような・・・・のはじっこには、いつも不敵でシニックな影がチラチラしているし、すべてを捨てて、身を投げかけてきた女を、あのガッシリとした胸でうけとめながらも、彼の目は、百パーセント人間を信用できない、信用されたこともない男特有の不幸な疑惑が見えたりする。<br/>
ニコヤカに握手をして肩をたたき合っても、油断なく相手の頭のてっぺんから爪先きまで、かぎまわし、敵か味方か、白か黒か決めつけなくては気がすまない、そしてそんな自分を嫌悪している苦みがある。そのくせ、人一倍人間の肌のヌクモリ、やさしさ、安らぎ、吐息を求めてやまない幼児的な欲求にいつもせきたてられている。<br/>
このへんなんだな、彼の魅力は。美しすぎるものや人は、えてして、嫉妬の対象になりうるのに、男にも、女にも、なぜか許されてしまう、熱いオニオンスープの一杯でも、こさえてあげたくなってしまう気分にさせるところは。<br/>
「人間の性格というものは、その幼児体験にかなり左右される。ぼくには子供らしい夢というものがなかった。いつも爪をかんで大人の顔色をうかがっているようなイジケタ子供だったような気がする」<br/>
と、ドロン自信も回想しているように、子供のころ出会った両親の離婚のショックが、彼を少々イビツな、それゆえ、トビキリ魅力的な男にさせているのかもしれない。<br/>
蝶になりうるすべての外的な条件・・・・・たとえば名声、たとえば富、女、人気・・・・・を与えられながら、どこかで爪をかんでフクレッツラしている男の哀愁。しんそこ蝶になりきれない精神的な肌寒さが、いつも彼の背中から離れやしない。<br/>
否定しながらも、なお求めてやまぬ愛情へのあこがれ、そんなものが哀しいほど、伝わってきてしまう。（略－）】<br/>
【『おうちへお帰り（蛾が好き！　ドロンが好き！）』落合恵子著、新書館、昭和４７年１０月】<br/>
<br/>
<br/>
　どうでしょうか。まさに時代の申し子であったアラン・ドロン！<br/>
　参考までに、『おうちへお帰り』が発行される前の直近５年間に日本公開されていたアラン・ドロン出演作品は、次のとおりです。<br/>
<br/>
※　日本公開年月順<br/>
昭和４２年<br/>
　　５月　『冒険者たち』（１９６６年）<br/>
<br/>
昭和４３年<br/>
　　３月　『サムライ』（１９６７年）<br/>
　　５月　『悪魔のようなあなた』（１９６７年）<br/>
　１０月　『さらば友よ』（１９６８年）<br/>
　１２月　『あの胸にもういちど』（１９６７年）<br/>
<br/>
昭和４４年<br/>
　　４月　『太陽が知っている』（１９６８年）<br/>
　　７月　『世にも怪奇な物語〈第二話　影を殺した男〉』（１９６７年）<br/>
　１２月　『ジェフ』（１９６８年）<br/>
<br/>
昭和４５年<br/>
　　４月　『シシリアン』（１９６９年）<br/>
　　６月　『ボルサリーノ』（１９６９年）<br/>
　１２月　『仁義』（１９７０年）<br/>
<br/>
昭和４６年<br/>
　１０月　『栗色のマッドレー』（１９７０年）<br/>
　１１月　『レッド・サン』（１９７１年）<br/>
<br/>
昭和４７年<br/>
　　４月　『もういちど愛して』（１９７０年）<br/>
　　９月　『帰らざる夜明け』（１９７１年）<br/>
<br/>
　落合恵子氏がこのうち何本の作品をご覧になっていたかは、知るよしもありませんが、彼女のアラン・ドロンへの批評にあるその姿こそ、当時、ほとんどの日本人が求めていた時代的キャラクターであったのです。それを体現していたアラン・ドロン像は、落合恵子氏の独創的な所感ではなく、日本での最も一般的な彼のイメージだったと思います。<br/>
<br/>
　だが、例えば、２１世紀に育った現在の若い世代に、アラン・ドロンの出演した映画作品を観せて、彼女のこのエッセイを読ませたとしたならば・・・。<br/>
　恐らく彼らには、アラン・ドロンと昭和４０年代の何がどう魅力的なのか、その意味そのものが理解できない・・・わからないのではないでしょうか？？？？<br/>
<br/>
　かなり前のブログ記事なのですが、わたしのブログ仲間のviva jijiさんが、全盛期のアラン・ドロンの記事をアップされていますので、ご紹介します。<br/>
　当時のアラン・ドロンが、日本でどんな存在だったかが、とても良く分かる記事だと思います。何せviva jijiさんは、熱狂的な映画ファンで、世代的には団塊世代よりは若く、我々の世代よりは少し上ですから、アラン・ドロンの全盛期を堪能された世代、その時代に青春を送った世代なわけです。<br/>
viva jijiさんのブログ『映画と暮らす、日々に暮らす。』の記事「アラン・ドロン」<br/>
<br/>
　さて、わたしが今回選んだ作品はすべて、純粋なフランス映画作品ではなく、非常にハリウッド・ナイズされた作品ばかりとなりました。<br/>
　これは、アラン・ドロンが出演している多くの作品が、そうであったのかもしれませんが、チャールズ・ブロンソンというアメリカのドル箱スターと共演した『さらば友よ』や『レッド・サン』、２０世紀フォックス制作の『シシリアン』、元来がアメリカのキャラクターである『アラン・ドロンのゾロ』など、ギャング映画（ギャングスター映画）、西部劇、活劇（剣戟映画）という典型的なハリウッドのエンターテインメントの要素をヨーロッパ的作風でアレンジしている作品ばかりなのです。<br/>
<br/>
　また、わたしが従来から大好きな、ルネ・クレマン、ルキノ・ヴィスコンティ、ジャン・ピエール・メルヴィル、ジョセフ・ロージーの演出作品を選んでいないことは、今回の私の「無意識の意識」が、非常に商業的なエンターテインメントへの嗜好の強さ・・・映画芸術ではなく、華やかな娯楽性を持った商業映画の魅力に惹かれていることを正直に見詰めた結果から選んだ作品だからかもしれません。<br/>
<br/>
　これらの娯楽作品群は、アラン・ドロンが出演している作品の中でも群を抜いてそのプロットや登場人物が類型的で硬直しています。<br/>
　それは、もうひどくワン・パターンであり、男同士の友情や裏切り、派手なアクション、単純な正義と悪とのすみわけ、全く深みのない表層的なテーマ・主題・・・これらにおいては、フランソワ・トリュフォーやジャン・リュック・ゴダールなど「ヌーヴェル・ヴァーグ」カイエ派の批評によって、間違いなく息の根を止められてしまうべきステレオ・タイプの映画様式（スタイル）ではないでしょうか？<br/>
　特に、『シシリアン』のギャング集団、『レッド・サン』のコマンチ族、『アラン・ドロンのゾロ』の悪の総督府、『ハーフ・ア・チャンス』のロシアン・マフィア・・・ファンであるわたしでも批判されれば反論できない類型的で硬直した型式モデルばかりです。<br/>
<br/>
　しかし、わたしの正直な潜在意識・・・「正直な潜在意識」ってどんな？・・・にとっては、それが最も魅力あるキャラクターたちでもあったのです。これは、ある意味、新しい発見です。<br/>
<br/>
　それにしても『レッド・サン』で彼が演じた悪漢ゴーシェは素晴らしい。彼が超一流の俳優であることが証されている作品だと思います。この作品はブルーレイのディスクとして蘇ります。久しぶりに西部の悪漢として大暴れしたゴーシェに心酔してみようかと思っているところです。<br/>
<br/>
<br/>
　この５本、わたしのなかで何が面白いのか？正直なところ自分でもその理由まではよくわかっていないかもしれません。うまく文章表現できませんでした？？？（笑）<br/>
<br/>
<br/>
　が、しかし、アラン・ドロンのファンとしての自分自身の可能性の発見、これが無限に近いものであることを発見できたこと・・・自己分析のプラス評価として自我自賛したくなる今日この頃なのです。<br/>
<br/>
<br/>
<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>アラン・ドロンについて（１０）</dc:subject>  
      <dc:creator>Tom5k</dc:creator>  
      <pubDate>Sat, 7 Apr 2012 1:39:45 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2012-04-07T01:39:45+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>『学生たちの道』～「アラン・ドロン」原型の形成期その３～</title>  
      <link>http://zidai.exblog.jp/17139954/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://zidai.exblog.jp/17139954/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
　ミッシェル・ボワロン監督は、アラン・ドロンの主演第１作品『お嬢さんお手やわらかに』（１９５８年）に引き続き、１９５９年、再度、この『学生たちの道』で彼を起用しました。<br/>
　『お嬢さんお手やわらかに』は、アラン・ドロンをミレーヌ・ドモンジョ、パスカル・プティ、ジャクリーヌ・ササールなどのアイドル女優と共演させ、監督自らのシナリオによる華やかな演出により世界中でヒットし話題となった作品でした。<br/>
　さすが、ミッシェル・ボワロン監督は、この２作品によって、その共演者と共にアラン・ドロンをしっかりとアイドル路線で売り出すことに成功しました。<br/>
<br/>
　そして、アラン・ドロンとしては、主演第３作品目。<br/>
　ロミー・シュナイダーと共演したピエール・ガスパール・ユイ監督の『恋ひとすじに』（１９５８年）で共演していたジャン・クロード・ブリアリと再びコンビを組み、当時のフランス映画界で、絶大な人気を誇っていたフランソワ・アルヌールと共演したのが、この『学生たちの道』なのです。<br/>
　この作品は、アラン・ドロンにとっても非常に重要な位置を占める作品だと、わたしは思っています。<br/>
<br/>
　実際のところ、彼が１９６０年代後半から７０年代の人気絶頂期を迎えていった作品の土台となっているのは、渡米して撮った『黄色いロールスロイス』（１９６４年）から『テキサス』（１９６６年）などの前に、フランスやイタリアなどのヨーロッパで撮った作品です。<br/>
　それらは、『太陽がいっぱい』（１９５９年）をはじめ、『太陽はひとりぼっち』（１９６１年）、『山猫』（１９６２年）、『地下室のメロディー』（１９６２年）、『黒いチューリップ』（１９６３年）などであり、そこには大スターとしての「アラン・ドロン」の必須要素が確かに存在していると思うのですが、『恋ひとすじに』やこの『学生たちの道』など、『太陽がいっぱい』を撮るより前の駆け出しの時代のアラン・ドロンが出演した作品に、それらの土台における原型とも言えるものが隠れていると、わたしは思っているのです。<br/>
<br/>
<br/>
　ところで、ハリウッド作品、フランス作品に限らず、「フィルム・ノワール」の登場人物たちにおいては、常に屈折した父性の在り方などを主軸に展開していく手法を採った作品が多く、その典型的な作品として、ビリー・ワイルダーが監督し、彼とレイモンド・チャンドラーが脚色した『深夜の告白』（１９４４年）があります。<br/>
　次の引用は『深夜の告白』に関する書評の一部です。<br/>
<br/>
【この映画の構図を決めている象徴領域と想像領域の間の亀裂は、キイズという人物において体現され、したがって、キイズは権威的な父親と、寛容な理想化された父親との、両方の役割を演じなければならない。映画の物語を解決と終結へと導いていくのは、キイズのような人間なのだ。権威的な父親として、キイズは法を代表しなければならず、ネフを警察に引き渡さねばならない。だが、理想化された父親としては、ナルシステイックにネフと互いに同化するという、抑圧されたホモセクシャリティの側面も残される。】<br/>
【引用～『フィルム・ノワールの女たち～性的支配をめぐる争闘』Ｅ・アン・カプラン著、水田宗子訳、田畑書店】<br/>
 フィルム・ノワールの女たち―性的支配をめぐる争闘田畑書店<br/>
<br/>
 世界名作映画全集 深夜の告白 [DVD]GPミュージアムソフト<br/>
<br/>
　このような父性をテーマとして描いた作品は、「アラン・ドロン」の人気全盛期を形成した「フレンチ・フィルム・ノワール」作品へも影響を与えていると考えられますが、<br/>
ジャン・クロード・ブリアリが演ずるアントワーヌの友人ポールと闇取引の元締めを商売にしているリノ・ヴァンチュラが演ずる父チェルスラン、<br/>
アラン・ドロンが演ずる主人公の高校生アントワーヌとブールヴィルが演ずる善良で真面目な小市民の父ミショー<br/>
のそれぞれ２組の父と息子の関係が、既にこの『学生たちの道』で大きなテーマとされています。<br/>
　ここは非常に重要です。後年の「アラン・ドロン」のアクターとしてのオリジナルが、既にここで確実に存在しているからです。<br/>
<br/>
　すなわち、『地下室のメロディー』や『暗黒街のふたり』（１９７３年）で共演したジャン・ギャバン、『山猫』や『スコルピオ』（１９７３年）で共演したバート・ランカスターに父性を求め、そして更に、『ビッグ・ガン』（１９７２年）、『アラン・ドロンのゾロ』（１９７４年）、『ル・ジタン』（１９７５年）、『ブーメランのように』（１９７６年）など、自らがその父性を表現していくことになった生々しい原型製法が、この『学生たちの道』で、ミッシェル・ボワロン監督の演出によって行われたように思うからです。<br/>
<br/>
　つまり、主人公アントワーヌとポールとの友情、ポールと父チェルスランとの確執、ポールの影響を受け、シャンパンの闇取引に手を出し、父ミショーの期待を裏切ってしまうアントワーヌの父子関係などは、「フレンチ・フィルム・ノワール」での「男同士の友情と裏切り」などのテーマとなる潜在的要素の源流となっていると、わたしは考えているのです。<br/>
<br/>
　アラン・ドロンにとって、ピエール・モンディが演ずる偽のゲシュタボを使ったプロットなども含めたそれらの要素は、『地下室のメロディー』や『泥棒を消せ』（１９６４年）でその端緒が発現し、『さらば友よ』（１９６８年）から開花していくのですが、その後、『ジェフ』（１９６８年）、『シシリアン』（１９６９年）、『ボルサリーノ』（１９６９年）、『仁義』（１９７０年）、『リスボン特急』（１９７２年）、『ル・ジタン』、『友よ静かに死ね』（１９７７年）などで中心的役割を担っていくギャング集団の生態、その彼らの大仕事と男同士の友情を作品の主軸、テーマとしていくことへと拡がっていったと考えています。<br/>
<br/>
　思えば、この『学生たちの道』には、「フレンチ・フィルム・ノワール」に潜在されている父性と男同士の友情が健康的に描写されている古き良き時代を描いた作品であり、無垢で純情な好青年を演じるアラン・ドロンが、その可能性を開花するための多くの要素を学んだ作品だったのかもしれません。<br/>
<br/>
<br/>
　また、彼が得意としていった悲恋の「メロドラマ」の原型も現れており、ここでのフランソワーズ・アルヌールとの恋愛関係においては、後年『帰らざる夜明け』（１９７１年）や『燃えつきた納屋』（１９７３年）のシモーヌ・シニョレ、そして、『個人生活』（１９７４年）のジャンヌ・モローとの共演の下地になるものだったとも考えられます。<br/>
<br/>
　『恋ひとすじに』での男爵夫人レナを演じたミシェル・プレールとの関係は、「メロドラマ」のクラシック作品として不倫関係を描いており、その映画的表現は標準的な形式・スタイルを超えるものではなかったように思っています。<br/>
　しかし、この『学生たちの道』でのポールの恋人フランソワーズ・アルヌールが演じた恋人のイベットには既に子どもが存在しています。高校生が付き合う相手の設定としては、かなり矛盾をはらんだ恋愛関係をプロットとし、その現代女性を演じさせているのは当時人気全盛期のフランソワーズ・アルヌールでした。<br/>
　年上の美しいイヴェットとティーン・エージのアントワーヌとの純粋な恋愛関係は、現代社会の複雑な感性へと更に一歩進めた形態で描写されているものとなっています。<br/>
<br/>
　これは、ミシェル・ボワロン監督にとっても、思春期を終えたばかりのティーンエイジャーと年上の美しい女性の恋愛を描き、ナタリー・ドロンとルノ・ヴェルレーが共演して大ヒットした『個人教授』（１９６８年）に繋がる原型だったとも考えられます。<br/>
 個人教授 スペシャルコレクターズセット [DVD]ポニーキャニオン<br/>
<br/>
<br/>
　この『学生たちの道』は、アラン・ドロンのアイドル時代の総括的作品であり、彼はその後、ルネ・クレマン監督のリアリズム描写に邂逅し、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督やクリスチャン・ジャック監督のフランス映画の伝統的「詩（心理）的レアリスム」に巡り会い、単なるアイドルではなく、ヨーロッパを代表するトップ・スターへと成長していくのです。<br/>
<br/>
　この辺りで、アラン・ドロンは、ルキノ・ヴィスコンティ監督やミケランジェロ・アントニオーニ監督の「ネオ・リアリズモ」の後期作品を経て、『生きる歓び』（１９６１年）や『危険がいっぱい』（１９６２年）、『地下室のメロディー』など、ルネ・クレマン監督の演出やジャン・ギャバンとの共演などによって、リアルな「アラン・ドロン」キャラクターを本質まで掘り下げられ、アイドル路線を脱皮していくのですが、それに甘んじることなく、失敗作が多かったとはいえ、渡米したハリウッドでの「スターシステム」を貪欲に吸収して、後年の「フレンチ・フィルム・ノワール」での「アラン・ドロン」に接近しくわけです。<br/>
<br/>
　それにしても、後年、リノ・ヴァンチュラは『シシリアン』、ブールヴィルは『仁義』で、アラン・ドロンを追う刑事になり、典型的な「フレンチ・フィルム・ノワール」作品で共演することになろうとは、この作品を撮った頃には誰も想像していなかったでしょう。不思議な因縁を感じてしまいます。<br/>
<br/>
【キイズは権威的な父親と、寛容な理想化された父親との、両方の役割を演じなければならない。映画の物語を解決と終結へと導いていくのは、キイズのような人間なのだ。権威的な父親として、キイズは法を代表しなければならず、ネフを警察に引き渡さねばならない。だが、理想化された父親としては、ナルシステイックにネフと互いに同化するという、抑圧されたホモセクシャリティの側面も残される。】<br/>
【引用～『フィルム・ノワールの女たち～性的支配をめぐる争闘』Ｅ・アン・カプラン著、水田宗子訳、田畑書店】<br/>
<br/>
　わたしには、この作品の二人の父親が、アラン・ドロンにとって、先に引用したＥ・アン・カプランの言う「理想化された父親」と「権威的な父親」を、ともに演じていくことになったと思えてならないのです。<br/>
<br/>
　アラン・ドロンは、『学生たちの道』で演じた主人公アントワーヌから、暖かい小市民的な家庭が少しずつ奪われていった結果、悲恋の主人公となることも含めて、ギャングや殺し屋、社会から逸脱した犯罪者、アウトローとしてのヒーローとなり、二人の父親に追われる悲劇を背負ってしまったように見えてしまいます。<br/>
<br/>
<br/>
　多くの大衆に受け入れられる「フレンチ・フィルム・ノワール」の大スター「アラン・ドロン」のキャラクターは、この朴訥なアントワーヌから、全てを奪い去ったときに形成されていったと考えることができるのではないでしょうか？<br/>
<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>学生たちの道</dc:subject>  
      <dc:creator>Tom5k</dc:creator>  
      <pubDate>Fri, 30 Dec 2011 3:00:37 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2011-12-30T03:00:37+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>『愛人関係』～愛し合う男女の超悲劇、ミレーユ・ダルクの素晴らしい代表作品～</title>  
      <link>http://zidai.exblog.jp/17085342/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://zidai.exblog.jp/17085342/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
　アラン・ドロンの得意としていたジャンルである「フレンチ・フィルム・ノワール」の特徴によるものかもしれませんが、彼は、往々にして女性に対しては、デリカシーのない役柄が多く、それは恋愛を主題とする「メロドラマ」の代表作品である『高校教師』（１９７２年）や『個人生活』（１９７４年）においてさえ同様だったと思います。<br/>
　その出発点を思い返したとき、もしかしたら、「内的ネオ・リアリズモ」の巨匠であったミケランジェロ・アントニオー二が監督した『太陽はひとりぼっち』（１９６１年）で、彼が演じた主人公ピエロのキャラクターにまで、遡らなければならないかもしれません。<br/>
<br/>
　ところが、この１９７４年に製作された『愛人関係』は、アラン・ドロンの演ずる主人公の弁護士マルク・リルソンが、珍しく、ミレーユ・ダルク演ずるペギー・リスターを本気で愛し、そして、そのデリケートな関係を描写し続ける作品となっています。<br/>
　そういう意味では、彼の主演作品としては非常に希有な傾向のものだと思います。<br/>
<br/>
　しかし、このことを広い意味で捉えてしまうと、いよいよ自らのファンにまで、女性への無神経さが及んでしまったともいえるのかもしれませんが・・・？<br/>
<br/>
【「愛人関係」ではミレーユ・ダルクを本気で愛しちゃう役をやっているんですけど、そういう意味でつまらなかったですね。（南俊子）】<br/>
【（『デラックスカラーシネアルバム５　アラン・ドロン　凄艶のかげり、男の魅力　斎藤耕一+南俊子《ドロンを語る》現代的な感性を表現できる不思議な人』南俊子責任編集　芳賀書店）】<br/>
<br/>
　<br/>
　ところで、映画の主人公のキャラクターに、その俳優がはまり過ぎると、そのスター俳優はそれ以降、どの映画作品に出演しても、その当時の役名で呼ばれることが多くなることがあります。<br/>
<br/>
　わたしが学生時代、映画好きの伯父の家に遊びに行ったとき、<br/>
「今日は、テレビで「ダーティハリー」が出ている映画をやるぞ。一緒に観ないか？」<br/>
と誘われたのですが、実際にテレビで放映されていたのは、『荒野のストレンジャー』というクリント・イーストウッド主演の西部劇でした。<br/>
 ダーティハリー アルティメット・コレクターズ・エディション [Blu-ray]ワーナー・ホーム・ビデオ<br/>
<br/>
 荒野のストレンジャー [DVD]ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン<br/>
<br/>
　また、わたしの父親も、増村保造監督、勝新太郎、大谷直子出演の『やくざ絶唱』がテレビ放映されたとき、<br/>
「今日は、「座頭市」のやくざものかあ？」<br/>
とか、<br/>
 やくざ絶唱 [VHS]大映<br/>
<br/>
 座頭市 DVD-BOX角川エンタテインメント<br/>
<br/>
　オードリー・ヘップバーンが、ショーン・コネリーとの共演で映画に復帰した『ロビンとマリアン』が上映されていた頃、<br/>
「ほう、ヘップバーンが「ゼロ・ゼロ・ナナ（ジェームズ・ボンドのコード・ネーム「００７」のこと）」と共演するんだ？」<br/>
などと、ぼけた一人ごとを良く言っていたものです。<br/>
 ロビンとマリアン [DVD]ソニー・ピクチャーズエンタテインメント<br/>
<br/>
 007 ショーン・コネリーBONDセット スペシャルBOX付 [DVD]20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン<br/>
<br/>
『男はつらいよ』シリーズの渥美清なども、その典型かもしれません。<br/>
 「男はつらいよ HDリマスター版」プレミアム全巻ボックス コンパクト仕様<全53枚組> [DVD]松竹<br/>
<br/>
　また、その逆の在り方として、スターの条件のひとつなのかもしれませんが、主演俳優が映画のプロットに合わせて演ずるのではなく、出演している彼らのイメージで作品が創作されたり、アレンジ・脚色されていることも多々挙げられます。<br/>
　つまり、その俳優がどのような映画に出演していても、主人公の名前は印象に残らず、スター俳優のみで映画の主人公が成立してしまうわけです。<br/>
　美空ひばり、石原裕次郎、吉永小百合、高倉健、チャ－ルズ・ブロンソン、オードリー・ヘップバーン、ブリジッド・バルドー、マリリン・モンロー・・・などの出演作品は、その主人公の名前を覚えているファンのほうが少ないのではないでしょうか？あくまで、その作品の主人公は、出演しているスター俳優自身となってしまっているケースです。<br/>
<br/>
　もちろん、アラン・ドロンも、その例外ではありませんでした。つまり「アラン・ドロン」という映画スターのキャラクターが確立されている以上、彼の出演作品は、まず彼のイメージや個性によって規定されたうえで制作され、彼の演技そのものも、その私生活からのキャラクターや過去の経験値によって表現された作品が多くなっていたと思います。<br/>
　主演俳優の人気を利用した、つまりスターの人気に依存して商業的な成功を目的にした映画の「スターシステム」に依る彼の出演作品が多いことは現実です。<br/>
<br/>
　彼が出演した映画作品の主人公は、マニュ（『冒険者たち』）、ジェフ・コステロ（『サムライ』）、ディノ・バラン（『さらば友よ』）、ロジャー・サルテ（『シシリアン』）、ロッコ・シフレディ（『ボルサリーノ』）ではなく、「アラン・ドロン」という映画スターであるわけなのです。<br/>
　ゾロを演じたときでさえ、邦題は『アラン・ドロンのゾロ』でした。<br/>
<br/>
　しかしながら、わたしとしては、単純に商業的な意味での「アラン・ドロン映画」という体系で、彼の映画作品が時代に埋没していくことへの焦燥があることもまた正直な気持ちです。<br/>
<br/>
　何故ならば、彼のスターとしての位置づけに関わっても、そういった商業的なものを超えて、多くの人々の範例となるヒーロー像としての価値、そして男性でありながらも、その時代的な美しさの特質など、大げさに解釈すれば、アラン・ドロンは映画文化史において、その時代のシンボリックな型として存在できるスター俳優であり、その彼の存在と平行して、出演作品の多くがヨーロッパ映画史における普遍的価値を伴って現代に存在し続けていることを無視できないからなのです。<br/>
<br/>
　だからこそ、彼のファンとして、彼の作品や彼自身のスターとしての位置付けを模索し続けることに意味があるように思えてならないのです。<br/>
<br/>
<br/>
　さて、今回取り上げたこの『愛人関係』は、アラン・ドロンの記事を３１本もアップしている映画批評ブロガーのオカピーさんでさえ、現在（2011-12-19 01:47）まで取り上げていないほど、埋もれた地味な作品です。【プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]テーマ「アラン・ドロン」のブログ記事 】<br/>
<br/>
　さりとて映画ファンの関心にもならず、話題性も無く、ファンの大半が女性層であった当時、彼のファン代表でもあった映画批評家の南俊子氏にさえ、「つまらない」と酷評され、女性ファンに見限られ、『さらば友よ』や『ボルサリーノ』でつかんだ若い男性ファンにも関心を持たれないこの『愛人関係』という作品は、昨今の映画ファンには、どのように捉えられる作品なのか？それは、わたしの大きな関心事のひとつでありました。<br/>
<br/>
　そこで、わたしは映画の達人、わたしのブログの盟友のひとりである「良い映画を褒める会。」の用心棒さんに、この『愛人関係』の記事をアップしてもらうことにしたのです。<br/>
　用心棒さんは、嫌な顔ひとつせず、わたしの無理なわがままなお願いを引き受けてくれました。<br/>
以下、【　　　】内は【用心棒さんのブログ「良い映画を褒める会。」ブログ記事『『愛人関係』（1973）フランス産、悲恋のサイコ・スリラー。脚本に難があるものの光る部分あり。』からの引用】<br/>
<br/>
　わたしは、アラン・ドロンのファンではあっても、男性ですから、彼と彼の私生活上の愛人であったミレーユ・ダルクの関係が、この作品に表れていたとしても、さほど驚くには当たりませんでした。いやむしろ、アラン・ドロンのアクターとしての魅力は、彼の経験や彼の内面の暗部が露わになったときにこそ最大限に発揮されている側面があると考えています。<br/>
　ですから、この作品の魅力も、当時、愛人関係にあった彼とミレーユ・ダルクの共演に、その魅力が隠されていると考え、そこに着目できていることが彼の作品を理解している自負でもあったのです。<br/>
<br/>
　しかし、そのわたしの、所詮、脆弱な自負心は、用心棒さんの優れた記事内容によって、粉々に打ち砕かれました。さすが用心棒さんは、当時の世評と、現在における映画作品としての純粋な価値とに、まずは明確な線引きを設けているのです。<br/>
<br/>
【　ただし、当時のアラン・ドロンとミレーユ・ダルクの関係をワイド・ショー的に利用した、下世話な邦題『愛人関係』が作品理解への妨げになっている。余計な先入観を見る前から与えてしまっているので、この映画に限らず、邦題に良くありがちではありますが、配給元のタイトル決定者は映画は後々まで残っていくのを理解し、将来の映画ファンにバカにされないように猛省すべきでしょう。<br/>
<br/>
　ただしこの映画にはドロンも製作に携わっているようですので、ごり押しでミレーユ・ダルクを使い、彼女を売り出しているのも事実（－略－）<br/>
　40年近く前の映画ですので、かえって今になってこの作品にまっさらな頭で向き合う方がより深く作品の本質に迫れるのかもしれません。じっさい、映画の外の醜聞など何十年も経ってしまえば誰も覚えていないし、関係もない。】<br/>
<br/>
　アラン・ドロンのファンとしての狭義の認識を捨て、このような視点で『愛人関係』を鑑賞し直してみると、わたしでも、この作品の本質的な魅力を理解できるように思えてきました。<br/>
<br/>
【ストーリー展開と独特の時間をなぜていくようなリズムに気をとられてしまい、冷静に見ていられない作品でもあります。最近のハリウッド映画にどっぷりと浸かっている人がこれを見れば、かなり退屈でしょうし、30分くらいで見切ってしまい席を立ってしまった方もいたかもしれません。<br/>
　また最後までついて行った方もハッピーエンドとは程遠い結末には違和感を覚えるかもしれません。そもそも、ほとんどの大人がこの世の中は嫌なことばかりであると理解しています。大人にしか分からない映画、つまり見る人を選ぶ作品でした。<br/>
（－中略－）<br/>
ドロンは悲劇の人と理解されるのでしょうが、一緒に死を選び、あの世でともにあろうという行動を見ると、一概に不幸であるとは言えないのではないか。<br/>
　弾丸が愛情表現だというのは悲劇的ではありますが、映画として受け入れられないような結末ではない。バカげた思い違いかもしれませんが、悲しく衝撃的な幕切れではあります。<br/>
<br/>
　これも物語の終わらせ方のひとつでしょう。なんだか後ろ髪を引かれるような気まずい余韻を残す作品で、見た日よりも次の日にじわじわきました。】<br/>
<br/>
　すなわち、用心棒さんの記事にあるように「大人の映画」、「観る者を選ぶ作品」であること、ラスト・シークエンスにおける悲劇的なふたりの深い愛情描写を、男女の不幸な関係や、その悲劇性そのものをも超越した「超悲劇」として捉えることで、この作品の魅力が浮かび上がってくるように思えてきたのです。<br/>
<br/>
　主人公ペギーを演ずるミレーユ・ダルクのイノセントでありながらセクシュアルな魅力、これは女性の持つ処女性を犯したい男性特有の傲慢で横暴な特性から感じ取れる魅力でもあるかもしれません。そして、それが故にその凶暴な異常性を内面に沈潜させてしまっている病巣こそ、現代女性における内面的な闇や魔性を象徴していると言えるのではないでしょうか？<br/>
<br/>
　「ファム・ファタル」の定義として、それは「運命の女」のことを指すわけですが、これは男を破滅させる魔性の女性、妖婦という意味合いで使われることが一般的です。<br/>
　１９４０年代ハリウッドのＢ級「フィルム・ノワール」での彼女たちの定義の特徴には、そのヒロインの性格描写がしばしばあいまいであることや表現主義的な映像による女性のセクシュアリティの強調などが挙げられています。この『愛人関係』でミレーユ・ダルクが演じた、美しくも隠された異常な凶暴性を持つ未亡人ペギーにも、その定義が当てはまるようにも思うわけです。<br/>
<br/>
<br/>
　彼女が、脚光を浴びた作品は『恋するガリア』でした。監督は『愛人関係』の元夫のジョルジュ・ロートネルです。彼はミレーユ・ダルクの魅力を最大限に引き出せる演出家であると思います。<br/>
 恋するガリア [DVD]ブロードウェイ<br/>
<br/>
　余談ではありますが、わたしはこの作品で、ミレーユ・ダルクが演じたガリアとフランソワーズ・プレヴォーが演じたニコールの関係に、久我美子、高峰三枝子、森雅之が主演し、五所平之助が監督、また、秋吉久美子、草笛光子、仲代達也が主演し、河崎義祐が監督した北海道が誇る原田康子の原作『挽歌』（１９５７年、１９７６年）での主人公の怜子と兵藤あき子の関係を想起してしまいました。<br/>
　親友の夫を善悪の判断無しに寝取ってしまうイノセントで残酷な女性を演じたミレーユ・ダルクと、この文学作品『挽歌』の主人公の玲子には現代女性の闇が同様に投影され、その現代的な主題が明確にされていたと思います。<br/>
 挽歌 (新潮文庫)原田 康子 / 新潮社<br/>
<br/>
　『愛人関係』は、そのような奔放な女性の病んでしまったとも解釈できる心理描写を、更に一歩危険な状況に推し進め、秀逸な「サイコ・スリラー」へと進化させています。女性の奔放な行動や欲望は影を潜め、それは逆に異常な凶暴性に昇華され、極端な女性の潔癖性の奥深くに潜伏させてしまったわけです。<br/>
　当然のことながら、その結末の悲劇性は必然となってしまいます。<br/>
<br/>
【感情をあまり表さなかったミレーユの最後の笑顔は意味深長でしたので、リボルバーの弾丸による唐突な結末がより印象を強くする。】<br/>
<br/>
　もしかしたら、この作品は、彼女を最も良く理解しているアラン・ドロンがプロデュース・共演し、若い頃からの彼女の成長を目の当たりにしてきたジョルジュ・ロートネルが演出したその結果によって、現代女性の闇を象徴的に表現したミレーユ・ダルク一世一代の代表作品であったのではないのかと、わたしは思ってしまうのです？<br/>
<br/>
【フィリップ・サルドによるサントラが秀逸で、作品を盛り上げ、ワン・ランク上に導いています。】<br/>
<br/>
　フィリップ・サルドのテーマ曲は、主人公ペギーの悲しみを歌ったエレジーとも解釈できます。そして、わたしは、またもやこの作品にフランス映画旧世代の「詩（心理）的レアリスム」の復活を想起してしまうのでした。<br/>
<br/>
<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>愛人関係</dc:subject>  
      <dc:creator>Tom5k</dc:creator>  
      <pubDate>Mon, 19 Dec 2011 1:47:53 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2011-12-19T01:47:53+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>『Astérix aux Jeux Olympiques（アステリックス・オリンピックへ）』～フランス映画の危機～</title>  
      <link>http://zidai.exblog.jp/15388237/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
　２０１１（平成２３）年８月１８日・１９日付け両日に渉り、札幌市出身のフランス在住映画ジャーナリストの林瑞絵氏の「フランス映画はどこへ」（上・下）と題したフランス映画に関わるコラムが北海道新聞（夕刊）に掲載されました。<br/>
　わたしは、林瑞絵氏が著した花伝社発行『フランス映画どこへ行く　ヌーヴェル・ヴァーグから遠く離れて』は未読なのですが、このコラムから、「映画」の危機的状況が、かの映画大国フランス映画にまで進んでしまっていることを知り、少なからずショックを受けています。<br/>
 フランス映画どこへ行く―ヌーヴェル・ヴァーグから遠く離れて林 瑞絵 / 花伝社<br/>
<br/>
　２０１１（平成２３）年８月１９日付け北海道新聞（夕刊）「フランス映画はどこへ　＞上」によると、１９５９年のアンドレ・マルロー文化相時代に、フランス国内の映画への助成制度が整備され、その振興施策が現在の安定基盤として機能していることを前提にしながらも、近年の映画産業の衰退傾向が顕著であることを危惧し、そのマイナス要因に言及しています。<br/>
<br/>
　ところで、アンドレ・マルローは、第二次世界大戦中にレジスタンス運動に身を投じた経験を持ち、フランス国内では作家としても活躍していた多彩な人物です。<br/>
　わたしのブログの盟友である「良い映画をを褒める会。」の用心棒さんがブログ記事『希望　テルエルの山々』（１９３９）スペイン内戦を間近で見たアンドレ・マルロー唯一の監督作品。』で取り上げているように、『希望　テルエルの山々』で、映画監督を務めたこともあります。<br/>
 希望 テルエルの山々アンドレ・マルロー / アイ・ヴィー・シー<br/>
<br/>
　また、彼がシャルル・ドゴール政権下で長期間にわたって文化大臣を務めていた時代には、ルーブル美術館の所蔵品などを世界にプロモーションしたり、ミロのヴィーナスを海外に貸し付けたりするなどして、フランスが芸術的に特化している国家であることを文化施策に反映させていった功績があり、それは大きく認められています。<br/>
<br/>
　しかしながら、１９６８年２月、フランス政府の意向を受け、突如、フランス映画のフィルム・アーカイブである「シネマテーク・フランセーズ」や「映画博物館」の創設者でもあるアンリ・ラングロワを、シネマテーク・フランセーズの事務局長の職から解任した「ラングロワ事件」は、国際的にも大きな波紋を起こしました。<br/>
　アンリ・ラングロワは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」運動への影響を初めとして、積極的な映画文化施策によって、当時のフランス映画界を通じて国際的にもに大きく貢献していたため、アンドレ・マルローのこの判断には賛否の両論があるようです。<br/>
 アンドレ・マルロー伝中野 日出男 / 毎日新聞社<br/>
<br/>
　さて、フランス映画界の状況に戻りますが、林瑞絵氏は、古くからフランス映画の愛好家が多かった日本においてさえ、配給会社の買い付けの縮小が顕著となっていることなどを挙げ、その衰退状況を例示していきます。<br/>
<br/>
　１９８５年、フランス社会党ミッテラン政権下のジャック・ラング文化相は、テレビの普及に伴って客足が遠のいた映画産業への救済措置を図るため、映画振興を目的とした資金繰りへの取組みとして、テレビから映画への出資義務を法整備しました。<br/>
　しかし、このことによって、テレビ業界の発言力が強くなり過ぎ、テレビ放映を前提とした映画への資金援助が露骨になっていった変遷など、当初の目的と大きく乖離していったことを映画衰退の大きな問題点としているのです。<br/>
　フランス映画はジャンルの一般化・固定化に陥り、テレビが映画の演出方法やシナリオ、出演俳優などにまで影響力を持ったために、その独自性が否定されていった経緯を、林瑞絵氏は、「映画は「外で見るテレビ」に成り下がった」とまで結論付けています。<br/>
　確かこの頃、フランス映画の代表格のスター女優であったジャンヌ・モローが、自国フランス映画の弱小傾向に関わって政府批判をし、その意見が大きく話題になっていた記憶があります。<br/>
<br/>
　また、映画産業の効率性を追求していく時代の流れは、ハリウッドの映画産業のみならず、良質のメディア文化を量産してきた映画大国フランスでさえ、複数館のシネマコンプレックスによる安定したヒット作品を量産する傾向の集客主義が現状となってしまっているそうです。<br/>
　作品の質よりも、宣伝効果による安定したヒット作品を重視する傾向に陥ってしまったフランス映画を批判的に分析しています。<br/>
<br/>
　そして残念なことに、２００８年にアラン・ドロンが、久しぶりに出演した映画作品であるアステリックスシリーズ第３作目、『Astérix aux Jeux Olympiques（アステリックス・オリンピックへ）』が、その最も典型的な悪例として紹介されているのです。<br/>
 Astérix aux jeux OlympiquesRené Goscinny / <br/>
<br/>
　これは、フランスの人気コミック漫画シリーズを原作として映画でもシリーズ化され、ジェラール・ドパルデューが全作品を通算して出演しています。<br/>
 Asterix Aux Jeux OlympicsRene Goscinny / Dargaud Intl Pub Ltd<br/>
<br/>
　１９９９年にクリスチャン・クラヴィエ、ロベルト・ベニーニが出演した第一作品目の『Astérix et Obélix contre César（アステリックスとオベリスク）』は、日本では横浜で開催された第７回フランス映画祭で上映され、モニカ・ベルッチが出演した２００２年の第二作品目『ミッション・クレオパトラ』は、日本公開となりました。<br/>
 ミッション クレオパトラ [DVD]ポニーキャニオン<br/>
<br/>
　そして、２０１２年には、第四作品目『Astérix et Obélix : Au service de sa Majesté』が、エドアール・ベール、ファブリス・ルキーニ、カトリーヌ・ドヌーブ、ジャン・ロシュフォール、ヴァレリー・ルメルシェが出演して製作される予定だそうです。<br/>
<br/>
　アラン・ドロンが出演している『Astérix aux Jeux Olympiques（アステリックス・オリンピックへ）』は、現在のところ、各配給会社の動向でも日本公開の予定は無いようですが、フランス映画史上最大の製作費１０１億円を投入し、ヨーロッパ４０ヶ国、５，０００ヶ所の映画館で公開された超大作です。その製作費は、２５％を宣伝費用とし、公開１週間目で３００万人以上の集客実績を上げ、年間第二位の記録を打ち立てました。<br/>
<br/>
　林瑞絵氏は、現在においては映画の資金集めにはこのような大作の投資的プロデュースが最も効果的であると悲観しています。<br/>
<br/>
　また、フランスは、国家を挙げて映画芸術家の育成に力を入れており、「国立映画フェミス」という映画作家の養成機関を設置しています。しかし、その結果にはマイナス面も多く、エリート意識の強過ぎる映画作家たちの育成によって、低予算の作家映画の乱発を促している現状が発生してしまっています。<br/>
　その作家映画の特徴には、かつて世界中の映画創作に影響を与えた「ヌーヴェル・ヴァーグ」運動の負の遺産ともいえる極端な脚本軽視と自己表現の重視などが引き継がれており、それは商業映画のマーケットとは無縁で、大衆と映画との乖離を一層招いてしまっているそうなのです。<br/>
<br/>
　このような諸状況は、映像文化、メディア文化のテレビ局主導による弊害が顕著になってきている一方で、超大作と作家映画の二極分化のサイクルを生んでしまっていると指摘しています。<br/>
<br/>
　総じて、フランス映画の現状は、<br/>
<br/>
「援助システムばかりを当てにする日和見主義的なプロデューサー」<br/>
「徒党を組んでばかりの批評精神を忘れた批評家」<br/>
「感性を遠隔操作された観客」<br/>
<br/>
など、負のスパイラルであると両断し、<br/>
<br/>
「不評助長する負の連鎖」<br/>
<br/>
の副題を用いて危機を訴えているのです。<br/>
<br/>
<br/>
　かつて、「ヌーヴェル・ヴァーグ」運動は、旧フランス映画「詩（心理）的レアリスム」の体質を徹底的に批判していったわけですが、その商業映画と映画芸術との矛盾は、後年においては良い意味での転嫁が図られてもいきました。<br/>
<br/>
フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロル、エリック・ロメールなどの作品が、旧時代の作風に回帰していったこと、<br/>
ジャン・リュック・ゴダールの自己批判による商業映画への復帰、<br/>
「ヌーヴェル・ヴァーグ」の俳優であったジャン・ポール・ベルモンドやジャン・ルイ・トランティニャン、ミシェル・ピコリなどの「人気映画スター」としての脱皮、<br/>
旧世代を受け継いだ商業映画の典型的な人気スター、アラン・ドロンの「リアリズム映画」への取組み<br/>
<br/>
など、フランス映画両極の相互間での融和や刺激により、結果的には活性化に結びついていった映画史的経緯があったと、わたしは考えているのです。<br/>
<br/>
　その最も典型的な作品が、１９９０年、ジャン・リュック・ゴダールが監督し、アラン・ドロンが出演した『ヌーヴェルヴァーグ』であったと、アラン・ドロンのファンとしてはフランス映画を総括的に捉えていました。しかし、昨今のフランス映画の裂け目が、このような救いようのない状況にまで悪化していることを知って、わたしは、更に強いショックを受けてしまいました。<br/>
<br/>
　しかも、その一極に位置する典型的な作品として例示されている『Astérix aux Jeux Olympiques（アステリックス・オリンピックへ）』に、アラン・ドロンが出演していることを鑑みれば、行く行くは彼の出演作品としても、映画史の採決に晒されていくことは避けられないことだと考えざるを得ません。<br/>
<br/>
　現段階で、その映画史的結論を提示することは、極めて困難なことであるのですが、アラン・ドロンは出演時には既に７２歳という高齢で、しかも、１９９８年には、パトリス・ルコント監督で、盟友ジャン・ポール・ベルモンドと共演した記念碑的作品『ハーフ・ア・チャンス』で引退声明しているわけですから、この作品への出演には、なおさら一考を要することを痛感してしまうのです。<br/>
　新しいフランス映画界の矛盾に対して、アラン・ドロンは、どのような意志を持って、『Astérix aux Jeux Olympiques（アステリックス・オリンピックへ）』に出演することを判断をしたのか、これは相当の大きな意味を持つものであると思います。<br/>
<br/>
　翌日の２０１１（平成２３）年８月１９日付け北海道新聞（夕刊）「フランス映画はどこへ　＞下」では、２００６年『レディー・チャタレー』を監督したパスカル・フェランが、セザール賞最優秀賞を受賞した際のスピーチで「富める者はさらに富み、貧しい者はさらに貧しく」とフランス映画の現状を指摘したことが取り上げられています。<br/>
 レディ・チャタレー ヘア無修正完全版 [DVD]ハピネット・ピクチャーズ<br/>
<br/>
　彼女は、「大作＝大衆映画」「低予算映画＝芸術映画」以外の製作費３億９千万円から１０億４千万円程度のフランス映画最良の製品マークだった「中間映画」が激減し、危機に瀕していると訴えました。<br/>
　その後、彼女は、問題意識を共有する映画人たちと「１３人のクラブ」というグループを結成し、『中間はもはや橋ではなく、断絶だ』を出版しました。<br/>
　彼らは、フランス政府の文化行政に対して、テレビ局やシネマコンプレックスといった大手ばかりに有利に働く援助システムの抜本的な改革を求めました。現在、諸事情によって、その文教施策への反映は据え置きとなったままだそうですが、本活動の賛同者は３００人を超え、映画業界は連帯意識の醸成に効果を挙げているそうです。<br/>
<br/>
　彼らの具体的な成果として、２００８年カンヌ国際映画祭では、ローラン・カンテン監督の『パリ２０区、僕たちのクラス』がパルム・ドール賞を受賞したこと、２００９年のジャック・オディアール監督『ある予言者』、２０１０年のグザヴィエ・ボーヴォワ監督『神々と男たち』が、次点の銀獅子（審査員特別）賞を各年連続受賞したことを挙げています。<br/>
　しかも、これら３作品はテレビ局の悪影響を受けず、予算的にもいわゆる「中間映画」として位置づけられる作品でありながら、フランス本国で１００万人を超える集客記録を残すことができたそうです。<br/>
 パリ20区、僕たちのクラス [DVD]紀伊國屋書店<br/>
<br/>
 神々と男たち [DVD]紀伊國屋書店<br/>
<br/>
　なお、『Astérix aux Jeux Olympiques（アステリックス・オリンピックへ）』の監督兼プロデューサーであるトマ・ラングマンの製作したミッシェル・ハザナヴィシウス監督の『アーティスト』は、いわゆる「中間映画」の費用１０億円でプロデュースされ、脚本を基本に据えたコメディだそうで、カンヌ国際映画祭においても、主演のジャン・デュジャルダンが最優秀主演男優賞を受賞したそうです。<br/>
<br/>
　林瑞絵氏は、最後にパスカル・フェラン監督の「１３人のクラブ」運動が、このトマ・ラングマンをも改心させたことがあったのだろうか？との希望的な想いを綴ってこのコラムを締めくくっています。<br/>
<br/>
<br/>
　このような混沌としたフランス映画界の現状のなかで、アラン・ドロンは現在、舞台を中心に活躍の場を拡げている模様ですが、今後、彼が映画産業、あるいは映画芸術にどのように関わっていくのか、高齢とはいえ、その映画スターとしての存在と魅力には、まだまだ多くの影響力が健在であるはずです。<br/>
　そんなことにまで考えが及ぶと、彼の動静を見守っていくことに好奇心が沸き立ってしまうことは、ファンとして抑制できることではないのです。<br/>
<br/>
　それにしても、何とも複雑で奇っ怪、ユニークで面白いフランス映画界であり、過去のフランス映画史から、現在の状況を紐解く作業のなかでアラン・ドロンを理解していくことは、何と壮大で、果てしなく大きなスケールが必要なのでしょうか。<br/>
<br/>
　そして、やはりアラン・ドロンは、過去のフランス映画界において、相対峙していたジャン・リュック・ゴダール監督と撮った『ヌーヴェルヴァーグ』での経験や、<br/>
<br/>
師のひとりであったルネ・クレマン監督の言葉を、決して忘れてはいないはずだと、わたしは思ってしまうのです。<br/>
<br/>
「『ヌーヴェルヴァーグ』ですごいと思うのは、ゴダールのような左翼とドロンのような右翼とが、互いに衝突しあうこともなく、一緒に仕事をすることができたということです。」（フィリップ・ガレル）<br/>
【『カイエ・デュ・シネマ・ジャポン１　３０年前から、ゴダール！』　フィルム・アート社、１９９１年】<br/>
<br/>
「コミュニストだろうと、ド・ゴール派だろうと。私にはすべてレジスタンスの同志であった。私の会ったこの時代の責任者の人たちはすべて、彼ら同士お互いによく理解しあっていた。どちらが主導権を握るかで若干のアツレキがあったにせよ・・・・」（ルネ・クレマン）<br/>
【引用　『海外の映画作家たち　創作の秘密（フランス編　ルネ・クレマン）』田山力哉著、ダヴィッド社、１９７１年】<br/>
海外の映画作家たち・創作の秘密 (1971年)<br/>
田山 力哉 /  / ダヴィッド社<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>Astérix aux Jeux Oly</dc:subject>  
      <dc:creator>Tom5k</dc:creator>  
      <pubDate>Wed, 7 Sep 2011 2:03:07 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2011-09-07T02:03:07+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>『黄色いロールスロイス』～愛さないよりは愛して失うほうがまし～</title>  
      <link>http://zidai.exblog.jp/15296751/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
　アラン・ドロンが出演している作品には、「スターシステム」によるオールスター・キャスティングの作品が意外に多くあるので驚いてしまいます。もちろん、このことは、彼が「時のスター」であったことの証でもあります。<br/>
<br/>
　例えば、短い数編の独立した作品を一作品にまとめた「オムニバス形式」のものとして、テーマやコンセプト、あるいは原作者を同一としてはいるものの、各作品が完全に独立しており、キャストはもちろん、スタッフも含めて、それぞれ別の内容の作品として制作された『世にも怪奇な物語』（１９６７年）や、同一の監督、スタッフであっても、やはり異なるストーリー、キャスティングによって独立した作品となっている『素晴らしき恋人たち』（１９６１年）、『フランス式十戒』（１９６２年）などがあります。<br/>
<br/>
　また、ひとつの作品のなかで、ストーリー・プロットの進行ごと、時制ごとに各登場人物の異なる逸話を重ね、ひとつのストーリーやテーマが浮き上がってくる手法を採った作品として、『チェイサー』（１９７７年）、『百一夜』（１９９４年）など、「オムニバス形式」を準用した組立となっている作品なども挙げられます。<br/>
　特に『チェイサー』は、アラン・ドロンが自社アデル・プロダクションの総力を挙げて、「スターシステム」によって企画し、自らが「フィルム・ノワール」の典型的な特徴である男性的規範をシンボライズさせたヒーローを演じ、そのモニュメンタリティを機軸にしてオールスターのキャスティングを組んでいった作品だったように思っています。<br/>
<br/>
　その他、オールスター・キャストの群像劇である「グランドホテル方式」のものとしては、『パリは燃えているか』（１９６５年）、『名誉と栄光のためでなく』（１９６５年）、『エアポート’８０』（１９７９年）などが典型的な作品ですが、『シシリアン』（１９６９年）、『仁義』（１９７０年）、『レッド・サン』（１９７１年）なども、幾人かの主役級のスター俳優がそれぞれ対等な関係の配置・配役である設定などの特徴から、それに準じた作品であるように思います。<br/>
<br/>
　そして、オールスター・キャストとまではいえませんが、『フリック・ストーリー』（１９７５年）でのアラン・ドロンとジャン・ルイ・トランティニャン、あるいは『ル・ジタン』（１９７５年）でのアラン・ドロンとポール・ムーリスなども、同一時間の二人の登場人物の行動などを、同時進行的に一度に描く手法を採っています。<br/>
　『フリック・ストーリー』では、ロジェ・ボルニッシュ（アラン・ドロン）と凶悪犯人エミール・ビュイッソン（ジャン・ルイ・トランティニャン）の追跡・逃亡のシチュエーションが、パリの裏町であったこと、『ル・ジタン』でのユーゴ・セナール（アラン・ドロン）とヤン・キュック（ポール・ムーリス）の出没場所などが同一時期、同一場所であり、そこでの各逸話を成立させていることから、「グランドホテル方式」の基本原則である「時間の単一」、「場所の単一」、「事件の単一」を原則とした「三一致の法則」が該当する作品であったように思います。<br/>
<br/>
　『黄色いロールスロイス』は、独立した各短編作品を全体でひとつのテーマに絞っていく構成をとっており、登場する黄色いロールスロイスは、作品全体のモニュメンタリティ、すなわち各挿話間を繋ぐシンボリックで記念碑的役割を与えられた存在となっています。<br/>
　つまり、様々な男女の群像劇での「成就し得ないロマンス」のアンサンブル・プレイを強調するため、映画でも使われている「愛さないよりは愛して失うほうがまし」のメッセージを焦点化していく役割を黄色いロールスロイスに担わせているのです。<br/>
<br/>
　『黄色いロールスロイス』は、メトロ・ゴールドウィン・メイヤーが、自社の作品、エドマンド・グールディング監督の『グランド・ホテル』（１９３３年）で開発した伝統的なスターシステム「グランドホテル方式」で製作した『予期せぬ出来事』（１９６３年）の姉妹編です。<br/>
 グランド・ホテル 特別版 [DVD]ワーナー・ホーム・ビデオ<br/>
<br/>
　『予期せぬ出来事』は、アンソニー・アスキスの演出とテレンス・ラディガンの脚本のコンビで、エリザベス・テイラー、リチャード・バートン、オーソン・ウェルズ、ロッド・テイラーなどのオールスター・キャストで製作されました。<br/>
　これらは、多くの映画ファンに良く知られた有名な作品で、商業的にも成功しました。<br/>
<br/>
　わたしの父親も<br/>
「う～ん、『黄色いロールスロイス』なあ。有名だな。でも、アラン・ドロンは出てない。おまえ、何か別の映画と勘違いしてるわ。」<br/>
<br/>
　・・・　この段階で、わたしは父親とのこの話題を打ち切りました。<br/>
<br/>
　しかし、このように有名な映画ではあるのですが、残念ながら当時のマスコミの映画批評においては、完全に失敗作として位置づけられている作品でもあります。<br/>
<br/>
　第一話目の主演ジャンヌ・モローや第三話目の主演イングリット・バーグマンの伝記などでも全く以て酷い扱いとなっています。<br/>
【ジャンヌ・モローが出演しなかったほうがよかったと思われる映画が何本かある。一つは『黄色いロールスロイス』だ。<br/>
（－中略－）『黄色いロールスロイス』は、スターが総出演して良識に挑むという最悪の作品だった。（－中略－）<br/>
　こんなひどい作品に出てキャリアに汚点をつけたのは残念だ、とファンたちは想った。『小間使いの日記』から『黄色いロールスロイス』への一気の転落は彼らを恐怖させた。（略－）】<br/>
【『女優ジャンヌ・モロー型破りの聖像（イコン）』マリアンヌ・グレイ著、小沢瑞穂訳、日之出出版、１９９９年】<br/>
 女優ジャンヌ・モロー―型破りの聖像(イコン)マリアンヌ グレイ / 日之出出版<br/>
<br/>
　出演している女性スターの名前の並べ方を、アルファベット順にする案に積極的だったイングリット・バーグマンの伝記においても、<br/>
【『ロンドン・サンデー・テレグラフ』の批評家が書いたように、『黄色いロールスロイス』は「金で買えるすべてがたっぷり積みこまれているので、映画というよりは投資の対象物のように見えた」。（－中略－）彼女は、自分の名は伏せておくように頼んだほうがよかったかもしれない。というのは、映画は完全な失敗作であり、『ニューヨーカー』によると「まったくひどい」作品だったからだ。（略－）】<br/>
【『イングリット・バーグマン時の過ぎゆくまま』ローレンス・リーマー著、大社淑子訳、朝日新聞社、１９８９年】<br/>
 イングリッド・バーグマン―時の過ぎゆくままローレンス リーマー / 朝日新聞社<br/>
<br/>
　久しぶりに、この作品を観たのですが、わたしは、それほど酷い作品だとは思っていません。実をいうとアラン・ドロンが出演している好きな作品のベスト１０には入れても良いとまで思っているのです（好きな作品と優れた作品とは別ですが・・・）。<br/>
<br/>
　マフィアのボス、パオロ・マルティーズを演じたジョージ・Ｃ・スコットも、パオロの運転手ジョーイ・フリードランダーを演じたアート・カーニーも悪くはなかったと思いますし、何より、アラン・ドロンとシャーリー・マックレーンの魅力的なロマンスは卓越した逸話となっているように思います。<br/>
<br/>
　また、第二話全編に渉って使用されているカンツォーネの主題曲「明日を忘れて」は素晴らしいテーマ曲です。<br/>
　映画のストーリーと相俟って、わたしは大好きな作品です。<br/>
　この「明日を忘れて」は、フランク・シナトラなどの多くの有名アーティストに歌われて有名になり、１９６０（昭和４０）年には、日本でも、コニー・フランシス版がヒット・チャートの上位に位置していたそうです。<br/>
<br/>
　なお、『黄色いロールス・ロイス』のサウンドトラックについては、映画音楽の達人であるジュリアンさんのブログ記事　『黄色いロールス・ロイス』に詳細に紹介されています。<br/>
　また、ジュリアンさんによると、この曲は、この作品のために書き下ろされたものであると解釈できるようで、他のカバーは作曲したリズ・オルトラーニの夫人、カティナ・ラニエリの歌のヒットを受けてリリースされていたようですので、これが、本家・本元のオリジナル版です。<br/>
<br/>
　アラン・ドロンの主演しているこの第二話の挿入歌が、このような影響力を持っていたことは、ファンにとっては、なんとも嬉しく素晴らしいことだと思っています。<br/>
<br/>
　「明日を忘れて」は第二話の全編に流れ、南国の明るさと恋のせつなさを表現することに、実に効果的に使用されています。このように明るい歌なのに、とてもせつない気持ちにさせられてしまうことも、このジャンルの曲調の特徴かもしれません。<br/>
　そして、珍しくアラン・ドロンがこの歌を口ずさむシーンも、情熱的ではあっても、ある意味において、いい加減なイタリア青年のラテン的特徴を象徴して表現されており、そんなイタリア青年を演ずるアラン・ドロンも観ていて魅力的であると感じました。<br/>
<br/>
　このテーマ曲は、私の好きなアラン・ドロンの出演作品の使用音楽ベスト５には必ず入ります。<br/>
<br/>
　この歌に合わせて、アラン・ドロンが演ずるイタリア青年ステファノとシャーリー・マックレーンが演ずるパオロの情婦メイ・ジェンキンスが、ダンスを踊るシークエンスでは、情熱的なステファノに戸惑いながらも、うれしさを隠しきれないメイの微妙な心の動き、表情や仕草を、シャーリー・マックレーンがとても可愛く演じていました。<br/>
<br/>
　最後のデートでメイを待つステファノは、まだ来ないメイの写真を何度も見つめています。このように素直に女性を好きになって、失恋してしまう純情なアラン・ドロンも非常に魅力的です。いつの時代も純粋に恋をする若者は、デートに遅れてくる大好きな女の子をこのように待っているものなのです。<br/>
<br/>
　また、大好きな男性を守るために、彼にわざと嫌われるように接するメイは、本当にせつなくて可哀想でした。<br/>
<br/>
　それにしても、好きになってしまった男性が、あんなに素敵で優しい笑顔で、脇目も振らず真っ先に自分に駆け寄ってきてくれたとき、どんな理由があるにせよ、自分を押し殺して、あのような冷たい態度を取れるものなのでしょうか？<br/>
　相手に自分の真意を悟られずに、敢えて嫌われる態度で接することができるものなのでしょうか？<br/>
<br/>
　メイが悲しいのは、このやり方以外の選択肢が他に無かったことです。マフィアのボスが自分の恋を許してくれるはずがない。まして大好きなステファノまで巻き込んでしまう。<br/>
<br/>
　世間の恋愛においては、いくら好きな男性との事情であっても、多くの場合、相手をおもんぱかる前に自分だけが可愛いことのほうが多いことも一般には多いようにも思います。しかし、メイは自分の恋を犠牲にしてまで、自分と大好きなステファノの命を守ったのです。<br/>
<br/>
「ステファノは生きて　幸せになれる　　私は　－　生きてるだけで幸せ」<br/>
<br/>
　これほど悲しい女性の言葉はありません。<br/>
<br/>
　最も悲しいのは、その事情をステファノが知らないこと、彼は失恋の痛手に納得できない怒りと悲しみに身を任せるしかない、メイはそうなることに耐えようと決心したのです。<br/>
　本当に胸が締め付けらます。<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>黄色いロールスロイス</dc:subject>  
      <dc:creator>Tom5k</dc:creator>  
      <pubDate>Fri, 19 Aug 2011 0:50:13 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2011-08-19T00:50:13+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>『個人生活』～ドフェール＆ドロン「詩（心理）的レアリスム」の復活～</title>  
      <link>http://zidai.exblog.jp/15245702/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://zidai.exblog.jp/15245702/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
　『個人生活』は、わたしにとっては非常に興味深い作品です。<br/>
　この作品の音楽やカメラワークや照明、音楽、扱っている題材やテーマ、構成・プロットに典型的な旧時代のフランス映画「詩（心理）的レアリスム」の特徴を感じるからです。<br/>
<br/>
　原作の『クリージー』は日本でも新潮社から刊行されています。著作者のフェリシアン・マルソーは、この著作でゴングール賞（１９６９年）を受賞、他の作品でもアンテラリエ賞の受賞など、フランス文学界では最も権威ある文学賞を二度授与されています。<br/>
 クリージー (1970年)フェリシャン・マルソー / 新潮社<br/>
<br/>
　冒頭のタイトル・バックから使用されているフィリップ・サルドの主題音楽も非常にクラシカルで、現代が舞台でありながらも懐かしい古き良き時代の雰囲気を漂わせた作風が伝わってきます。<br/>
<br/>
　ピエール・グラニエ・ドフェール監督は、短編映画の編集助手からマルセル・カルネ監督などの助監督を経て映画監督になったその履歴においても、『メグレ警視』（ＴＶシリーズ）やその他ジョルジュ・シムノン原作の映画化など、その演出作品の特徴においても、「ヌーヴェル・ヴァーグ」とは異なる旧時代の特質を備えた映画作家です。<br/>
 メグレ警視 DVD-BOX 1アイ・ヴィ・シー<br/>
<br/>
 離愁キングレコード<br/>
<br/>
　そして、彼は、ジョルジュ・シムノン原作の『帰らざる夜明け』（１９７１年）でのアラン・ドロンとシモーヌ・シニョレ、この『個人生活』でジャンヌ・モローとの共演作品を演出しましたが、これは、当時のフランス映画界においてはもの凄い実績です。<br/>
　もちろん、アラン・ドロンとは、ぴったりと息の合っている監督です。<br/>
　<br/>
　シモーヌ・シニョレとアラン・ドロンは、兄マルク、弟イヴのアレグレ門下の姉弟俳優の関係であるといえますし、『影の軍隊』でも主演を務めたことを鑑みれば、ジャン・ピエール・メルヴィル門下の関係でもあります。<br/>
　彼女は旧世代の女優であり、かつ、ジャック・ベッケル監督やアンリ・ジョルジュ・クルーゾー監督などの作品履歴から「ヌーヴェル・ヴァーグ」にも一目置かれる硬派の女優だったといえましょう。<br/>
　また、アラン・ドロンとのコンビネーションは、実に息の合った共演でした。<br/>
 影の軍隊 (ユニバーサル・セレクション第5弾) 【初回生産限定】 [DVD]ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン<br/>
<br/>
 肉体の冠ジェネオン エンタテインメント<br/>
<br/>
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<br/>
　ジャンヌ・モローも、シモーヌ・シニョレと同様に当時のフランス映画界での大御所スター女優でした。<br/>
　若い頃の作品『現金に手を出すな』（１９５３年）や『地獄の高速道路』（１９５５年）などで、ジャン・ギャバンとの共演を果たしたりもしていますが、彼女が女優としての開花し完成したのは、ルイ・マル監督やフランソワ・トリュフォー監督の作品、すなわち「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品に位置するスター女優としてであり、そういった意味で、アラン・ドロンとは、水と油ほどの違和感をキャラクターに感じさせている女優です。<br/>
 現金(ゲンナマ)に手を出すな〈デジタルニューマスター版〉ビデオメーカー<br/>
<br/>
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<br/>
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<br/>
 死刑台のエレベータージャンヌ・モロー / 紀伊國屋書店<br/>
<br/>
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<br/>
 突然炎のごとく〔フランソワ・トリュフォー監督傑作選9〕 [DVD]日本ヘラルド映画(PCH)<br/>
<br/>
　ですから、この共演は、驚くべきことだったといえます。<br/>
<br/>
　アラン・ドロンは、国際的な大スターでありながら、共演者に花を持たせてしまった作品が多く、一般的には共演者に食われてしまうという世評の目立つ俳優です。<br/>
　しかし、「ヌーヴェル・ヴァーグ」作品で活躍した俳優との共演では、演技の面でも、プロットでの役割の面でも、その共演者の魅力を全開させないケースが目立ちます。<br/>
<br/>
　無意識の嫌悪や口惜しさなどの彼の苦悶からなのか・・・何が原因なのかはわかりませんが、「ヌーヴェル・ヴァーグ」系統の作品に多く出演している俳優と共演した作品は、結果的にそうなっているものが多いような気がします。<br/>
『太陽は知っている』（１９６８年）、『チェイサー』（１９７７年）のモーリス・ロネ<br/>
『世にも怪奇な物語　第二話「影を殺した男」』（１９６７年）のブリジット・バルドー<br/>
『リスボン特急』（１９７２年）のカトリーヌ・ドヌーヴ<br/>
『愛人関係』（１９７４年）のクロ－ド・ブラッスール<br/>
『ボルサリーノ２』（１９７４年）のジャン・ポール・ベルモンドの葬儀の写真<br/>
『チェイサー』のステファーヌ・オードラン<br/>
・・・等々。<br/>
<br/>
　彼らが「ヌーヴェル・ヴァーグ」諸作品で魅せた絶大な魅力は、アラン・ドロンとの共演では、ほとんど惹き出されておらず、「詩（心理）的レアリスム」のスター、アラン・ドロンとしては、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の俳優たちを意図的に無視しているかのように扱い、配役の面でも丁寧に扱っているとはいいかねます。<br/>
<br/>
　この作品『個人生活』でのジャンヌ・モローも例外ではなく、彼が最も尊敬する女優であると評していながら、その演技の応酬には残酷すぎるショットがあまりにも多く、それは恐ろしいほどなのです。<br/>
<br/>
　アラン・ドロン扮する左翼政党の若手党首ジュリアン・ダンデューが党利党略の整理を依頼するために訪れるジャンヌ・モロー演ずる共和党総裁の未亡人ルネ・ビベール宅から帰宅するとき、彼が投げキッスして未亡人宅を去った直後、ルネ夫人が自らを写し出す「鏡」を乱暴に下に向けるショットがありますが、さすがに、わたしはこのショットを正視することはできませんでした。<br/>
<br/>
＞ルネ・ビベール未亡人<br/>
「ジュリアン　あなたって罪な男よ」<br/>
<br/>
　カメラは、笑顔でジュリアンを送り出した後に、「鏡」に向かって歩くジャンヌ・モローを静かにパンしていくのですが、そのときの彼女の横顔のクローズ・アップをローキー、逆光のシルエットで撮り、「鏡」の前に立ち、そこに映ったその老いた表情を突然、照度を上げてくっきりと、しかもクロ－ズ・アップで浮かび上げらせるのです。<br/>
　このショットは、「メロドラマ」ではなく、「フィルム・ノワール」です。<br/>
<br/>
　ジャン・リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーによって抹殺された「詩（心理）的レアリスム」の根深い怨念が、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の聖像（イコン）に襲いかかっているように感じてしまうのは、わたしだけでしょうか？<br/>
<br/>
<br/>
　また、わたしは、この作品の原作『クリージー』を未読であり、映画化に際しての設定が原作通りか否かは、わからないのですが、主人公のジュリアン・ダンデューの所属する政党が、左翼中道の労働者政党であること、そして、この主人公のオファーを受け、それを承諾したアラン・ドロンの判断が、以前から不思議でならないのです。<br/>
<br/>
　彼が演じたルキノ・ヴィスコンティ監督の『山猫』（１９６２年）でのタンクレディ、クリスチャン・ジャック監督の『黒いチューリップ』（１９６３年）でのジュリアン、ルネ・クレマン監督の『パリは燃えているか』（１９６５年）でのジャック・シャバン・デルマスなど、すべて共和政治を目指す政治信条の主人公であり、アラン・ドロンが政治的役割を担う主人公を演ずるとき、それらの作品では決して左翼政党に帰属している人物に扮することはなかったのです。<br/>
　それらは常に一貫した配役でした。<br/>
<br/>
　そして、アラン・ドロンの尊敬する人物は、フランス第五共和政初代大統領シャルル・ドゴールであり、永遠の男性像として挙げているのは、第一帝政における皇帝ナポレオンではなく、フランス革命期の共和派ナポレオン・ポナパルトです。そして、自らの政治信条としてもフランス第五共和制の支持者でもあります。<br/>
<br/>
<br/>
　想い起こせば、ただ唯一、アナーキスト一家の尊敬を勝ち取ろうと、その一家の経営する印刷工場の印刷工として居候した孤児の青年ユリスを演じたとき、その家の屋根裏部屋に住んでいるお爺ちゃんを味方に付けて、共産主義思想の一体系であるアナーキズムの思想教育を受け、革命家の英雄カンポサントになりすますルネ・クレマン監督の『生きる歓び』（１９６１年）だけは例外でした。<br/>
　この『個人生活』の主人公ジュリアン・ダンデューは、『パリは燃えているか』のジャック・シャバン・デルマスではなく、孤児ユリス青年の後年の姿であったのかもしれません。<br/>
<br/>
<br/>
【（－略）アラン・ドロンはクリスチャン・ディオールのブティック“ムッシュー”、シドニー・ロームは、ブティック・クリスチャン・ディオール（毛皮はディオールの“高級毛皮部”で帽子はロマン・シェ・パトリック・アル）、ジャンヌ・モローはエマニュエル・ウンガロ。宝石類は３人ともカルチエである。】<br/>
【『個人生活』（アイ・ヴィーシーＤＶＤ）「参考資料」「政治はファッション？」映画評論家　三木宮彦氏の解説】<br/>
<br/>
　恐らく、アラン・ドロンがクリスチャン・ディオールにこだわっているのは、師の一人であったジャン・ピエール・メルヴィルが監督し、やはりこれも師の一人であったルネ・クレマンの助監督時代の師匠で、アラン・ドロン本人も最も影響を受けた人物だと後述している芸術家ジャン・コクトー原作の映画作品『恐るべき子供たち』（１９５０年）の衣裳担当が、彼だったからだと思われます。<br/>
 ジャン・コクトー/恐るべき子供たち [DVD]アイ・ヴィ・シー<br/>
<br/>
　その他にバーバリのコートも目に留まりましたが、それにしても左翼中道の政治家というものは、これほど商標登録商品を身にまとっているものなのでしょうか？<br/>
　『個人生活』は、アラン・ドロンがメロドラマの主人公として、エレガンスな主人公の在り方に徹し、そのダンディズムを表現するためのファッション・ショーマンシップによって、多くの女性ファンに迎合した商業目的のみの作品だったのでしょうか？<br/>
<br/>
　いや、それは、むしろ、左翼中道の労働者政党での同志であったサラバンの身にまとっていたノーネクタイのポロシャツにブレザーを羽織った綿パンを着衣している姿など、とてもブランド商品とは思えない出立ちとの対比で、彼らの確執や政治家ジュリアンの変節をシンボライズして描写するためのツールであったように、わたしには思えるのです。<br/>
　本来の労働者政党としての政治目的から、単なる政治的野心に堕してしまったプティ・ブルジョアジーを描写するために必要な衣装デザインだったとは考えられないでしょうか？<br/>
<br/>
＞ジュリアン<br/>
政権についてはじめて　政策の実行および変革も可能だ　社会保障大臣の座を得られれば－２０年来の党の主張を国会に通せる<br/>
（－（中略）－）<br/>
時代は変わったんだ<br/>
<br/>
＞サバラン<br/>
変わったのは君だ<br/>
<br/>
　わたしは、この応酬から、アニエス・ヴァルダが演出した映画生誕１００年の記念映画『百一夜』の「アラン・ドロンの逸話」での彼への辛辣な批判を想い出してしまいました。<br/>
<br/>
<br/>
　余談ですが、ジャンヌ・モローにおいては、ジョセフ・ロージー監督の『エヴァの匂い』（１９６２年）で、彼女自らが申し出た衣装デザインは、私生活でも婚約関係にあったピエール・カルダンであり、それ以降の彼女の作品は、そのほとんどが彼の担当だったはずなのです。<br/>
 エヴァの匂い [DVD]パイオニアLDC<br/>
<br/>
　しかし、この作品で、彼女はエマニュエル・ウンガロを使っています。<br/>
　このことは、この婚約が破局に至った後、公私ともにジャンヌ・モローの中から彼が消えてしまったことの表れであったのかもしれません。わたしは、ますます、この作品でのジャンヌ・モローの悲哀を感じ取ってしまいました。<br/>
<br/>
　<br/>
　この作品のシドニー・ローム演ずるファッション・モデルの愛人クリージーとジュリアンとの逢引きのシークエンスは、すべてフラッシュ・バックで構成され、現在進行においての彼は、私設秘書とともに移動中の車中で会話しているか、ルネ夫人始め有力政治家などと政治折衝しているものばかりでしたが、それ以外のショットで驚いたことがあります。<br/>
　それは、「鏡」の投影と「電話」での会話のショットを必要以上に多用していることなのです。<br/>
<br/>
　想えば、ルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』では、ブルジョア青年フィリップの衣装を身にまとい、彼を真似る貧困の青年トム・リプリーを、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『フランス式十戒』では、実母によって完膚無きまでに自己を否定された主人公ピエールが、苦渋の表情で無神経な彼女と会話をやり取りする不確実で不安定な存在を、ルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』では、兄シモーネの借金を返済するため、最も忌み嫌っていたプロボクサーになる決心をするときのロッコの絶望の瞬間を、ジョセフ・ロージー監督の『パリの灯は遠く』では、ナチスのパリ占領下、ユダヤ人と間違われた美術商の自己喪失者ロベール・クラインが自分の姿を放心した表情で何度も見つめるときを・・・「鏡」に捉えて表現していました。<br/>
<br/>
　「鏡」のなかの自分、虚構としての本当は実在しない自分・・・彼の演じた主人公たちの不安定な心象風景が、これらの「鏡」のシークエンスに浮かび上がっていました。<br/>
　絶対に確かなはずの自分という存在が、実はこの世の中で最も不確かな存在であり、自分とは一体何者なのか？と、もう一度自身の姿を確認する人格破綻者の佇まいを演じるときの古典手法です。<br/>
<br/>
　また、この自己喪失感の映画的表現と相まって、わたしが、ここで思い浮かべるのは、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『太陽はひとりぼっち』（１９６１年）やジャン・ピエール・メルヴィル監督が撮った『リスボン特急』で、孤独であることをすら自覚することの出来なくなった主人公が、その唯一のコミュニケーション手段として「電話」を扱っていた手法です。<br/>
<br/>
「ドロンは電話の受話器をはずしてデートに邪魔が入らないようにしており、受話器を戻したあとも、電話が鳴っても出ずにじっとしている。それは、仕事に忙殺されてきた男の初めての人間性の芽生えのようであるが、同時にそれまでもっていた唯一のコミュニケーション手段ももはや信じられなくなった、孤独の確認、と言っていいのかもかもしれない。」<br/>
【引用～『アントニオーニの誘惑―事物と女たち』石原郁子著、筑摩書房、１９９２年】<br/>
 アントニオーニの誘惑―事物と女たち石原 郁子 / 筑摩書房<br/>
<br/>
　『個人生活』での主人公ジュリアンの孤独も、この作品での「電話」の使用により、最も強く表現されていたと考えます。「愛の不毛」は、とうとう「愛の喪失」の段階に入ってしまったのかもしれません。<br/>
<br/>
　そして、ピエール・グラニエ・ドフェール監督の素晴らしいアラン・ドロンへの演技指導、彼が涙するラスト・シークエンスは、ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『太陽はひとりぼっち』やジャン・ピエール・メルヴィル監督の『リスボン特急』で描写されていた「主人公の孤独の再確認」を、更に直接的に再現したものであったようにも感じるのです。<br/>
<br/>
<br/>
　主人公の自我のぶれ、その政治的野心の変節や愛人との愛情の喪失を、「鏡」や「電話」の使用に象徴させ、男女の逢引きをフラッシュ・バックで構成したスリリングな展開で、当時の時流であったマルグリット・デュラスやアラン・ロブ・グリエなどのアンチ・ロマンティズムとした新しいロマンティズムに迎合することなく、元来のロマンティズム「メロドラマ」として、復活させた作品『個人生活』。<br/>
<br/>
　わたしとしては、１９７０年代には、「ヌーヴェル・ヴァーグ」諸派によって、すでに完全に死滅させられていたはずの「詩（心理的）的レアリスム」の体系が、その正当な後継の映画作家ピエール・グラニエ・ドフェールと俳優アラン・ドロンを通じて、いよいよ巻き返しを図り、「内的ネオ・リアリズモ」に接近することのできた野心ある作品であったと再評価されることを願うばかりなのです。<br/>
<br/>
<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>個人生活</dc:subject>  
      <dc:creator>Tom5k</dc:creator>  
      <pubDate>Mon, 8 Aug 2011 15:01:20 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2011-08-08T15:01:20+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>『燃えつきた納屋』～アラン・ドロン、尊敬する大先輩たちから学んだ基盤～</title>  
      <link>http://zidai.exblog.jp/15199143/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://zidai.exblog.jp/15199143/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
　久しぶりに『燃えつきた納屋』を観ました。<br/>
　わたしは、この作品の構成要素やプロット、テーマに強く惹きつけられます。<br/>
<br/>
　１９６０年代初期、折しも「ヌーヴェル・ヴァーグ」がフランス映画界を席巻し、その体系のほとんどの作品が芸術の都パリを描いたものでした。<br/>
　対して、アラン・ドロンがデビュー当時に出演した作品は、「ネオ・リアリズモ」後期の作品でのミラノやシチリア、そしてローマ・・・西ドイツの作品でのウィーン・・・ルネ・クレマン監督の作品でのイタリア各地・・・フランス国内においてさえニース、カンヌなど・・・、<br/>
<br/>
パリとは縁遠い地域に舞台を設定していました。<br/>
<br/>
　逆に彼のライバルであったジャン・ポール・ベルモンドは、フランス国内で「ヌーヴェル・ヴァーグ」の作品で評価され、自国のスターシステムにおいて、パリでの集客を主に活躍していきました。<br/>
<br/>
　ライバル同士の彼らは、その初期の活躍において、すでにその人気の基盤が全く異なるベクトルで定まっていったのです。<br/>
<br/>
　アラン・ドロンは、１９９０年の『ヌーヴェルヴァーグ』で、ようやくジャン・リュッック・ゴダール監督の作品に出演したのですが、ここではドミツィアーナ・ジョルダーノの演じた主人公エレナがアラン・ドロン扮する主人公ロジェ・レノックスに向けて言い放つ印象深いセリフがありました。<br/>
「ニューヨークに連れて行くなんて良くないわ。フランス語でいうと？つまり彼女にはこの国がお似合いよ。あなたもね。」<br/>
<br/>
　また、アラン・ドロンがジャーナリストに酷評されたことを次のように述懐しています。<br/>
【（－略）イライラしたジャーナリストがこんな事を言ったこともある：「フランス映画界にドロンは存在しない」私はフランス映画界に自分の居場所があると思っていたのにね。】<br/>
【引用（参考）　takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事　2007/6/1　「回想するアラン・ドロン：その１（インタヴュー和訳）」】<br/>
<br/>
　アラン・ドロンに対するこの矛盾するふたつの見解は、<br/>
「《パリを舞台にした》フランス映画界にドロンは存在しない」<br/>
と読み替えることで統一できるような気もしてきます。<br/>
<br/>
　この『燃えつきた納屋』も、やはりパリではなくスイス国境近くのフランスの架空の農村オートドーフ地方を舞台としています。<br/>
　わたしがそのことから想起する作品が、アラン・ドロンの師匠でもあったルネ・クレマン監督の詩情溢れる歴史的代表作品『禁じられた遊び』なのです。<br/>
 禁じられた遊び [DVD]IVC,Ltd.(VC)(D)<br/>
<br/>
　この作品では、フランス共和国がナチス・ドイツとの戦時の真只中、パリからの疎開の道程で両親の死という悲劇に出会ってしまった主人公の幼い少女ポ－レットが、都市部と隔絶された僻地・不便地の農村に迷い込んで生活する物語でしたが、そこの農民たちにとって、彼女は華やかな都会の雰囲気を感じさせる新鮮な存在だったと思います。<br/>
<br/>
　もちろん、貧しい農村に生きる者たちにとって、豊かなる都市生活者は幾ばくかの嫉妬や羨望を持たざるを得ない存在かもしれません。しかし逆に、希望を捨てずに荒涼たる大地を耕し、そこで根を張って生き抜いてきたという自負心を再確認できる存在にも成り得るのです。<br/>
<br/>
　そのような意味から、この『燃えつきた納屋』でのアラン・ドロンが演じた都市部から派遣された予審判事ラルシェの存在は、シモーヌ・シニョレ演ずるローズを奮い立たせるエネルギーの要素にもなっていったように思うわけです。<br/>
<br/>
<br/>
　ところで、同年の前作品である『暗黒街のふたり』では、アラン・ドロンが最も敬愛していたジャン・ギャバンと共演し、徹底的に検察権力や容赦のない司法の裁決の在り方を批判していたのですが、この作品では一転して司法調査官である予審判事を演じました。<br/>
<br/>
　恐らく、アラン・ドロンは、目標としていたジャン・ギャバンが得意としていた捜査する側の立場、その職務を全うするなかで抑制せざるを得ない喜び、悲しみ、怒りなどの感情を表現するための微妙な演技によって、哀愁やペーソスを帯びたものに繋げる名演技を目指したのだと思います。<br/>
　わたしは、彼がそのようなペシミスティックで情感あふれる警察官をモデルにしてラルシェ予審判事を演じたのだと考えているのです。<br/>
<br/>
　ジャン・ギャバンが過去に演じたジャン・ドラノア監督やジル・グランジェ監督のメグレ警視、特に『殺人鬼に罠をかけろ』や『サン・フィアクル事件』、また、ジョルジュ・ロートネル監督の『パリ大捜査網』などの作品、また、３年前にジャン・ピエール・メルヴィル監督の『仁義』で共演したブールヴィルの演じた捜査当局の立場と犯罪の現場の矛盾に苦悩する警察官など、先輩俳優が演じることのできた懐古の演技を復活させたかったのかもしれません。<br/>
 殺人鬼に罠をかけろビデオメーカー<br/>
<br/>
 ジャン・ギャバン主演 メグレ警視シリーズ  サン・フィアクル殺人事件 [DVD]竹書房<br/>
<br/>
　また、彼がこの『燃えつきた納屋』のラルシェ予審判事を演ずるよりも以前に捜査当局の立場に立脚して演じた作品には、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の遺作となった『リスボン特急』でのパリ警視庁のエドワード・コールマン刑事がありますが、このような怜悧で横暴な刑事を演じることができたのは、恐らく彼がマルコヴィッチ殺害事件に関与していると疑われた経験から、検察当局への不信感が拭えていなかったからでしょう。<br/>
<br/>
　予審における犯罪者の特定を行うため、強制捜査の権限を持って容疑者の尋問や証拠収集を行う立場を演ずることは、確かに捜査プロットによる「フレンチ・フィルム・ノワール」に準拠する作品であったと思いますが、この作品で警察官を設定せずに、あえて予審判事という検察から独立した司法上の捜査官を演じた彼の気持ちも理解できるような気がします。<br/>
<br/>
<br/>
　ところで、アラン・ドロンは、シモーヌ・シニョレと２年前の『帰らざる夜明け』でも共演しています。<br/>
　彼女はアラン・ドロンが最も尊敬する女優のひとりであり、イブ・アレグレ監督の元夫人で、二人の間の実娘のカトリーヌ・アレグレもこの作品に出演しているのですが、実はアラン・ドロンもアレグレ兄弟の２作品で映画界入りを果していたのです。<br/>
　デビュー作品は、イヴ・アレグレ監督の「Quand la femme s'en mêle」（１９５７年）、２作品目の『黙って抱いて』（同年）もイブの兄のマルク・アレグレ監督の作品でした。<br/>
<br/>
　門下生としての姉弟関係であるシモ－ヌ・シニョレを再度相手役として選んだわけですが、過去にイブ・アレグレ監督との生活を崩壊させてしまった彼女が表現したこの作品のテーマは、アラン・ドロンの師匠でもあったルキノ・ヴィスコンティ監督が生涯に渉って描き続けた「家族の崩壊」と同一のものだったのです。<br/>
<br/>
　それにしても、この作品には、アラン・ドロンのメンタル的血縁関係によったキャスティングやテーマなどの構成が多様な形で現れているような気がします。<br/>
<br/>
　わたしは、『燃えつきた納屋』のローズを、『若者のすべて』で、カティナ・パクシノウが演じた母ロザリアと比較してしまうのですが、この二人の母性は、似て非なるものであり根本的なところで全く異なるものだと感じています。<br/>
<br/>
　ローズは、母親としてのアイデンティティが過度にしっかりしているためなのか、子ども達が苦労知らずで、社会的に未熟なまま育ってしまい、母親としては報われない存在になっています。<br/>
　彼女のような強いパーソナリティは、逆に周囲を堕落させてしまうのでしょうか？<br/>
<br/>
　他の映画作品で描かれていた母親で、わたしが印象深かったのは、今村昌平や木下恵介が演出した『楢山節考』の田中絹代や坂本スミ子が演じた母おりん、そして、ジョン・フォード監督の『怒りの葡萄』で、ジェーン・ダーウェルが演じたママ・ジョード、神山征二郎監督、新藤兼人原作・脚本の『遠き落日』で、三田佳子が演じた野口英世の母シカ、やはり今村昌平監督の『にっぽん昆虫記』で左幸子が演じたとめと吉村実子が演じた信子の母娘関係などです。<br/>
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<br/>
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<br/>
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<br/>
 NIKKATSU COLLECTION にっぽん昆虫記 [DVD]Happinet(SB)(D)<br/>
<br/>
　彼女たちは、このローズとは異なります。<br/>
<br/>
　嫁を失った長男の再婚の相手の面倒、童貞の息子の世話、嫁に伝えなければならないことを伝える一家の柱としての自覚、母親としての役割の全うと優しさに本当の意味での安心感があります。<br/>
　食いぶちを減らさなければ、村落の共同体を維持できない貧困のなかで、おりんの潔さは芸術的ですらありました。<br/>
<br/>
　ロザリアの二男シモーネは、酒と女に溺れ借金だらけで無職となり、最後には殺人犯人になってしまい、その弟たちも彼の悲劇に巻き込まれ必要以上に辛いを経験をし、特に三男のロッコは罪悪感が過度に強く兄の借金のために自分の人生を捨てざるを得なくなります。しかしそれでも、四男チーロや五男ルーカは自分を見失わず希望のある未来を信じることが出来ていました。<br/>
<br/>
　また、ママ・ジョードの息子トムは殺人の罪に問われていますが、彼も未来の希望までを失うことにはなっていません。<br/>
<br/>
　シカは臨終の際、農作業の最中に左手に火傷を負わせ、障害を持たせてしまった自分の息子清作の幼少時を夢に視ていたのでしょう。<br/>
<br/>
「清作、手出して歩けっ！手出して歩けっ！」<br/>
<br/>
と、うなされるラスト・シークエンスで、わたしの涙は留まりませんでした。<br/>
<br/>
<br/>
　『にっぽん昆虫記』は、敗戦後の矛盾だらけの現代日本を都市部と農村部の対比から描写した素晴らしい作品でしたが、ここでは、左幸子が演じるとめと吉村実子が演じる信子の母娘が、人間の血縁関係である前に二匹の雌ともいえる凄まじい生命力によって、寄生虫のような強さで生き抜いていく様子を描写しています。<br/>
　都市労働者とならざるを得なかったとめですが、その娘の信子は、したたかに都会の誘惑をくぐり抜け、農民として力強く生き抜く道を選択していきます。<br/>
<br/>
<br/>
　彼女たちは、子どもたちをりっぱな人間に、あるいは希望を見失わない人間に育てました（『にっぽん昆虫記』での、とめの場合は信子を育てたとは言い難いのですが、少なくても信子を育ちそびれさせるような接し方はしていなかったし、娘への愛情は強く持っていたと思います）。<br/>
<br/>
　ローズには、彼女たちのような恥も外聞も捨てざるを得ない、逆に捉えれば解放された明朗な生き方が果たして可能だったでしょうか？<br/>
　わたしは、このあたりにローズの弱さを感じるのです。<br/>
<br/>
　彼女には理解者が誰ひとりおらず、特に子どもたちの品行や未来において、ほとんど展望が持てない最も悲劇的な存在となっています。<br/>
　妻子がありながら弟の妻と不倫関係にあるピエール・ルソーが演ずる長男ルイ（わたしは、不倫したルイをぶつシモーヌ・シニョレのやりきれない怒りを表す演技の背景に、ハリウッド時代にマリリン・モンローに走ったイブ・モンタンに対する憤りを見て取ってしまいました）。<br/>
 恋をしましょう [DVD]20世紀 フォックス ホーム エンターテイメント<br/>
ベルナール・ル・コックが演ずる家を捨ててまで若い妻に夢中になっている働く意志の無い二男ポール。ミュウ・ミュウが扮する都会嗜好で貞操観念の皆無な若いポールの妻モニク。<br/>
<br/>
　更に、ポール・クローシェが演じたローズの夫ピエールは、戦時中においてはナチスと闘ったレジスタンスの闘士であったのですが、農地の管理も家族の世話も妻に任せきりで、現実の生活に無気力となっており、覇気を失った甲斐性のない生活無力者に堕しています。<br/>
　このスイスとの国境沿いの寒村で、時計修理だけが趣味でしかない生活となっており、その誇りは過去における栄光でしかなく、戦時の勇敢なレジスタンスの闘士は単なるローズの幻想に低落してしまっているのでした。<br/>
<br/>
　何故なのでしょうか？<br/>
<br/>
　この家族は、裕福ではないにしろ土地所有者でもあります。一般的に所有している者たちは、どうしても受動的で保身を中心にしてしまい、未来を描けないものです。わたしの眼には、彼女が強い願望を周囲に押しつける女性特有の受け身の姿勢があるように映りました。<br/>
　失うものがないロザリアやおりん、シカ、ママ・ジョード、とめのような状況において、初めて豊かに後継が育つものなのかもしれません。<br/>
<br/>
　しかしながら、映画作品としての『燃えつきた納屋』は、かの「ネオ・リアリズモ」の巨匠で、アラン・ドロンの師でもあったルキノ・ヴィスコンティ監督のライフ・ワーク、敗北の美学の端緒となっている「家族の崩壊」のテーマに最も接近し、その高潔な品位までもが、特にシモーヌ・シニョレの好演によって丁寧に描写できていたように思えるのです。<br/>
<br/>
<br/>
　ところで、レジスタンス映画の第一人者、ルネ・クレマン監督の『パリは燃えているか』への出演や、ジャン・ピエール・メルヴィルの『影の軍隊』で女性闘士を演じたシモーヌ・シニョレは、現実生活でも夫イブ・モンタンとともにフランス社会党を支持していました。<br/>
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<br/>
　もしかしたら、この作品が制作された翌年１９７４年に出演する『個人生活』のアラン・ドロンが、共和党の政治家ではなく、フランス左翼政党の政治家を演じたことには、『帰らざる夜明け』やこの『燃えつきた納屋』でのシモーヌ・シニョレとの共演、あるいは『仁義』でのイブ・モンタンとの共演による影響があったのかもしれません。<br/>
<br/>
「『ヌーヴェルヴァーグ』ですごいと思うのは、ゴダールのような左翼とドロンのような右翼とが、互いに衝突しあうこともなく、一緒に仕事をすることができたということです。」<br/>
<br/>
　ジャン・リュック・ゴダール監督の１９９０年の『ヌーヴェルヴァーグ』にアラン・ドロンが出演したときのフィリップ・ガレル監督の言葉ですが、これは１９７０年『仁義』で共演したイブ・モンタン、１９７２年『暗殺者のメロディ』と１９７７年『パリの灯は遠く』でのジョセフ・ロージー監督、１９７１年『帰らざる夜明け』と１９７３年『燃えつきた納屋』でのシモーヌ・シニョレ、そもそも愛弟子として育ててくれたルキノ・ヴィスコンティ監督などにも置き換えることが可能な言葉であるように思うのです。<br/>
<br/>
　また、『個人生活』においては、アラン・ドロンが尊敬するもうひとりの「ヌーヴェル・ヴァーグ」の大女優ジャンヌ・モローが、フランス共和党総裁の初老の未亡人を演じ、彼が演じた主人公ジュリアンの政治家としての立場や出世指向に利用されてしまう女性の惨めさを好演していましたが、映画としてのこの構成は歪んだ統一戦線ともとれる設定ではないでしょうか？<br/>
<br/>
　アラン・ドロンは、この作品『燃えつきた納屋』や『個人生活』によって、彼なりにルネ・クレマン監督から教示されたイデオロギーを真正面から懐疑し、その理想の矛盾を、尊敬するふたりの大女優シモーヌ・シニョレとジャンヌ・モローを通じて表現してみたかったのかもしれません。<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
　それにしても、アラン・ドロンが映画人として育つことの出来た恵まれた環境、素晴らしい先輩達に影響を受けることが可能であったこのような環境があれば、現在の若い人たちも、もっともっとより良く育っていけるはずだと、わたしはこの映画を観て、またも突拍子のない、しかし切実な願望にとらわれてしまうのでした。<br/>
<br/>
<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>燃えつきた納屋</dc:subject>  
      <dc:creator>Tom5k</dc:creator>  
      <pubDate>Sat, 30 Jul 2011 16:23:09 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2011-07-30T16:23:09+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>『シシリアン』③～娯楽大作となった「フレンチ・フィルム・ノワール」での典型的なアラン・ドロン～</title>  
      <link>http://zidai.exblog.jp/14977303/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
　久しぶりに『シシリアン』が観たくなりました。<br/>
　『シシリアン』は、アラン・ドロンがジャン・ギャバンと共演した作品としては、決して高く評価されている作品ではありませんが、最近のわたしには、他の二本の共演作品（『地下室のメロディー』『暗黒街のふたり』）よりも好きな作品となっています（余談ですが、アラン・ドロンがジャン・ピエール・メルヴィル監督と組んだ最も好きな作品が、これも最近では、『サムライ』や『仁義』と比べ、やはり評価の低い『リスボン特急』でもあります。）。<br/>
<br/>
　１９６２年製作の『地下室のメロディー』は、「フレンチ・フィルム・ノワール」作品として、素晴らしい出来映えの作品だと思いますが、アラン・ドロンが初めて、現金強奪の犯人としてジャン・ギャバンと共演した作品であり、駆け出しの若いチンピラとしてのキャラクターでしかなく、それはそれで、たいへん魅力的ではあるのですが、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の演出で１９６７年に撮った『サムライ』以降の非情で冷徹、かつ悲哀を帯びたイメージは、まだ確立されていませんでした。<br/>
<br/>
　『暗黒街のふたり』は、社会派ドラマトゥルギーを主軸とした作品であり、原作・演出・シナリオのジョゼ・ジョヴァンニ、製作・主演のアラン・ドロンが、各々の実体験からシリアスで悲劇的な独特のリアリズムによって、素晴らしい作風を確立した作品だと思いますが、この１９７３年当時のアラン・ドロンは、類型化し硬直してしまった自らのアンチ・ヒーロー的なヒーローのキャラクターから脱皮しようとしていたため、従来の「フレンチ・フィルム・ノワール」からエンターテインメント的要素を失ってしまった印象を持っています。<br/>
<br/>
　それらの作品に比べて、１９６９年製作の『シシリアン』は、「フレンチ・フィルム・ノワール」の大先輩であるジャン・ギャバンやリノ・ヴァンチュラ、ハリウッド作品『素晴らしきヒコーキ野郎』や『史上最大の作戦』でも活躍していたイリナ・デミックなどの豪華な共演者たちで「スターシステム」を徹底し、高価な宝石を運送する航空機をそれごとハイジャックして強奪する大掛かりなアクションに、旧時代の典型的なフランス映画の特徴である運命に敗北する主人公たちのペシミスティックな情緒的表現も加味した贅沢な娯楽大作となっています。<br/>
　しかも、この作品でのアラン・ドロンの格好良さは類い希なのです。<br/>
<br/>
　ファースト・シークエンスでは、護送車から刑務所に収容するために移送されてきた受刑者たちが、手錠を掛けられたままふてぶてしい無表情で続々と降車し続けるさまを描写し、バック・グラウンドに、イタリアン・マフィア風の曲調をうまく強調したエンリオ・モリコーネの主題曲を照応させています。<br/>
　このショットでのエキストラの雰囲気は凄まじく、本当の受刑者を実写しているのではないかと錯覚するほどの迫力がスクリーン全面から発出されています。<br/>
<br/>
　そして、その護送車から最後に姿を現わすのが、主人公サルテを演じるアラン・ドロンです。彼のクローズ・アップがフリーズし、同時にマルチフレームのレフト・サイドに、彼が刑務庁舎内に連行される様子が描写されます。<br/>
　多くの連行されてきた犯罪者の中から、任意のサルテという主人公を選び出すこの作業は「トラック・ショット」と呼ばれる手法ですが、ここでは、ひときわスタイリッシュに輝いているスターとしてのアラン・ドロンを犯罪者サルテと同化させて特に強調しています。<br/>
<br/>
　次に、施設に収容される受刑者たちを整列させるショットに繋ぎ、ボリューム・コントロールによりＢＧＭのマスター音量を下げ、刑務官が事務的に指示事項を説明するショットをモンタージュさせる手法が採られています。<br/>
　これらの描写には、反社会的でピカレスクな世界が非日常的な魅力として満載されており、彼ら犯罪者たちの魅力が冒頭から鮮烈に印象付けられ、作品への期待感が否応無しに喚起させられてしまいます。<br/>
　当時の映画館で、このファースト・シークエンスを観た観客は、これから始まっていく映画の展開への期待感が最高潮に達したとことでしょう。<br/>
<br/>
　また、今回の鑑賞で印象的だったのは、長男アルド・マナレーゼの妻ジャンヌを演ずるイリナ・デミックでした。「殺し屋」という魅力的な存在への好奇心からエクスタシーを得ようとする女性特有のマゾヒスティックなエロティシズムがうまく表現されていたと思います。<br/>
　自分だけがシチリア人ではないことで、ファミリーのなかで常に疎外感を感じていたジャンヌは、強盗殺人で投獄されたこのハンサムな「殺し屋」に魅せられることで、その欲求不満を解消できると確信したのでしょう。必要以上に、何度もサルテの部屋に食料を運ぶ彼女は、実に被虐的でセクシュアルな雰囲気を漂わせていました。<br/>
　この作品でのアラン・ドロンとイリナ・デミックのポルノ・グラフィックなシチュエーションは、結果的にサルテの死やマナレーゼ・ファミリーを破滅に導く映画のプロットとしても、素晴らしい効果を上げています。<br/>
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<br/>
 史上最大の作戦 [Blu-ray]20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン<br/>
<br/>
　そして、警官隊に囲まれた娼館からサルテが逃亡するときのシークエンス、特に彼が夜の闇に向かって路地を走り抜けていく後ろ姿のショットなどには、アニメーション的な躍動感があります。良い意味でリアリズムとは若干かけ離れた、映画ならではの非現実的なシチュエーションであったような気がするのです。<br/>
　「フィルム・ノワール」として、都会の闇に隠れて生きる犯罪者の生態をうまく象徴させた描写だと感じました。<br/>
<br/>
　また、アクション描写を編集したものであるにも関わらず、このシークエンスも「フレンチ・フィルム・ノワール」の体系に準拠している印象であり、わたしとしては、ここでの「アクション」自体が、ノワールを醸成する演出手法のひとつであることに気づかされました。<br/>
　この視点は、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の作品を理解するうえでも、重要なポイントになるように思い、今回の鑑賞の最大の収穫だったと考えています。<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
　さて、この作品は何度もＴＶ放映され、観る機会の多かった作品なのですが、想い起こせば、中学生のときのＴＶ放映で観ていたときだったでしょうか？<br/>
　ニューヨークのモーテルに潜伏しているサルテの元にニューヨークのボス、トニーが訪れ、訪問ブザーが鳴った途端に彼が飛び起きるシーンで、<br/>
<br/>
当時、一緒に観ていた父親が、<br/>
<br/>
「こういう商売やってると、神経休まる暇無いなっ！　絶対、熟睡できないぞっ！」<br/>
<br/>
と、興奮して感想をもらしていた記憶があります。<br/>
わたしは、<br/>
おやじは何を力んでるんだろう？<br/>
あほでないのか？<br/>
と、不思議に思いながら、テレビでの映画放映を観ていた記憶が残っています。<br/>
<br/>
<br/>
「ギャング役は好き？<br/>
　＝　ぼくが一ばん好きなのがギャング役ではない　観客が一ばん好きなのがギャング役なのだと思う　ギャングでも神父でもぼくは演りがいのある役が好きだ」<br/>
【アラン・ドロン孤独と背徳のバラード　芳賀書店（１９７２年）】<br/>
<br/>
【＞ルイ・ノゲイラ<br/>
ドロンはあなたにとってスターの典型的な例なのですか？<br/>
＞ジャン＝ピエール・メルヴィル<br/>
彼は私が知っている最後のスターだ。フランスでは言うまでもなく、全世界を見てもそうだ。彼は３０年代のハリウッド的な「スター」なんだよ。（略－）】<br/>
【引用『サムライ　ジャン・ピエール・メルヴィルの映画人生』ルイ・ノゲイラ著、井上真希訳、晶文社、２００３年】<br/>
サムライ―ジャン=ピエール・メルヴィルの映画人生<br/>
ルイ ノゲイラ Rui Nogueira 井上 真希 / 晶文社<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
　この作品は、当時のアラン・ドロンのファンが最も好み、それに答えるために、超人気スター俳優としてギャングを演じた最も安定感のある、彼にとっての典型的なスタイルの「フレンチ・フィルム・ノワール」だったように思うのです。<br/>
<br/>
<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>シシリアン（３）</dc:subject>  
      <dc:creator>Tom5k</dc:creator>  
      <pubDate>Sun, 19 Jun 2011 2:06:55 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2011-06-19T02:06:55+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>『もういちど愛して』～愛の再生・復活その４～</title>  
      <link>http://zidai.exblog.jp/14898576/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://zidai.exblog.jp/14898576/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
　『もういちど愛して』は、好きな作品です。<br/>
　アラン・ドロンの演技や作品のテーマ、特にブルターニュ地方の寂しく美しい情景の映像描写、それに照応した美しい音楽などが大好きなのです。<br/>
<br/>
　原野に立ち込める霧から浮かび上がってくるファースト・ショットの古い教会の映像は実にファンタジックです。逆にタイトル・バックでは、ミサのために教会に向かう年老いた土俗の聖女たちが原野を歩行していく様子がリアルに写実されています。<br/>
<br/>
　わたしは、まず、教会での神父のパイプオルガンで迎えられる彼女たちの様子を描いたこれらのファースト・シークエンスで、この作品に惹きつけられてしまいました。<br/>
<br/>
　妻の死を境に閑村の古びた教会で神に仕える聖職の身としてパイプ・オルガンを弾き続け、朴訥な尼僧たちへの説諭を生き甲斐とするアラン・ドロン演ずるシモン・メデュー神父。<br/>
<br/>
　しかし、ナタリー・ドロン扮する死んだはずの妻リタが生きていたことから、その禁欲的な生活は一変してしまいます。<br/>
　このときのシモン神父の心情表現には、彼の狼狽と教会の扉の開閉、そのときの効果音楽の組み合わせなどにより、この教会とシモン神父が一体化している技法が駆使されています。これらは、素晴らしい映像表現です。<br/>
<br/>
　その後、乱された心から必死に平静を取り戻そうとするシモン神父の様子が描かれ続けていくのですが、特に彼が海岸の砂浜でスクーターを走らせるショットと音楽の美しさは秀逸でした。<br/>
<br/>
　ポール・ムーリスが演じる司教とのやりとりでの朴訥で能弁なシモン神父を演ずるときのユニークで品格のある演技は、他のアラン・ドロンの作品では滅多に見ることができないものですが、意外に彼らしい雰囲気であるとも思います。<br/>
<br/>
　凄いと思ったのは、苦悩する彼がスクーターごとに川に転落するショット、空中に浮かぶ瞬間をフリーズさせての彼のセリフの使用です。<br/>
「主よ主よ・・・何故私を闇の中にお捨てになる？」<br/>
　このフリーズ・ショットは、『にっぽん昆虫記』などでの今村昌平監督の編集と実によく似た手法です。<br/>
 NIKKATSU COLLECTION にっぽん昆虫記 [DVD]Happinet(SB)(D)<br/>
<br/>
　そして、シモンが自分の元に戻ってくれることを信じて待ち続ける妻のリタ、彼を愛するがために手段を選ばない彼女の、一途ではあるものの女性特有の屈折した愛情表現なども魅力的に描かれています。<br/>
＞リタ<br/>
「あんたが私を迎えに来るまでは　港にいる船乗り全部に体をくれてやるからね！」<br/>
＞シモン神父<br/>
「主よ・・・　汚らわしい」<br/>
<br/>
　教会の集会で集まった聴衆に説諭している真最中に、リタの姿を見付けて慌てふためくシモン神父の様子も思わず感情移入してしまうシークエンスでした。<br/>
<br/>
　シモン神父に彼女の想いが伝わり、彼が聖職の道を退く決心をしたときの素晴らしい愛の告白も印象に強いものです。<br/>
＞シモン神父<br/>
「天使だ　わたしの天使」<br/>
＞リタ<br/>
「私を選ぶの」<br/>
＞シモン神父<br/>
「もちろんだ」<br/>
<br/>
　彼は司教に自らの心情を吐露します。<br/>
「もうだめです　何か甘美な快感があるのです　嘘じゃありません」<br/>
　愛が静かに成就したときの男女の決意は、周囲の誰もが祝福せざるを得ないものとなります。<br/>
<br/>
　自分を師事してくれていた年老いた尼僧たちに別れを告げる聖職者シモン、礼節を守り淡々とひとりひとりの名前を呼ぶ様子は、彼と聖女たちとの信頼関係が垣間見える瞬間でした。<br/>
<br/>
　修道院からリタを連れ出して走っていくラスト・シークエンスも、美しい二人の未来を想像させる躍動感あふれるものです。<br/>
<br/>
　このように、わたしにとっては、この作品全編が素晴らしく感動的なものでした。<br/>
<br/>
<br/>
　ところで、主人公シモン神父がアラン・ドロンのはまり役だと感じているのは、わたしだけなのでしょうか？<br/>
　彼の代表作品のひとつであるルキノ・ヴィスコンティ監督の『若者のすべて』（１９６０年）の主人公ロッコ・パロンディが、知性と教養を身につけ、自信を回復して年齢を重ねたなら、このような生き方をしていたようにも思います。<br/>
　そして、もし、クリスチャン・ジャック監督の『黒いチューリップ』（１９６３年）の主人公ジュリアンが、双子の兄ギヨームの後継者となる自覚を持たずに、そして、新しい革新の時代に頓挫し隠遁する生活をおくったならば、後年、やはり、このような姿になっていたかもしれません。<br/>
<br/>
　アラン・ドロン本人も幼少期から苦労が多く、恐らく順応力を身につけて器用に生きていかねばならなかったのでしょう、デビュー当時は合理性に富んだ近代的な若手スターとして売り出した俳優でした。しかし、本来は案外に古風で純情なタイプのキャラクターを持ち合わせた人物だったような気もします。<br/>
　ですから、そんな彼が俗世間と交わらず、苦労知らずで封建的な個性のままの人生をおくったとしたなら、この主人公シモン神父のように生真面目過ぎるが故、ある種滑稽で憎めない人物になっていたとも思うのです。<br/>
<br/>
<br/>
　ところで、彼が自社アデル・プロダクションにて製作し、盟友ジャック・ドレー監督の演出で主演した作品は他にも多くあります。<br/>
　『ボルサリーノ』（１９６９年）、『ボルサリーノ２』（１９７４年）、『フリック・ストーリー』（１９７５年）、『友よ静かに死ね』（１９７７年）などの「フレンチ・フィルム・ノワール」が多いのですが、その作品傾向は、古き良き過去の時代に対する思慕、郷愁を誘うノスタルジーを漂わせた作風のものばかりです。<br/>
<br/>
　この恋愛劇『もういちど愛して』も、それらの例に漏れず、フランス映画のクラシックに回帰しているように感じます。<br/>
　アラン・ドロンが主演した作品を振り返れば、前述した『黒いチューリップ』もその体系ですし、特に１９６２年に出演したカトリック教徒ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『フランス式十戒』の一挿話として編纂したとしても全く違和感のない作風だと思います。<br/>
<br/>
　考えてみれば、３年前の１９６７年には、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の遺作となってしまった『悪魔のようなあなた』での主演、前年１９６９年、アンリ・ヴェルヌイユ監督の『シシリアン』では、ジャン・ギャバンと共演、フランス映画の伝統的な演出家や共演者と組み、アデル・プロダクションを立ち上げて『ボルサリーノ』で懐古主義ともいえる作品を制作したことなども、この作品までの必然の経緯であったようにまで感じてしまいます。<br/>
<br/>
<br/>
「ギャング役は好き？<br/>
　＝　ぼくが一ばん好きなのがギャング役ではない　観客が一ばん好きなのがギャング役なのだと思う　ギャングでも神父でもぼくは演りがいのある役が好きだ」<br/>
【アラン・ドロン孤独と背徳のバラード　芳賀書店（１９７２年）】<br/>
<br/>
　アラン・ドロン自身が言説している「演りがいのある役」のひとつに「神父」の役が例示されていることからも、このシモン神父役は、世評がどうあれ、アラン・ドロンにとっては「演りがいのある役」であったに違いありません。<br/>
<br/>
<br/>
＞『もういちど愛して』以外、あなたはコメディに出演したことはありませんね。 <br/>
＞アラン・ドロン<br/>
『もういちど愛して』以外はやったことがない、あの作品は悪くなかったんじゃないか？（コメディは）私には似合わない、感じないんだ。状況がおかしいという以外はね・・・うまく出来たためしがない、自分には無理なんだろう。笑わすと言うのは難しいよ、一番難しいことだ。】<br/>
【引用（参考）　takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事　2007/6/18　「回想するアラン・ドロン：その６（インタヴュー和訳）」】<br/>
<br/>
　このように、後年、コメディ作品での役作りの困難さに言及しながらも、『もういちど愛して』における作品としての評価は低くない旨のコメントをしています。<br/>
<br/>
<br/>
　この作品で、主人公シモン神父を演じているアラン・ドロンは、あまりに朴訥な故に、死んだはずの最愛の妻リタの出現に常にナーヴァスになってしまうという表現に徹し、その様子は実に微笑ましい限りなのですが、この作品の製作された１９７０年の２年後、１９７２年に巡り会ったジョセフ・ロージー監督の『暗殺者のメロディ』で新境地を引き出されて演じた暗殺者フランク・ジャクソンや１９７７年に制作された世紀の大傑作『パリの灯は遠く』のムッシュー・クラインなどのキャラクターの片鱗を伺い知ることもできるように思うのです。<br/>
<br/>
　リタが現れてからの彼の苦悩の表現は、トロツキーを暗殺するときのフランク・ジャクソン、もう一人のユダヤ人クラインに間違われたときに見せたクラインの動揺などの演技に繋がっているように感じるのです。<br/>
<br/>
【（－略）私とやった二本の映画での役柄にぴったりだった。その二人、トロツキー暗殺者とムッシュー・クラインは、どちらも非常に頭の切れる男で、自分の行動にはしっかりとした自覚を持っている。ところがある限界点を一歩踏み越えてしまうと、もう判断力を失い、放心したようになってしまう。（ジョセフ・ロージー）】<br/>
【引用　『追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー』ミシェル シマン著、中田秀夫・志水 賢訳、日本テレビ放送網、１９９６年】<br/>
 追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージーミシェル シマン Michel Ciment 中田 秀夫 志水 賢日本テレビ放送網<br/>
<br/>
　この恋愛コメディでも、主人公シモン神父は、しっかりとした聖職者の自覚を持っていますが、死んだはずの妻の出現によって、限界点を一歩踏み越えてしまい、判断力を失ってしまっているのです。ジョセフ・ロージー監督に巡り会う前に、アラン・ドロンが自らの限界点を超えた状態を表現した素晴らしい演技であったと評価しても良いのではないでしょうか？<br/>
<br/>
<br/>
　そして、ジョセフ・ロージー監督との作品に加えて、他にも彼の様々な未来の可能性を孕んだ役だったとも、わたしは思っています。<br/>
<br/>
　１９８４年、フォルカー・シュレンドルフ監督がマルセル・プルースト原作の『失われた時を求めて』の一編を映画化した『スワンの恋』、ここでアラン・ドロンが演じた時代遅れのダンディズムに浸っているホモ・セクシュアルのシャルリュス男爵は、わたしにはシモン神父を再現したようにも見えます。<br/>
<br/>
　そして、１９８４年、セザール賞男優賞を受賞したベルトラン・ブリエ監督の『Notre histoire（真夜中のミラージュ）』や１９９０年にジャン・リュック・ゴダール監督と撮った『ヌーヴェルヴァーグ』のテーマは、この『もういちど愛して』と同じように、愛の再生、そして復活でした。<br/>
<br/>
　更に、人格の二重性を象徴的に描く手法で、死してなお復活・再生していくテーマや主人公のキャラクターは、元来アラン・ドロンの主演作品での彼の十八番なのですが、この作品では、兄妹のように似ているといわれ、過去に妻として最も愛していたナタリーを共演者に選定して、そのキャラクターの特徴を彼女と共有しています。<br/>
　<br/>
【この人を見よ！】<br/>
　『ヌーヴェルヴァーグ』は、神を乗り越え力への意志によって、現代を力強く生き抜いていく思想として体系付けたニーチェのこの言葉も主題のひとつでした。<br/>
　現代社会に押しつぶされてしまう弱者として登場するアラン・ドロン扮するロジェ・レノックスは、超ロジェであるリシャールとして再生・復活し、ドミツィアーナ・ジョルダーノ演ずる主人公エレナとの愛を再生させ、彼女とともに未来に旅立つシークエンスで結末を迎えます。<br/>
 ツァラトゥストラはこう言った(岩波文庫 青 639-2)ニーチェ / 岩波書店<br/>
<br/>
　すでに、この『もういちど愛して』でもアラン・ドロンと元妻ナタリー・ドロンは、そのニーチェの思想を体現し映像化していたようにも見えてしまうのです。<br/>
　主人公のシモンとリタが封建の修道から脱皮して、力強く未来に向かって生きようとするラスト・シークエンスで締めくくられているからです。<br/>
<br/>
　そう、まさにニーチェの言葉のとおり<br/>
【神は死んだ】のです！<br/>
<br/>
　この『もういちど愛して』は、自分の分身である最愛の息子アンソニーの母でもあるナタリーに対し、元夫として今の自身の想いをもう一度、精一杯に伝えるための最良のプレゼントにしたかった作品だったのかもしれません。<br/>
<br/>
<br/>
　そして、もしかしたら、アランはナタリーと・・・・もういちど、寄りを戻したかった？？？？のではないしょうか？？？？<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>もういちど愛して</dc:subject>  
      <dc:creator>Tom5k</dc:creator>  
      <pubDate>Sun, 5 Jun 2011 3:55:57 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2011-06-05T03:55:57+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>『山猫』②～敗北のプロットしか描けなかったヴィスコンティの一貫性、アラン・ドロンの師への想い～</title>  
      <link>http://zidai.exblog.jp/14136045/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://zidai.exblog.jp/14136045/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
【サイードの本は、死後ロンドンの新聞に出て、『新潮』に訳載されもした論文を柱としています。（－中略－）<br/>
　シチリアの貴族の最後の思いを、生涯一編だけの長編小説に残したラペンドゥーサ。その『山猫』を、貴族趣味のかぎりをつくして映画化した（死ぬまで共産主義者でもあった）ヴィスコンティ監督。両者の間に、「後期のスタイル」の発想を生んだアドルノと、シチリアをふくむイタリア南部に近代化がもたらす貧困を、獄中で予想したグラムシを置く。それも興味深い細部を繰り返しながら語るサイード。】<br/>
【引用　『「伝える言葉」プラス』大江健三郎著、朝日新聞社、２００６年】<br/>
 「伝える言葉」プラス大江 健三郎 / 朝日新聞社<br/>
<br/>
　ノーベル賞作家の大江健三郎氏が、エドワード・Ｗ・サイードの著作『晩年のスタイル（Ｏｎ　Ｌａｔｅ　Ｓｔｙｌｅ（Ｐａｎｔｈｅｏｎ　Ｂｏｏｋｓ））』を読んだときの読後感です。<br/>
<br/>
　パレスチナ系アメリカ人の文学者、音楽家、思想家であったエドワード・Ｗ・サイードは大江健三郎とも交友関係にあり、音楽家ではリヒャルト・シュトラウス、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン、アルノルト・シェーンベルグ、文学者ではトーマス・マン、ジャン・ジュネ、トマージ・ディ・ランペドゥーサ、政治家ではアントニオ・グラムシ、思想家・音楽家であったテオドール・ルートヴィヒ・ヴィーゼングルント＝アドルノ、そして舞台演出家・映画監督ではルキノ・ヴィスコンティなどにこだわり著作活動を続けてもいたようです。<br/>
<br/>
　特に、イタリア共産党のリーダーであったアントニオ・グラムシからのトマージ・ディ・ランペドゥーサとルキノ・ヴィスコンティへの影響力については強く言及しており、イタリア共産党としては当然の事だったとはいえ、アントニオ・グラムシがイタリアの国家統一と各地域の分析から、北部の労働運動や南北イタリアの経済格差などに着眼していたことなどに関心を寄せていたそうなのです。<br/>
　しかしながら、そこで論及されていた南部問題が、ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画、トマージ・ディ・ランペドゥーサの小説である『山猫』においては、有効なものとしての実現にまでには至っていないと批判を加えているそうです。<br/>
 晩年のスタイルエドワード W.サイード / 岩波書店<br/>
<br/>
　いずれにしても、わたしが最も驚いたことは、大江健三郎氏がルキノ・ヴィスコンティ監督を<br/>
＞（死ぬまで共産主義者でもあった）<br/>
と規定していることなのです。<br/>
<br/>
　それというのも、わたしは、彼が『山猫』以降に自身の帰属していた貴族社会を描くようになっていったことが、コミュニズムから転向してしまったからであると思い込んでいたからなのです。<br/>
　もちろん、彼が首尾一貫して広くヒューマニズムを透徹していったことは、間違いのないことだったと確信しています。<br/>
<br/>
　そして、例えば、ジャン・ピエール・メルヴィルは、<br/>
【＞Ｎ　あなたは右派なのですか】<br/>
とのインタビュアー、ルイ・ノゲイラの問いに<br/>
【＞Ｍ　（－略）哲学的に言えば、私の世間における立場はひどく無政府主義的（アナーキスト）だ。極めて個人主義者なんだよ。実を言うと私は右派でも左派でもありたくないのさ。だが、確かに右派のように生きている。私は右派のアナーキストなんだ（－中略－）<br/>
　当然ながら、左派は美徳と同義だという観念を私の心から消し去ったのは、ソヴィエト・ロシアだ。三十年前、私の政治的な理想とは、もちろん社会主義だったのさ。あの当時、私は確かに共産主義者だった。その後、一九三九年八月二十三日以来、一気に共産主義にうんざりしたんだ。（－中略－）スターリンが、一九三九年八月二十三日に、戦争が起こりつつあることを宣言したのさ・・・・ポーランド分割についてドイツと意見の一致をみた日だ。あの日、私の共産主義－社会主義－は大打撃を食らったんだ。それから、私はシベリアの収容所のことを考え始めた。その存在は戦前に知られていたんだが－ナチの大量虐殺の強制収容所の存在はまだ知られていなかったがね－あの収容所はレーニンの社会主義の一部だったんだ・・・。その時、私は転向したのさ。（略－）】<br/>
【引用～『サムライ　ジャン・ピエール・メルヴィルの映画人生』ルイ・ノゲイラ著、井上真希訳、晶文社、２００３年】<br/>
<br/>
と自身の転向の経緯を語っています。<br/>
<br/>
　そして、ルネ・クレマンにおいては、<br/>
【私はいかなる党にも属していないし、いかなる政治家にもくみしない。だからといって私が政治的に無関心な人間だというわけではない。なぜなら、もし私が政治を無視していようと、どっちみち、政治のほうで我々を無視してはくれないのだから。（略－）<br/>
（ルネ・クレマン　談）】<br/>
<br/>
【前作の『パリは燃えているか』（６６）ではクレマンはド・ゴール派に転向したかなどといわれたが、実は彼の初期の作品『鉄路の闘い』（４５）、『海の牙』（４６）が公開されたころ、日本では彼がコミュニストであるというのが定説になっていた。（－中略－）そのリアリズムのきびしさから、当時史上最大の労働争議を行っていた東宝の組合員たちにもクレマンの存在はかなり神格化されていたようだし、そういうところから、いつの間にか共産党員だというレッテルを貼られていたのかもしれない。】<br/>
【引用　『海外の映画作家たち　創作の秘密（フランス編　ルネ・クレマン）』田山力哉著、ダヴィッド社、１９７１年】<br/>
<br/>
<br/>
　元来、彼はコミュニストではなかったと言われていますし、しかし、進歩的な思想の持ち主であることは間違いなかったといわれてもいました。<br/>
　ですから、『パリは燃えているか』を撮ったときには、戦後の矛盾を抱えたフランス共和党やアメリカ合衆国への単なる迎合であると、誤解され批判的に受け取られても仕方がなかったかもしれません。<br/>
　また、１９６０年代以降に制作していったサスペンス作品群は、世評では商業主義に堕落したと言われ、透徹したリアリズム描写の衰え、芸術家の堕落として批判されていきました。<br/>
<br/>
<br/>
　更にジョセフ・ロージーに至っては、<br/>
【＞ＪＬ　そもそも私が『暗殺者のメロディ』を撮るなど全く思いも寄らないことだった。私が共産主義者だったのはスターリンが崇拝されていた頃であって、まだその偶像が堕ちる前のことだ。（－中略－）しかもその頃の私はまだ若く“洗脳”とも呼べる方法でいったん吹き込まれてしまった思想を後になって拭い去るのは非常に難しい時期にあった。（－中略－）<br/>
　不意に気づかされたのは、私がスターリン主義者だった間、いかに自分が他の大切な知識や経験から隔絶してしまっていたかということだった。あの頃の私はスターリン主義に凝り固まってしまっていて、僅かでもトロツキー主義の傾向にあるものはすべからく間違いだと決めてかかっていた。そういう考えこそ、明らかに、スターリン主義にしろ他のいかなる教義や主義にしろ最も悪い側面だったのに。しかし私はもうすでに人間として成長しており、自分なりの視点を確立していた。すなわち、物事は何でもそのものの本来の価値によって評価されなければならず、よしんば集団で行動を起こすにしろ、やはり一人ひとりが個人としての判断、評価を下さなければならない、という考えに至っていたのだ。（略－）】<br/>
【引用　『追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー』ミシェル シマン著、中田秀夫・志水 賢訳、日本テレビ放送網、１９９６年】<br/>
<br/>
と『暗殺者のメロディ』でトロツキーを主人公とした作品を撮るに当たって、自己批判した経緯を語っています。<br/>
<br/>
<br/>
　また、１９６８年の五月革命以降、中国革命の毛沢東に傾倒し、商業映画を否定して「ジガ・ヴェルトフ集団」という政治的なアジテーション映画の製作集団を結成し、コミュニズムを徹底していったジャン・リュック・ゴダールでさえ、１９８０年には『勝手に逃げろ／人生』で、商業映画に復帰します。<br/>
　そして、後年、「ジガ・ヴェルトフ集団」の時代は、自分でも、泳ぎ方を覚えずに海に飛び込んだようなものだったと述懐しているほどです。<br/>
<br/>
<br/>
　自らの思想・信条、特にコミュニズムのような誤解の多いイデオロギーを、映画作家として生涯に渉って貫いていくことが、如何に困難なことなのか、そのことはアラン・ドロンにゆかりのあった巨匠たちにさえ簡単なことではなかったのです。<br/>
<br/>
<br/>
であれば、ルキノ・ヴィスコンティが、本当に<br/>
＞（死ぬまで共産主義者でもあった）<br/>
こと、これは、アラン・ドロンが、師と仰ぐ巨匠たちのなかでも、最も徹底した生き様であり、驚くべきことであり、余程の強い信念を以て生き抜いた人物だったと評価してしかるべきでしょう。<br/>
<br/>
　想えば、ルキノ・ヴィスコンティが語った<br/>
<br/>
【「揺れる大地」と「若者のすべて」に続いて第三部をなす「人民のたたかい」を描いた映画を作りたい。しかも、最初の作品が敗北の物語であり、二番目が半ば敗北の物語であったのに反し、こんどは人民の力を確認させるような、勝利の物語を描きたい。】<br/>
【引用　「世界の映画作家４　フェデリコ・フェリーニ　ルキノ・ヴィスコンティ編」キネマ旬報社】<br/>
<br/>
には、将来にむけての映画創作における不退転の決意が表明されていたのかもしれません。わたしが理解していたように、後年の彼の作品の特徴がその挫折から変遷したという解釈は、再考を要するところに至ってしまいました。<br/>
<br/>
　しかしながら、『山猫』以降に、実際に彼が人民の勝利を直接的に映画で描けたことはありませんでしたし、現代映画において、典型的な無産階級を演ずる資質と才能を備え、最も可愛がっていた青年俳優アラン・ドロンは、その役割を放棄してハリウッドに渡ってしまうことになります。<br/>
<br/>
　それに加えて、彼の映画創作のセオリーは、自ら染み込んだ遺伝子ともいえる貴族階級としてのものでしたから、未来の社会での人民の勝利に対するイメージが貧困で、貴族階級の敗北の歴史的必然と同様に、常に敗北と挫折のテーマでしか映画表現が出来なかったと、わたしは考えます。<br/>
<br/>
　彼の芸術性の高い映像表現は別としても、その主題においては、映画『山猫』で描いたように共和主義者たちと妥協しながら、生き永らえざるを得ない、極論するならば、絶滅に向かっていくまでの貴族階級のロマンティズムやヒューマニズム、その美学などに限られてしまう描写に留まらざるを得なかったとまで考えられます。<br/>
<br/>
　ルキノ・ヴィスコンティは、良く言えば聡明な生き方を上手に選んでいた反面、自らの階級に対して実直で、愚鈍なほど誠実であったともいえましょうし、悪く言えばその階級としての潜在意識から、新しい時代に来るべき人民の勝利する時代へと脱皮するためのイメージを持ち得なかったとも考えられます。<br/>
<br/>
　繰り返すことになりますが、わたしは今の今まで、『山猫』以降の作品は、あくまでも思想的に転向したルキノ・ヴィスコンティの創作活動であると解釈していました。もちろん、それは単純に労働者階級を裏切るような意味のものではなく、前述したジャン・ピエール・メルヴィルやジョセフ・ロージーと同様に、時代的な必然における転向、すなわちコミュニズムから出発し、やがてヒューマニズムを拡大していく手法を採るようになったと考えていたのです。<br/>
<br/>
　この考えは、わたしのブログの盟友であるオカピーさんとも同じ意見でした。<br/>
　【オカピーさんのブログ記事『プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]』　映画評「若者のすべて」】<br/>
<br/>
　何故、大江健三郎氏は、ルキノ・ヴィスコンティを<br/>
＞（死ぬまで共産主義者でもあった）<br/>
と解釈しているのでしょうか？<br/>
<br/>
　考えてみれば、彼は「ネオ・リアリズモ」の体系で映画を創作していた頃、彼の愛する労働者階級の物語を、<br/>
<br/>
『揺れる大地』において、<br/>
＞最初の作品が敗北の物語であり・・・<br/>
<br/>
『若者のすべて』において、<br/>
＞二番目が半ば敗北の物語であった・・・<br/>
<br/>
と自ら主張した映画表現を総括しました。<br/>
<br/>
だからこそ<br/>
＞こんどは人民の力を確認させるような、勝利の物語を描きたい。<br/>
と願っていたのだと思います。<br/>
<br/>
　前述したように、彼が貴族階級の絶滅の遺伝子を刷り込まれていることを踏まえれば、敗北という硬直したテーマからしか、リアリズムやドラマトゥルギーを創り出せなかったことは、無理なからぬことだったと察します。<br/>
　それは、この『山猫』や『家族の肖像』においても顕著です。<br/>
【参考　オカピーさんのブログ記事『プロフェッサー・オカピーの部屋[別館]』　映画評「山猫」】<br/>
<br/>
<br/>
　であれば・・・生涯を賭けて自分自身に誠実にありながら、念願の労働者階級の勝利を描く実践は、その手法として単純で直接的な表現ではなかったことは否めません。<br/>
　恐らく、彼のロジックとして、現行の支配階級の敗残を表現することが、逆に労働者階級の勝利を描くこととイコールであるという脈絡に行き着いていったのかもしれないと、わたしには思えてきたのです。<br/>
<br/>
　ドイツ三部作の第一作目『地獄に堕ちた勇者ども』での資本家階級の敗残の様子が、残虐と悲惨を極めていることを思い出せばそれは明らかです。<br/>
<br/>
　その敗北の表現は、人民の辿るプロセスを『揺れる大地』や『若者のすべて』で、労働者階級の「無念」そして「郷愁」としてはかなく美しく、また、『山猫』以降、自らの貴族階級の敗北を「絢爛」や「美学」としてエレガンスに描写していったこととは、全く異なるものであったように思うのです。<br/>
<br/>
　資本家階級の破滅が、侮蔑すべき堕落した階級として必然であることを、彼の激しい憎悪と激昂の限り渾身の力をこめて、その末路を描写した作品であったように感じます。<br/>
　それが、すなわち人民の勝利であることと同じことだとするレトリックであるなら、この『地獄に堕ちた勇者ども』こそ、『揺れる大地』と『若者のすべて』に続く、第三部「人民のたたかい」として人民の力を確認させるような、人民の勝利の物語として完成させた作品であったのかもしれません。<br/>
　わたしは、そう考えたとき、何だか背筋が凍り付きそうな気持ちになりました。<br/>
 地獄に堕ちた勇者どもダーク・ボガード / ワーナー・ホーム・ビデオ<br/>
<br/>
　このように考えると、ルキノ・ヴィスコンティとアラン・ドロンとが決別に至った理由のひとつとしても、彼のアラン・ドロンに対する憤りが、自らの私情におけるものとは異なっていたようにも思えてきます。<br/>
<br/>
　もしかしたら彼は、アラン・ドロンの実業家（資本家階級）への転身が人民への裏切りだったと解釈し、そのことに対して憤慨していたのかもしれません。<br/>
　そう、ルネ・クレマン監督の『太陽がいっぱい』で、フィリップ・グリーンリーフになりすましたトム・リプリーに対しての、あるいはジュリアン・デュヴィヴィエ監督の『悪魔のようなあなた』で、ジョルジュ・カンポになりすましたピエール・ラグランジェに対しての憤りであると例えれば、分かり易いでしょうか。<br/>
<br/>
　このことは、「ヌーヴェル・ヴァーグ」の祖母アニエス・ヴァルダ監督が、映画『百一夜』において、アラン・ドロン登場のシークエンスで、師であったルキノ・ヴィスコンティに抱く複雑な心情を、『山猫』のポスターやルキノ・ヴィスコンティの写真の前で立ち留まるショットにおいて演じさせています。<br/>
　ここでは、「ネオ・リアリズモ」の歴史的傑作であるヴィットリオ・デ・シーカ監督の『自転車泥棒』の比喩としてのワン・ショットのインサートによる先鋭的なカメラ・アイもショッキングでした。<br/>
<br/>
　このアラン・ドロン批判とも受け取れるアニエス・ヴァルダの演出は、実はルキノ・ヴィスコンティの代弁だったのではないだろうかと、わたしは今になって想い返してしまうのです。<br/>
<br/>
【「揺れる大地」と「若者のすべて」に続いて第三部をなす「人民のたたかい」を描いた映画を作りたい。しかも、最初の作品が敗北の物語であり、二番目が半ば敗北の物語であったのに反し、こんどは人民の力を確認させるような、勝利の物語を描きたい。】<br/>
<br/>
　ルキノ・ヴィスコンティは、アラン・ドロンに、それを演じさせたかったのかもしれません。<br/>
　しかしながら、アラン・ドロンの立場に立ったとき、それでは、あまりにも一方的であるとわたしは感じます。ですから、彼の言い分も理解しようと思っているのです。<br/>
<br/>
　後年、共産主義国家である中華人民共和国でのマーケットにおいて、アラン・ドロンがプロデューサーとして発言した内容に、わたしはそれを感じ取ることができました。<br/>
【＞アラン・ドロン<br/>
（－略）中国には８年前に行った：７億人が『ゾロ』を見てくれたんだ！『復讐のビッグガン』を持って行ってね、『若者のすべて』じゃなかった。（略－）】<br/>
【引用（参考）　takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事　2007/6/27　「回想するアラン・ドロン：最終回（インタヴュー和訳）」】<br/>
<br/>
　このように、共産主義国家の中華人民共和国であっても、映画のニーズとしては、『若者のすべて』が本質的に理解されることが困難だったのです。・・・しかも前述したように、師であったジャン・ピエール・メルヴィル、ジョセフ・ロージー・・・そして、ジャン・リュック・ゴダールのような巨匠たちでさえ、<br/>
＞（死ぬまで共産主義者でもあった）<br/>
ことが極めて困難、あるいは不可能であったわけですから、アラン・ドロンにそれを求めることは、いささか酷なことであり、彼がルキノ・ヴィスコンティの教示に答えることが出来なくても、それは無理のないことのようにも思っているわけです。<br/>
<br/>
<br/>
【（－略）役者を始めた頃は、私は「ハンサムな間抜け」だった。その後は何かを見出さなくてはならなかったんだ・・・（略－）】<br/>
【引用（参考）　takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事　2007/6/21　「回想するアラン・ドロン：その７（インタヴュー和訳）」】<br/>
<br/>
　ところが、「ハンサムな間抜け」と自らを卑下しながらも、ルキノ・ヴィスコンティ一家を去って、それでもなお、彼は後年において、人民の勝利像を演じている作品があるのです。<br/>
<br/>
　それは、もう一人の師であったルネ・クレマン監督が演出している作品でした。<br/>
　そう『パリは燃えているか』です。<br/>
<br/>
　ルネ・クレマン監督は、アラン・ドロンのキャラクターを含めて、『若者のすべて』の設定を前向きに編成し直して『生きる歓び』を制作したように思います。これをスタート・アップとし、やがてフランス人が誇るレジスタンス運動の勝利を人民の歓喜としてまで到達させたていった作品が『パリは燃えているか』だったと、わたしは考えるのです。<br/>
<br/>
<br/>
　もちろん、その二作品はコミュニズムの勝利に最も接近して人民の勝利を描いているとはいえ、ルキノ・ヴィスコンティの目指していた階級としてのコミュニズムの勝利からは逸れていると一般的には解釈されてしまうでしょう。<br/>
　結果的には、悪の枢軸国ナチス・ドイツに対する共和主義の範囲における人民の勝利として、すなわち大きな社会矛盾を抱えたド・ゴール主義の勝利でしかない作品として、「ヌーヴェル・ヴァーグ」諸派や左派系の映画人たちの一般的な批判にくみせざるをえない作品であったように思います。<br/>
<br/>
　【ルキノ・ヴィスコンティ】　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　【ルネ・クレマン】<br/>
　『若者のすべて』（半ば敗北）　→　→　（勝利への端緒）　『生きる歓び』<br/>
　　↓　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　↓<br/>
　『地獄に堕ちた勇者ども』　　　　　　　　　　≠　　　　　　　　『パリは燃えているか』<br/>
　（資本家の敗北　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（ナチズム・ファシズムの敗北<br/>
　　＝人民（コミュニズム）の勝利）　　　　　　　　　　　　　　　＝人民（レジスタンス）の勝利）<br/>
※歴史実としてはナチスの台頭ですが・・・<br/>
<br/>
　だからといって、この作品は本当にイデオロギーとしての妥協の産物だったのでしょうか？<br/>
<br/>
　実はわたしは、それは違うと思っています。<br/>
　何故なら、<br/>
<br/>
【コミュニストだろうと、ド・ゴール派だろうと。私にはすべてレジスタンスの同志であった。私の会ったこの時代の責任者の人たちはすべて、彼ら同士お互いによく理解しあっていた。どちらが主導権を握るかで若干のアツレキがあったにせよ・・・・<br/>
（ルネ・クレマン　談）】<br/>
【引用　『海外の映画作家たち　創作の秘密（フランス編　ルネ・クレマン）』田山力哉著、ダヴィッド社、１９７１年】<br/>
<br/>
　このルネ・クレマンの発言に、すれ違い決裂してしまったルキノ・ヴィスコンティとアラン・ドロンの師弟関係を再生して繋いでみることが、わたしにはイメージできるからなのです。<br/>
<br/>
【＞今年は大統領選挙の年ですが、きっと応援を頼まれるのではないですか？どの候補を応援する予定ですか？<br/>
＞アラン・ドロン<br/>
応援するつもりはないね。私が右翼派だと皆知ってるだろう。共和党の女性リーダーの考えは信念の枠を飛び抜けているという気もするがね。右翼派の女性たちはセゴレーヌ・ロワイヤルを支持するね・・・まあどうなるかは分らないが。私は自分の信念を保持するよ、それに躊躇いはないから・・・】<br/>
【引用（参考）　takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事　2007/5/30　「ドロンが語る「マディソン郡の橋」その２」（インタヴュー和訳）」】<br/>
<br/>
　いわんをや、『山猫』で、アラン・ドロンが演じた主人公タンクレディは、同じ貴族階級の娘ではなく、クラウディア・カルディナーレが扮した新興のブルジョアジーの娘であるアンジェリカと結婚して家庭を築いていく新しい時代に生まれた王党派の共和主義者でした。<br/>
<br/>
<br/>
　これらのことを踏まえれば、アニエス・ヴァルダ監督の作品『百一夜』で、ルキノ・ヴィスコンティの写真や作品ポスターを見つめるアラン・ドロンの複雑な眼差しを理解することは、それほど困難なことではないでしょう。<br/>
<br/>
　そして、わたしは、「ハンサムな間抜け」と自覚しながらも、師であったルキノ・ヴィスコンティの教示に答えようとして、レジスタンス運動の指導者、第三共和制の幕僚ジャック・シャバン・デルマスをルネ・クレマン監督の下で一生懸命に必死に演じているアラン・ドロンの心情を察すると涙が止まらなくなってしまいます。<br/>
<br/>
　そして、アラン・ドロンに心からの万感の拍手を贈りたくなってしまうのです。<br/>
<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>山猫（２）</dc:subject>  
      <dc:creator>Tom5k</dc:creator>  
      <pubDate>Sat, 5 Feb 2011 18:24:18 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2011-02-05T18:24:18+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>『暗黒街のふたり』～イントレランス＝不寛容、そして、レ・ミゼラブル＝悲惨（哀れ）な人々～</title>  
      <link>http://zidai.exblog.jp/14030155/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://zidai.exblog.jp/14030155/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
【被虐的な役なんて、わがドロン様には似合わない。ただそれだけの理由です。映画そのものの出来が悪いとは、決して思いませんけれど。<br/>
　同じような理由で『ブーメランのように』、『ル・ジタン』というところでしょうか。<br/>
人間の弱き愚かしさの追求、いわれなき差別に対する怒りをテーマに取り上げているという意味においては、立派な映画だと思うけど、そこには弱者が弱さを売り物にして居直った傲慢さが感じられてあまり気持ちのいいものではない。（略－）】<br/>
【南俊子氏】<br/>
<br/>
　正直に記せば、わたしは、映画評論家の南俊子氏がアラン・ドロンを、どの程度理解して批評していたのか？と、大きく疑問視しているところなのですが、当時のアラン・ドロンのファンの代弁、人気の要因を最も象徴したところで批評していたことは間違いのないことであるように思っています。<br/>
　また、『パリの灯は遠く』を大きく評価していたことを鑑みれば、もしかしたら、氏はアラン・ドロンの本質に気づきながらも、あえて一側面のみの批評に徹していたのかもしれません。<br/>
<br/>
　そして、アラン・ドロンの人気の全盛期、１９６０年代後半から１９７０年代にかけて、アラン・ドロン批評のほとんどを担われていた氏は、ジョゼ・ジョヴァンニ監督の演出したアラン・ドロン主演作品の３本をすべてワースト１０に選定しています。<br/>
<br/>
　現在は、それらの作品の批評について、あくまでも《私的見解として限定的》にですが、珍しくわたしも氏と同様の気持ちです。<br/>
　しかしながら、過去、わたしがアラン・ドロンのファンになったばかりの頃には、逆にこれらの作品が最も気に入っていました。ですから現在でも強くこだわりのある３作品でもあるのです。<br/>
<br/>
　いずれにしても、わたしにとって、当時の各種映画誌での氏の批評には全く興味が喚起されず、むしろ、そのアラン・ドロン評が、彼の本質を一般に拡大できずに硬直させてしまったとまで、批判的に考えています。<br/>
　そんなことからも、また、フランス映画史的にジョゼ・ジョヴァンニ監督が、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の「フレンチ・フィルム・ノワール」の後継者として、すでに高く評価されている映画監督であるにも関わらず、彼の映画作品のテーマや背景などの意味合いからも、<br/>
<br/>
わたしは、生意気にも本来はどのようなところに位置づけられるべき映画人なのかと、以前から考え続けてしまっているのでした。<br/>
<br/>
<br/>
【＞池波<br/>
正直いってもう話は何べんも、日本でも外国でもやったようなものなんだけれども。ジョゼ・ジョバンニの脚本と演出は堂に入っていますね。彼は非常にうまくなった。（略－）】<br/>
【キネマ旬報１９７4年4月下旬号Ｎo.629　「暗黒街のふたり」の魅力を形作る三人＜巻頭ディスカッション＞ギャバン／ドロン／ジョバンニ　池波正太郎／早乙女貢／田山力哉／南俊子　白井佳夫】<br/>
<br/>
　映画公開当時の池波正太郎氏の『暗黒街のふたり』に対する何気ない一言は、わたしには大きく印象的であり、また全くの同意見なのです。<br/>
<br/>
　例えば、まずわたしが最初に思い出すのが、映画の父とも呼ばれるD・W・グリフィスが監督・脚本を担当した文化芸術史的大作『イントレランス』（１９１６年）の現代篇です。<br/>
　この作品は、１０人の人間が観れば、その１０人のほとんどが、古代篇の空中庭園や戦乱のスペクタクル、ラスト・シークエンスでの時代と場所を狂ったように往来する映像史上における類い希な凄まじいクロス・カッティング、などに驚嘆するだろうと思うのですが、わたしに限っては、それ以外にも、この現代篇のストーリー・プロットが後年の「ギャングスター映画」「フィルム・ノワール」「マフィア映画」などの原点となっていると考え、そのことに驚いてしまいました。<br/>
<br/>
　そして特に、アラン・ドロンが主演した「フレンチ（ハリウッド・イタリア資本作品も含めて）・フィルム・ノワール」作品の多くに、その特徴が見られているように感じたのです。<br/>
 イントレランス【淀川長治解説映像付き】 [DVD]IVC,Ltd.(VC)(D)<br/>
<br/>
　この現代篇のストーリーのプロットなのですが、<br/>
　まず、慈善事業家（社会改良家）の偽善行為の傲慢さを描写し、彼らが依頼した資金のスポンサーとなる企業からの資金繰りが、工場労働者の賃金カットによるものであったことから、必然的に大規模ストライキ（暴動）が発生し、その鎮圧による警官隊の発砲から命を失う者まで発生させてしまうことなどが前半で描かれています。<br/>
　失職と父親の死から、主人公の労働者は都市部に移住し、とうとう犯罪組織の一員となってしまうのですが、このように犯罪が創り出される経緯にまで辿っていることは、実に本質的な構成・プロットです。<br/>
<br/>
　その後の主人公の青年は、同じ工場で働いていた労働者の娘と所帯を持ち、子供まで授かり幸福な時代を迎えていくのですが、それもつかの間、彼は暴力団組織から脱退することが許されず、組織の策略によって逮捕され、更に慈善事業家（社会改良家）たちの偽善行為によって、子供まで育児施設に強制保護されてしまいます。<br/>
　青年が刑期を終えて出獄したときには、組織のボスの殺害容疑により裁判に図られ、殺人罪で絞首刑を宣告されます。映画の最後では、主人公は無罪放免にはなるのですが、この現代篇後半での社会の「イントレランス＝不寛容」のプロットを要約すると次のように整理できると思います。<br/>
<br/>
○　愛する夫（主人公）の刑務所への入出獄<br/>
○　家族のために堅気になりたくてもマフィア組織の脱退を許してもらえない主人公<br/>
○　主人公が堅気になっても、それを理解してくれない冷たい社会<br/>
○　弱みに付け込んで妻にせまる暴力組織のボス、その行為に激昂する主人公<br/>
○　不条理な裁判制度<br/>
○　人命を奪う死刑制度<br/>
<br/>
　『泥棒を消せ』（１９６４年）や『ビッグ・ガン』（１９７３年）では、家族のために堅気になりたくても、仲間の強盗団やマフィア組織のしがらみから、それが許されない悲劇的な主人公が描かれていました。特に『泥棒を消せ』では、真面目に働いて更正しようとしている前科者に執拗に嫌疑をかけ、悪しき環境のなかで犯罪者に仕立てられていく様子、堅気になってもそれを理解してくれない冷たい社会の描写まで掘り下げられており、『シシリアン』（１９６９年）では、犯罪者に成らざるを得なかった青年の生育歴にも触れられていました。<br/>
<br/>
　そして、この『暗黒街のふたり』では、アラン・ドロン演ずる主人公のジーノが刑期を終えて出獄し、堅気になろうと更正に努めるのですが、やはり、それを理解してくれない冷たい社会、仲間の強盗団のしがらみなどが描かれ、最後には弱みに付け込んで妻にせまるゴワトロ警部の横暴から、その行為に激昂し、とうとう殺害事件を起こしてしまう悲惨な状況が描写され、ある意味においては不条理な裁判制度、そして残酷な死刑制度により、その努力を認められずに生命を奪われてしまうのです。<br/>
<br/>
　『暗黒街のふたり』の原作【ジョゼ・ジョバンニ著、山崎龍訳、二見書房、１９７４年】では、一貫してジーノの更正に尽力するジャン・ギャバン演ずる保護司ジョエルマン・カズヌーヴが、<br/>
<br/>
「悪しき環境こそ犯罪者をつくる」<br/>
<br/>
と、この作品のテーマを主張しています。<br/>
 暗黒街のふたり (1974年)ジョゼ・ジョバンニ / 二見書房<br/>
<br/>
　『暗黒街のふたり』で描かれているプロットやテーマは、主人公の最後の描き方の違いを除けば、まるで映画『イントレランス』現代篇後半部分のリメイクであるかのような印象を持つことができます。<br/>
<br/>
　この作品で強く印象的なのは、主人公ジーノに執拗につきまとうミッシェル・ブーケが扮したゴワトロ警部です。彼は犯罪者の更正を全く信じていない冷血漢であり、その任意調査の方法は、「イントレランス＝不寛容」を徹底しており、その潔癖性による猜疑はとても正常な感覚とは思えません。<br/>
<br/>
　なお、この作品が非常にリアリティを伴っている理由のひとつに、主人公ジーノを演じたアラン・ドロンが、実際に起こったマルコヴィッチ殺害事件で嫌疑の対象とされ、警察当局の任意の調査による囮捜査などで、不合理で執拗な嫌がらせを多く受けた経験からの演技によるものがあったと考えられます。<br/>
　彼もまた社会の「イントレランス＝不寛容」に深く傷つけられた「レ・ミゼラブル＝悲惨（哀れ）な人々」であったのかもしれません。<br/>
<br/>
　そこから思い出されるのが、フランスが生んだ大文豪家ヴィクトル・ユーゴー原作の大作『レ・ミゼラブル』です。<br/>
 レ・ミゼラブル 全4冊 (岩波文庫)ヴィクトル ユーゴー / 岩波書店<br/>
<br/>
　たった一切れのパンを盗んだだけで１９年間も投獄され、官憲の典型であるジャヴェール警視に執拗につきまとわれるジャン・ヴァルジャンの物語です。<br/>
<br/>
　この名作は何度も映画化されており、自国フランスでは、『暗黒街のふたり』に出演しているジャン・ギャバン（ジャン＝ポール・ル・シャノワ監督、１９５７年）、ジェラール・トパルデュー（TVシリーズ、ジョゼ・ダヤン監督、２０００年）、また、アラン・ドロンのライバルであるジャン・ポール・ベルモンド（クロード・ルルーシュ監督、１９９６年）、良き先輩スターのリノ・ヴァンチュラ（TVシリーズ、ロベール・オッセン監督、１９８３年）が、主人公のジャン・ヴァルジャンを演じています。<br/>
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<br/>
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<br/>
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<br/>
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<br/>
　アラン・ドロンにゆかりのあるスターたちは、ほとんどがジャン・ヴァルジャンに扮しているとまでいえるでしょう。<br/>
<br/>
　この作品でも、映画『イントラレンス』と同様に、真面目に働いて更正しようとしている前科者の主人公に執拗に嫌疑をかけ、主人公が悪しき環境のなかで犯罪者に仕立てられようとする様子、堅気になってもそれを理解しようとしない冷たい社会環境などが描写されています。<br/>
　また、最も強烈なキャラクターとして、人としての良心を喪失してしまったようなジャベール警視という王党派の冷徹な警察官が登場します。<br/>
　このキャラクターは、まさに『暗黒街のふたり』のゴワトロ警部そのものでした。<br/>
<br/>
　そして、驚くことに、リノ・ヴァンチュラがジャン・ヴァルジャンを演じた１９８３年版のロベール・オッセン監督のTVシリーズでジャベール警視を演じたのは、なんと！『暗黒街のふたり』でゴワトロ警部を演じたミッシェル・ブーケなのです。<br/>
<br/>
　この配役とジャン・ヴァルジャンを演じたことのあるジャン・ギャバンの出演によって、『暗黒街のふたり』が、現代の『レ・ミゼラブル』であると、わたしは解釈せざるを得なくなっています。<br/>
<br/>
<br/>
<br/>
　ところで、ノーベル賞作家の大江健三郎氏は、エッセイ集である『「伝える言葉」プラス』（朝日新聞社、２００６年）で、「不寛容」すなわち「イントレランス」について、次のように語っています。<br/>
<br/>
【人間は、思い込みと自分らの作り出したものの機械となって突進する。その勢いを、人間は誤りやすいと自覚して、ゆるめようと努めるのが寛容。渡辺さんはいつの世にもある不寛容に嘆息しながら、歴史を見れば寛容こそ有効だ、と言い続けました。】<br/>
　渡辺さんとは、大江氏が東京大学フランス文学部在籍中のフランス文学史専攻の歴史学者であった渡辺一夫氏のことです。彼は生涯に渉ってヒューマニズム（ユマニズム）について主張し続けていった素晴らしい知識人でした。<br/>
<br/>
　また、大江氏は２１世紀の社会の想定を、<br/>
【渡辺一夫の鎮められない魂が現れることがあるなら、あなたの暗い予見よりさらに暗く、二十一世紀は不寛容の全面対決に向かいつつあり、この日本も戦列に加わっている、と訴えたい思いです。】<br/>
と絶望的に総括しています。<br/>
<br/>
　しかし、最後に氏は、<br/>
【しかし、その国に、先生は知らないメールを盛んに使って、寛容を世界に発信する、新しい市民たちが出て来ている、とも付け加えねばなりません。】<br/>
と前向きな展望も示しています。<br/>
 「伝える言葉」プラス大江 健三郎 / 朝日新聞社<br/>
<br/>
　現在の日本では、非常に困難な賛否の両論があり、安易な判断を下すことは避けるべき懸案ではあると思いますが、死刑制度の廃止論も避けては通れない問題かもしれません。<br/>
　フランス共和国では、この『暗黒街のふたり』が制作された１９７３年の３年後の１９７６年に最後の死刑執行が施行されて以降、１９８１年のフランス社会党のミッテラン政権の誕生により、死刑制度が廃止されました。<br/>
　現在では、死刑廃止国であることが欧州連合（EU）への加盟条件にまで拡大されているそうなのです。<br/>
<br/>
<br/>
　わたしは、今後の社会の展望において、ジョゼ・ジョヴァンニ監督のアラン・ドロン製作・主演作品が、何らかの社会貢献に役立つ作品となるような気がしてならないのですが、現在及び未来の日本での極めて困難なヒューマニズムの実行を熟考していくうえで、この『暗黒街のふたり』が、その「トレランス＝寛容」の実現において、今後どのような役割を果たしていくのかを深く考え込んでしまうところでもあるのです。<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>暗黒街のふたり</dc:subject>  
      <dc:creator>Tom5k</dc:creator>  
      <pubDate>Sun, 23 Jan 2011 0:30:33 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2011-01-23T00:30:33+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>『ル・ジタン』③～父親として・・・ロマ族であっても、銀行強盗であっても、サラリーマンであっても・・・</title>  
      <link>http://zidai.exblog.jp/13956718/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://zidai.exblog.jp/13956718/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
　『ル・ジタン』の原作、及び当初の執筆されていたジョゼ・ジョヴァンニ監督のオリジナル・シナリオでは、アラン・ドロンが演じたル・ジタンことユーゴ・セナールは、ラストで絶命する内容だったようです。<br/>
<br/>
【幻影と現実が入り交じったような、うつろな目つきで、ふらふらと歩き出して、屑鉄の山にぶっつかると、そのまま膝をついた。<br/>
しばらく、首を垂れていた。血汐が、その膝へ、胸からしたたった。<br/>
血のにおいをかいだ鼠の群が近づいて来た。<br/>
ジタンは、ゆっくりと、あたりを見まわした。<br/>
ジタンは、ジプシー女の腹から生まれた青年であった。ジプシー出身というだけで、フランスはもとより各国から、生業に就くことを拒否されつづけ、反抗しつづけてきた。ジタンにとってこのゴミ棄て場は、いわば故郷であった。<br/>
ジタンは、血まみれの手で拳銃をとり出した。<br/>
その有様を、数十メートルはなれた地点から、じっと見まもっている男がいた。<br/>
ブロー警視だった。<br/>
ジタンは､銃口を顳かみに当てた。<br/>
三十一歳の短い生涯の終わるのを、ブロー警視は、冷たい目で見まもっていた。】<br/>
【引用　『ル・ジタン～犯罪者たち』ジョゼ・ジョバンニ　柴田錬三郎訳、勁文社、昭和５１年３月２０日】<br/>
 ル・ジタン―犯罪者たち (1976年)ジョゼ・ジョヴァンニ / 勁文社<br/>
<br/>
【○　ゴミ捨て場<br/>
車の残骸の鉄屑の間をジタンがふらふらと歩いてくる。まわりに家族達の幻影が出る。<br/>
ジタン、鉄材にぶつかって、ゆがんだ梁にしがみつく。まるで十字架にかかったような姿だ。<br/>
血が鉄材を伝わって落ちる。<br/>
血の匂いをかぎつけるネズミ達。<br/>
ジタン、そのままの姿勢で、銃を出して、自分に向けて撃つ。<br/>
ひびく銃声。<br/>
この音とともに幻影は消え、現実だけが残る。<br/>
カメラはゆっくりとロングになる。<br/>
ゴミ捨て場と鉄材にひっかかるようにして死んでいるジタン。<br/>
薄煙の向うに、遠くまだ眠っている。<br/>
大都会の高層アパート群。<br/>
静かな夜明けである。】<br/>
【キネマ旬報１９７６年１月新年特別号Ｎo.674　●分析採録　ル・ジタン　脚本・ジョゼ・ジョバンニ】<br/>
<br/>
　しかし、１９７６年にアデル・プロダクションが完成させた映画作品としての『ル・ジタン』のラスト・シークエンスは、それらとは異なる内容に改変されています。<br/>
　また、原作での主人公ユーゴ・セナールの年齢も３１歳であり、映画で彼を演じたアラン・ドロンは４０歳を迎えた後に主演しています。そういった意味で、この作品は当時のアラン・ドロンの年齢に合致した作風になっているようにも感じました。<br/>
<br/>
【（－略）「ル・ジタン」の原作は１５年まえにわたし自信が書いた小説ですが、こんど映画化するにあたって、アラン・ドロンのイメージに合わせてすっかり書き直したものです。（略－）】<br/>
【参考　キネマ旬報１９７６年１月新年特別号Ｎo.674（「ジョゼ・ジョヴァンニ映画と自己を語る　LE GITAN特集　パリでのインタビュー」（山田浩一／白井佳夫）】<br/>
<br/>
<br/>
　ところで、一概には決めつけることは出来ないことかもしれませんが、一般的に４０歳代の男たちというものは、如何なる心情をもって生きているものでしょうか？<br/>
<br/>
　例えば、<br/>
　ようやく手に入れたマイ・ホーム・・・。<br/>
　すくすくと育っている最愛の我が息子、我が娘たち・・・。<br/>
　若き頃の恋女房とは縁遠くなったにしろ、自分のような男のかみさんの役割など、もう他の女にできるわけがない・・・女房に対するあきらめと感謝、これからもこの女に家のこと一切を任せ、定年まで頑張らなきゃ・・・。<br/>
　２０代、３０代の頃のように他の女も相手にしてくれない、相手にしてくれそうな女が現れても、今ではもうわきまえもできていて・・・はめもはずしにくい・・・。<br/>
　おふくろも親父も年食っちまって、自分に頼りっきり・・・。<br/>
<br/>
　わたしの周辺の４０歳代の男性たちを見ると、自営業者も含めて、多くのサラリーマンの気持ちは、概ねこのような状態のようです。<br/>
　どちらかというと、積極的なエネルギーは感じられません。<br/>
<br/>
　しかし、だからといって、そう簡単にダメ親父にはなっているわけでもありません。<br/>
　このユーゴ・セナールのように密かにではあれ、誰にも理解してもらえない熱い想いを抱えて生きているのです。<br/>
<br/>
　まだまだ、おれにだって出来ることはあるはずだと・・・。<br/>
<br/>
　この作品でも、主人公のユーゴ・セナールが自らの心情を吐露するシークエンスがあります。<br/>
　刑務所で意味がなく憤っていた様子を不思議に思った仲間たちの疑問に<br/>
<br/>
「俺たちの幸せは他人まかせだ　何ひとつ自由がない　それを思うと腹が立つ　みんなで騒いだらどうなるかな」（ユーゴ・セナール）<br/>
「それが革命だよ」<br/>
「革命は戦争みたいなもんだ　俺のはちがう」（ユーゴ・セナール）<br/>
「何だい」<br/>
「わかるまい」（ユーゴ・セナール）<br/>
<br/>
　それが何なのか、どんなものなのかをユーゴ・セナールが語ることはありません。また、仲間のジョーやジャック（レナート・サルバトーリ、モーリス・バリエ）たちも、そこまで野暮なことは聞きません。<br/>
　もちろん、彼が言ったように、その内容は決して誰にも理解できるものでは無いのでしょうが、しかし、男としては本当に良く理解できる会話のやり取りでもあるのです。<br/>
<br/>
<br/>
　ところで、ジョゼ・ジョヴァンニ監督と製作者であったアラン・ドロンは、この作品にたいへん印象の強い３人の子どもたちを登場させています。<br/>
　シャンピニのマルヌ河の河岸で知り合う病気療養中の少年、<br/>
　農家の廃屋で資金を渡すときのロマ族の仲間たちの少年、<br/>
　そして、ユーゴ・セナール最愛の一人息子です。<br/>
<br/>
　療養中の少年は原作には全く登場しませんので、映画化に当たって、わざわざ登場させたキャラクターだったようです。それだけ、この作品では重要な位置付けにあるように思います。<br/>
<br/>
　もし、ふとしたきっかけでこのような少年と知り合うことがあって、彼との対話が成り立ったなら、男としては誰しもが、ユーゴ・セナールのように彼を励まし、生きる知恵を諭すような気がします。<br/>
<br/>
　そして、友人・仲間たちの子どもに対しても彼と同じように一緒に遊び可愛がるでしょう。<br/>
<br/>
　また、会社の人事異動で転勤することが決まり、一人単身で家族を置いて家を出るようなことになったなら・・・<br/>
　そして、そのとき、<br/>
「ぼくを連れてって」<br/>
と、息子から言われたなら・・・<br/>
　世の父親の誰しもが、きっとこのユーゴ・セナールと同じ面持ちで、息子との惜別の瞬間を持ち、新しい赴任地に旅立っていくのではないでしょうか？<br/>
<br/>
<br/>
　後に続く世代の子どもたちが存在すること。そのことを実感するのも、男としては、やはり、４０歳を超えてからのような気がします。<br/>
　<br/>
　アラン・ドロンも若い頃から、尊敬していたジャン・ギャバンやバート・ランカスターを追い求め、自分を育ててくれたルネ・クレマンやルキノ・ヴィスコンティ、ジャン・ピエール・メルヴィル、ジョセフ・ロージー・・・たちに父性を求めながら、必死に生きる術を学んできたのでしょう。<br/>
<br/>
【彼は父なるものを探し求めているのだが、同時にまた自分が強くなって他者を支配したい欲求もある。（ジョセフ・ロージー）】<br/>
【引用　『追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー』ミシェル シマン著、中田秀夫・志水 賢訳、日本テレビ放送網、１９９６年】<br/>
 追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージーミシェル シマン Michel Ciment 中田 秀夫 志水 賢日本テレビ放送網<br/>
<br/>
　しかし、アラン・ドロンは自らがこの年齢にまでなったとき、後身の世代が存在していることに気づき、今度は自分が父性として、彼らに何を残せるのか、どのように叱咤し激励できるのかを意識するようになったとも思うのです。<br/>
　恐らく、彼は登場させた少年たちを通して、これからの未来のことを考えるようになり、従前から追求してきた「フレンチ・フィルム・ノワール」での「死の美学」、原作やシナリオでの死を全うする主人公に心酔できる役柄を拒否し、例え犯罪者ではあっても、哀しくて辛いことにも正面から闘いを挑む「男としての規範・・・父性としての生き方」を表現することを選択したのだと思います。<br/>
　また、ジョゼ・ジョバンニ監督もそれを理解したのだと思います。<br/>
<br/>
<br/>
　もう一人、印象深い人物が登場しています。<br/>
　ユーゴ・セナールと偶然に邂逅することになったポール・ムーリスが演ずるブルジョア強盗のヤン・キュックです。<br/>
　彼の高級マンションを訪れたユーゴ・セナールは、ブルジョアジーのその優雅な生活に目を見張ってしまいます。<br/>
<br/>
　黄色いバスロープ、分厚いチキン、自家焙煎のコーヒー、写真入りの百科全書・・・。<br/>
<br/>
「なんでももっているね」<br/>
　若干の羨望の思いから、ユーゴ・セナールはつい口走ってしまうのですが、<br/>
<br/>
　しかし、老ギャング、ヤン・キュックは、静かにこう言います。<br/>
「ないものもある　残念ながら」<br/>
<br/>
【（－略）“ル・ジタン”は銀行を襲って金を盗むが、彼自身のためではない。盗んだ金はすべて仲間のジプシーたちに渡してしまう。実生活でも、アラン・ドロンは“ル・ジタン”と同じように気前がよく、仲間意識が強い。友人と思う人間のためには骨身を惜しまずなんでもやる男です。】<br/>
【参考　キネマ旬報１９７６年１月新年特別号Ｎo.674（「ジョゼ・ジョヴァンニ映画と自己を語る　LE GITAN特集　パリでのインタビュー」（山田浩一／白井佳夫）】<br/>
<br/>
　ヤンは、恐らく、<br/>
　この少数民族のアウトローに、助けを必要としているギャング仲間、可愛い子どもや美しい妻、守るべき家族、ロマ族の良き仲間たち・・・が存在していること、つまりその背景に、掛け替えの無い素晴らしいものを持っていることを、無言のうちにすべて理解していたのだと思います。<br/>
　むしろ羨ましがっているのは自分の方であることを、最も良くわかっていたに違いありません。<br/>
<br/>
<br/>
　この作品が公開された時点、わたしがこの作品を観たのが、小学６年生のときでした。そして、現在、わたしは４０歳台の半ばから後半に入ろうとしています。<br/>
　ですから、この作品に登場する少年たちの世代から、主人公のユーゴ・セナールやその仲間、ポール・ムーリスが演じたブルジョア強盗のヤン・キュックまでの世代の心情が、実に良く理解できるのです。今では、男としての心情が、ロマ族だろうが、銀行強盗だろうが・・・サラリーマンだろうが、もしかしたら、ブルジョアの強盗であっても、皆同じであることを実感してしまうのです。<br/>
　マルセル・ボズフィが演じたブロー警視やベルナール・ジロドーが演じたマルーユ刑事の心情も含めて・・・。<br/>
<br/>
　この作品は、映画史的な意味では、ジョゼ・ジョバンニ監督とアラン・ドロンという「フレンチ・フィルム・ノワール」の典型的なコンビで制作され、アクションの素晴らしさもギャングの生態も実にリアルであり、高いクォリティで表現されている作品ですが、わたしとしては、家族のために、社会のために、もう一働きしようとしている男たちを励ましてくれる作品としても、多くの男性の心をつかむ作品、地味ではあっても十分な力を持った作品であるように思います。<br/>
<br/>
　特に、家族を置いて新しい赴任地へ一人旅立つ中堅サラリーマンたちには、是非とも観てもらいたい作品として『ル・ジタン』を薦めたくなります。<br/>
<br/>
　ロマ族のアウトローを演ずるため、アラン・ドロンは髭を生やし痩せこけていて、髪の毛は乱れたままの姿で出演しています。甘いマスクで多くの女性を魅了したダンディズムの極致としてのアラン・ドロンの面影はこの作品には存在していません。<br/>
<br/>
<br/>
【男は４０歳になれば、自分の顔を持つものだと言われている。私は、そうありたいと努めている。】<br/>
【「ジタンの香り／アラン・ドロン」（訳　園山千晶）ライナー・ノーツより】
  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>ル・ジタン（３）</dc:subject>  
      <dc:creator>Tom5k</dc:creator>  
      <pubDate>Mon, 10 Jan 2011 0:15:57 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2011-01-10T00:15:57+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>『ビッグ・ガン』～イタリアでの「フィルム・ノワール」集大成、そして家族への愛～</title>  
      <link>http://zidai.exblog.jp/13716906/</link>  
      <guid isPermaLink="true">http://zidai.exblog.jp/13716906/</guid>  
      <description><![CDATA[<p>
  
【＞あなたにとって映画はむしろフランスとイタリアですね？<br/>
＞アラン・ドロン<br/>
今では違うがね、でも私のキャリアはイタリアで始まったんだ。最初の作品に出た後すぐに、私はイタリアで５年過ごした、フランスと行ったり来たりでね:『若者のすべて』『太陽はひとりぼっち』『生きる歓び』『太陽がいっぱい』『山猫』全ての始まりだった！】<br/>
【引用（参考）　takagiさんのブログ「Virginie Ledoyen et le cinema francais」の記事　2007/6/27　「回想するアラン・ドロン：最終回（インタヴュー和訳）」】<br/>
<br/>
　ハリウッドから、１９６７年製作の『冒険者たち』で帰仏した後のアラン・ドロンの作品は、アメリカ資本の作品、あるいは純粋なフランス資本の作品、アメリカのマーケットと合同の版権を持った作品がほとんどで、この１９７３年の『ビッグ・ガン』製作の前年１９７２年に製作された『高校教師』が、渡米前の１９６３年製作のイタリア・スペインとの合作『黒いチューリップ』以来のイタリア作品でした。純粋なイタリア作品としては、１９６２年の『山猫』以来です。<br/>
<br/>
　『高校教師』は、作品のクォリティにおいても商業的な意味でもアラン・ドロンの代表作品として名だたる作品であり、アラン・ドロン本人も自分の主演した作品のベスト５として、２００７年１０月８日に放映されたジャニーズ事務所所属の人気タレント・グループ 「SMAP（スマップ）」がレギュラー出演しているバラエティ番組『SMAP×SMAP 秋の超豪華 アラン・ドロンも来ちゃいましたスペシャル!!!』（関西テレビ・フジテレビ系列）の『BISTRO SMAP』に出演した際に、『太陽がいっぱい』『太陽が知っている』『山猫』『暗黒街のふたり』とともに『高校教師』を挙げています。<br/>
<br/>
　そして、その成功の翌年の１９７３年、やはりイタリア資本モンディアル・ＴＩＦＩと自社アデル・プロダクションとの合作で、イタリア人スタッフ・キャスト、舞台設定もイタリアで、この『ビッグ・ガン』を制作したのです。しかも『山猫』の舞台であったシシリー島も舞台・ロケ地となっています。<br/>
　この頃、人気全盛期だったアラン・ドロンは、デビュー当時の原点に立ち返って、得意の悲恋をテーマにした『高校教師』、十八番であった「フィルム・ノワール」作品の体系に属する『ビッグ・ガン』を、敢えてイタリア映画として製作したのだと察することができます。<br/>
　映画俳優・スターとして、自社プロダクションの立ち上げ、一個人として家庭人の役割を担ったこと、そして、その失敗、殺害事件の関与への疑義など、様々な人生経験を経て、このヴェテラン・円熟期の段階に、再び原点に立ち返ったアラン・ドロンの模索していたもの・・・それは、ここで、どのように表現されているのでしょうか？<br/>
<br/>
　内容もプロットも、アラン・ドロンのキャラクターも・・・彼の従来からのキーワードである<br/>
<br/>
家族との愛情、その悲劇的プロット<br/>
（『泥棒を消せ』『シシリアン』）<br/>
<br/>
暗黒街の職業的殺し屋<br/>
（『サムライ』『シシリアン』『スコルピオ』）<br/>
<br/>
死の美学<br/>
（『さすらいの狼』『泥棒を消せ』『サムライ』『ジェフ』『シシリアン』『仁義』『スコルピオ』）<br/>
<br/>
「フレンチ・フィルム・ノワール」の特徴である男同士の友情と裏切り<br/>
（『仁義』『シシリアン』『リスボン特急』）<br/>
<br/>
孤独な一匹狼と巨悪組織の対峙<br/>
（『さすらいの狼』『サムライ』『スコルピオ』）<br/>
<br/>
・・・と、非常に類型的ではあります。<br/>
<br/>
　演出したドウッチョ・テッサリは、超一流の映画作家とも言えるアラン・カヴァリエ、ジャン・ピエール・メルヴィル、ラルフ・ネルソンらと比較するのは気の毒ですが、第一級のエンターテーナーとしてそれなりの活躍をしていたジャン・エルマン、アンリ・ヴェルヌイユ、ジャック・ドレー、マイケル・ウィナーと比べても、彼の作品のクォリティが若干劣るように感じてしまうのはわたしだけでしょうか？<br/>
<br/>
　しかしながら、イタリア製西部劇で鍛えられた職人気質の映画作家であることは、いくつかの彼の作品を鑑賞すればわかりますし、その優れた特徴から映画制作のプロフェッショナルであることは、歴然としています。<br/>
<br/>
 続・荒野の1ドル銀貨 スペシャル・エディション [DVD]エスピーオー<br/>
<br/>
 夕陽の用心棒 [DVD]エスピーオー<br/>
<br/>
 荒野の大活劇 [DVD]エスピーオー<br/>
<br/>
　後年演出したアラン・ドロン主演の『アラン・ドロンのゾロ』でも、その職人的カメラワークや演出力は思う存分、そして遺憾無く発揮されています。<br/>
<br/>
　また、この作品の類型の特徴は決してマイナスには作用しておらず、アラン・ドロン出演の「フィルム・ノワール」作品として最も安定しており、その基本的な魅力の多くが盛り込まれているのです。<br/>
<br/>
　特徴的なキーワードが極めて類型的であることも含めて、彼のキャリアの始まったころと同様のイタリア映画作品であること、「フィルム・ノワール」作品の演出では職人的要素の強いＢ級映画の監督の演出であったことなど、アラン・ドロンの最も得意とする「フィルム・ノワール」として、これほどの集大成的作品は滅多にありません。<br/>
　前作の１９７２年『スコルピオ』でジャン・ギャバンと同様に最も敬愛しているバート・ランカスターと共演し、強い挫折感のあったアメリカ映画において、ようやくアラン・ドロンらしい自分なりのキャラクターで勝負できた翌年に、このような自分史的な結論を総括的に創り出したことは大きな意味を持つことだったように思います。<br/>
<br/>
　なにより第二の故郷、俳優としては故郷そのものであるイタリア映画界に、今まで培ってきた得意のジャンル「フィルム・ノワール」作品を制作し還元することは、道義的な意味でも国際俳優としての立場からしても、彼の責務だったと言っても過言とはならないかもしれません。<br/>
<br/>
<br/>
　また、この作品がそれまでの集大成の意味のみならず、むしろ彼の新境地の開拓であったとの見解もあるのです。<br/>
【（－略）<br/>
ただ好きだから－と、それだけで選んだこのベスト・テン。でも、よく考えてみると、いずれもアラン・ドロンというスターが、新たな個性を見せたときとか、ユニークな役に挑戦したときの作品が大半を占めている。（略－）】<br/>
と、アラン・ドロンが人気全盛期の時代に、日本でのアラン・ドロン批評（熱烈なファンとしてのアラン・ドロンのカリスマ性批評）で専売特許を持っていたとも言える映画評論家である南俊子氏の選んだベスト第６位がこの『ビッグ・ガン』でした。<br/>
<br/>
　『泥棒を消せ』『シシリアン』で妻や子供、妹をプロットとして配置していた経験はあれども、妻や子供が暗殺され、その復讐のために一匹狼の復讐をマフィア組織に挑み敗北するせつない殺し屋の主人公を演じたのです。<br/>
　このような配役・キャスティングは、彼がナタリー・ドロンとの結婚生活の失敗から愛息アンソニーと別居生活とならざるを得ない悲しい経験や状況からの題材の選定であり、彼の演技のメソッドとしての裏付けであったことは間違いのないことだったでしょう。ですから、この作品は類型的ではあっても硬直した内容には陥っていないように思うのです。<br/>
<br/>
【たとえば『ビッグ・ガン』で、十八番の“殺し屋”を演じたあなた。黒いコート姿で、滑るように敵地へ乗り込むと、ものも言わず表情も変えぬ静けさで、消音銃がたちまち数人を血祭りにあげる。この冷徹の魅力！<br/>
　７歳の誕生日を迎えた一人息子と、貞淑な妻のために、きっぱりと暗黒街から足を洗おうとした“あなた”は、だれがそのために、いとしの妻子を眼の前で、爆弾装置の車もろとも吹っとばされてしまう。悲しみの底から怒りの炎が燃えたって、あなたは報復の鬼となる。<br/>
　けれど、そうしたあなたが、頬を引きつらせて涙を流すのは、妻の墓の前ではなく、おのれの分身である亡き息子への哀惜吹きこぼれる、まさしくその瞬間なのでございました。】<br/>
【「デラックスカラーシネアルバム５　アラン・ドロン　凄艶のかげり、男の魅力「アラン・ドロンへのラブレター　アラン・ドロンさま　まいる」南俊子」南俊子責任編集　芳賀書店）より引用】<br/>
 アラン・ドロン―凄艶のかげり、男の魅惑 (1975年) (デラックスカラーシネアルバム〈5〉)南 俊子 / 芳賀書店<br/>
<br/>
　そして、彼の「フィルム・ノワール」作品に限っても単独の主演作品であることは意外にも珍しいことです。１９６８年製作の『ジェフ』以来５年ぶりであったのではないでしょうか？<br/>
　『ジェフ』以降は同等の主演としての共演者に、『シシリアン』ではジャン・ギャバン、リノ・ヴァンチュラが、『ボルサリーノ』ではジャン・ポール・ベルモンドが、『仁義』ではイブ・モンタン、ブールビル、ジャン・マリア・ヴォロンテが、『リスボン特急』ではリチャード・クレンナ、カトリーヌ・ドヌーブが、『スコルピオ』ではバート・ランカスターが配置されていました。<br/>
<br/>
　逆に『ビッグ・ガン』が彼の単独主演で製作されたところに、アラン・ドロンのイタリア映画界における責務への自覚と、それまで培ってきた実力に裏付けられた強い自信とを感じることができるのです。<br/>
<br/>
　また、フランス映画界において、ジャン・ピエール・メルヴィルの亡き後、「フレンチ・フィルム・ノワール」の体系で名コンビネーションを組んでいくジョゼ・ジョヴァンニ監督との作品『暗黒街のふたり』『ル・ジタン』『ブーメランのように』へと繋がっていく特徴的な要素が、この段階で生み出されていたようにも思います。<br/>
　アラン・ドロン主演作品としてのキーワードである家族愛、死の美学、悲劇的な「フィルム・ノワール」のプロットなどは継続され、暗黒街から足を洗えない社会のアウトローの苦悩を描写していく作品へと発展していったわけです。<br/>
　フランス映画史における伝統的「フレンチ・フィルム・ノワール」の継承者ジョゼ・ジョヴァンニ監督の作品演出の作風は、アラン・ドロンの集大成であるとも解釈できるこの『ビッグ・ガン』において仮想されていたと、わたしには感じられるのです。<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>ビッグ・ガン</dc:subject>  
      <dc:creator>Tom5k</dc:creator>  
      <pubDate>Sun, 28 Nov 2010 12:02:14 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2010-11-28T12:02:14+09:00</dc:date> 
    </item>  
    <item> 
      <title>『ショック療法』～リメイクされたナディアとシモーネの亡霊～</title>  
      <link>http://zidai.exblog.jp/13678711/</link>  
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      <description><![CDATA[<p>
  
　ルキノ・ヴィスコンティ監督の「ネオ・リアリズモ」後期の大作『若者のすべて』の登場人物は、それぞれが不幸で悲惨な想いのまま挫折してしまいます。そのなかでも、特に納得できずに悲惨な結末を迎えた主人公の一人として、わたしがまず思い浮かぶのは、アニー・ジラルドが演じたナディアです。<br/>
　彼女はレナート・サルバドーリが演じたシモーネとアラン・ドロンが演じたロッコを恋人にしてしまったがために、とうとう命まで落とすことになってしまったからです。<br/>
　もし、シモーネが真面目に働いていたなら、もしロッコが一生の伴侶として自分を選んでくれたなら、いや自分を選ばずともシモーネと寄りを戻すようなことを願わなければ、あのような最期は迎えずに済んだのかもしれないのです。<br/>
<br/>
　ただ、自らの非業の最期のときではありましたが、シモーネに対しては彼本人に対して、その恨み辛みを直接ぶつける機会もありました。<br/>
<br/>
「憎んでいるのよ　人間じゃない　ケモノよ　あんたが触ると　皆　汚くなる　最低野郎！　二度と会いたくないわ　まっぴらごめんよ　私の大事な物を　汚した奴　人間のクズよ」<br/>
<br/>
　確かに、ここまで直接的に言いたいことを言ってしまえば、それまでのシモーネに対する怨恨のすべてを彼に帰せたとも思います。<br/>
　そういった意味では、ここで彼女はシモーネに対するこだわりを払拭することができて、無意識にではあっても死を覚悟できたのかもしれません。<br/>
<br/>
　しかし、ロッコに対する想いについては、どうだったでしょうか？<br/>
　シモーネを罵倒した際の「私の大事な物」彼女にとって最愛の人間、それはロッコの全人格と彼から与えられたもののすべてであり、彼女の純粋な魂そのものの再生だったと思います。<br/>
<br/>
　しかも、シモーネに強姦された傷心の自分に対して、その最悪の人物シモーネの元に戻るように懇願されたうえで別れを切り出されたのです。<br/>
　ロッコにとっては、シモーネとの確執が聖人としての自身の罪悪感に結びついていたこともあっての判断だったのかもしれませんが、ナディアにとっては、これほどまでの残酷を強いられ、地獄のような苦しみを背負わせられた相手が、外ならぬ最愛の恋人、許してはならないことまで許してしまう聖人君子ロッコによるものだったことは悲惨の極みでした。<br/>
　その後、元通りの娼婦のキャラクターにまで回帰してしまったナディアは<br/>
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「みんなの中で　一番の貧乏くじは私よ」<br/>
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と居直ってはいるものの<br/>
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「ロッコにも話してよ　誰が私を犠牲にしたか」<br/>
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と号泣してしまうのでした。<br/>
<br/>
　更には、シモーネに刺殺されたとき、ロッコが流した絶望の涙は、彼女にとっては「ケモノ・最低野郎・大事な物を汚した奴・人間のクズ」である兄シモーネの人生の破滅に対する涙であったわけです。つまり、そのときの彼には、すでにナディアは忘却の存在であったとしか解釈できないのです。<br/>
<br/>
　ロッコが、何故自分を受け入れてくれなかったのかを、彼女は死してなお理解することはできなかったのではないでしょうか？<br/>
　そういった意味で彼女の最大の恨みと悲しみの根源は、シモーネではなく、もしかしたら、ロッコに対してのものだったかもしれません。彼女は死してなお死にきれない想いを抱きそれを迎えたのではないでしょうか？<br/>
<br/>
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　逆に、シモーネ、そしてパロンディ家全員にとっては、ナディアは疫病神以外の何者でもありません。<br/>
　もしかしたら、それはロッコにおいてさえ、同様だったかもしれません。シモーネとナディアの関係に関わっても、もしロッコが自らの宗教倫理やイタリア南部の家族制度の道徳意識から解放され、聖人ではなく現代青年として成長できていたならば、彼女に対しても大きく非難を持つことが可能だったはずです。<br/>
　彼も心の深層では、彼女にさえ出会わなければ最愛の兄シモーネがボクサーから転落し、大きな借金を抱え、殺人犯人になるような悲惨な結末を迎えることは無かったと思っていたのではないでしょうか？<br/>
<br/>
　これはナディアにとっては、逆恨みも良いところなのかもしれません。しかし、パロンディ家にとっては、ただでさえ、ミラノという大都会での孤独な生活で疲弊するところを、彼女との出会いによって家族そのものがばらばらにされてしまったわけですし、特にカティナ・パクシノウ演ずるパロンディ家の母親ロザリアからすれば、ナディアは可愛いシモーネを堕落させ、犯罪者にまでしてしまった憎むべき元凶だったのです。<br/>
<br/>
「街の人がわたしのことを“奥さん”て呼んでくれた“奥さん”てね　こんな大きな街でだよ　息子たちが立派だから　ところが何もかも変わってしまった　ロッコは家を出て顔つきまで変わった　シモーネは変な女にひっかかってる　」<br/>
<br/>
と彼女は号泣するのです。<br/>
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　そして、ナディアとの大喧嘩では<br/>
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「ふしだらな女め！みんなお前が悪いんだ　あんないい子を　お前と手が切れさえすればね　立ち直ってくれるさ　出ていきな！」<br/>
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と怒りに身震いするのでした。<br/>
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　さて、『ショック療法』を制作したアラン・ジェシュア監督ですが、彼はブルジョアジーの生態を実にリアルに描き、その醜悪な有体はフェデリコ・フェリーニやルイス・ブニュエルの演出の特徴を自然な写実体に移し換え、ミケランジェロ・アントニオーニが演出する強烈なワン・ショットを映画全体に拡大したような描写であると、わたしには感じられます。<br/>
　女流映画評論家のクレール・クルーゾは彼を、「写実的な傾向」に優れた職人監督としての伝統派スタイルの映画作家と体系づけているようです。<br/>
 フランス映画 1943~現代マルセル マルタン / 合同出版<br/>
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　彼が監督・脚本・音楽を手がけたこの『ショック療法』では、『若者のすべて』でナディアを演じたアニー・ジラルドとロッコを演じたアラン・ドロンが久しぶりに再共演しています。しかし、わたしにとっては、単に二人の映画スターが再度共演したサスペンス・スリラーのみとしての解釈はできず、現代に適応したナディアとロッコが再会した新しい『若者のすべて』のリメイク物語を確認してしまう結果となっているのです？<br/>
<br/>
　ナディア＝アニー・ジラルドが扮しているエレーヌは婦人服工場の支配人、ロッコ＝アラン・ドロンが扮するドクター・デヴィレはブルターニュ地方でのリゾート型医療エスニック・サロンの院長です。<br/>
　つまり、この作品『ショック療法』は、『若者のすべて』の主役が現代社会に最良に適応できた状態に舞台設定された作品であるようにわたしには感じられるのです？<br/>
<br/>
　まずは冒頭からですが、ボサノバのリズムに乗せて、クローズ・アップされるトラックの荷台に乗せられた外国人労働者の若者たちの朴訥な表情が、わたしには『若者のすべて』でミラノに出てきたばかりのパロンディ家のシモーネやロッコたちの表情と同じものにしか見えません？<br/>
<br/>
　今回の「ナディア＝エレーヌ」は、ロッコやシモーネと接していたときとは異なり、誠心誠意、「ポルトガルやスペインの貧困な外国人労働者の若者たち＝ロッコやシモーネ」を救おうと行動します。ごく普通の現代の市民倫理からそれが描かれているようですが、わたしには、ロッコとシモーネを破滅させた「ナディア＝エレーヌ」が、その罪悪感を払拭しようと躍起になっている姿にしか見えないのです？<br/>
<br/>
　逆に「ロッコ＝デヴィレ」は、現代に適応してしまった今、すでに憎悪の対象となってしまった「兄シモーネ＝外国人労働者の若者たち」を最も残虐な方法で次から次と虐殺し続けながら、シモーネの借金を永久に返済し続けているように見えてしまいます？<br/>
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　そして、やはり「ナディア＝エレーヌ」は今回も「ロッコ＝デヴィレ」を恋の対象とします。<br/>
　しかし、彼女はもう「ロッコ＝デヴィレ」を心底信用はしていません。いや信用出来なくなっているといった方が良いのかもしれません。「自分＝ナディア」や「シモーネ＝外国人労働者の若者たち」を結果的に破滅させる要因となったのが、実は「ロッコ＝デヴィレ」の生き方によりもたらされたものであることを直感的に見抜いているからでしょう？<br/>
<br/>
　『若者のすべて』での経験をもって生まれ変わった「ナディア＝エレーヌ」は、「ロッコ＝デヴィレ」が、実はシモーネやロッコ自らをも虐殺し続けていたことを無意識に察知しているのです。ロッコの聖人性は、現代社会ではデヴィレの悪魔性の様相と表裏一体であったことが、この『ショック療法』で、ついに暴かれてしまったとも解釈できるでしょう？<br/>
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　また、「ナディア＝エレーヌ」は、その昔年の怨恨を晴らすために自らが刺殺された方法と全く同じ方法で「ナイフ＝メス」で何度も「ロッコ＝デヴィレ」を刺し続けたのです。そのシークエンスには、まるでシモーネの亡霊が二人に取り憑いているかのような様相を呈していました？<br/>
<br/>
　逆に、ロッコやシモーネにとっても、彼らの絶望感、殺人犯人として警察に連行されたあの絶望の瞬間を、今度は「ナディア＝エレーヌ」に対して同様の形で突きつけていかねばならなかったのかもしれません？<br/>
　彼女に対して、ようやくシモーネと同様に殺人犯人として生きていくことの苦悩を背負わせることに成功したのです。彼らからすれば、その痛恨の極みをようやく晴らすことが叶ったとも解釈できるでしょう？<br/>
<br/>
　『ショック療法』制作当時のアラン・ドロンとアニー・ジラルドが、『若者のすべて』以来の再共演した意味において、ロッコ、シモーネ、ナディアの亡霊に取り憑かれた主人公たちを再現することだったのか否かの確証はありませんが、パロンディ家とナディアの昔年の関係が、その現代的プロットによって、その顛末を再整理するために繰り返されたように、わたしには感じられたのでした。<br/>
<br/>
　アラン・ドロンが演じたロッコやデヴィレ、彼が演じた聖人や悪魔のキャラクターは、その「善」の行為や「悪」の行為に何も見出せず、そして社会に何の影響をおよぼす事も出来ず、単に人間を不幸に陥れ自らも同様に不幸を背負い込む結果しか得られていませんでした。<br/>
<br/>
　わたしは、絶望的で退廃的な雰囲気を漂わせている『ショック療法』のドクター・デヴィレを演じているアラン・ドロンを観ていると、過去に演じた『若者のすべて』での主人公ロッコ・パロンディの聖人像との兼ね合いから、１９５１年、パリのアントワーヌ座で初演されたジャン・ポール・サルトルの戯曲をルイ・ジューベが演出した『悪魔と神』の絶望的な主人公ゲッツ・フォン・ベルリッヒフォンの役を、彼に演じてさせてみたかったと強く祈念してしまうのでした。<br/>
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 悪魔と神 (新潮文庫 赤 120D)サルトル / 新潮社<br/>
<br/>

  
</p>]]></description>  
      <dc:subject>ショック療法</dc:subject>  
      <dc:creator>Tom5k</dc:creator>  
      <pubDate>Mon, 22 Nov 2010 2:21:02 +0900</pubDate>  
      <dc:date>2010-11-22T02:21:02+09:00</dc:date> 
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